第5話 コンテナの前で

 深夜、美市の繁華街からやや遠いところにそれはあった。美市卸売市場。美市に入ってくる食料品、そのほとんどを扱う市場だ。その市場の一角、輸送用コンテナが並べられている管理スペース。そこが今回の取引で使われる場所だった。

「食料品のコンテナに偽装して運び込み、夜中にそのまま取引、か……」

 やや離れたところからコンテナの影に身を隠し、煙児は様子をうかがっていた。問題のコンテナに見当を付ける。

「ずいぶん本格的な取引だな。さすがにマフィアは規模が違うか」

 今の警察で対応できないわけだ、そう付け足す。

「あのコンテナだな」

 見当を付けたコンテナの詳細を目視する。それは事前に渡されたフラッシュメモリに入っていた情報と一致した。フラッシュメモリの情報はマフィアに潜入している捜査官からのものだった。

「さて、どこまで信用できるか……」

 煙児は考える。今の警察が送り込んだ捜査官だ、その情報などがどれだけ正確かはわからない。ましてや捜査官がマフィアに取り込まれてしまっている可能性もある。

「だが、取引をすることだけは確かなようだな」

 問題のコンテナは二つ。どちらも大型コンテナできれいに並べられており、そしてどちらも牽引トラクターにつないである。よく見ればトラクターには運転手も乗っているのが確認できる。何かあった時、すぐに走り出せるようにしてあるのだ。

 そこまで確認したとき、煙児の携帯が振動で着信を知らせる。闇の中、目立たせないように光量を絞った携帯の画面にはカタメと表示されている。通話に出た。

「俺だ」

「煙児、現場にいるな?」

 カタメの声は緊張していた。

「ああ、目標のトラック、そいつの後ろ側から二百メートルくらいのところだ。何かあったのか?」

「今、市場入り口を見張らせている部下から連絡があった。この時間に新しいコンテナが市場に入っていったそうだ」

「なんだと?」

 この時間、もちろん市場は稼働していない。早朝の搬入にはまだ早い。明らかにおかしい。そう思った瞬間、そのコンテナを引いてトラックが一台近づいてきた。スピードを落とし、ゆっくりと問題のコンテナの隣に横付けする。

「今コンテナが目標の隣に停車したのを確認した」

「ああ、こっちからも見えてる」

 カタメの緊張する声が、鋭くなっていく。

「事前の情報に無いコンテナだ。マフィアが感づいて防衛部隊を寄こしたのかもしれん」

「取引の時間や場所を変えるでもなく、激突覚悟で兵隊増員か? さすがだな、イタリアンマフィアってのは」

 今回この取引を行うのは地元ヤクザとイタリア系マフィアだ。外国人受け入れが進むことで海外の犯罪勢力もかなりの数が日本各地へ入ってきている。そうして大手の外国犯罪組織と地元ヤクザ組織が取引をしやすくなっているのだ。

「日本警察がなめられてるんだ……」

 カタメの怒りが通話越しに感じ取れる。

「とにかく、予想外の戦力が来たのかもしれない。煙児、慎重にいけよ」

「わかってるさ」

 通話が切れる。取引開始の時間になるところだった。



 ●



「なんだありゃ――」

 煙児は思わず声を上げた。目の前ではコンテナから出てきたヤクザとマフィアが取引を始めている。取引のブツはやはり煙草だ。だが、その場にそぐわぬ雰囲気があった。女だ。取引の現場に、明らかに場違いな空気を身にまとった女がいる。女は全身をぴっちりとした白い衣服に包み、その両手は何故か拘束されている。うつむいた顔は見えないが、長い髪が印象的だ。その女は三番目のコンテナから出てくると、まるで取引を見守るように、ただそこに立ち尽くしている。

「人身売買――、とかじゃあなさそうだな」

 煙児は見る。女の立ち姿を。両足を肩幅に広げ、均等に体重をかけている。そして全身の力が抜けていて、リラックスした状態。

「あの女、用心棒か?」

 煙児から見て、すでに戦闘状態に入っているのだ。いつでも動くことができる、格闘家のそれだ。しかし、用心棒ならなぜ両手をつながれているのか? 考えても異様さしかこみ上げてはこない。

