最終話 外れスキルの追放王子

 もんどり打ちながら月面に放り出される。

 絡みついた鎖の縛めは固く、力強い。全力で引きちぎろうとするが、引っ張る狂王の豪腕には敵わなかった。


「偽月の上だと……? 呼吸は……できる……」

 見れば狂王が蒼穹結界ケイルム・オービチェを展開していた。

 転移門が吸い込む空気の量は膨大だが、いずれ雲散霧消する定め。それを防ぐために結界の中に空気を閉じ込めていると思しい。


「ようも、やってくれたのセヴィマール。小物の中の小物と思っておったが」

「兄上は小物だが、やる時はやる男だ。お前如きが愚弄するな」

「そうであるか。万全を期するなら殺しておくべきだったかも知れぬ」


 そうは言うものの、狂王の顔からは後悔を微塵も感じなかった。

 今の結末に満足しているのだ。

 理由は窺いしれない。複数の人格が混ざったこの男は、常人の理解範囲を軽々と超えている。これが親とは思いたくないものである。


「ここに生命いのちは無い。俺とお前、二人きりだ。どうだ……アルファルド、生まれて始めて死に瀕する気分は?」

「死だと? 月から星に帰る方策など幾らでもあるわ。それに……生命ならば目の前にあるではないか」


 誰かを殺して、誰かに殺されて、新たな体を得る。

 それが狂王の単純明快にして究極の延命法。

 狂王の後ろには無数の星々が光り輝いていて、まるで人々の愚かさなど意に介してないように思えた。

 

「………………」

 狂王が縛めの鎖を解く。

 魔術で物質を実現し、維持するのは多大なコストを払うものだ。

 俺に相対する為に、攻撃に魔力を回そうとしている。


「転移門を使わせはしない」

 黒剣を逆手に持ち、月面に突き刺す。

 腰に下げた鞘をするりと抜き、突き出すようにして狂王に見せつけた。


「鞘はもう要らぬと申すか」

「……答える義理はない」

「なんという不忠者か……」


 未だ空気を吸い込む転移門。俺の後方にあり、狂王からは遠い。

 地の利はある。

 体全ての筋肉と関節のしなりを総動員し、振り向き、鞘を転移門めがけて投擲する。


「ほべぇっ! 流星っ!」

 黒剣の鞘はセヴィマールの側頭に命中し、意識を奪う。術者の気絶に合わせて転移門が閉じて、この場は母なる大地と隔絶された。


「酸素を奪って余を殺すつもりか」

 狂王は水生みの筒インフィニトムを取り出し、魔術で小規模な雷を生み出す。

 何をするつもりか? 意図が読めない。


「水の分解による酸素の生成だ。余はきちんと教本を読む男であったからの」

「それもオーケンさんに教えてもらったのか」

「然り。先生は最後まで抗い、白亜宮で死におったよ」


 瞳からは嘘を感じ取れない。

 虚脱する心は舌を噛んで耐え、地面から黒剣を抜く。右腕一本では構えづらいので、肩に担ぐ体勢を取った。

 狂王の懐にはスクロールが見える。恐らく帰還のスクロールであるから、もし読もうとするならば相打ち覚悟で殺す。決して隙を見逃さない。


「……アロウと出会ったとき、奴の剣を見て──余は思ったのだ。この男ならば余に届く剣閃を放てると……事実そうであったがな」

「狂王よ、お前は死にたかったのか」

「違う。余は英雄が好きなのだ。子供の頃、オーケンハンマー先生とクリカラ先生に叙事詩を読んで頂いた時に……思ったのだ。英雄のよくある結末には、辟易しか感じぬものだと」

「………………」

「走狗は煮らる。生き延びたとしても、終わりは寂しいものだ」


 そう語る狂王は年相応の不憫さがあった。

 

「英雄が些事に心を囚われ、輝く道から脱落することが、何より辛かった。些事は女であれ復讐であれ……一時の安らぎであれば、老いに対する恐怖でもあった」

「祖父上の道が、気に食わなかったと?」

「そうかも知れぬ。あるいは俺の隣を歩んでくれなかったことを……恨んだのかも知れぬ。知っているか? 奴はこう言ったのだ……『私のような家格が低いものを重用すれば、殿下が侮られます。お捨て下さいませ』とな。決して余は忘れ得ぬぞ」

「醜い嫉妬だ。八つ当たりだ。祖父上は……幸せを掴んだ。それをお前が踏みにじったんだ」


 ジリジリと距離を詰める。

 彼我の距離は十五歩、もう少しで、一足飛びで届く距離まで。


「──俺はボースハイトでは無いと、フォレスティエなんだと、ずっとそうあれかしと望んでいた」

 時間稼ぎか、親子の語らいか。

 俺の心すら、死という帰結を前にして、浮き足立つ。自嘲で口の端が歪み、黒剣の柄を握る力はいや増した。

 

「違うというのか?」

「違っていて、欲しかった。俺は……フォレスティエであれば……お前の言う、些事に囚われた人生を歩めると思ったんだ」


 夢があった。

 朝から夕まで畑で働き、汗を流す。あるいは羊を牧草地に放し、日が暮れる前に帰るような日々。

 帰りを待つ人達の為に──働く人生。

 そんな過分な幸せを享受してみたかった。


「愚か者が。お前は自己評価が低すぎるのだ。だからやりたい事も出来んし、やりたくない事をする羽目になる」

「……俺と貴方はやはり親子だ──浅慮で自分勝手、力に溺れ、他者を顧みない。だから生命いのちのない此処つきで終わりを迎える」


 ここが俺とお前の──父の墓標だ。

 決して母上と同じ大地には葬らせない!

