第15話 変化する日常
「ふん! むん!」
シュンレイの気合がトレーニングルームに響く。
「この! この!」
気合は徐々に怒りに変わっていった。
「シュンレイ」
「むん! むきー!」
「おい、シュンレイ!」
二度目の呼びかけでようやくシュンレイは煙児を見た。
「なに!?」
まだ怒っている。
「俺にまで怒りを向けるなよ。肩に力が入りすぎだ。もっと落ち着け」
怒れるままに木人をヌンチャクでめったやたらに叩いていたシュンレイ。だが煙児の言葉にもその怒りは収まらない。
「煙児は怒らないの!? 悔しくないの!?」
シュンレイの言葉に煙児は頭を掻く。
「しょうがねえよ、この現状じゃあ」
そう言って煙児はため息を吐いた。
●
話は昨夜までさかのぼる。
「ま、何にしろ初仕事お疲れさん」
煙児の声。シュンレイは安堵と共にその場に座り込んだ。
「賞金稼ぎって大変なお仕事なのね……」
ぼんやりと周りを見渡す。そこは取引現場のゲームセンターの前。数台のパトカーが止まっており、警官たちが密売の犯人とゲームセンターの店員を手錠で連れてパトカーへ護送していく。
「ま、今日はよくやったよ。お前さんは」
言うと煙児は現場から失敬してきた煙草を一本、鼻にあてがうように匂いを嗅いだ。
「――」
胸の中に懐かしさと愛しさがこみあげてくる。記憶の隅で、彼女の顔が偲ばれる。
「何してるの?」
シュンレイの問い。しかし煙児は答えない。ただ過ぎ去った日々に思いを馳せるだけだ。
「ちょっとあんた! 何してんの!」
鋭い声。警官の一人が煙児を咎める。煙草の事だろう。
「悪いな、落ちてたもんで拾っといたぜ」
言うと煙児は煙草を警官に投げて渡した。警官は慌てて空中でキャッチ。
「チッ、賞金稼ぎ風情が……」
言いながら警官は現場に戻っていく。
「む、感じ悪ーい!」
シュンレイの抗議。そして――。
「あ、ちょっと今!?」
シュンレイは見た。警官が手にした煙草をそのまま自分のポケットにしまい込むのを。
「何あれ!?」
声を上げるシュンレイ。だが、煙児はそれを諭した。
「やめとけシュンレイ。それと、周りをよく見てみろ」
言われたままに周囲を見直す。すると現場の警官で煙草を盗むものはそのひとりどころではなかった。幾人もの警官が煙草を見つからないようにではあるがポケットにしまい込む。中には取引に使われた現金に手を付けている者もいた。
「な!? いいのあれ!?」
シュンレイは声を上げたが、煙児はただ叫ぶなよ、と返す。
「例のテロから警察がこうなることはわかってたよ。あんまりうるさくしてると目を付けられるぞ」
「ううー!!」
シュンレイの不満は膨らむ一方だった。
そんなシュンレイを脇に見ながら、煙児は見ていた。取引された煙草。そのケースから出てきた白い粉を。
やはり麻薬か――。
何事もなかったかのように警察官が白い粉ごと煙草を回収し、パトカーへ積んだ。
「もう、我慢できない!」
シュンレイは叫んだ。
●
「あのいけ好かない警官! こうしてやる! こうしてやる!」
そして木人はいわれのない非難を受けながらヌンチャクを受け続けているのだった。
「やれやれだぜ」
付き合わされる煙児もうんざりだ。
「それよりシュンレイ、そろそろ寝ておかなくていいのか?」
なおも木人に怒りをぶつけるシュンレイに、煙児は問う。
「今日は出勤するんだろ?」
その声に、シュンレイの動きが止まる。息が荒い。
「そ、そうね――」
ふうはあと、息を整えてからシュンレイは言った。
「今日はここまでにしてあげるわ!」
言われた木人が、なんだかかわいそうに見えなくもない煙児だった。
●
ガールズバー、『グローバル』。夜の店内は今日も盛況だった。
「それでね、ヌンチャクでこう、えい! やあ! ってね!」
「ははは、かわいい賞金稼ぎ誕生ってわけだ!」
「やーだもう!」
テーブル席からシュンレイと客の笑い声が聞こえてくる。相変わらず人の密度が高い店内で、煙児はカウンターに立っていた。向かいで洗い物をしているのも変わらずオーナーの大塚だ。
「煙児、シュンレイちゃんは大丈夫そう?」
大塚の言葉に煙児は答える。
「さあな」
そっけない返事。
「さあなってちょっと、シュンレイちゃんに無理させちゃだめよ!?」
「だったらシュンレイにガールズバーはやめるように言ってくれ」
賞金稼ぎを始めてもガールズバーで働き続けたいと言い出したのはシュンレイだった。煙児としてはボディーガードとしても、シュンレイの体を気遣う友人としてもガールズバーの仕事は続けてほしくはない。
「でもね、シュンレイちゃんの気持ちもわかるのよ――」
大塚は言う。
「急に記憶が偽物だなんて言われたら、辛いでしょ? シュンレイちゃんにとって、このグローバルは唯一本物の場所なのよ」
大塚の言う通り、過去の記憶が偽物だったシュンレイにとって本当に今の自分を実感できる場所は
「わかっちゃいるがな――」
煙児はやるせない気持ちをレッドアイで飲み込んだ。
「代わりと言っちゃなんだけど、煙児の飲み代はタダにしておくから、大目に見てあげて。ね?」
大塚はウィンクして見せる。普段チャーミングな大塚のウィンクだが、今の顔は懇願のそれだった。
「やれやれ」
呟いて、店内を見渡す。
「知らない顔が増えたな」
飲み屋というのは何処も常連がいつくものだ。一見や新規の客は多少目立つ。逆に目立つからこそ周りから話しかけられ常連となっていくのだ。安居酒屋などと違い、客同士の交流が深いのがこういった店の醍醐味でもある。
「そうなのよ。最近ご新規様が増えてるのよ」
大塚は声を潜めた。
「シュンレイちゃん狙ってるんじゃないかって、ちょっと内心ひやひやしてるんだけど……」
言われ、煙児は呟くように返した。
「だろうな」
煙児は見ただけでわかる。今シュンレイと話している客はヤクザかマフィアだ。武術の心得はなさそうだが、左の懐だけ微妙に、そして不自然に膨らんでいる。何らかの武器を隠し持っていて、すぐに取り出せるようにしているためだ。
「ちょっと煙児、大丈夫なの!?」
なおも小声で言う大塚に、煙児は落ち着いた声で言う。
「奴らも馬鹿じゃない。人目がある場所でむやみに襲わないだろうし、向こうも俺に気付いてるからな」
つまり、ボディーガードが見張っているというプレッシャーを相手に与えてはいるのだ。
「んもう、わかっててその状況の中にいるなんて――」
耐えられないわ――。大塚はそう思う。
「安心しろ、とは言わんが、普段通りやっててくれ。その方が皆安全だ」
そう言って、煙児はレッドアイを口に含んだ。
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