 一方で取引は進んでいた。ヤクザは金の入ったケースを、マフィアは煙草の詰まったケースを、それぞれ交換したところだ。

「ここだな……」

 煙児が言った瞬間、コンテナの周囲が照明に照らされた。

「警察だ! その場から動くな!」

 カタメの声だ。拡声器を通して高く響くように聞こえてくる。照明の下にカタメ率いる警官隊がいる。照明と警官隊は三方から取引現場を照らしている。確実に逃げ場を失くす構えだ。だが、煙児にはわかる。警官隊は明らかに士気が低い。人数はいるが、もしここでヤクザたちが暴れだしたら抑えきれるかどうか――。

「抵抗せず、おとなしく――!?」

 カタメの声が途中で止まる。案の定ヤクザの一人が発砲したのだ。

「警察ごときがガタガタ抜かすな!!」

 最初の発砲は上空へ向けた拳銃から。威嚇だ。だがその一発で警官隊はすぐに盾を構えて下がった。銃撃戦に備えたのではない。おびえた者やもとからやり過ごそうとしていた者、そういった警官たちが一斉に我関せずという姿勢を取ったのだ。

「最近の警察なんぞこんなもんじゃ! とっとと帰れ!」

 ヤクザがもう一発撃とうとしたとき、ヤクザの足元に火花が散った。アスファルトに小さな傷が走る。弾痕だ。

「通告はした! かかれ!」

 硝煙を上げる拳銃を手に、カタメが叫ぶ。すると警官隊の中の半数以下ではあるが、一斉に飛び出した隊員たちがいた。その隊員たちは全員日本人だ。皆古くから警官として職務を全うしてきた人間だった。防弾シールドを構え、一斉に前に出る。

「くそ! てめえら! やってやれ!」

 ヤクザ側も応戦し始めた。ヤクザとマフィア、そして日本人の警官隊が正面から衝突したのである。



 ●



 戦闘は混迷していた。数と戦力ではヤクザマフィアの連合が圧倒的だ。迷いなく拳銃を撃ち、刃物を振りかざす。対する警官隊は銃は撃たず、催涙弾や警棒、さすまたなどによる応戦となり、数の差もあって苦戦必至だ。士気が高い日本人警官といえども警官は警官だ。犯人を捕まえるのが仕事であって、殺してはならないのだ。あくまでも捕まえて法の下に裁く。それが警察の仕事であり誇りだ。そしてその戦力差を埋めている者がいる。いや、正確には確実にヤクザたちの戦力を削いでいる。煙児だった。

「ふっ――!」

「ぐあ!?」

 呼気と共に投げた小石がマフィアの一人を直撃する。狙いたがわずみぞおちに石がめり込み、呼吸を阻害されそのまま失神する。

「野郎!」

 ヤクザが銃を向ける。しかしその時にはすでに煙児は移動し終えており、警官の影に身を滑り込ませる。ヤクザの銃弾が警官に当たる。しかしその警官はまるで自分が盾に使われることをわかっていたかのようにシールドで弾丸を受け止めた。

「クソ!」

 ヤクザが悪態をつくのもつかの間、次の瞬間には煙児の投げた石礫がそのヤクザを黙らせている。

「悪いな」

 煙児の言葉に、盾になった壮年の警官は鼻を鳴らす。

「ふん、無駄口叩いてる暇があるなら仕事しやがれ」

 煙児は口端に笑みを浮かべて次の標的に向かう。今戦っている日本人警官は煙児のことを知っている人間がほとんどだ。全員カタメと同じ、煙児の元同僚たちである。カタメと同じく、警察に残りそのプライドを守っているのだ。警察組織を見限って辞めた者は多い。だが少なからず残ったものがいる。カタメはそれをまとめ上げているのだ。



 ●



 混戦の最中、それを見る者がいた。警官と連携し、確実にヤクザとマフィアを潰していく煙児を見つめる目。それは二対の眼差しで、一つはマフィアの男から、もう一つはあの両手を拘束された女からのものだった。

