第22話 不可能を可能に

「ふ、はっはっはあ――!」

 下卑た笑い声が響く。

「く!」

 寸鉄男とシュンレイの戦いは続いていた。それは明らかに実力差がある戦いだ。しかし何度もシュンレイが防御する形で長引いている。なぜか――?

「そおらどうした!」

 男の声と共にシュンレイの足が手で払われる。それは限界まで低い姿勢での踏み込みにより低空を這う拳による一撃だ。

 握りこまれた寸鉄、その切っ先がシュンレイの左足を内側から突き刺す。

「きゃ!」

 痛み、そして振りぬかれることでなぎ倒される足。体勢が崩れた一瞬を狙って、男の左手が差し込まれる。

「はっはあ!」

 左手による抜き手、その切っ先が狙うのは――。シュンレイの下半身、膀胱だ。男の手がえぐりこみ、膀胱を上から圧迫するかのように打ち抜く。

「げあ――!?」

 膀胱のある場所は筋肉や骨格に守られておらず、鍛えることでは防げない急所のひとつだ。ゆえにそこを上から突き込むと抵抗することもできずに体が沈む。

 例にもれずシュンレイはしりもちをつくような恰好で床に叩き落された。打ち付けた腰に痛みが走る。そして――。

 男は何も言わず、ただ下卑た笑いを浮かべて

「ぐ、うう――」

 シュンレイは立ち上がる。そして気丈にもまた、ヌンチャクを構えた。

「ふふ、いつまで耐えられるかな?」

 戦いが長引いているのは男のこの性格だ。容赦なく急所を狙う攻撃。しかし、とどめを刺さずにじわじわと苦しめる。

 陰険で、ねちっこい――!

 サイアクだわ。シュンレイはそう心の中で付け足す。

「ふっふっふ、俺をもっと楽しませるんだな」

 男は再び低い姿勢による飛び込みをしてくる。寸鉄男の下卑た性格はとどめを刺さないだけでなく、その戦い方にもあった。

「くの!」

 シュンレイは体をやや後ろに倒すような勢いで後方に飛ぶ。そうすることで自身の位置を低くしながら離脱、と同時に低くなったことを利用しての低空へのヌンチャクによる攻撃が可能となる。飛び退ったところへヌンチャクがカバーするように振るわれる。低空姿勢で飛び込んでいた男はそれを見るや。両足が地面から離れないこの飛込みは進むも止まるも自在だった。

 ヌンチャクが空振りする。

「くく、そろそろ俺の狙いに慣れてきたかな……?」

 嫌味だ。シュンレイは飛び退いた先で構え直しながら思う。

 男の戦い方、それは常に下半身を狙ってくることだ。シュンレイの足は痣だらけになり、下腹部に走る痛みもたまっている。同じ場所を執拗に痛めつける。それも膀胱のようにばかりを狙っている。

「あんた、サイッテーだわ……」

 シュンレイの怒り。しかし男は下卑た笑いを変えもしない。

 シュンレイは徐々に追い込まれながら、しかしこの男を倒せる方法について考え続けていた。

「諦めが悪いな。無駄だというのに」

 男の無駄という言葉。しかし、シュンレイは反論した。

「無駄じゃない。あたしは諦めない……!」

 シュンレイの目は諦めていない。しかし、その目は男を喜ばせるだけでしかなかった。

「ふ、いいぞ。せいぜい反抗して見せろ」

 反抗する相手を力づくで屈服させることによる喜び。男は本物のサディストだ。

 でも、どうする――?

 シュンレイの心の中は焦りが募る一方だ。実際に男の方がはるかに強く、また、シュンレイが持つリーチという利点を殺す戦法すら持っている。

 どうする――!?

 焦りながら、今一度煙児の教えを思い出す。

「――中国武術の武器ってのは単純に相手を倒すために作られたものじゃない。素手では不可能なことを可能にするためにこそあるんだ――」

「不可能を、可能に――」

 呟く。

 素手ではできないことを、その武器を用いてしか、できないことを――。

「ふん、何をやっても不可能は不可能だ」

 呟きが聞こえていたのか、男は宣言した。

「おとなしくヤられちまいな!」

 三度、男は低空飛込みをする。低い。今までで一番低い軌道だ。

 対してシュンレイは、。男の手が狙いやすい位置に足を開く。

 男の右手が、股座に伸びた。

「は! 覚悟を決めたか!?」

 瞬間――。

「ぐあ――!?」

 男の右手が弾かれた。強烈な力で、下から上へ。に見えた。

「馬鹿な!?」

 男の目が信じられないものを見るようなそれになった。男の手を弾いたそれは、シュンレイのヌンチャクだ。

「あんたの下劣な戦い方が仇になったわね――」

 ヌンチャクはシュンレイの股下を通って打ち上げられていた。後ろ手に振り抜いたヌンチャクが股下を基準点として軌道を変え、下から突き上げるように男の手を打ちぬいたのだ。

「があ!」

 完全に意表を突かれた男はそのまま体制を崩して床に胸を打ち付ける。状態だ。

 股下から打ち上げられたヌンチャク。シュンレイはそれをそのまま流れるように逆の手で受け取る。そして――。

「死んじゃえ! 変態!!」

 全力で振り下ろした。



 ●



「シュンレイ!」

 煙児が振り向いたとき、シュンレイの戦いもまた終わっていた。シュンレイの目の前で寸鉄男はうつぶせに気絶している。

「大丈夫か!?」

 煙児が駆け寄る。シュンレイは全身の力が抜けたように座り込んでいる。

「煙児~――」

 やったよーと声に出したいが、すでに気力も限界だ。

「悪いな。悩んでたせいで時間を食った……」

 悩み。煙児はできるだけ縄鏢を使いたくなかった。縄鏢に限らない、を使うことは自らに禁じていたのだ。何故ならそれは人を殺す行為に他ならないからだ。万が一でも殺してしまうことはある。だから煙児は殺さないことを第一に、殺しのための道具は使わないようにしていた。煙児とて、もと警官なのだ。

「あ、それよりも、ヨハン君は――!?」

 シュンレイが辺りを見回す。ヨハンは駐車場の隅で縛られたままだ。

「助けてあげないと……!」

 シュンレイは立ち上がる。それだけでも辛い行為だったが、ヨハンを助けなければという感情が体を突き動かした。

「シュンレイ、無理するな」

 煙児が支える。二人でヨハンの縄を解いた。さるぐつわを外してやる。

「ごめんね、ヨハン君!」

 シュンレイがヨハンに抱き着く。しかし――。

「――!?」

 次の瞬間、シュンレイが感じたのは首筋への軽い痛み。そして、眩暈。

「ヨハン――!?」

 立ち上がり、シュンレイに抱かれたヨハンはしかし、シュンレイの首に小さな拳銃のようなものを押し付けている。それはジェット・インジェクター、針の無い注射器だ。

「ヨ、ハン――、く――」

 シュンレイの意識が闇に沈んだ。

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