第6話 シュンレイとインリー
警官とヤクザたちの戦闘は収束に向かっていた。ただし、それは良い方向ではなかった。
「情報通りだ! ヤクザの密売現場だ!」
「へへ、早いもん勝ちだぜ!」
どこで情報を仕入れてきたのか、何人もの賞金稼ぎが乱入してきたのだ。
「おい、貴様ら! 余計なことはするな! クソ!」
乱入してきた賞金稼ぎは皆明らかに素人に毛が生えたような人間ばかりだった。警官隊に協力するわけでもなく、近くにいたヤクザに向かって突っかかっていく。その無秩序な乱入は警官隊の邪魔でしかない。
「おい、やめろ! 公務執行妨害になるぞ!」
カタメが声を荒らげる。
「入り口の見張りは何をしていた!?」
カタメの脳裏を焦りが過る。現場は混乱を極めた。素人に毛が生えた程度の人間が武装したヤクザ者に勝てるはずはない。数が減って押されていたとはいえ、素人相手にへまもしなければ容赦もしないのだ。
「ぎゃあああ!!!?」
「ひいい、痛てえ、痛てえよおおおお!!!!」
案の定怪我人が続出した。警官隊としては彼らも守るべき人間だ。保護しないわけにはいかない。怪我人をかばった警官隊の動きが鈍る。
「――!」
その時、カタメは気付いた。素人たちは怪我こそしているが、死に至るような重症がひとりもいない。
「まさかこいつら、わざと――!?」
ヤクザたちはわざと賞金稼ぎを狙って殺さずに怪我をさせているのだ。
「クソ、ハメられた!」
カタメは思った。これは敵の罠だ。わざと情報を流して金と暴力に飢えた賞金稼ぎを乱入させ、足手まといに仕立て上げたのだ。カタメはすぐに通信機を手に取った。
「二班、至急入り口の警備を固めろ! 二班!」
しかし通信機の応答はない。
「クソ!」
信頼できる日本人警官を現場に配置しすぎた。入り口の見張りをしていた二班はもうやられている。それはぞっとしない確信だ。
唐突にエンジン音が響く。この混乱に乗じてヤクザもマフィアもトラクターで突破するつもりだ。
「できるだけ多くヤクザどもを確保しろ! 邪魔な素人共は捨て置け! どうせ死にはしない!!」
カタメの怒声が鳴り響いた。
●
「インリー、戻れ!」
マフィアが叫ぶ。インリーが目をやるとマフィアはすでにトラクターに引かれたコンテナに乗り込んでいる。走り出したトラクターがコンテナを牽引して遠ざかり始めた。インリーは三度走る。今度は煙児めがけてではない。走り去るコンテナへだ。
「まて! シュンレイ!」
煙児の叫びに、しかしインリーは答えない。一直線にコンテナへ突っ込んでいく。
「クソ!」
煙児も走る。だが、インリーの方がわずかに速く、コンテナへまさに飛び込む。その瞬間トラクターのエンジン音が凄まじいがなりを上げた。急加速して現場を走り去っていく。
「シュンレイ!」
走り去るコンテナに追いつくことはできない。ただ、煙児には見えた。コンテナの奥へと消えていくマフィアに、その首筋に、短剣の入れ墨を。
「――!」
走り去るコンテナを見つめ、煙児は愕然とした。
「シュンレイが、短剣の入れ墨と一緒にいる……、だと……」
一体何が起こっているのか、煙児には皆目見当もつかなかった。
●
早朝。まだ暗い時間に大塚は目を覚ました。大塚の家の戸を叩く音がする。
「もう、やあねえ。こんな時間に。しかもインターホンを押さないなんて……」
何か危ない人間とかではないだろうか? そう思い用心しながら玄関へ向かう。ドアを叩く音は明らかに焦っており、近づいてみれば怒鳴り声も聞こえた。
「大塚! 大塚、頼む! 起きてくれ!」
その声は煙児だった。慌てて玄関の戸を開ける。そこには物凄い形相の煙児がいた。
「なあに!? どうしたのよ!?」
「シュンレイはどこだ!?」
焦る煙児の言葉の意味が分からない。
「ええ? 何言ってんのあんた?」
「シュンレイはどこかと聞いてるんだ!!」
●
「それであたしのところに来たのね。あんたシュンレイちゃんの家知らないから」
車の中、運転する大塚の隣で煙児は幾分冷静になっていた。
「すまん」
「謝ることじゃないわ」
言って、大塚は思い直した。
「いや、シュンレイちゃんの家を知らないことは謝るべきかしらね」
「……」
