第24話 ヴェレノ・プニャーレ

 煙児たちが戦った地下駐車場、その地上部分のタワーマンションから高速で離脱していく一台の車がある。

 シュンレイ――、今や喫華となったその女はその車の中にいた。

「久しぶりだな、喫華」

 運転手が言う。その運転手の首筋に、短剣の入れ墨が覗いている。

「何年振りか、になるのかしらね? あなたは元気だった?」

 聞き返された運転手、それは堂島だった。

「ふ、まあほどほどにはな。それよりインリーたちはどうした?」

「いけ好かない女に邪魔されてね、処分できなかったわ」

 処分。それはつまり口封じを指す言葉だ。

「まあいい。こちらの目的は達成した」

 堂島はそう言うと、バックミラー越しに喫華を見た。

「改めて、お帰りとでも言うかな? 我らの妹、アーキエンジェよ」



 ●



「クソ! どうなってやがんだ!?」

 カフェバー『フェルシガーバーグ』。その二階にあるマダム・ローレライの部屋で、煙児のイラつきがそのやり場を失くしてただただ焦りという形になっていた。

「少し落ち着きな、煙児」

 ローレライの言葉。だが煙児の焦りは高まる一方だ。

「わかってるよ! クソ!」

 ソファにぶつかるように沈み込んで、それでもなお煙児はイラつきを隠せない。

「マダム、あのお二人の介抱が終わりました」

 マリエが部屋に入ってきた。ローレライに報告する。

「男性の方は頭部に酷い傷がありますが、病院へ運ぶほどではないと思われます」

 マリエが報告しているのはインリーと入れ墨の男のことだ。今は二人とも隣の部屋で寝かせてある。

「ご苦労さん。あとはあの二人から情報を聞き出すしかなさそうだね」

「チッ」

 ローレライの言葉に煙児は舌打ちで答える。マフィアの二人が起きるのを待っていられない。明確にそう伝わる。

「やれやれ」

 ローレライがこぼした時、携帯が鳴った。ローレライは着信を確認するとすぐに通話に出る。

「カタメか? 何かわかったのかい?」

 通話の相手はカタメだった。

「短剣の入れ墨について分かったことがある。今からそちらへ向かうところだ」

 カタメの声は固い。

「メールで資料だけ先に送る。詳しいことは着いてから話す」

「わかった。気をつけるんだよ」

 通話を切る。

「カタメは何か掴んだのか!?」

 煙児の問いに、ローレライはしかし、落ち着いて答える。

「詳しくはこっちに来てから説明するってさ」

「そうか……」

 煙児のかかとが、床を叩き続けた。



 ●



「遅くなってすまない」

 カタメがローレライの部屋へ到着したとき、煙児はついに部屋の中をうろうろと歩き始めていた。

「カタメ! それで、入れ墨について何がわかった!?」

 カタメを見るなり食って掛かる。

「落ち着け。今から説明する」

 そう言うと、カタメは部屋の壁にスクリーンを広げる。

「ローレライ、送った資料は?」

「ああ、もう準備できてる」

 言うとローレライはマリエにうなずく。

「カタメ様から送られた資料がこちらになります」

 マリエのタブレット操作によって送られた資料がスクリーンに映し出される。

「これは……」

 煙児は唾をのんだ。

「コルネオ・ファミリーの構成員名簿だ」

 言うと、カタメがマリエに次を表示するように促す。

「そしてこれが、その名簿の中にあった」

 映し出されたそれは、喫華の写真と詳細だ。

「まさか!? 喫華がコルネオ・ファミリーの構成員だと!?」

 映し出された喫華の写真。それはまさに煙児の記憶にある、だった。

「ああ。だがわかったのはそれだけじゃない」

 カタメの言葉。マリエが資料を先に進める。

「ヴェレノ・プニャーレ……?」

 映し出された資料は、短剣の入れ墨と一つの名前だ。

