第8話 初デート 1

 


 清廉とした空気。

 閉鎖された四方空間。


 首を横に向ければ、ぽつぽつと穴の開いた木の壁。


 これはいわば懺悔室ざんげしつというやつか。


 私は懺悔することなどないのだが……ここに連れてこられた意味はなんとなくわかる。


 クリスもまた、私が悪いことをしたと考えているわけだ。


 だから、こんなところに連れて来たんだろう。


 私には不適切、不必要なのに。


 ちなみにデートの場所としても不適切だ。


 そうそうに退出させてもらおう。


「失礼します」

「お待ちになってください」


 腰をあげると、間髪いれずに声がかえってくる。


 首を傾ければ、ぽつぽつ穴の開いた壁の向こう側、隣の四方部屋から声が聞こえてきた。


「なにか話したいことがあるから、ここへ来たのではないですか?」

「いいえ、話したいことなどありませんよ」

「嘘ですね。僕にはわかりますよ、あなたが深い深いごうを背負っているとみえる」


 年若いその声は見えすいている、とでも言いたげに、自分の言葉を一分も疑っていない。


 この若い男は俺のことを理解してるつもりなのか。


「実に面白い。すこし付き合ってあげよう」

「あはは、どちらかと言うと、僕があなたの懺悔に耳を傾けるのですがね」


 イスに腰掛けなおし、私は男に逆に尋ねてみることにした。


「神父様はいったい全体、この私がどんなごうを背負っているとお思いで?」

「それがわからないうちは、あなたは前へ進めません」


 なんだそれは。


「まるで話にならない。あなたはつまり罪過ざいかを持たない私に、自身の罪を意識しろと言うのか。神父様と詐欺師は遠いようで、まったくそうでないと見える」

「感心しませんね。あなたには、反省の心がまるで見えない」

「反省することが見当たらないと言っている。私は一個人として懸命に、そして誰よりも正直に生きてきた。

 負荷を背負い、偽善をもって勝手に潰れることだけを美徳とは言わない。どうように自分が幸福になるために、それを追求することを罪とも呼ばない」

「それがあなたの哲学ですか」

「いいや、これは人の本質だ」

「はは、人類全体ですか……傲慢ごうまんですね」

「っ」


 私をあざわらう爽やかな声。

 静まりかえった懺悔室に染みわたる。


「この私が傲慢、だと?」

「えぇ、傲慢ですよ。とっても傲慢です。自分勝手です。自身の美学にのっとれば、それが人類全体の思想だと語る。

 あなたは、あなたと言う数少ない事象から強引に一般論を導き出しています」


 ふざけるな、ふざけるな。

 この私が傲慢なわけがない。


「私は、私という個人が必要とすることを、必要なだけおこなっているに過ぎない。

 太陽のように頼んでもないのに、陽の光を垂れ流し、これが恵みだ、だなんて恩着せがましいことはしない。

 どこかの勇者のように、頼んでもないのに救ってやろうなどと戯言もはかない。私は被害者なのだ。

 私は、私のことを思ってくれない他者に、侵害され続けている、あわれで、かわいそうな無垢の民なんだ」


 早口に言いおえて、肩で息をする。


 私が傲慢などありえない。


 人のことをわかった気になって話すなんて。


 この神父こそが傲慢の使徒だろう。


 吐き気がする、私の精神がまたしてもおかされた。


 右手の関節を鳴らす。


「それでは問いましょう」


 神父は明るい、されど平坦な声で粛々と言う。


「あなたは他人を思い生きていますか?」

「……あぁ」


 他人を思う。

 そう生きてきたはずだ。


 私はそのために、人をふわけし、彼らを知る。

 人の本質を包みこむ皮をコレクトする。


 芸術は、皮が剥がされるその瞬間まで、人の本質と重なっていた神秘を暴く、ひとつの表現技法に過ぎない。


 私は他人を知ろうとしている。


 思いやって、いる……はずだ。


「あなたは本当に、いまのやり方で他人を知れると? もうとっくにわかっているのでは?

