第17話 ヨハン
「そうか、
携帯の通話越しに情報を聞いた煙児は苦い顔をした。
「これからはアメリカに移民した中国人組織の線で追ってみるよ。カタメにはもう伝えてある。あんたも気を付けな」
携帯の向こう、ローレライが忠告を飛ばす。通話はそこで切れた。
「チッ、暗殺者組織とは――。面倒なこった」
煙児も暗器術、つまり暗殺術に通じる人間だ。その組織の危険な度合いが軽く見れるものではないことは簡単に察することができた。
隣の窓越しに、トレーニングルームを見やる。
「どうしたもんだか……」
トレーニングルームの中、ヌンチャクを振り回すシュンレイを見つめた。
●
「ふ――! ふん!」
トレーニングルームでヌンチャクを振り回すシュンレイ。ただ、いつもと違うのは木人を使わず、ヌンチャクだけを振っている。左手にスタンガンは持っていない。
「は!」
右手で自分の体を抱くようにヌンチャクを振るう。するとヌンチャクはシュンレイの体、その背中に巻き付くように軌道を描く。そして背中に当たるヌンチャクの反動も利用して右手を右肩へと振る。ヌンチャクは肩に絡み、シュンレイの右脇から飛び出す。
「よっと!」
飛び出したヌンチャクをシュンレイは左手で受け取った。そして今度は左手でヌンチャクを振っていく。
「ふ! ほ!」
よく見ればヌンチャクの鎖は以前よりも長くなっており、標準的なヌンチャクとして使われていた。
「よ! ふん!」
ヌンチャクを振りながら煙児の言葉を思い出す。
「――いいか、スタンガンは万能じゃない。厚く着重ねた服だけでも十分な電流が通らないこともある。だからスタンガンに頼るのは最初の内だけだ。少しずつ、ヌンチャクの扱いに慣れていけ。最終的にはヌンチャクひとつで十分戦えるのが理想だ――」
そんな煙児の指導を受けつつ、ヌンチャクの特訓は続けられた。初めての戦いからしばらく、何度か実戦を経験しながら今は普通の長さのヌンチャクで特訓するようになっていた。
「ふう――!」
ヌンチャクを振りながら思う。
ヌンチャクひとつで奥が深いよね――。
ヌンチャクは一般に打撃武器という認識が強い。しかし、その巻き付くという動きから単純な打撃だけでなく、関節技や絞め技まで、幅広い業のレパートリーがあった。特に力の弱いシュンレイには力が弱くても使いやすい絞め技などが多く伝授された。といってもまだ完全にマスターはしていない。単純でないヌンチャクの使い方となると、ただ振っていればいいわけではない。ゆえに基礎となる今やっているヌンチャクの振り込みは重要な練習だった。
「よっと!」
ヌンチャクを両手に持ち、眼前に掲げるポーズ。それは敵の攻撃を防御する構えであり、シュンレイが一息つくための練習の終わりでもあった。
「はあー――」
口から息が漏れる。
「疲れるう――」
ヌンチャクを傍らに置いて、床に座る。冷たい床が気持ちよくて、ついにはあおむけに寝転がった。
「ふうー――。ん?」
その時、その少年と目が合った。少年。それはトレーニングルームの小さな窓からこちらを覗く少年だった。
「んん?」
シュンレイは一瞬不思議に思って眉を潜めたが、少年のこちらを見つめる目に邪気がないことを感じるとすぐに立ち上がった。
廊下側の窓から煙児の様子を見る。煙児はまだ電話していた。長い電話だ。途中で違うところにかけ直したりとかもしたのかもしれない。
「よし!」
シュンレイはトレーニングルームからそっと外に出た。
●
「爺さん、まだ生きてるか?」
通話がつながるなり、煙児は開口一番悪態をついた。
「煙児、切るぞこの電話?」
通話の相手はウェンロンだった。
「冗談くらい軽く流せよ」
「ふん。で、何の用だ?」
「用意してほしいものがある」
用意してほしいもの。その言葉を聞いたウェンロンは、携帯の向こうで確かに顔を笑みに歪めた。
「ほう。ワシに用意してほしいものとは、危ない橋を渡る気だな?」
言われ、煙児はただ何事もないかのように口にした。
「ちょっと必要になりそうなんでな」
「任せろ、今のこの街は警察の目が腐ってるからな。なんだって用意してやるわい。ただし金はもらうぞ?」
「わかってるよ。メールでリストを送る。なるべく早く用意してくれ」
そう言って煙児は通話を切った。再びトレーニングルームを見やる。
「ん?」
そこにいるはずのシュンレイはしかし、その姿がなかった。
●
トレーニングルームの外、つまり煙児の家の外壁の傍ら。シュンレイはそこに白人の少年を見つけた。歳のころは十よりも下だろう。金髪に碧眼、パーツはよいものが備わっているが、微妙にだらしのない表情のせいで整ったとはいいにくい顔立ちだった。
