第13話 新米賞金稼ぎ

 狭いトレーニングルームの中、シュンレイは汗を流していた。

「んー――!」

 呻く。肩幅に広げた足を軽く折りたたみ、中腰のまま背筋を伸ばした状態。両手は前に伸ばして手のひらを広げている。見ようによっては「来ないで」というジェスチャーに見えなくもない格好だ。しかしシュンレイの体、特に足は小刻みに震えている。筋肉が膨張して限界を訴えているのだ。

「ま、まだ――?」

 隣に声を投げかける。そこに寝そべるのは煙児だ。いつもの独特なトレーニングポーズでピクリとも動かない。

「あと三十秒」

 問いかけに対する煙児の返事は簡潔だ。あと三十秒。たったの三十秒だ。しかし、シュンレイは頭でわかっていながらもあまりに長く感じる三十秒だと思った。

「も、もうだめ――」

 くず折れそうになる。

「時間前に構えを解いたら最初からだ」

「ひーん!」

 煙児の言葉に悲鳴を上げながら、最後の三十秒を耐える。足の筋肉が限界を超えている。震えが酷い。

「よし、いいぞ」

 煙児の言葉、同時にシュンレイが腰をついた。もはや立ってなどいられない。対する煙児は寝そべりのポーズをし続けている。ピクリとも動かないが、滴る汗が辛さを物語っている。