「インリー」

 マフィアの男が女に声をかける。呼ばれた女、インリーは何も言わない。しかしそれを気にもせず、マフィアは告げた。

「殺せ」

 瞬間、インリーの腕を拘束していた分厚い錠が二つに割れた。インリーの腕が自由を取り戻す。同時に、インリーは前へ倒れ込むように走り出した。それは急激な走りだ。前に倒れ込む、何も支えることなくただ体を投げ出す。そうすることで走る初速は最初からトップスピードになる。あとは宙に身を任せ、地面を蹴るだけだ。猛烈な速さで走る。走るというよりむしろ、転び続けているようなものだ。そしてたった一拍の間をもって煙児に迫る。

「――!?」

 煙児は確かにインリーを警戒していた。していたが、予想以上の速さで弾丸のごとく走るインリーに虚を突かれる。走りこんだインリーはそのまま、。二つの拳が煙児を捉えた。煙児の体がくの字に折れる。そのまま後ろへ吹き飛んだ。そして、その吹き飛びは

「おお!!」

 吹き飛びながら姿勢を整え、アスファルトの上をすべるように着地。そしてインリーに向かって構えを取った。インリーは無表情の奥で状況を把握。煙児は拳を確かにガードしていた。だが、生身のガードなどほとんど意味をなさない。攻撃を止めるものが自身の腕なら、その腕が砕けるだけだからだ。しかし煙児はガードの瞬間、自らの体を宙に放り出していた。そして拳の衝撃に身を任せ、そのままわざと吹き飛ばされることでダメージを抑えたのだ。

「思ったよりやるじゃねえか」

 そう言う煙児の動きは鈍い。抑えたといってもダメージを零にできるわけではない。幾分減らしたというだけだ。故に、動きの鈍った煙児よりも先にインリーは動いた。先ほどと同じ、高速の走り。だが今度は頭から突っ込んだ。

「ちい!」

 煙児の対応は簡単だ、避ける。片足を軸に体を回し、立ち位置を入れ替えるようにすることで素早く体当たりをかわす。瞬間。

「!?」

 。まっすぐ頭から突っ込んだはずのインリーの顔が、煙児を見ている。そして高速で過ぎ去る。インリーは前に飛び込みながら、。もはや走ってなどいない、まさに宙を飛んでいる。そしてそのままの姿勢で足を蹴り上げる。煙児に対して水平に、高速で蹴りが飛んでくる。

「――!」

 しかしその蹴りは宙を切り裂くだけで煙児を捉えることはできない。煙児はインリーの体当たりをかわしたそのままの勢いで、。重力に従って高速で煙児の体が沈む。そのスピードは体を入れ替える回転のスピードと重なって、急激な速度となる。インリーの飛び蹴りは煙児の頭上をかっ飛んでいった。そして飛び蹴りを外したインリーは着地する必要がある。飛び蹴りとは相手に当てるからこそ安定するものだ。外した場合は着地する必要がある。ましてやインリーの飛び蹴りは全身を投げ出してのもの。着地するのに少なからずダメージを生み、隙を作る。インリーは無表情なまま宙で二度目の身のひねりを決行。背中を下にして受け身の体制を取る。アスファルトに落ちる。痛みがインリーの背中に走った。しかしインリーは無表情のまま着地の衝撃を転がって逃がす。続けざまに飛び起き、煙児の攻撃に備える。しかし。

「……」

 煙児はこちらを見て微動だにしない。いや、むしろその目を驚愕に見開いていた。

「――?」

 さすがのインリーも戸惑う。どう考えても絶好の反撃のチャンスだったはずだ。何故目の前の男は攻撃をしてこないのか不思議でならない。

「どういうことだ……」

 声を漏らしたのはインリーではない。煙児だ。

「なんでここにいる……」

 煙児は乾いた声で口走る。

「なんでここにいるんだ、シュンレイ!」

 インリーの顔を見つめる。その顔は、確かにシュンレイだった。

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