 あなたのそれは惰性だせいです。病気でもなんでもない。アイデンティティとなった、殺人癖に傾倒けいとうすることで、新しさに向かうことを拒否している」

「ッ、神父、貴様、クリスから話を聞いているな!?」

「おや、なんのことですか? それに怒りを抑えられないのですか?」


 頭がパンクしそうだ。


 ぐつぐつと煮えたぎる、心の奥底の熱。


 殺してやりたい、私を侵害するすべてを。


「それと、これは話していて感じたことですが、あなたはずいぶんと幼稚ようちだ。ただの短気と言い換えてもいい。あなたにとっての不幸は、

 あなたの感情を体現するだけの精神力と力、思考力と知識を持ってしまったことでしょう。

 あなたは変われます。他者をすこしでも尊重すれら、その変化は向こうからやってくる」


 言わせておけば。


 神父が分別をわきまえず、私を侵害するなんて。


 いつでも黙らせられることを、教えてやらねば。


 右手を大きく、大きく開く。


「怒りを抑えられない。僕の言ったとおりでしょう」


 差しこまれる涼しい声。


「ッ……不快だ。非常に不愉快だ」

「その感情ですよ。その感情を忘れないで。あなたが犯してきた生命たちも、同じことを思ったということを覚えていてください」

「っ」

「あなたは自身の身勝手を、清算しなければいけない。その方法はたくさんあります。

 試しにあなたが損なってきた生命と、同じだけの生命を、その右手で助けてみてはどうですか?」


 ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ。

 ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ。


 うるさい、うるさい、くだらない、くだらない。


 それをして私になんの得がある。


 その程度のことでなにが変わるという。


「はぁ、貴様の挑発にはのらない……ーー帰らせてもらいます」


 大きく広げた右手をポケットに突っ込む。

 私は腰をあげてドアノブに手をかけた。


「ひとつだけ、ひとつだけ最後にいいですか?」


 隣の部屋で、人の立ちあがる音が聞こえた。


 私は沈黙する。


 たぎる怒りを必死に抑えて立ち尽くす。


「あなたは弱いから悪魔に憑かれたのですか。それとも悪魔に憑かれたから、そうも弱くなったのですか」


 神父の言葉に、私は右手のひらに視線を落とした。


 私は弱くなどない。


 勇者は殺せずとも、私に逆らえる者などいない。


 だが、違う。

 この神父の言葉はそういう意味じゃないはすだ。


 煮えくりかえる憤怒を飲みこんで、深呼吸を繰りかえす。


 首を傾け、すぐ隣に立っているだろう神父へむけて口を開く。


「質問には答えない。そして、訂正だ。私は悪魔に憑かれたのではない。悪魔を使っているのだ」

「……そうですか。これは重症ですね」


 疲れた男の声。

 ため息のようなものも聞こえる。


 なんなんだ、この神父は。

 教会に来た人間を怒らせるのが仕事なのか。


 掴んでいたドアノブをひねり、広い世界へ。


 教会を出ると、外の植えこみにクリスが背を預けて待っていた。


「あ、先生! どうだったー? なにか病気を治す手がかりは見つかったりした?」


 クリスは緋瞳をキラキラさせてたずねてくる。


 ーーあなたのそれは惰性だせいです。


 思い出される神父の言葉。


「……いいや、なんの役にも立たなかったよ。ただひとを煽るのが、上手な神父だとはわかったか。それに、二度と懺悔室ざんげしつなどには入らないとも決意した」

「えー!? なにそれ、全然ダメじゃん! もうなにやってるのあの人……っ」

「チッ……やはりグルか」

「先生、舌打ち禁止です。こんどやったら体罰しますよ!」

「訳のわからない脅しを……なっ!?」


 勝手に腕を組んでくるクリス。


 火を吹きそうなほどに赤面しながら、美しい金髪をのせて、肩にしなだれかかってくる。


 まずい、心拍数があがってしまう。


 私の精神衛生がおかされている。


 安泰の平常心が壊される。


「や、やめろ、クリス・アレス、はな、れろっ!」


 笑みを浮かべながら、しがみついてくるクリスを強引に引きはがす。


 ダメだ、この勇者、びくともしない。


「嫌です! こ、これは体罰なんです! あたしだって恥ずかしいですから抵抗しないでください!」

「意味が、わから、ないっ!」


 なんだその上等な文句は。

 恥ずかしいならしなければいいだろう。


 本当に非合理で困った教え子なことだ。

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