第157話 裏切り
魔導砲のメチャクチャな威力を体感して、ふと思う。
俺の領地より西方に〝神域の大溝〟と呼ばれる大峡谷があるのだが、あれは古代の戦争跡だったのでは無かろうか。
峡谷がなぜ出来たか? これを数多の学者が頭を悩ませ、出した結論が「神様が作った!」なのだから……学者はやはり頭が良い。偉い。
「限界か」
防ぎ切るとヒビだらけの大盾は勝手に崩れ落ち、赤混じりの光となって消え去る。
揺れる足場。
《うぉーいアンリぃー。もう四日経ったぞ。生きておるかいの?》
念話だ。この声はオーケンさんのもの。
《生きてます。こちらでは数時間しか経ってないですよ》
《時間の流れが違うからの》
《時間の流れが違うのに、普通に話せるんですか?》
《出力と入力を弄っておる。そうでなければ儂がめっちゃ早口でしゃべる老人になってまうからの。調整もくっそ面倒じゃよ。はよ帰ってこい》
《多分もう終わりです。研究所は目の前ですからね。それとオーケンさんはラビルス様とルーベル様、どちらが信用できると思いますか》
《ちょい待った! なんじゃいサレハ……儂は今大事な要件でな……ん? 『いつもの兄様の声ではない』じゃと……いや、儂は同じだと思うんじゃが……ええいこりゃ、指輪に触れるでない!》
念話を増幅して周りの者にも聞かせていたのか。
念話に乗せる声はある程度変えられる。男らしい声を意識していたのだが、やはり分かる者には分かるもの。
《ルーベル様とラビルス様はずっと喧嘩していますよ》
《じゃろうの。事の起こりはラビルスが大切に飼っていた犬にバターと蜂蜜を……いや、この話はよしておこうかいの》
《…………どちらを信用するべきか。まだ悩んでいるんです。多分、二人共に事情があって、意地を張り合っている》
《そんなの放っとけい。妹さんにはお前さんしかおらんのじゃのぞ。あの子はお前さんが居ないときは一人で空を見ておる。騎士も獣人も、心の奥底であの子を恐れておる。生物としての格が違うのを、強いからこそ気づいておるんじゃ》
《……分かりました。心を決めます》
《まったく迷ってばかりの張り切り若者が。お前さんは為政者失格じゃの》
《申し訳ない》
《けど……そういう所は嫌いではないぞ》
念話が切れる。
なる程……突き放してからのグッと来る優しい言葉。これは中々に心に染み入る。オーケンさんは人たらしの才能があるかもしれない。
研究所は目の前で、騎士妖精たちの数もまばら。
相手の最大戦力は沈黙を続けており、俺達の無策な突撃はもうすぐに終わる。戦車の脚は石畳を剥がしつつ進み、止まることはない。
目を瞑って深呼吸をする。一度が終わり、二度目。繰り返す。
四度目、目を開けると、目の前に研究所があった。
「突入するか」
魔剣に手を掛けると、戦車の一脚が高く挙げられる。
そのままに観察していると、研究所の四階から一階部分にかけて、縦に切り裂くようにして振り落とされた。
轟音と飛び散る瓦礫。研究所の二階部分からラビルスがあんぐりと口を開けてこちらを見ていた。
「なにすんのよバカ! 壊れたじゃないバカ! バッ────カッ‼」
すごく怒っている。
「よし征くぞ君。ラビルスをふんじばって……その後は大人の時間だ。私に全部任せておいてくれたまへ!」
「分かりましたルーベル様!」
「おっ、察しが良くなったね。ラビルスの次は君を愛してあげよう。むはははは」
戦車の躯体から研究所に飛び移る。こちらは三人と竜が一体。小国すら滅ぼせる軍事力があるのだ。対する少女は不安だろう。
研究者が着る清潔な白衣。跳ねた髪から聡明そうな額が覗いている。よく見れば獣人らしく垂れた兎耳があった。触りたいが……激怒されるだろうから止めておく。
「な、なによバカ共。ていうか誰よあんたっ!」
「アンリと申します。ラビルス様。こちらは妹のアリシア」
