第164話 因果応報 槌

 ファルコが去ってより数日が経った。

 自室の執務机の上には朱烏の卵。文献の記述によると孵化には百人の一流魔術師が必要とあったが、それであらばサレハ一人で事足りる。

 失敗すればアリシアが深く傷つくだろう。

 焦ることなく、ゆっくりと事を進めたい。

 そんな風に考えているとドアを叩くノック音が聞こえた。


「団長、お客様を入れるでありますよ」

「分かった」

「では、どうぞであります。後でお茶をお持ちするでありますので」


 部屋に入ってきたのはクロードだ。最後に会ったのは白亜宮に行く前だっただろうか。

 短い期間ではあるが、かつて共に冒険者として戦った槌使いは俺の前の椅子に座り、土産だろうか魚の干物を机の上に置いた。


「うちで取ったやつだ。ここだと魚なんて食えねえだろ」

「美味そうだな。ありがたく貰うよ」


 かなり痩せたように見える。書状では冒険者を辞めて故郷に戻ったとあったが、もしかすると暮らし向きが良くないのだろうか。


「子供が生まれるそうだな。おめでとう、クロード」

「ああ、男か女かは分かんねえがな。俺としては徴兵に出させたくねえから、女の子が良いんだがなあ、ベルナが男の子が欲しいっていうんだ」

「俺からも祝いを出そうか」

「要らねえって。王族からモノを貰うなんて、とんでもねぇよ」


 もう灰の剣士として振る舞うことも、仮面を被ることもない。

 友が一人去り、古い知人が訪ねてきてくれる。季節の移り変わりのように縁が巡り回っていく感覚はどうにも慣れない。


「部下が二組結婚することになってな、嬉しい知らせが最近多いんだ」

「そりゃあな、俺たちもいい年だし……浮き草みてえにプラプラともしてらんねえよ。んで、お前さんは聖女様とはどうなんだ?」

「それは……」

「まだヤッてねえのかよ。だから俺が娼館に連れてってやるって言っただろ? 慣れとかねえと、何もうまくいかねぇぞ」

「色々とあるんだ。もしかすると──」


 俺がすべきを考えれば、俺がしてきたことを考えれば、

 今ある手札と、盤面を鑑みれば、そう──俺はどうすべきなのか。


「もしかすると?」

「なんでも無い」

「悪いな、要らん事をいった見てえだ。そういや護衛は付けてねえのか? あいかわらず不用心だな」

「領内だからな」

「ふーん、そうか……」


 クロードは麻袋に手を突っ込み、ワイン瓶を取り出した。

 とても上等そうに見える。漁師が買えるものとはとても思えない。


「憶えてるか?」

「もちろん。最初に会ったとき、俺をワインで酔わせただろ」

「ははは! 悪かったって! だから詫びにだなぁ、とっておきを持ってきたんだ」

「一口だけ貰おうかな」


 クロードがワイン瓶を傾け、二つの木杯になみなみ紫の液体を注ぐ。

 濃厚な匂いが鼻腔をくすぐるようで、もし酒好きであればよだれを垂らして喜ぶ一品なのだろう。


「昼間っからはマズイか? なんだったら夜に仕切り直してもいいが」

「もう開けてしまっただろう。それに俺は今日は休みにしているから」

「おう、そうか。じゃあ飲もうぜ」


《団長、防壁周辺に不審な動きは一切なし。完全に白です。飲食は絶対にお控えください。何かあればすぐに知らせを》

 執行部隊員が共鳴する指輪で念話を飛ばしてくる。

 念の為と思って、クロードが一人で来たことを何度も確認させた。どちらかの王妃派閥の手先とは考えたくはないが、備えるに越したことはない。


「乾杯といこうか!」

「ああ、生まれてくる子供とベルナに」

「おう、乾杯だ!」


 杯がぶつかり合い、ワインが宙を舞った。

 クロードは口元に緊張の引きつりを残したまま、喉にワインを流し込んだ。

 

「ワインか」

 銀製の杯に移し替え、暫し待つ。

 すると杯が毒と反応して、黒ずむ。毒だ、それも基本的で一般的な毒の類いである。


「解毒薬は準備してある。すぐに飲め」

「駄目だ……」


 クロードの顔色は注視すれば分かるぐらいには悪い。これは遅効性の毒だ。じわじわと体を苦しめ、やがて血反吐を吐きながら死ぬような、暗殺の毒。

 