「入れ墨が中国移民の暗殺組織だという情報をローレライから聞いた後、例の写真の人物、チャン・チウの足取りを追ってみたんだ」

 カタメがスクリーンの前に立つ。

「そして浮き上がってきたのが、この組織。ヴェレノ・プニャーレだ」

「ヴェレノ・プニャーレ――、毒の短剣……」

 マリエの呟きに、うなずきながらカタメは続ける。

「チャン・チウは千八百年代にアメリカ西海岸からアメリカ東部へと移住していく」

「アメリカ東部……、コルネオ・ファミリーの活動範囲と被るな」

「ああ、そうだ。チャン・チウがアメリカ東部へ移った後、現地のイタリア系移民が立ち上げた組織。それがヴェレノ・プニャーレだ」

 カタメの言葉に、マリエは考える。

「つまり、中国系移民とイタリア系移民が……?」

「そうだ」

 カタメは再びうなずく。

「チャン・チウが伝えた技や知識、それを受け継いだイタリア系移民の暗殺組織。それがヴェレノ・プニャーレの正体だ」

 マリエの中に、リーロンの言葉がよみがえる。

「移民による新たな文化――、ですか」

「そしてその後、コルネオ・ファミリーの活動が本格化する。この当時、ヴェレノ・プニャーレがコルネオ・ファミリーと関係を持ったと見て間違いない」

 そこまで言って、カタメは一息をつく。

「奴らの背景はわかった。だが結局、奴らの目的は何なんだ? 喫華は一体、何なんだ!?」

 煙児の言葉。コルネオ・ファミリーが麻薬の販路を広げているのはわかる。だがそれと喫華との関係がわからない。

「それについてなんだが――」

 再びカタメはスクリーンに資料を映し出した。そこに浮かび上がったのは一人の人物。

「この人物の名前はユーゲ・アンドルフ。脳細胞、特に記憶をつかさどる海馬周りの研究をしていた人物だ」

「ユーゲ・アンドルフ?」

 唐突に出てきた人物に混乱を隠せない。

「彼はドイツ人の研究者で、コルネオ・ファミリーと関係があったということが報告されている」

 カタメの言葉に、煙児が疑問を投げつける。

「麻薬組織がその研究者とどんな関係がある?」

「それなんだが――」

 言葉と共にカタメが表示した資料。それは煙児に衝撃を与えるものだった。

「何だこいつは……」

 そこに示された資料。それはコルネオ・ファミリーの構成員名簿で、簿だった。そしてそのすべての顔写真が、シュンレイの顔だった。

「これはすべて、コルネオ・ファミリーの死亡した構成員だ。見ての通り、全員シュンレイと同じ顔だ。死因も皆同じ。麻薬の過剰摂取によるものだ」

 カタメの言葉に、煙児が気付く。

「じゃあ、あの時ヨハンがシュンレイに注射したのは――!」

「たぶん麻薬だ。それも高純度のヘロインだろう」

 カタメが言った言葉に、煙児の顔が青くなる。

「シュンレイは大丈夫なのか!?」

 だがカタメは首を振る。

「それは俺にもわからない。――ただ」

 カタメは続けた。

「このヘロイン注入をしている理由は掴んだ」

 カタメは一呼吸の間をおいて、言う。

「その理由、それがユーゲ・アンドルフだ」



 ●



「ユーゲ・アンドルフの研究は『記憶の正体と人体からの分離』だ」

 カタメの報告は続く。

「アンドルフは記憶というものの正体を正確に突き止めることで、それを人体から分離。つまり記憶だけをデータとして保存できないかと考えたんだ」

 報告を聞く煙児の顔色が悪い。それもそのはずだ。彼の中でを理解し始めているからだ。

「そしてついにその研究は実を結び、記憶の抽出に成功した。その研究資金などを提供していたのがコルネオ・ファミリーだ」

「コルネオ・ファミリーは何の目的でそんなことを?」

 ローレライの疑問。カタメは答える。

「コルネオ・ファミリーの、その中にうごめくヴェレノ・プニャーレ。その記憶を受け継ぐためだ」

「受け継ぐ……」

「そうだ。ヴェレノ・プニャーレが受け継いでいく暗殺の技術と知識。それをで正確に受け継ぐため、だ」