「ねえ君、さっきトレーニングを見てた子でしょ?」
シュンレイの問いかけ。少年は恥ずかしがるでもなく、ただまっすぐにシュンレイを見つめてうなずく。
「あたしシュンレイ。君の名前は?」
少年は、んぐ、と前置きのように息をのみ、答える。
「ヨハン」
「ヨハン君か」
シュンレイは笑いかけた。別段子供が好きなわけではないが、ヨハンの真剣に見つめる目が気になっていた。
「んーと、ヨハン君はカンフー好きなの?」
シュンレイの言葉に、しかしヨハンは微妙に首を振った。
「――?」
疑問を浮かべるシュンレイに、ヨハンが言う。
「お姉ちゃん、賞金稼ぎ? でしょ?」
「ああ、えーと、うん。そうだよー」
本業はガールズバーの方なのでうなずくか迷うところだったが、今は賞金稼ぎもしているので肯定だ。
「賞金稼ぎ、すごい!」
「へ?」
ぱあと明るい顔を作るヨハンとは対照に、シュンレイは意味が分からない顔しかできない。
「賞金稼ぎすごい!」
今一度のヨハンの言葉。シュンレイはなんとなく察した。
「ヨハン君、賞金稼ぎ好きなの?」
「うん!」
大丈夫かこの子は――。
思わずそう思ってしまうのも仕方ない。実際の賞金稼ぎはそんないいものではない。ピンからキリまでまさしくいろいろだ。それは実力にしても、人格にしても。
しかしなぜヨハンはシュンレイを賞金稼ぎだと知っているのか? 考えてみれば不思議だ。
「ところで、なんであたしが賞金稼ぎだって知ってるの?」
「オレンジ色が戦ってるの、見たの!」
オレンジ色――?
眉をひそめて考える。ひょっとして煙児かな? そう思う。あれはえんじ色であってオレンジ色ではない。しかしヨハンにはまだえんじという語彙がないのかもしれない。
「ここ、オレンジ色の家だから!」
やはりそのようだった。そしてヨハンは煙児の家でトレーニングをしているということからシュンレイを賞金稼ぎだと思ったのだろう。
「そっか。ヨハン君は賢いね」
ありていに褒める。ヨハンはでへへ、と嬉しそうだ。それにしてもヨハンというこの少年。年齢の割には言葉が足らないような感覚をシュンレイに覚えさせた。
「お姉ちゃん!」
ヨハンは言う。
「さっきの、見せて!」
「さっきの?」
考えて、思い当たる。
「ああ、ヌンチャク?」
「ヌンチャク! 見せて!」
ヨハンの要望に、しかしシュンレイは戸惑った。ヌンチャクは刃物がついていないとはいえれっきとした人を倒すための道具だ。外でむやみに振り回してもいいものか迷う。
「ヌンチャク!」
「うーん……」
シュンレイが考え込んだところに、煙児がきた。
「何やってんだこんなところで」
「あ、煙児」
やってきた煙児を見るなり、ヨハンがシュンレイの陰に隠れた。
「ど、どうしたの?」
シュンレイも驚く。
「オレンジ色、すごい。すごいけど、こ、怖い」
「なんだと?」
「ひぐう!?」
煙児はただ普通に言葉にしただけだ。特に怒りとかそういう感情を乗せたわけでもない。しかしヨハンは怖がってしまった。
「もう、煙児ったら、だめだよ子供を怖がらせたらー」
「勝手に怖がったんだろうが……!」
煙児の声に、ヨハンはなおも怯える。
「ほら、大丈夫よヨハン君」
「う、うん……」
怯えながらヨハンは顔を出した。
「チッ」
「ひいいぐ!」
舌打ち一つ。ヨハンはそれだけでまた隠れた。
「もう、煙児ー」
シュンレイが非難の声を上げる。
「くそ、どうしろってんだよ……」
「まったく怖いおじさんだねー」
「しかもおっさん扱いかよ……」
煙児はぼりぼりと頭を掻く。
「あー、とにかく。ヨハン? だったか? お前はさっさと帰れ」
「ふえう、うう……」
「もー、そんな邪険にしなくたっていいじゃない」
シュンレイは煙児に対して半目を向けた。
「ええい、いいから帰れ! 帰れ帰れ!」
「ふううう……」
ヨハンの瞳に涙がたまる。
「もー!」
仕方なく、シュンレイもヨハンを説得した。
「ヨハン君、そろそろ帰ろう。日が暮れるし、お家の人も心配するから。ね?」
「う、うん……」
そう言うとヨハンはよたよたとシュンレイから離れていく。
「ばいばい」
シュンレイが手を振る。ヨハンは腕をぶんぶん振って応えると、今度は一気に走って帰っていった。
「ふう、ったく……」
煙児のため息に、シュンレイはくすくすと笑った。
「煙児って子供苦手なんだー」
ちょっと意地悪したい気持ち。そんなシュンレイに対してしかし、煙児は何も言わずに家に戻った。
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