第163話 因果応報 序

 ファルコはとても楽しそうだった。

 ありとあらゆる迂遠な言葉を用い、思わず共感を覚えてしまうようなねじ曲がった性根を発揮し、シリウスを責め立てるのだ。

 それは狼の発情期を元にしていたり、古典文学からの引用であったり──理路整然と語られる言葉の羅列は、さながら一遍の詩のようであり、同時に戯言でもあった。

 

「で、いつ改宗するんだ、狼野郎? どうだ、洗礼の手順を教えてやるから跪け」

「貴様……やはりあの時、殺っておくべきだったか……」

「おやおや、怖い怖い。親の顔が見てみたいものだ」


 真っ赤な顔で俯く、我が副騎士団長の前で、俺の仲間たちがじゃれ合っている。

 あれが俺の一番の臣下と、諜報部隊の長だと、もし誰かに言っても信じてもらえないだろう。


「その中に──私が入る余地はありませんか、とな……」

 渾身のファルコの声真似が炸裂し、シリウスの額に青筋が走った。


「シュペヒト、こっち来てくれ」

 のこのことやって来たシュペヒトをこちらに引きずり込む。

 

「盛り上がって参りましたね~」

「悪趣味に過ぎる、お前らは。止めてこい」

「隊長がはしゃぐのは五年に一度くらいですから、網膜に刻み込んでおきたいですね~」

「シリウスが女を口説くのは百年に一度だ」

「へ~、そうなんですか~」


 駄目だ、話にならん。

 教皇を呼んで場を収めさせるのも妙手だが、こんなバカな場に呼んでいいものか。


「シュペヒトさん、お体の様子はどうですか?」

 リリアンヌがシュペヒトの腹を見ながら、心配気な声を出した。

 

「あ、ぜんぜん良いですよ~」

「つわりが酷くなってくる頃です。何かありましたら呼んでくださいね」

「我々は苦痛が友達ですので、それくらい平気ですよ~」

「……駄目ですよ」

「はーい。分かりました~」


 つわり──妊娠?

 腹の膨らみはなし。となると妊娠初期、つわりとは何日目から出るものだろうか?