「煙児は辛くないの?」

 聞いてみる。汗を見る限り辛そうではあるが、それでも続ける煙児が不思議だった。

「ポージングの筋力トレーニングは辛くなってからが本番だ。辛いと感じた時、どれだけ限界を超えていけるかで筋力が強くなる」

 逆に辛くないところでやめても意味はない、そう付け加える。

「ふえー、トレーニングって大変だねー」

 日頃見てはいたが、実際にやってみるとその辛さは想像以上だった。

「ふー」

 煙児から次の指示があるまで休憩する。休憩しながら思い出すのは先日のローレライの部屋でのことだ。



 ●



「あんた、賞金稼ぎになりな」

 ローレライに言われたシュンレイ。だが、一瞬何を言われたかよくわからなかった。

「へ?」

 一拍間をおいて、言葉を理解する。

「えー!? あたしが賞金稼ぎ!?」

 確かに一時自分で賞金稼ぎになりたいとは言いだした。だが自分が実際に襲われてみて、その危険さが身に染みたところだ。はいそうしますとは言えない。

「ああ、そうだ」

 しかしローレライは本気だ。

「これからはあんたを守らなきゃいけない。そのためには煙児の傍にいることが必要だ。かといって煙児も仕事しなきゃ干上がっちまう。だから――」

 ローレライは続けた。

「あんたが賞金稼ぎになって煙児と組みな」

「えー!?」

 二度目の驚き。だがシュンレイには賞金稼ぎをする自信はない。

「あたしなんか足手まといだよ!?」

 その通りである。しかしローレライは譲らない。

「あんたを四六時中守るにはそれしかないんだ。足手まといになりたくないなら煙児から護身術でも学びな」

 びしっと決めるように言われた。シュンレイは煙児を見上げたが、煙児は頭を掻いて一言を言うだけだった。

「しょうがねえ」

 しょうがない。それは肯定の言葉だった。



 ●



「あたし、やってけるかなあ」

 トレーニングルームで汗だくになりながらシュンレイは口にした。

「やるしかないさ。少なくとも、鍛えておいて損はない」

「そうだけど――」

 煙児の言葉ももっともだ。いつ襲われても自分である程度対処できれば少しは違う。

「だけど、付け焼刃じゃない?」

 シュンレイの不安ももっともだ。たった少しトレーニングしただけで煙児のように強くなれれば苦労はないのだ。

「そうだな――」

 煙児は肯定した。そしてようやく、ポーズを解いて立ち上がる。

「だから、付け焼刃でもできることをする」

 そう言うと、煙児は部屋の隅に置いてあったそれを手にして、シュンレイに差し出した。

「これ、スタンガン……?」

 渡されて、手に持つとなかなかずっしりと重たい。それは四角い形で上部に電極が付けられた、一般的なスタンガンだった。

「そうだ、スタンガンだ。こいつで戦う方法を教える」

 シュンレイはしかし、ちょっと肩透かしを食らったような顔だ。

「なんか、もっと本格的な武器とか使うんだと思ってたけど……」

 たった今きつい筋トレをさせられたのだ、そう思うのも当然と言える。

「体は確かに鍛える。だが、戦い方自体は即席でないと意味がないだろう」

 そう言って汗を拭く。そして付け足す。

「なんせ今夜仕事が入ってるからな」

「今夜!?」

 急な話だ。トレーニングだって今日が初めてなのだ。なのに今夜と言われても困る。

「だから覚えろ。必死になれよ?」

 そういう煙児の顔はいたずら小僧のようだった。



 ●



 ローレライの部屋に、ウェイトレス姿の女が入っていく。女は盆を持ち、そこには紅茶が乗っていた。

「マダム、お茶が入りました」

「ああ、そこに置いておくれ」

 ローレライの言葉に従いウェイトレスは机の上に紅茶を置いた。ウェイトレスはそのまま部屋からは立ち去らず、ローレライの傍の椅子に座った。

「すまないね、マリエ。ボディーガードなんてさせて」

「気にしないでくださいマダム。こうして働けるのはマダムのおかげですから」

 ローレライの言葉にウェイトレス、マリエは笑う。先日の事件以来、ローレライは自分の傍にボディーガードを置くことにした。警察が信用できない状況で煙児に協力している。その上賞金稼ぎの仕事斡旋が本業だ。ローレライも安全とは言えない状況だった。

「まったく、厄介なことになったもんだ」

 言いながら、手元のタブレットを操作する。短剣の入れ墨について調べているが、やはり表向きの情報には引っかからない。

「こっちの情報収集に関してはカタメが頼りか」

 隣街へと移ったカタメは警察の伝手をたどって調べてくれている。

「となると、あたしはやっぱりコネを使うしかないね」

 その言葉を口にしたとき、ローレライの部屋のドアが叩かれた。

「マダム、お客様です」

「通しな」

 外の声に、ローレライが答える。開かれたドアから入ってきたのは、小柄な老人だった。

「ローレライ、急に呼び出しおって。用件はなんじゃ?」

 入るなり悪態ともとれる口調で、老人は言った。

「ウェンロン爺さん、ちょっと調べてほしいことがあってね――」

 老人、ウェンロンと呼ばれたその小柄な中国人は、細い目をさらに細くして髭をしごいた。



 ●



「いいか? スタンガンは基本、当てるだけで効力を発揮する」

 煙児の言葉に、シュンレイはうなずく。

「こういった武器は筋力などの影響を受けないから誰でも使える。その代わり――」

 煙児は付け足す。

「当てなければ意味はない」

 当てる。一言で言うと簡単なようだが、実際にやってみるとではかなり違う。

「そのスタンガンを俺に押し当ててみろ。電池は抜いてあるから遠慮はするな」

 言われた通りにシュンレイはスタンガンを構えてみる。構えると言ってもとりあえず両手で持って体の前に出しただけだ。なにしろスタンガンに構えなどあるのかすら知らない。

「えい!」

 とにかくやってみた。気合と共に両手で持ったスタンガンを突き出す。しかし、煙児はあっさりと避けた。避けるついでにスタンガンを持つその腕を横から軽く押すようにはたく。

「わ!? っとと!」

 両手を突き出したポーズのまま横倒れに転びそうになり、あわてて踏みとどまるシュンレイ。それを見て煙児は言う。

「当てるだけでも難しい。だろ?」

 シュンレイは思う。それは相手が煙児だからではないか? と。しかしすぐに間違いに気づく。賞金稼ぎが相手にするのは決して素人だけではないのだ。先日の入れ墨達は特別だとしても、戦いなれた人間を相手にする可能性の方が高いのだ。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 単純な疑問。当たらないスタンガンなど意味はない。シュンレイの問いかけに、煙児が答える。

「こいつを使う」

 煙児が新たに取り出したそれは、ヌンチャクだった。



 ●



「いいか? やり方は単純だ。教えたとおりにやってみろ」

 煙児に言われてシュンレイは構える。肩幅に広げた両足に均等に体重をかけて、膝はロックせず緩くまげ、重心をややつま先側へ。そして左手を軽く前に出し、右手は腰のあたりでやや後ろ気味。左手にはスタンガン、右手にヌンチャクを持っていた。目の前にある不思議な物体を見つめる。

 不思議な物体。それは俗にいう木人だ。回転する人間大の木の柱。そこにまっすぐな枝が何本かついている。その枝の一本を煙児が後ろから持つことで回転しないように支えている。

「よーし……」

 シュンレイは息を整える。教えられた通り、呼吸を吸って吐く。そして吐くのに合わせてヌンチャクを振るうのだ。吸いながら振り上げ、吐きながら振り下ろす。

「ふう――!」

 思いっきり行った。シュンレイのヌンチャク、その持ち手の片方が思い切り木人の枝の付け根に当たる。ヌンチャクは樫製で軽く感じたが、手ごたえはかなりの重さを伝えてくる。木人に当たったヌンチャクが跳ね返る。固いもの同士が当たって反発を起こしたのだから当然だ。普通なら跳ね返ったヌンチャクがそのまま持ち主に当たるなどして危険だろう。だが跳ね返ったヌンチャクは多少暴れたもののシュンレイに飛びかかってくることはなかった。何故ならそのヌンチャクは、ヌンチャクというにはあまりにも鎖が短かったのだ。鎖が短い分跳ね返る範囲も小さい。それゆえに振りぬいても持ち主へ危害を加える可能性は低いものだった。シュンレイは知らないが、その実それはヌンチャクというよりフレイルと呼ばれるものに近いものだった。

「う、うわあ――」

 初めての手ごたえにシュンレイは何とも言えない感覚を覚えた。気持ちよさ、怖さ、背徳感。そういったものがないまぜになった感覚だ。

「よし、いいぞ。映画みたいに振り回す必要はない。ただ思いっきり叩きつければいい」

 煙児の言葉にうなずく。そして思う。

 ちょっと、この感覚は病みつきになりそう――。

 いわゆる本能的な暴力への喜びだ。

「ふむ」

 それを見て、煙児はまあまあ上手くいったなと思う。武器というのは使うものに様々な影響を与える。代表的なのが自信と快感だ。武器、特に大きく破壊力のあるものを持つことで自分が強くなったような自信を持たせ、それを使うことで起こる破壊という現象によって快感を感じる。もちろん他にもさまざまな影響を与えるが、煙児はあえてそれを素人のシュンレイに使わせることで勢いを付けさせていた。使わせる武器もただ叩きつけるだけで威力を発揮するフレイルだ。ヌンチャクと違って使い手のスキルに依存しにくいために最初から強さを実感できる。

「シュンレイ、油断はするなよ。相手が一撃で倒れてくれるとは限らないからな」

 一応の釘を刺す。本来なら調子に乗るななどと注意するところだが、そこは自信と勢いを付けさせるためなので少し方向性を変える。

「う、うん!」

 シュンレイはうなずく。少なくともやる気は出せたようだ。

「よし、次行くぞ」

 言うと煙児は木人を軽く回し始める。煙児が持つ枝を左右に切り返して動かすことで、他の枝がまるで攻撃するような形をもってシュンレイの前で動く。

「いいか、難しいことは言わない。ただ向かってくる枝に対してヌンチャクを振りぬけ」

「はい!」

 いつしかシュンレイの返事は気合の籠ったものとなっていた。

 煙児の考えた戦術はこうだ。基本的な攻撃と防御は特性のヌンチャクで行う。攻撃も、防御も、どちらもヌンチャクを振りかざすだけだ。相手の攻撃を受けるというのは割合高度な技術になる。だから作戦だ。そのための威力が高く使いやすいフレイル型ヌンチャクだ。それにヌンチャクはただ振り回すだけでも相手に脅威を感じさせる。攻撃することがことごとく防御にもつながるのだ。そして、左手に持たせたスタンガン。ヌンチャクによる応戦で相手の動きが止まった瞬間。そこを狙ってスタンガンでとどめを刺すように言ってある。つまり、とにかく叩いて相手が動きを止めたらガードの上から感電させるのである。

 木人訓練は続いている。煙児の動かす木人の動きに合わせてヌンチャクを振る。たまに動きが止まったところでスタンガンを差し出す。煙児は言った。動きの基本はことだと。体の力を抜き、下に落ちる勢いを利用してヌンチャクを振り下ろす。そうすることでヌンチャクに自然と体全体の力が入る。振り上げるときは体も上に上昇させるタイミングだ。何度も繰り返すうちに、シュンレイもだんだんタイミングを掴んできた。

 ちょっと面白い――、かも――!

 訓練はしばらく続いた。

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