第175話 キングスレイヤー

 戦場とも言うべき競技場の時が止まった。

 そう錯覚してしまうほどに──白亜宮から登る光の奔流は凄まじかった。

 雪で覆われた頂きに座す砲が轟き、溶け、明滅しながら蒸発し──最後の力を振り絞るようにして最後の一射を空に放つ。


「月が……欠けた……欠月だ!」

 法衣をまとう、剃髪した男が叫んだ。


 ああ──預言書の何かしらになぞらえようとしているのか。

 偽月が砲の一射により欠けたから何だというのだ。


「誰かが……あの爆発を……砲撃を……」

 白亜宮は消滅した。魔人と共に。

 喉が渇いて痛い。

 誰かが死んだのでは無いだろうか、と不安がよぎる。


「破壊と救世の御子──もしや?」

 男が俺を見ている。

 俺は斜面を滑落した痛みで、頭がガンガンと痛むというのに。

 だが、失った腕に小石が食い込むせいか、痛みで意識は保たれている。


「俺は、俺は──四十万の民を殺したのだぞ。救世など、片腹痛い」

 罪悪感を覚えてはいけない。

 謝ってはいけない。

 尊い灯火を、他ならぬ俺の手で消したこと!

 〝俺のために〟天に、地に、人に詫びるような暴挙がどうして許されようか!


 月を拝す修道女も、

 街を守る衛兵達も、

 営みを過ごす民も、

 任を受けた貴族も、

 騎士も……従士も、

 すべてが失われた。


 ──それに、親が居たのだろう。

 ──なれば、子も居たのだろう。


 俺は俺であるためには、それを決して奪ってはいけなかった。

 もう俺は俺ではないのだ。〝俺の形〟をした〝何か〟でしかない。


「母上……兄上……俺を殺しに来たのですか……」


 こちらを見下す魔人がいる。

 遠目には人の輪郭をしている。だがよくよく見れば、心臓の場所に灰色髪の女人の頭が見える。


 記憶から失われつつあった母の容貌。

 見るのは怖い──だが見て……思い出したい気持ちもある。


 漆黒のローブは前が開かれていて、破れた服から肌が垣間見える。浮き出た血管も、乱れた脈も人間のものではない。


「苦しいですか、二人共……?」

 二人は俺の問いかけを無視した。


 返事とばかりに跳躍し、腰の剣を上段に構え直し、迫ってくる。

 力を振り絞り、立つ。

 鞘を支えにして、黒剣を向ける。


「──ッ!」

 斬撃を剣身で受けると、衝撃が全身を震わす。

 相対する魔人は無表情のまま、宙返りで俺と距離を取る。


「これが魔人、本当の魔人か」

 魔人と戦うのは古来より人の定めとされている。

 

 獣はマナにより魔物になる。

 人はマナにより魔人になる。


 それは俗説とされているが、公然の秘密でもある。なぜなのかは単純明快で、教義に反するからだ。月から与えられるマナは決して人を害してはいけないとされている。


「……やめてください」

 その構えはフォレスティエに代々伝わってきた流派のもの。

 一振りで相手を殺し、悲しみを残さぬための殺人剣。

 祖父上から母上に伝わった、家伝の剣。


「──■■■───■■■ッ─!!」

 言語とも言えない雄叫びを魔人が上げる。

 恐ろしい。

 どんな魔物よりも、恐ろしい。


 斜面を上がった先には多脚戦車アラーナエが居て、体表を自在に移動する砲身がある。そのうちの一つが正確無比に、母上の頭に向きを定めた。


「殺さないでくれッ!」

 必死に叫んだ。喉が破れても構わない。

 母が死ぬところを三度も、見たくはない。


「当たり前ですっ!」

 声がした。聞き慣れた、かつての婚約者の声。


「リリアンヌっ‼」

 必死に走ったせいか、リリアンヌの法衣は足元が破れている。

 彼女は魔人の死角をつき、閃光じみた速さで魔人の背に抱きついた。


 リリアンヌが取り出すのは鉄輪──罪深き者の鉄輪。

 その冷たい輪を母親の首にかけ、御した。

 賢明に抵抗する魔人の爪が彼女の肌を裂き、法衣がどんどんと血で染まっていく。治癒魔術で抵抗しつつ、必死に、優しい言葉をかけながら、宥めていた。


「これは私の戦いです。あなたは自分の戦いを!」

「……分かった!」


 斜面を駆け上がる。すれ違いざまに投げられた治癒ポーションを片腕にかけるが、失われた組織は戻らず、傷口だけが塞がった。


「傷が……そんな……」

 リリアンヌは下唇を噛み、全てを理解していた。


 もう治らないのだ。魂が壊れているから。

 あるべきアニマは失われ、どんな力であっても俺の傷はもう治らない。


 斜面を登りきると、戦場がよく見える。

 俺の友が、家臣が、家族とも言うべき者たちが魔人と交戦していた。

 俺は俺の倒すべきを見据え、睨みつけた。


「狂王アルファルドにして我が父ターウ! その首をいさおとして貰い受ける」

「ほざくか、我が息子よ!」


 いや──違う。これは悪鬼の振る舞いではない。

 簒奪者にして親殺しであることを民に示そう。


 狂王の足元に倒れるヨワンは虫の息で、治療をせねば死ぬ。

 今は相手の注意を引きつけ、何としてでも生かす必要がある。

 

 打算でも、聖鈴の誓約のせいでもない。

 釣りをして、話しただけで、兄上と和解できた気持ちになった。

 それが嬉しかったからだとは、誰にも言えやしないが。


「テメエが死ねば、俺が王だッ! とっとと玉座を渡しやがれッ!」

 俺の言葉に民が慄き、軽侮の視線を投げかけてくる。

 そうだ、それが相応しい。

 叶うならば俺を視線で、言葉で殺してみせろと睨み返す。


「言葉で自分をごまかすでないわっ! アロウに申し訳ないと思わぬのかッ‼」

 狂王は両手をこちらに向け、マナを全力で魔力に変換している。

 どの時代の魔術師であっても、この男には敵わないだろう。蓄えた力は三千年をゆうに超え、知識もそうなのであろう。


 だが一つだけ欠点がある。

 それは油断だ。慢心だ。

 他者は決して自分に及ばぬと、考えているだろう。


「今の俺なら、あの男を殺しきれる……」

 小声で呟いた。決して誰にも聞こえぬ声量で。

 条件は偶然だが整っている。

 いや──これは運命なのだ。


 ──全ての命は役割を持って生まれるものだ。


 かつて、俺が殺した男が残した言葉。

 そうだ──俺は最後の役割を果たそう。


「ふざけんなよっ! バカ弟がっ!」

 セヴィマールが叫んでいる。狂王の後ろで。

 狂王は嘆息を吐き、興味なさげに一瞥した。


「お前の敗因は、僕を侮ったことだ! アンリ、お前は言ったよな!」

「何を!」

「スキルってのは創意工夫なんだよっ! 見とけっ!」


 セヴィマールが転移門を開く。

 範囲は極小、かろうじて一人が通れるくらいのもの。

 しかしつながる先は漆黒で、よく見れば星らしき輝きが見えた。


「月に届く転移門だ! 吸い込まれろや、バカ親父がああああっ!」

「この愚か者がァアアアアアアッッ!!」


 転移門は見える範囲にしか開けない。

 そう〝見える範囲〟にだ。

 ならば見上げて拝すべき月にすら届くのは、道理なのか?


 月と大地では気圧差がある、と学者は言っていた。

 ならば空気は吸い込まれ、人の身で逃れることなど出来はしない。


「────ッ! 逃さんぞ、終わらんぞ、こんな終わりは俺は認めん! 余は承認せん! 道連れだ、アンリィアアアアアッ‼」


 狂王が魔術の鎖を飛ばしてきて、俺の五体を捕らえた。

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