第10話 大商人の娘たち 1
暗い室内。
紙と魔力鉱石、複数の小瓶と金属の機器。
知識ある人間が見れば、ここがすぐに魔術師の工房ーーそれも魔術協会の工房だとわかるはずだ。
かたわらで作業する小太りの男にかまわず、変装用に纏った、紺色のローブの内側から日記をとりだす。
日付は1月26日、昨日だ。
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今日はクリスとデートをした。
午前、教会に連れていかれた。
あの神父はいつか殺そう、声は覚えている。
正午、最近オープンしたカフェにいった。
あの神父の言ってる事は現実にならなかった。
いつか殺してやろう。
午後、花の庭園に行った。
だがいちばん美しかったのはクリスだった。
クリスが勇者の力を完全に継承できていないとわかった。
どこかに付けいる隙があるかもしれない。
勇者は殺せないが、クリスは殺せる。
希望が見えた。
すごく楽しみだ。
1月26日の私より
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「ふふ」
自然と笑みがこぼれる。
「おや、どうしたんだい、エイデン。珍しく楽しそうだ」
「ああ、楽しい。昨日、教え子と出かけたのだが、思わぬ収穫があったんだよ」
皮表紙の日記帳をコートの内側にしまい、小太りの男をみる。
「それはよかった。エイデンが楽しそうでぼくも嬉しいよ」
紺色のローブをひるがえし、男は楽しげに笑った。
彼の名前はカドモンド・アウパー、私の親友だ。
15歳のころ、彼の両親をふわけさせてもらったことは、いまだ私の記憶にあたらしい。
「カドくん、私はいまでも、あの時の
「ぼくもだよ、エイデン。エイデンに会えなかったらぼくはあの晩に死んでいた。合作というのは、よく覚えてないけど、ぼくはエイデンのことが大好きだよ」
カドくんはいつもこうだ。
過去の経験を覚えているのが苦手なのだ。
あの美しい共同作業を忘れるとは、いかんともしがたいが、彼は親友なので許してあげよう。
「エイデン。カタクラヤスが吐いた、アグレウス・フラッツヴェルヴという男はとても危険なようだね」
カドくんが木箱を手にもって、隣のイスにすわった。
「腕利きの用心棒を、抱えこんでると聞いているよ。エイデン、ぼくは正直にいうと、きみはこんなことして欲しくないんだ。
親友だし、恩人だから協力はする。どうしても昔の作品たちが必要なのかい?」
「そのとおりだよ、カドくん。私以外の天才たちの作品もなかなかだが、それでも私は私が至高だと思っている。
この高さには、私以外にはだれもいない。私は、私以外に、私を感動させられる存在を知らないんだ」
カドくんはしょんぽりして、脱力すると、木箱をスッと差しだしてきた。
「エイデン、これが頼まれていた品だ。前回より寿命は伸びている。
けれど過信はしないで。黒の眷属を完全に支配下におくことなんて、だれにも出来ないんだから」
「カドくん、私にはできる。安心してくれよ」
木箱を受け取り、紺ローブの内側にしまう。
ーーカチッ
時刻は14時25分。
交渉はクリスのにゃんにゃん遊びが終わるまで。
時間は限られている。
「いつもありがとう。ゆっくりして行きたいが、もう行かせてもらうよ」
「エイデン、そうした方がいいね。きみはここにいてはまずい人間なんだから」
カドくんにかるく手を振り、杖を取りだす。
先端で私自身の胸、さきほどの木箱をローブのうえからつつく。
「では、またいつか」
杖をしまい、私は堂々たる足どりで、魔術協会の工房をあとにした。
⌛︎⌛︎⌛︎
アグレウス・フラッツヴェルヴ。
46歳、フラッツヴェルヴ商会の会長。
石炭、鉄鋼、魔鉱石、綿、絹、剣、槍、盾、杖、魔導硬貨、食品、馬、人材、絵画、彫刻ーーなど。
なんでも扱っている。
「人身売買に売春宿の経営もしているな。年頃の娘が3人もいるのによくできるものだ。サイコパスめ」
資料をパラパラめくり……手を止めて、窓のそとを眺める。
向かいの建物の中からでてくる一団。
表にとまった馬車にむかう、中年の男を視界にとらえた。
おはやい登場だ。
杖を腰のホルダーにおさめたまま、グリップに指をかける。
「≪
トリガーを発声。
すぐに視界がきり替わり、ぬくぬく温かい室内にいた私は、冷たい太陽のてらす、乾燥した外気のもとへと投げだされた。
地面に埋まらないよう、石畳よりわずかに高くとんだせいで、足をくじき、危うく転びそうになるが、無事着地。
さきほどまでの自分がいた建物の窓辺から、この通りまで20〜30メートルといったところか。
以前より、ずいぶん転移の精度があがった。
高度な空間魔法ゆえ、使える者はなかなかいない。
学生だった頃も、これを使えたのは私だけだ。
服装におかしな所がないように襟足などを整える。
さぁ、それでは行こうか。
振りかえり、10メートル先のアグレウス・フラッツヴェルヴを目がけて歩く。
「こんにちは、アグレウスさん、すこしお話をしてはいただけませんか?」
「ん、だれだね、君は」
馬車に乗りこむアグレウスへ声をかけた。
アグレウスは呑気にこちらへ向きなおり、私が誰かわかってない様子で首をかしげる。
彼のまわりの数名が怪訝な眼差しになった。
腰に帯剣してるものが5人。
情報にあった腕利き用心棒たちだろうか。
刺激しないよう立ちどまり、髪を撫でつける。
「私はスキンコレクター。アグレウスさんのオークションで、作品を出させてもらったことがあります」
「ッ、あぁ、あなたがスキンコレクター先生! たくさんの噂を聞くよ。超前衛芸術の第一人者、血と皮を喰らう怪物、とかね。会えて光栄だ」
アグレウスは手をおうようにふり、四方を囲む護衛たちをさがらせ、手を差しだしてきた。
歳のわりに生えそろった白髪まじりの髪。
日に焼けた肌は活力にあふれ、肩幅もひろい。
カタクラヤスもそうだったが、どうにも組織のボスは、かつての武闘派が務める傾向がある。
黄金の指輪をはめた手をとり、固く握手をかわす。
「アグレウスさん、あなたが最近、私の作品を購入したと友人から聞いたのですが、今、その作品はどちらにありますか?」
手を離し、一歩さがってさっそく質問。
「スキンコレクター先生の作品は、丁重に家に飾ってありますとも。『
あぁ『
まだ悪魔の力を扱いきれてない頃につくった駄作だが、それでも私の作品だ。
必ずや、
私はアグレウスへ、作品を一時的に貸してほしいむねと、その理由を告げた。
私の作品たちは皆、ひれつな放火にあい燃えてしまった。
だから、私は作品を作ることができなくなってしまったのだーーと。
「それはなんとも痛ましい! ぜひとも、このアグレウスに、スキンコレクター先生の創作の手伝いをさせてください。
このあとお暇でしたら一緒にどうでしょう? ちょうど、屋敷に帰るところでしたので」
「ありがとうございます。それではご好意に甘えさせてもらいます」
私はアグレウスに先導され馬車に乗りこんだ。
続いて乗ってくる護衛たち。
閉まる扉。
私は、その扉の隙間から黒い波紋たちが、私の影に溶けこんでいくのを見届けて、座席に腰かけた。
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