 と言うか相手は誰だ。


「……気になりますか~?」

 気にならない訳がない。

 だが彼女は任務で妊娠することもあるだろう。それを否と唱える権利は誰にもなく、産まれてくる子に罪などあろうはずもない。


「ちょっと私、使い物にならなくなるので、しばらく市井に紛れようかと~」

「それは良いんだが、アーンウィルで過ごしてはどうだ?」

「いえいえ、王都に潜るなら妊婦の方が都合が良いんです、腹を大きくした間者なんて珍しいでしょうし~?」

「だがなあ……ファルコと相談したのか」


 俺の言葉にシュペヒトは俯いてしまった。

 言ってから気づくが、想い人にそんなことを言える訳がない。己の浅慮を恥じようとも、吐いた言葉は取り消せないものだ。


「もしかして……お腹の子は?」

 お腹を愛おしそうに撫でるシュペヒトに、投げかけられる疑問の声。

 ひとり育てるつもりの彼女の顔は幸福を噛みしめるようであり、全てを諦めた母の顔でもある。何度も何度も、子供の頃に見た、あの人の顔と同じだ。


「これは任務で孕んだ子ですねー」

「ファルコなのか?」

「違いますー」

「そうか。分かった」


 確信した。理屈ではない──心でそうだとはっきりと分かった。

 窓から中の様子を窺うと、言い合う二人の男。そのうちの一人をじっと見据える。

 ここで引けば俺は生涯の心残りを残すことになるだろう。


「邪魔するぞ。ファルコ、話がある」

 ドアを開ける。俺を見る6つの目には驚愕の色が浮かんでいた。


「む、はしゃぎすぎたかな。盟友……俺を諌めに来たか?」

「この、カス盟友野郎」

「おいおい、怒り過ぎだぞ。なあに、只の遊びじゃないか」

「遊びだと? 俺の前で二度と言ってくれるなよ……おい、シュペヒトが子を孕んだんだが、言うべきことがあるだろうが」


 シュペヒトが俺のシャツを引っ張り「良いんです」と小声で囁いている。

 寿ぎであれ、労いであれ、ファルコは答えなければいけない。応えねばならない。

 三歩の距離を挟んで相対する彼は妊娠の知らせを聞き、刹那、顔を歪ませた。


「そうか」

「そうかだと……この、うんこが。身に覚えはないか……」

「おい、見損なってくれるな。それに……あいつは子供の頃に受けた拷問で子宮を失っているんだが?」

「…………ん?」


 振り返り、シュペヒトを見る。

 彼女は「シーラ様に治して貰いました~」となんでもない様子で俺に教えてくれた。

 そうだ、うちのポーションならそれくらいの治療は出来る。


「ふむ……ヒュームには発情期があったのですね」

 シリウスが悪鬼のように口元を歪ませ、ファルコに嫌味を飛ばした。


「まて! 身に覚えがないんだ! それに……俺は童貞だぞっ! 童貞なんだがっ!」

 乾坤一擲の童貞宣言は何とも見苦しかった。

 神に仕えるファルコだ。貞節に務め、清貧に励むことは美徳でもある。

 だが童貞の有無はどうでもいい。そんなの、聞きたくもなかった。


「…………そう言えば、一度だけ酒酔いの顔で俺に報告しに来た日があったな。五十日ほど前だったか」

「俺を疑うか……だが、宣言させてもらおう。俺は潔白であると」

「ファルコ日誌を見せろ。毎日つけているだろう」

「勝手に日誌に名前をつけるな」


 ファルコは日誌を取り出し、ペラペラとページを捲っていく。

 目当てのページを開き「不味い」という顔を見せ、閉じた。


「よこせ」

「おい、やめろ!」

「シリウス、抑えろ」

「御意。抵抗するものではありませんよ、この童貞が」


 抵抗しようとしたファルコだが、膂力ならばシリウスが遥かに上回る。

 関節を必要以上に極められ、腕を捻じりあげられながら、ファルコは地に伏した。

 俺は日誌を拾い、目当てのページを開き、読み上げる。


「──ファルコ日誌 2498項。今日の活動報告はなし。休日とす」

 報告内容も、結果も、調査対象も全てが空欄。だが所感欄だけは別だ。


「上質なワインが手に入ったと隊員が訪ねてきた。断ろうかと思ったが、涙目で見てくるので仕方がないので一杯だけ付き合うことにする。今はまさに所感欄を書いている段なのだが、隊員が覗き込み、盗み取ろうとするのがうっとうしい。また減給処分を検討せねばならんだろう」

 むぐむぐと抵抗する声が聞こえてくるので視線を足元に移せば、ファルコが口に汚い布を突っ込まれていた。せめて綺麗なのを入れてあげるべきだろうに。


「なんて芳醇な香りだろうか。ブドウの雑味が全く無い、この丁寧に醸造されたであろうワインは……遊玄な自然の営みを感じさせてくれるではないか。だが木杯に無造作に注がれた二杯目は味が少し違った。薬だろうか──解毒薬を一錠飲む。この女は俺を殺して成り上がろうとしているのか? だが甘い、ワインに毒を混ぜるなどは策として下の極み。鍛えられた舌と鼻の前では児戯に等しい」

 文字が後半になるにつれてヨレヨレになっていた。

 酔いながら日誌を書いていたのだろう。器用な男だ。


「うまい。だがこの酩酊感は異常だ。シュペヒトが凄く綺麗に見える。妖艶だ、俺は何故こんなにも美しい女性と酒を酌み交わしているのだろうか? 違う、それは堕落だ、俺は、俺だけは堕落してはいけない。人殺しの俺が、人を見てはいけない──」

 そこから先はファルコの少年期の思い出がよれた字で書いてあった。

 子爵家の庶子として産まれたこと。兄と姉に虐待を受けた日々、母が首を吊って死んだ日。馬房のワラに落ちた人糞を掃除しろ、と父に言われ、殺害を決意し、実行したこと。


 つい目に入ってしまったが、ここだけは読み上げないでおこう。いや……見るだけでも罪深いが……もう読んでしまったし、許して欲しい。


 しかしおかしい点がある。なぜファルコほどの男がワイン如きに酔うのか?