押し黙る煙児。その顔は苦渋に満ちている。
「シュンレイは、昨日は――」
「昨日はシュンレイちゃんのシフト入ってないわ。だからあたしもシュンレイちゃんがどうしてるかはわからない」
「……そうか」
しばらく無言で車を進める。シュンレイの家は店からやや遠い住宅街の中だった。
「ねえ、こんな時に言うのもなんだけど」
大塚は苦い表情で言う。
「あんた、もう少し生きてるまわりの人間に興味持った方がいいわ」
「……すまん」
それ以上の会話は無く、車はシュンレイの住むアパートへと向かった。
●
「鍵が開いてる――」
インターホンを鳴らし、返事がないことを確かめてから触ったドアノブは、すんなりと回ってドアを外へと解放した。
「シュンレイ!」
すぐさま煙児は中に入る。靴も脱がずに暗い部屋へ入っていった。
「ちょっと煙児!」
「シュンレイ!」
叫びながら明かりをつける。そこに照らし出されたのは狭い部屋。ワンルームのアパートによくある部屋だ。ただ違うのは、この部屋の住人がいないことだけだった。
「じゃあ、やはりあれは――」
そう言ったとき、外から声が上がった。
「オーナー! 煙児まで! どうしたのこんな時間に!?」
「シュンレイ……」
そこには褐色の肌に緑のウィッグを合わせた女、シュンレイがいた。
「あ!? 煙児! 土足で上がっちゃダメで――!?」
「シュンレイ!」
シュンレイに詰め寄る煙児。その顔はシュンレイが見たことのない形相だった。
「煙児?」
「今までどこにいた? 何をしていた!?」
「え? え?」
「煙児! ちょっと待ちなさいよ!」
大塚が止めに入る。しかし煙児は止まらない。
「シュンレイ、どうなんだ!?」
「やだ、煙児、怖いよ……?」
見たことのない煙児の行動、顔、そして焦り。シュンレイにとっては全てが恐怖でしかない。
「どうなんだと聞いて――!?」
瞬間。甲高い破裂音。シュンレイは身をすくめた。あまりの驚きに目をつぶる。そして訪れた静寂の中、そっと目を開けると、煙児の頬を張った大塚が立っていた。
「煙児、いい加減にしな!」
大塚の怒声。ここでようやく、煙児は冷静になっていた。
「……すまん」
静まり返ったシュンレイの部屋に、煙児の謝罪が小さく絞り出された。
●
狭い空間の中、やけにでかいエンジン音が聞こえる。薄明りの下に照らされた中には数人の男たちと、ひとりの女がいる。女の顔は無表情で、ただ壁を背に立っているその両手が拘束されていた。
「インリー、あの男を知ってるのか?」
男の一人、首筋に短剣の入れ墨をしたマフィアが聞く。ここは逃走中のコンテナの中だった。やや激しく揺れるコンテナの中で、インリーは何の感情もなく答える。
「いいえ」
「ふむ……」
入れ墨男がポケットから四角い小型の機械を取り出す。片手にすっぽりと収まるそれは何らかのスイッチと調節つまみがついており、一見怪しげな装置に見える。と、マフィアはおもむろにそのスイッチを押した。瞬間。
「――」
が、とも、は、とも聞こえる不可解な声。インリーの苦悶の声だ。インリーを拘束している分厚い手錠、そこに備え付けられたメーターが急激に減っていく。インリーは膝をついた。全身が振るえている。その目は焦点が合っておらず、しかし表情は苦悶とは違う。無感情な顔に、わずかに浮かべられたそれは、愉悦。快楽の顔だ。快楽を顔に浮かべつつ、しかし呼吸は早く浅く、ひゅうひゅうと音を立てる。明らかに体に異常をきたしているはずだ。しかし顔の愉悦は消えない。
「インリー、あの男は誰だ?」
入れ墨がもう一度問う。入れ墨の顔もまた、愉悦をたたえていた。ただし、こちらは完全にインリーの状況を見ての愉悦。サディスティックなそれだ。
「知りま、せん――、んん!」
インリーは答えながら全身を痙攣させている。ついにはコンテナの床に倒れ伏す。床に口づけしたようなその状態で、なおも愉悦を上げながら悶えるその姿は、まさに狂気だ。
「どうやら本当に知らないようだな」
入れ墨は言う。しかしその手はスイッチを離さない。インリーの手錠のメーターは緩やかに減り続ける。
「しかし、あの男を殺せなかった」
言葉と共に、入れ墨は調節つまみに手をかける。
