第20話 対面

 タワーマンションの地下二階、駐車場スペースとしてだけ使われているその空間で、男は苛立ちをあらわにした。

「遅いな……」

 手紙はわかるように投函しろと言ってある。こちらへ向かっているならもうついてもいい時間だ。

「おいガキ」

 男はヨハンに歩み寄ると、その頬を踏んだ。容赦のない力が込められる。

「んがああああ!!」

 ヨハンの苦しみの声に、男は鼻を鳴らす。

「お前は見捨てられたのかもしれないなあ」

 踏んだ足をねじ込んでゆく。

「ふうぐんんん!!」

 ヨハンの涙と鼻水が、駐車場の床を濡らす。

「使えんガキだ……。殺すか」

 ヨハンの瞳が恐怖に染まったその時。

「来たわよ」

 駐車場に歩いて入ってきたのは、シュンレイだった。

「ふん、待ちくたびれたぜ」

 男はヨハンから足を離す。ヨハンの顔は痣と汚物でぐちゃぐちゃだ。

「ヨハン!」

 シュンレイが駆け寄ろうとする。しかし、男はそれを制した。

「おおっと、待ちな」

 シュンレイがその場に立ち止まるのを確認して、男は周囲を見る。駐車場は静かだった。物音ひとつしない。シュンレイの入ってきた入り口のスロープ。そこから時折外の車のエンジン音などが聞こえるだけだ。

 男はなおも油断なく確認する。スロープのほかにこの駐車場への入り口は二つ。地上からのエレベーターと非常階段。しかしどちらも変わった様子はない。

「本当に一人できたのか……?」

 問い。その言葉は確認というよりもシュンレイの事を馬鹿にしたようなニュアンスだ。

「そうよ。言う通りにしてきたわ」

「ふ、はは」

 男は笑う。

「とんだお人好しだな。丸腰の上に本当にひとりで来るとは」

 一呼吸。そして男は言い切った。

「馬鹿の所業だな」

「どうでもいいでしょう!? ヨハンを返して!」

 叫ぶシュンレイ。しかし、男は首を振る。

「返せと言われて返すのも馬鹿馬鹿しい」

 至極当然のことだ。本当に一人で乗り込んできた以上、ヨハンを返す意味などない。

「人を呼ばれても困るんでな。お前を捕まえた後にこのガキはここに置いていく」

 そう言うと、男が右手を上げる。すると車の陰から、あるいは柱の陰から、武器を持った男が三人、シュンレイを囲むように出てきた。しかし――。

「?」

 疑問を放ったのはシュンレイ以外の全員だ。なぜなら、出てこなかったからだ。

「な――!? 残りはどうした!?」

 男の焦る声。しかし、それに答えたのは男の部下ではなかった。

「まだ三人残ってやがったか。相手が多いのも楽じゃねえな」

 声と共に赤い流星錘が飛んだ。一瞬で男の一人を絡めとる。動きを封じられた男が転ぶと同時に飛び蹴りがもう一人を吹き飛ばす。そして残ったひとりは――。

「ふん!」

 胸元から引き抜いたヌンチャクで側頭部を不意打ちされた。ヌンチャクを構えるのはシュンレイだった。側頭部を強打された男はそのまま気絶した。

「おーおー、今のは及第点ってやつだな」

 煙児は言いながら流星錘で床に転がった男の顎を踏み抜いた。

「貴様……!! いつからここにいた!?」

 残された白人男が唸る。しかし煙児はあっけらかんとした様子で答えた。

「最初からさ」

「なんだと!?」

 煙児はシュンレイと同時にこの駐車場に侵入していた。シュンレイが男と喋っている間に階段側から侵入しただけに過ぎない。

暗殺者ハッチャットマンなら隠密くらいできるようになっておくもんだ」

 武術を使う暗殺者の恐ろしさのひとつに、音を立てないというものがある。近代的ではない、より原始的な武器を使うがゆえに殺すときに音を立てない。それを極めた『静かな殺しサイレント・キリング』は恐ろしい戦い方だ。それゆえに近代の戦闘組織の多くでも格闘術を導入している。煙児はただ静かに侵入し、ただ静かに隠れていた男たちを倒して回ったのだ。