「私はア・ルーベル。こちらは白竜のハク」
「知ってるわよ! しね!」
「いいね、汚い言葉だ。ベッドの上でも同じ言葉を吐けるかなあ?」
「ひぃっ…………」
ルーベルが汚い粘着質な笑顔でラビルスににじり寄る。後ろを見やればハクは両手で目を覆っていた。
「血刃……」
細く強く、想像するは鉄糸。血の糸を練り上げてだらんと地に垂らす。
「そこの不審者を捕らえろ」
伏せていた五本の血の糸がルーベルに絡みつく。肉を裂かないように意識し、だが決して逃さないように。
「おいおいおいおいおいおいおい、君はうっかりさんだね。間違えているよ?」
「すみません」
「…………なんでぇ?」
雨に濡れた子犬みたいな顔だった。後ろのハクが冷気を口から漏れさせながら、鋭い目つきで睨んでくる。
「裏切ったな定命の者。その愚かさ、許しがたし」
「けどなハク。ルーベル様はひどいことをしようとしている。止めないのは不忠では無いだろうか?」
「うーん?」
「あと外にいっぱい張り紙があったよな。抗議文とかの」
「うん」
「けど〝張り紙をするべからず〟って張り紙があったぞ。これって矛盾してないか? ハクはとても賢い竜だから、これの答えも分かるんじゃないかな?」
「む……目的と手段の正当化、ルールの策定者ならゆるされる……けど、ルールを守るものだからルールを破ることが許容されるのか……むむん……うーん……」
ハクがうんうんと唸りながら熟考に入った。
竜の鼻先を撫でる。そして目当ての少女の前に立つと、足元のルーベルは芋虫のように蠢いていた。
「ラビルス様。実は俺、男なんです。そこの人にポーションを飲まされてまして」
「その女はそういう事する」
「俺は非常に貴重な検体です。力を得て魂が変質した後のルド・アルファの息子でして、母はあなた方が言う所の新人類です」
「めっちゃ興味深い。して本題を言って見なさいよ」
「魂について、教えて頂きたい。貴方様の叡智でどうか妹を助けて欲しいのです」
この古代人二人は仲が悪いだろうが、決してその仲は決裂していない。オーケンさんの話を以前に聞いたが、互いに高め合う好敵手のような関係だったらしい。
敵対すら子犬のじゃれ合い。ただ遊んでいるだけだ。
この人はルーベルを殺しはしないだろう。裏切ったのは多少心が痛むが……必要な犠牲なのだ。そう思おう。俺は悪党なのだから。
「魂は移り巡るもの。輪の中で共有される資源なの。この世の中で唯一エントロピーを無視している」
「エン……とろ?」
「決して欠けないもの。なにも消費せずに増えて、けれど総数は変わらない。何人かの研究者が輪廻の輪に到達しようとしたけど、知らん内に消えてたわ。怖いわねえ」
「俺は無学なので、難しいのは辛いです」
「はいはい。ちょっと話しましょうか。付いてきて」
足元のルーベルを肩に担いで、ラビルスの後ろに続く。この階は書庫らしく机と本だらけだ。
「あ、卵」
アリシアが本の山の間から、一抱えはある卵を取り出す。夕日のように朱いそれは、卵にしては硬質そうなザラザラとした表面をしていた。
「人のものは勝手に触っちゃ駄目だ」
「別にいいわよ。その子……試したけど孵らないし。もう死んでるわよ」
「すみません。アリシア、戻しなさい」
卵を撫でるアリシアは寂しそうな顔をしてから、嫌だと首を横に振る。
腹で温めるようにして、両手で優しく卵を抱きしめていた。
「お腹空いているのかしら……?」
「君は鈍感だね……昔から……」
「知らねえわ。捕虜は黙ってなさいよ」
意固地になるアリシアは決して卵を戻そうとはしない。皆で説得していると涙目になってしまったので、ラビルスに何度も頭を下げて譲り受けさせてもらった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます