第2話 生きる女と死んだ男
美市。うつくし、と読む。
都内から電車で三十分圏内、乗り換え不要の電車アクセスという好立地の地方都市。もともと都内近辺で働く人々のベッドタウンであり、栄えている繁華街だ。古くは三つあったそれぞれの市が、グローバル化が進んだ時期に合わせて合併。大都市となるとともに政令指定を受け、外国の人間を多く受け入れた都市だ。グローバル化の波はたった数年ではあったが大きく、外観は普通の日本の都市だが様々な人種を見ることができる街となった。街の名前である美市は住民からの公募によって決められた。半ば冗談のような名前が通りそのまま政令指定を受けるなど、確かにほんの数年の波は何かがおかしかったのかもしれない。
「えーっと、今日もログイン、し、た、よー、っと」
夜。雑多に居酒屋が並ぶ裏通りのビル。その二階のバーでその女は携帯に入力していた。SNSに情報を書き込み、携帯をスリープ。顔を上げて店内を見渡す。店内はよくあるカジュアルバーの内装。ただし幾分狭い。普通のオーセンティックなバーに比べると多分に明るい店内には、彼女を含めて三人の女性がいた。全員肌の色も国籍も違う。共通しているのはしゃべっている言語が日本語だということだけだ。
「てんちょー、看板出してきましたー」
階段から店に入りながら、四人目の女が言う。
「はーい、ありがとー」
店長と呼ばれた彼女、携帯をいじっていた彼女は緑のウィッグを軽く振って振り向いた。褐色だが健康的な印象の肌が目立つ。
「えりちゃん、シュンレイって名前で呼んでもいいよー?」
店長、シュンレイはにこりと深く笑みをこぼす。
「えー。でもてんちょーって名前の方が呼びにくいというかー。てんちょーの方が親しみがあるじゃないですか」
店長という言葉は少し硬いが、彼女の言うてんちょーという発音は最早友達に向けたそれだ。
「んー、そっか」
シュンレイは立ち上がり、階段の上から外の看板を確かめる。狭い道に配慮してやや店に寄せる形で置かれたその看板には『グローバル』と書かれている。今時どこにでもあるガールズバーだ。ただ、スタッフの日本人率が低いのはこの店の特徴かもしれない。
「ん、おっけー」
シュンレイが太鼓判を押した時、丁度階段へ人が入ってきた。
「いらっしゃー、――あ、オーナー!」
「みんな、準備できてるみたいね」
オーナーと呼ばれた男性はその痩躯を左右にくねりながら階段を上がっていった。店の中に入り、一通り見渡す。
「うん、いいわね」
オーナーは満足そうにうなずく。
「今日もみんな、がんばってね。よろしく頼むわよ」
男性らしからぬチャーミングを絵に描いたような微笑み。その笑みに応えるように、スタッフ一同から少し間延びした、しかし決して手抜きではない返事が上がった。
「今日はアタシがカウンターやるから。シュンレイちゃんもお客さんの方お願いね」
「はーい。……あ、てことは――」
シュンレイは気付く。オーナーがわざわざカウンターに立つ理由。その心当たりに。
「ええ。たぶん今日は来るわ。だから、お願いね」
「はーい!」
返事をするシュンレイの顔は、先ほどより明るい笑みが広がっている。テーブル席の確認に向かったシュンレイの後姿を見て、オーナーは独り呟きをもらした。
「まったく、罪な男ね、煙児――」
その独り言が終わるか終わらないか。そのタイミングに合わせたように客が来た。
「いらっしゃーい!」
●
開店から一時間。店内は狭いその空間に多少多いと言わざるを得ない程度に客が入っていた。特に密度が高いのはカウンター前の立ち飲みスペース。テーブルは若干人が少ない。ガールズバーは飲むよりも会話がメインの店だ。客が席についたらスタッフがそこに入る。そして酒を飲みながら会話の相手をする。風営法上では接待飲食店に所属し、普通の飲食店とは扱いが違う。そのため多くのガールズバーの料金体系は時間制であり、グローバルもその例外ではなかった。ただ、この店は気軽に飲みに来てもらうためにカウンターの立ち飲みだけ割安になっていた。
「なんだ、今日はカウンターがオーナーの日か」
「何? 文句あるなら料金払いなさいよね?」
「いや、まあ、このまま三十分延長で……」
常連とのそんなやりとりが交わされていく。
「オーナー! リモコンくださーい!」
「はいはい、どーぞ」
テーブル席でカラオケが始まった。賑やかさが楽し気に店の空気を包んでいく。そんな中で、その男はやってきた。
「よう」