 雰囲気に呑まれたのか、だが歴戦の暗殺者が……何故だろうか?

 

「シュペヒト……もしかして、媚薬を盛ったのか?」

「違いますー。古代製の媚薬なんて盛ってませんー」


 なんて女だ……。酷すぎる……。

 だが手を出したのは事実だ。日誌の最後はミミズの死体のようで、判読は不可能。

 ここら辺りで正気を無くしたのだろう……何とも、酷い顛末だった。


「団長は酷い人です、私はこっそりと育てるつもりだったのに~」

「そうじゃないだろ。二年くらいは仕事を休めばいい」

「駄目です、今は熟練の諜報員が足りないので、私は絶対に王都に行きますよ~」

「妊婦が一人で王都にいるのは不自然だ。夫役が必要だろう」


 ファルコの口から汚い布を引きずり出す。

 観念した顔で己の不明を恥じる彼は、俺が何を言いたいかを分かってくれているようだ。


「ファルコは旅商人の若旦那。妻が妊娠したので、王都で小さな問屋を営む……とかはどうだ?」

「……両替商の奉公人とする。既に潜ませている間者がその職をやっているからな。今は王都の情勢は複雑怪奇だと聞いているから……新規の商売は怪しまれるだろう」

「そうか、それで結婚式はいつにする?」

「暗殺者が大っぴらにしてたまるか。俺は只でさえ顔が割れているのだ。そろそろと整形し、名前を変えて王都に潜る」


 シリウスに拘束を解かれたファルコが、服についたホコリを払う。


「ファルコとしての人生は終わりだ。実は今日は……今生の別れを告げに来たのだ。だいぶ番狂わせがあったがな」

「貴方の下半身が起こした問題のせいです」

「言ってくれるな、おい、狼野郎……教皇猊下には話を通してある」


 ファルコとシリウスが相対する。

 誇り高き獣人がこくりと頷き、話の先を促した。


「貴様がどうするにせよ、後顧の憂いはない。クリスタ殿の気持ちは知らぬが、破談にするにしても一度は報告に向かえ。絶対に了承を返してくれる」

「…………」

「お前は最初から最後まで、つまらん男だった。くだらん価値観で他人を縛り、余った縄に己が絡まる様は無様ですらあったよ」

「私は貴方のことが一目見たときから嫌いでした。陰気で……拗ねた瞳をしていて、人を容易く殺す血濡れた手を……誇りとすら、戒めとすら思うその心が、許せなかった」

「そうか、これからはお前の顔を見なくていいと思うと、愉快であるよ」

「初めて気が合いました」


 二人が押し殺すような笑い声を上げた。

 話に聞いたことがある。異端審問部隊の隊長は交代制であると。秘匿が秘匿であるがために、素性すらカードのように入れ替えていくのだ。


「いつか、全部落ち着いたら、二人で会いに来てくれ」

「盟友、それは難しいな。明日すら見えぬ世なのだ。今の王都は酷い惨状で、重税にあえぐ民の怨嗟は俺のところまで伝わってくる。約束は出来ん」


 ファルコという男はこれで見納めとなるのか。

 そう思うと、寂しいし、もっと話したいと思う。


「教皇猊下に挨拶を済ませ、明日には発つ。いいな」

「そうか」

「子供が生まれたら、もし男児であったなら……盟友の名を借りてもいいか?」

「好きにしろ。俺の名は、俺の誇りだ。友にこそ使って欲しい」

「ならば早めに全てを終わらせるか。アンリなどと云う名を王都で使おうものなら、俺たちが疑われてしまうからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る