 カタメの言うことは常人では計り知れないものだ。通常、記憶や経験というのは人づてに伝え聞いていくものだ。それは伝えていく人々によって徐々に変化し、違う情報へと形を変えていく。文献などにしてもそこから書いた人物の正確なすべてが伝わるわけではない。つまり、ヴェレノ・プニャーレのやろうとしていることはして伝えていこうという趣旨のものだ。

「そして、取り出した記憶データを他人に移植するためにヘロインが使われている」

「なぜ、ヘロインが?」

 マリエの言葉に、カタメは答える。

「記憶の移植。それは他人を自分の中に受け入れるということだ。だが普通はそんなことはできない。だからやつらはヘロインを使って被験者にをするんだ」

「条件――、付け……?」

「条件付け、それはヘロインで自意識が希薄になった人間に催眠術を使って別の人格や性格を植え付けるというものだ」

「そんなことが可能なのかい?」

 カタメの言葉を疑うのも無理はない。

「可能だ。人格そのものの植え付けじゃないが、ヘロインによって特定条件に対して行動や対応を植え付けたという犯罪例が過去にある。それを利用したとするなら、アンドルフの研究と相まって可能になったと考えることはできる」

「じゃあ――」

 煙児が声を上げる。

「じゃあ、シュンレイは喫華の記憶と人格を植え付けられた、ってことか……?」

「その通りだ」

 うなずくカタメもその顔は複雑だ。

「もともと、喫華という存在自体がここで示す原型の記憶、ということなんだろう」

 カタメは言葉と共に資料を表示する。それはやはり死亡したコルネオ・ファミリーの構成員名簿であり、同じ顔をした人間たちの写真だ。ただし、その顔は皆だった。

「……!?」

 煙児が声にならない悲鳴、いや、悲しさをまとった呻きか。そのようなものを漏らす。

「これはさっきのよりも古い資料だ。人格そのものの条件付けはデリケートなものなんだろう。人格を植え付けても肉体が違えば拒否反応を起こす。だから――」

 カタメはやり切れない顔で言い切る。

「だから、肉体そのものを複製するんだ」

「まさか、人体のクローニング!?」

 ローレライの驚きに、しかしマリエが疑問を放つ。

「しかし、ならばなぜ喫華様とシュンレイ様、二人のクローンモデルがあるのですか?」

 それにこたえるカタメの声は、やや緊張を含んだものだ。

「ここからは俺の推測になってしまうんだが――」

 一息ついて、続ける。

「やつらは記憶を保持したままで、にコピーしようとしていたんじゃないかと思う」

 より良い肉体。それはつまり、シュンレイという存在は体も記憶も、そのすべてが作られたものであるということだ。

「そんなことして、何になるんだ……!!」

 煙児の叫び。もはや怒りも焦りも、抑えきることはできない。

「落ち着きな、煙児」

 ローレライが一喝する。

「劣化しない記憶とより良い人体、その複製を作る計画。まるでSFだけど、要するにそいつの肝はの大量生産ってことかい?」

 ローレライの言葉。それにカタメはうなずきを返す。

「推測の域を出ないが、そういうことだろう。奴らがシュンレイを狙っていたのはたぶん、シュンレイが、その初ケースだからなんじゃないかと思う」

「では、シュンレイ様の日本に来る前の記憶がなかったことについては?」

 マリエの問いに、しかしカタメは首を振る。

「それは俺にもわからない。ただ、何かの理由でシュンレイは組織から逃げたんだ。――俺が調べられたのはここまでだ」

 ため息。それだけを吐き出して、カタメは報告を締めた。

 沈黙が場を支配する。

「クソ……!」

 ただ小さく、煙児の怒りが吐き捨てられた。

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