言葉は軽そうな字面だが、声はどちらかというと暗い響き。特徴的な甚平を着込んだ男、煙児だった。
●
カウンターのドリンクをスタッフに任せ、その隅で洗い物をするオーナー。目の前には煙児。店内の陽気な空気とは裏腹に、二人とも沈黙したまま時が流れる。
「なんで俺が来るとわかった?」
唐突に沈黙を破ったのは煙児だ。
「カタメちゃんからね、連絡があったの」
オーナーは落ち着いた声で、洗い物をする手を止めずに口にする。
「さっき、煙児が一仕事したって」
「……ふん、余計なことを」
煙児は味の薄いビアカクテルを口に運んだ。
「あの店には顔出してるの?」
問われ、煙児は苦い顔をした。
「あんなたけえ店、行けるかってんだ」
「そう……」
この日本で大きく商売しているのがガールズバーなどやチェーンの居酒屋だ。対してオーセンティックなバーなどは縮小傾向にある。酒と煙草の制限が原因だ。もともと酒そのものを提供するための店に対して、酒の制限は苦しさしか生まなかった。国内ではろくな酒を仕入れることができず、輸入物の酒はこの国内においてどんどん高騰していく。それゆえに本格的に酒を提供する店ほど衰退し、安い国内産のピスを提供する安居酒屋とガールズバーのような酒以外の商品で勝負するような店だけが残っていった。意地やプライドで残っているオーセンティックバーやショットバーなどは値上げをせざるを得ず、徐々に少なくなっていった。
「あの店もいつまで続くかわからないわよ? それでもいいの?」
オーナーが問う。しかし煙児は答えない。ただ赤いビアカクテルを口にするだけだ。
「おかわりを頼む」
飲み干したグラスを軽く持ち上げる。
「はーい、あたしが作る―!」
煙児の隣から、シュンレイが手を伸ばした。
「クラマトで作ったレッドアイだよね?」
「ああ」
シュンレイの確認に、しかし煙児はただうなずくだけだ。だがシュンレイは嬉しそうに言いながらカウンターの裏へ回る。
「ふっふーん。煙児の好みお見通しなんだから」
嬉し気にレッドアイ、ビールのトマトジュース割を作っていく。クラマトはトマトジュースの品名で、ハマグリの出汁がきいた特殊なトマトジュースだ。
「クラマトは別料金よ」
「かまわん」
オーナーの声に、煙児は答える。
「ただのピスなんぞ、そのまま飲めねえからな」
その言葉に、オーナーはため息をつくしかない。
「はーい、レッドアイできあがりー」
グラスを運んできたシュンレイから、ただうなずくだけでそれを受け取った。
「どう? 美味しい?」
シュンレイの言葉に、煙児は特に感情を込めず言葉を返す。
「まあまあだ」
「へへ、やった!」
だがシュンレイは満足そうに踵を返し、テーブルの客へ戻っていった。そんなシュンレイをオーナーはただ、複雑な感情で見つめている。
「ねえ煙児」
グラスを拭きながら、しかしオーナーはしっかりと聞こえる声で言う。
「いい加減、吹っ切れたら?」
言われた煙児はしかし、否定を口にした。
「無理だ」
ただそれだけ。しかしその言葉は強い否定の響きを持ってオーナーに返る。
「シュンレイちゃん、かわいそうじゃない。あんただってわかってるでしょ。あの子の気持ち」
「ああ」
今度は肯定だ。
「だったら――!」
「ダメだ」
再び否定。
「煙児……」
オーナーの顔が曇る。それは怒りでもなく、悲しみでもなく、ただやるせなさがそこにあった。
「俺の中にはあいつしか、
喫華。その名前を聞いてオーナーの表情はさらに曇る。
「まだ忘れられないの?」
煙児は何も言わない。
「あの子は、喫華はもう――」
オーナーの声を遮って、煙児が言う。
「ああ、死んだ」
さすがにオーナーは口をつぐんだ。
「だが、あいつのことは忘れない。いや、忘れるなんて許さない」
それは自分に向けた言葉だった。
「それで賞金稼ぎを続けるの?」
オーナーの声には心配する、おびえともとれるような響きがある。
「ああ、続けるとも」
数舜の沈黙。たっぷりと間を必要としてから、オーナーは言った。
「合法的に煙草のそばにいるために賞金稼ぎを続けるなんて、正気じゃないわ」
それ以上は二人とも何も言わなかった。ただ、煙児は思っていた。喫華が死んで時が経って、声すら思い出せなくなっているのに。これ以上彼女から離れたくはない――。
「煙草の匂いだけが、思い出させてくれる――」
それはオーナーにも届かない、独り言だった。
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