「これはお仕置きだ、インリー」
つまみをひねる。不快な水音、何かが急激に注がれる音と共に、手錠のメーターが一気に減った。
「――!!!!」
インリーの声が苦しさを訴える。しかし、顔は愉悦のまま。むしろその愉悦をさらに深めていく。体の痙攣はひどく、ついには口から泡を吹き始めた。いや、泡だけではない。涙、よだれ、汗、鼻水までも。もはや体から出るありとあらゆるものが噴出している。そして――。
「ん! ――!!!?」
苦悶と共についにインリーは気を失った。倒れたインリーの両足の間から、少しずつ体液が広がっていく。狭いコンテナにインリーの匂いが広がる。その様を見て入れ墨は、口の橋を吊り上げる。それは異常な人間にしかできない狂気の喜びだった。
●
「あたしと同じ顔、かー」
シュンレイの部屋、落ち着きを取り戻した煙児を中心に小さなテーブルを三人で囲んでいた。
「それで……、シュンレイは今まで何をしてたんだ?」
一通り事情を話し終わった煙児が尋ねる。その目はまじまじとシュンレイを見つめていた。何しろシュンレイは今、ウィッグを外している。長さこそ違うものの、その髪の色もインリーと同じ。まさに瓜二つだった。
「コンビニに行ってただけなんだけど……」
シュンレイは素直に答える。部屋の鍵はかけ忘れたのだと。
「んもう、こんな時間に女の子が一人でコンビニなんて……」
大塚の言葉にシュンレイは素直に謝った。今の日本は数年前とは違う。昼は安全でも夜は危ない。表向き奇麗で裏は闇が深い日本。それは実際の昼と夜でも当てはまるのだ。
「それが、ちょっと急用で、ね?」
インリーの歯切れが悪い。
「何買ってきたんだ? まったく」
煙児がシュンレイの買ってきたコンビニの袋へ無造作に手を伸ばす。
「こ、こら煙児! 勝手に見るなあ!!」
シュンレイは慌ててひったくるようにコンビニ袋を取り返した。
「そんなに怒ることかよ……」
「もう、無神経なんだからあんたは」
大塚がため息をついた。
「でも、そのそっくりさんはやっぱり別人だったのね。よかったわあ」
「そりゃそうよ。だってあたしだったら絶対煙児になんかかないっこないもん」
言われてみればその通りだ。シュンレイには格闘術や武術の心得はない。もしあるのだとしたら普段の行動で煙児にはわかっていたはずだ。
「そうか……」
煙児の声は落胆だ。短剣の入れ墨、その手掛かりかもしれないと期待していたのだ。
「ねえ、煙児。そんなにそのあたしのそっくりさんを逃がしたのが悔しいの?」
シュンレイの疑問。さっきの現場のことは話したが、煙児の過去については明かしていない。
「教える義理はない」
「むう、何よ!」
煙児の態度にシュンレイは顔を膨らませる。怒って当然といえる煙児の態度だが、当の本人はそれに気づいていないようだった。
「なんで怒るんだよ?」
「あんたねえ、怒られて当たり前でしょうに……」
大塚は目も当てられないという顔で嘆いた。
「ふん! もういいもん! どーせあたしは関係ないことですよーだ!」
ふくれっ面のまま、シュンレイは立ち上がる。
「さ、もう二人とも帰って! あたしはシャワー浴びて寝るんだから!」
帰って帰って、などと急かされ、煙児と大塚は立ち上がった。
「ごめんねシュンレイちゃん。今日は遅番でいいから、ゆっくり休んでからきてね」
帰り際、大塚がシュンレイに声をかける。
「はーい、ありがとうございますー!」
言葉は感謝だが、明らかに怒っている声で答えるシュンレイ。そのまま二人を追い出すようにドアを閉めた。
「ふーんだ!」
閉まったドアに向けて口をとがらせる。そのまま浴室へ直行した。
「煙児のばーかばーか!」
言いながら服を脱いでいく。脱いだ服を雑に投げて浴室に入ると、鏡の前に立って自分を見る。
「本当に、馬鹿……」
鏡を見る複雑な顔の自分。そして視線を落とし、自らのへそ、さらにその少し下、中心からやや右足の方へずれた位置にあるそれを見つめ、手で触る。
「煙児の馬鹿」
再びの呟き。自らの手で触れたそれは、小さな短剣の入れ墨だった。
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