 

「そんな事はない。お前はアロウの孫だ」

 狂王が柔らかに微笑んだ。慈愛の眼差しが恐ろしい。

 ここは既に黒剣の届く距離──生命を奪える距離まであと少し。

 狂王の黒目と白目が判別できる所まで近づけた。


「全てのフォレスティエを滅する。それが余のアロウに対する復讐だった。だが……余は認めよう、お前こそが最後にして最高のフォレスティエであると。ここまで余を追い込んだ人類は三千年のうちに一人も居なかった!」

 先程の呪砲の砲撃により──月の欠片が舞っている。

 鈍い銀色が日輪の輝きを反射し、どこか幻想的であった。青や白・赤色の星々を背景にして両手を広げる狂王は、さながら壮大な劇の一場を演ずる者のように見える。


「────はははっ!」

「何が可笑しい? 何を笑う。自嘲であれば……許さぬぞ」


 可笑しくて堪らない。

 最後のフォレスティエだと?

 俺はボースハイトだ。

 そう、誰よりも、

 

 ──悪意ボースハイトなのだ。


「アロウを侮辱するか?」

 狂王の両拳が魔力の光を纏う。

 接近戦──魔術師ではなく、戦士として俺と戦う魂胆か。


「お前のスキルは魂を奪い、体をすげ替えるもの」

「そうだ。たとえお前がどれだけ傷つこうと、魂さえ奪えば如何様いかようにも修復できる。自害は無意味と知るが良い」


 言ってから気づいたのか、狂王はハッとしてから目に魔力を走らせた。遠眼鏡を覗き込むように目を細め、驚きか──短い息を吐く。

 力を込めた足元で月の砂が抉れて、足跡を残した。


「魂が……半分しか、無いのか……? どこに、どこに……置いてきた? ありえぬ、魂が欠けた人間など……ありえぬぞ、アンリ」

「月が欠ける世の中だ。魂がそうであって、何がおかしい」

「そうか! クリカラ先生だな! 魂を分けて、フラスコに保管したな! そのような暴挙……教義に反する……現代人が、そのような……」


 十分に驚いてくれたようで、わずかに溜飲が下がる。

 それに僅かに語弊があるが、言ってたまるものか。

 魂の半分はアリシアいもうとに──未来に託したのだ。


「俺から神を信じる心を奪ったのはお前だ」

「……そうだ、余が奪った。お前の母を殺し、世界に絶望を抱かせた」

「違う! 母上を殺したのは俺だ!」


 静寂が一拍を刻む。


「……全ての因果の糸が、この月面に寄り集まった。最後くらい、偉大な古代人としての矜持を見せてみろ! アルファルド・フォン・ボースハイト・ラルトゲン!」


 叶うならば、アリシアの花嫁姿を見てみたかった。

 その時、俺は泣いただろうか。

 幸せで泣けるならば、それ以上の幸せはない。


「それが嫌ならば星の海を泳いで、あの青い大地まで辿り着いてみせろ!」

「………………!」


 狂王が怒りだろうか、わなわなと震えている。


「臆したか!」

「いや──感動で打ち震えておるわっ!」


 対敵は拳を胸の前で何度もぶつけ、魔力が弾け合う衝撃音がその度に響いた。

 掠るだけでも致命傷となりえる魔力量、どの魔人よりも強いだろう。


「行くぞアンリ!」

 対敵は右拳を月面に叩きつけ、石と砂の大地を割った。

 衝撃波と月の欠片が、まるで大砲カノンのぶどう弾が如くに飛来してくる。


「────!」

 黒剣を肩に担いだまま、地を這うように姿勢を低くする。

 足は開き、いつでも駆けれるように、全神経を集中させた。


 対敵が来るは──右か、左か、意表を突いて上か。

 スクロールを使う暇を与えぬために、月の欠片を押し破り、進む。


「上ッッ!」

 気配を全く殺そうとしない対敵は、上から落ちてくる。

 月面は幾分か浮遊感があり、落ちてくる速度も遅い。そうであると予測していたが、驚くべきことに対敵は矢のような速度である。


 舞った月の欠片を足場にして、何度も飛び跳ねたのだろう。意識外の速さを前にして、防御態勢を組むのが遅れた。

 

「ァアアアアアッッ!!」

 叫んでいる。対敵が、叫ぶことにより気力を充溢させていた。

 まるで戦場を恐れる新兵か、心足りぬ魔物のようだ。


 殴打──衝撃、構えた剣は殴られ、地に落ちる。

 拾う間もなく胴体右を拳がかすめ、耐え難い熱さを感じた。


「っ! ァアアア……ぐぅう!」

 肉が、こそげ落ちている。内臓が溢れる。

 ポーション瓶を握って割り、損傷部にかけるが、無駄だ。血が止まるのみで、致命傷には変わりがない。

 

「最古の人類は徒手空拳であった。次に石を割り、石斧を作った。次第にそれは槍になり、剣にもなった。不思議なものだが人は剣に芸術的美を大いに求め、権威の象徴にもなった」

 痛い。

 痛い。痛い。

 だが、痛ければ、何だというのだ!


 対敵は柄だけの剣を取り出し、魔術の剣身を練り上げる。

 俺の黒剣に対するあてつけか、剣身は純白であった。


「たかだか三千年で人が文明の針を進められるものでは無い。余こそが世界を調停し、導いてきたのだ。そんな神にも等しき余に対し、十六しか生きておらぬその身はどこまで輝ける? 光あれと、四方よもを照らす聖人になって、余を輝きで灼いてみせろ」


 黒剣を正眼に構える……が、堪らなく重い。

 祖父上はこんなにも重い剣で戦ってきたのか、と今更に思える。やはり俺は駄目な孫で、歯を噛み締めねば、立つことすらままならぬ。


「まだ立てるか……そうか……余の為に英雄になってくれるのだな。不死の魔王を殺しうる、反魂にして半魂の英雄が……すべてを投げ売ってまで……余を殺そうと、英雄の道を歩んでいるのだな」


 斬撃が──来る。

 振るわれた剣は見た目以上のリーチがあり、一合目は何とか受け、返した刃の一撃は対敵の顔を軽く裂き、血の花を咲かせた。

 次の一撃は屈んで避け、最後の一撃は俺の左足を半ばから切り落とした。


「がッ!」

 体が崩れ落ちる。

 隻腕にして隻脚、溢れる内臓は熱を奪い、今すぐに死んでもおかしくない。

 寒い、血が──熱量が失われている。反面、頭はよく働き、起死回生の一手を足らぬ頭で絞り出そうとしてくれていた。


「あと十年鍛えれば、もう少し深く、届いたであろうな」

 胴体を抑え、みっともなく座り込む俺の前に、対敵が立っていた。

 左手で顔の血を拭い、服で拭き取っている。


「余の人生の中で十指に入る強さであったよ。よくぞ練り上げた、息子よ」

 慈しむ左手が頬に触れる。

 噛みつかれる、とは思ってないようだ。勝利を確信している。


「何か、残す言葉は?」

 対敵は二歩下がった。

 体が万全であれば、立ち上がって剣を突き刺せる距離。だが、どんな達人が見ても、俺の体で成し得るのは不可能と断ずるであろう。


「……無ければ、良い。後は心配するな。余がアンリとして生きてやろう。体を寄越すのだ……」

 対敵の剣が大上段に構えられる。

 俺の首を切り落とすつもりだと、そうであろうと、分かる。


「俺の……」

「何だ、何か守って欲しいものがあるのか?」

「俺の──を、覚えて……いるか」

「…………?」


 怪訝そうに眉を歪める対敵を前に、跳ね上がるように立ち上がる。

 隻腕で地面を押し上げて、隻脚で何とか踏ん張り、剣を相手より早く構える。

 選んだのは突きの一撃。槍を繰り出すようにして、全力で突き出す。 

 

 驚いた顔が見える。予想以上に速かったようで、剣の柄を握りしめる動作が一瞬遅れたのが対敵の致命傷となった。


 俺はずっとこの時を待っていた。

 相手が余裕たっぷりに俺を殺そうとする時を。

 俺がもう〝動けぬ〟と錯覚し、王の油断を見せる時をだ。


「忘れていただろうッッ! 俺のスキルが何かをなァッッ!!」


 黒剣が対敵の心臓を喰い破る。

 最後のあがきで振り下ろされる対敵の剣を見上げながら、


 ──俺は勝利を確信した。



 





 第五章 「外れスキルの追放王子、」編 完



 






 次章──最終章──「、不思議なダンジョンで無限成長」編




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TIPS

・第173話「観覧席の中程、名も知れぬ英雄~」について

 ファルコ特別執行長その人。あの後に魔人リゲルを討伐し、部下の仇を取る。


・フォレスティエ家の爵位について

 男爵から子爵に上がったのはアロウの剣働きによるもの。ターウの王位継承に合わせて宮中伯に上がる話もあった。だが他の側近たちの嫉妬を感じたアロウは、ターウの王道の障りになると思い、辞退した。


・アンリのスキル(体質)

 ステータス保持……老化・病気・怪我をしてもステータスは下がらない。故に隻腕隻脚であっても、全力の力を振るえた。






最終章はちょっとだけ長いエピローグです。

アンリのストーリーは終了となりますので、ここで読み終えても大丈夫です。エピローグはアフターストーリーでもあり、新主人公で書く予定です。良ければ御覧ください。

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