「無理矢理にでも飲ませるぞ、安心しろ。拷問も尋問もしない。事情はよく分かる……」

 指を口に突っ込み、もう片方の手で解毒のポーションを飲ませる。

 おそらくクロードは俺を危険視した兄たちの手先になったのだろう。俺とクロードの関係性を知るということは第一王子あたりが怪しい。


「──っ! やっぱ、無理か……お前の暗殺なんて……剣じゃ敵わねぇし、外には滅多に出ねぇし、どだい無理な話か」

「そんなに焦って毒を勧めても、飲みはしないさ。俺は腐っても王族だ。毒殺も暗殺も覚えがある……」

「そう、か……」

「誰に頼まれた。金か? それとも脅されているのか?」


 クロードは何度か咳き込んでから、麻袋から箱を取り出した。

 黒のベルベットが張られ、金糸が刺繍された見事な箱は手のひらに乗るくらいの大きさだった。


「すまねぇ、ベルナと親父と……お袋が攫われてて、お前と会えって言われて……俺はどうしたら良いか分かんなくて、すまん……」

「探索隊を出す。どこに居るんだ? 俺が出向いても良い」

「いや……違うんだ……やっぱさぁ、王族って凄えな」


 目を細めて、クロードは乾いた笑い声を出した。

 自嘲のような不気味な笑い声が部屋に響き、涙が双眸から溢れる。

 黒い箱はどこか薄気味悪く、中に何が入っているか、想像もしたくない。


「見てくれよ……これ……」

 心臓が高鳴り、喉が渇く。


「最初はさ、親指が送られてきたんだ……」

 開けられた黒箱には、指が詰まっていた。

 一番上には指輪が嵌められた細い指。もしかしなくても、左手の薬指。


「探したよ俺! だけど、なんの、なんの知らせも来ねぇんだ! 金なら払うのに……けどさ、毎日指が三本ずつ送られてくるだけなんだよ!」

「クロード、すまない……」

「薬指と一緒に……手紙が来て、アンリと会えって……時間を引き延ばせって、陛下が……」

「待て、父王が攫ったのかっ⁉」


 それに会えとは? なぜ、殺せと命令しない。

 俺が邪魔になったのではないのか? それならば防ぐ手段はある。

 だが会えとは、何かを伝えるのに、ここまでの所業をしでかしたと言うのか。


「親父と十年ぶりに喋ってさ……俺が漁師を継ぐって言ったら、バカみてぇに喜んでくれてさ……お袋もガラにもなく泣いて……結婚式だって……喜んでくれて……」

「条件があるだろ! 俺に何をさせたいんだ! 俺はなんだってする!」

「もう……いいんだ、交渉じゃねえんだ。すまん……本当にすまん……俺はお前より、お前の大切なものより、何より……ベルナたちが大切なんだ……」


 雲間から日がのぞいたのだろうか、部屋に差し込む光が強くなる。

 だが、クロードの後ろにある影がピクリとも動かない。あれは自然のものではない。

 影の操作──たしか何代か前のアルファルドが有していた能力。


「クロード、退けッ!」

 魔剣を抜き、退こうとしないクロードを蹴り倒し、影に深く突き刺す。

 肉を食い破る感覚──影の向こうで悲鳴が聞こえ、血が滲んだ。


「楽に死ねると思うなよッ! 引きずり出し、拷問にかけ、全てを吐かせてやる。出てこいッ!」

 手を差し入れ、影の中から男を引きずり出す。

 肩口を鮮血で濡らす男の腹部を殴り、意識を奪い。壁に叩きつける。


「我が父の恨みを思い知れッ!」

 背後で声がした。若い女の声。聞いたことのない、知らない声。

 

「な、……」

 背中が熱い。手で触れると、血でべとりと濡れていた。

 二人居た。暗殺者は二人居たのか、影に隠れていたのだ。


「動けぬだろう。陛下から賜った遺物アーティファクトの味はどうだ?」

「お前は……?」


 視界が一瞬、黒で染まり、気がつけば頬が木床に当たっていた。

 声がどこか遠く聞こえる。体の自由が奪われているのか、指一本すら、動こうとしてくれない。


「ハルラハラの霊薬と聞けば、分かるだろう」

「被害者の子か……そうか……報いか……」

「何をほざく、思い違いをするなッ! お前が無慈悲に殺した男が居ただろう、それは我が父だッ!」

「あの……男の……」


 指輪で念話を飛ばそうとするが──反応しない。

 俺の気力が尽きているのか? だが、そんな訳がない──。


「共鳴する指輪と言うらしいな。無駄だ、宙を飛ぶ声を落とす術も陛下から聞いている。お前の努力は無駄だ、備えは無駄だ、全てが……人生すら無駄だと、思い知らせてやる」

「俺に復讐するのはいい……だが、クロードの家族は返せ。お前の父は矜持があった……決して人に苦痛を与えるのは善しとしなかった……」

「私の中の父は、私の中にしか居ない。お前がそうしたのだ、お前が奪ったのだ。知らぬ、お前の心など知らぬ。それに私は陛下から、お前を殺すのを禁じられている」

「では、何をしに来た!」

「お前から奪いに来た。命一つ分をな」


 俺以外の誰かを狙っているのか? 誰を、何故?


「アロウ・フォン・フォレスティエ、お前以外のフォレスティエを滅することにより、我が復讐は成就し、父を悼む鎮魂の鐘が鳴らされるのだ」

「祖父上が殺せるものか! あの人は……俺より、強い……」

「陛下が来られている! あの御方なら、我が願いを……あの神の如き御方ならば……必ずや死神を殺し、我が魂をも慰めてくださるだろう!」

「やめろ、やめてくれ……」

「では、父を生き返らせろ! そうすれば許す!」

「それは……もう……」


 人は死ねば終わりなのだ。

 殺せば、殺されれば、もう終わりだ、輪廻に還るのみだ。


「一つ教えてやる。老い先短い命一つでは……我が父の魂とは釣り合わぬ。良くて半分と言った所だろう……天秤に乗せても傾くではないか? これでは足りぬだろうな……」

「何が、言いたい……」

「アリシア」

「何が言いたい! さっさと言え、この愚図がッ‼」

「半魂の龍姫、おや……出来損ないのアリシアとならば……老人と足してやっと一つ。算学を父から学んでいてよかったよ。間違えなくて済んだ」


 手が動かない。

 涙が溢れ、歯ぎしりをしても……足も体も、何一つ自由にはならない。


「お前の全ては無駄だ」

 女が朱烏の卵を持ち上げ、地面に叩きつける。

 割れた中身が地面を伝い、頬に触れた。

 

「私が全てを否定してやる」

 どこか遠くで──悲鳴が聞こえた。

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