「く、煙児……、我々が思う以上に力を持っているというわけか……」

 男が後ずさる。

「さて、ヨハンを返してもらおうか」

 煙児が前に出る。しかし、男はジャケットから武器を取り出した。取り出されたそれ、男の手に握られたそれは武器というにはあまりにも短い。握りこんだ拳から二センチ切っ先が飛び出しているかどうかという代物だ。鋭利に尖ってはいるが、刃物とも違う。一見すると危ないものには見えない。

寸鉄すんてつ、……点穴針てんけつしんか」

 しかし、それを見た煙児は表情に緊張を混ぜる。

「シュンレイ、お前は見てろ。こいつの相手は俺が――」

 そう言う煙児をしかし、男は遮った。

「お前の相手はこいつがする。インリー!」

 叫ぶ。すると天井から縦に回転してひとりの女が降りてきた。白い服に拘束された両手。褐色の顔。インリーだ。

「あ、あたしそっくり……!?」

 インリーを初めて見るシュンレイの驚き。話には聞いていたが、本当にそっくりだった。

「く、来てやがったのか」

「最終手段だったんだがな」

 煙児の声に、男が言う。

「インリー、男を殺せ!」

 言葉と同時にインリーの拘束が解けた。



 ●



「煙児――!」

 インリーと格闘を始めた煙児に駆け寄ろうとするシュンレイ。だがそこに割って入ったのは寸鉄を構える男だった。

「お前の相手は俺だ――」

 男は舌なめずりをして言う。

「どこまで俺の相手ができるかは疑問だがな」

 言うが早いか寸鉄男は殴りかかる。その殴り方は一般的なパンチと呼ばれるそれとは違う。寸鉄を握りこんだ右手を縦にして、ゆるく肘を曲げたまま突き込んできた。

「く!?」

 シュンレイはとっさに防御に転じる。煙児から教わったことを思い出しながら。前に出した左手で相手の突きを。攻撃と防御とはベクトルの勝負だ。突きというまっすぐなベクトルを正面から受ければ受けた腕や足などが突きによって破壊されてしまう。人体は盾のように頑丈ではないのだ。だから基本はそのベクトルをそらすこと。そしてそらしてできた空間に入り込むことだ。

 相手の突きのベクトルを左手で内側に向かって巻き込むようにすることでそらす。そしてそらしながらベクトルがそれたせいでできた隙間、自分の左前方に体を滑り込ませる。

 突きを避けた。その事実がシュンレイを喜ばせる。だが、次の瞬間にシュンレイに走る感覚、それは痛みだった。

「――!?」

 避けたはずの突き。しかし、寸鉄男は避けられた突きをそのまま伸ばし、回り込ませるように外側へ回転。そして避けるために出したシュンレイの左手を掴み、自分の右腕と交差するように引く。そうすることで寸鉄男の右手はシュンレイの首の後ろ側へと。シュンレイの首、その斜め後ろにある場所を寸鉄の先で刺した。

「あ――!!」

 母音に濁点を付けたような悲鳴。それほどの痛みがシュンレイの首に走った。寸鉄は実際にシュンレイの首に刺さったわけではない。鋭利と行っても刺すために作られたものではないからだ。言うなれば押し当てる。それを目的とした器具だ。

「ぐ――!」

 痛みに支配されたシュンレイ。痛いという感情でここまでという事実を初めて知った。痛みから逃れようとあがくために力を入れる。

 すると次の瞬間、シュンレイの目の前の景色がぐるりと回った。

「!?」

 背中に重い痛み。寸鉄の痛みからは解放されたが、その代わりに鈍痛が走る。

 素早く起き上がるシュンレイの目に、まるで踊るパートナーに手を差し出すような姿勢の寸鉄男が見えた。

「ふっふ、まさに赤子の手をひねるがごとく、だなあ」

「く!」

 男の言葉に、シュンレイは慌ててヌンチャクを構えてみせる。

「ふふ、無駄だ。俺とお前では功夫クンフーが違いすぎる」

 功夫が違う。それは中国武術の力量が違うという意味だ。

「……」

 一息。自分で落ち着く。煙児はインリーとの戦いで手が離せない。なら――。

「やるしかない……!」

 シュンレイは覚悟を決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る