第152話 二人の騎士団長

 書籍化作業が一段落したので更新。第148話の続きのお話でもあります。


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 ヨワン・フォン・ボースハイト・ドラグリア第一王子は困りに困っていた。

 王家の墓を暴く。ボースハイトの隠された真実を白日の元に晒す。己の正義を全うするに当たり、目下の問題として──騎士団長としての膨大な雑務があった。


「………………どうしたものか」


 執務机にうず高く積まれた書類。カルラが汗を流しながら運んだものだ。

 職務を放り投げて王家の墓に行くなど言語道断。五千騎の常備兵の維持費は荘厳に莫大であり、少しの瑕疵でもあれば王国の財政を逼迫させる。

 それは許しがたき事。完璧であるべき第一王子としてはあり得ない選択肢だ。


(誰かに職務を割り振る……いや、私は誰にも頼んだことは無い。ここで弱みを見せれば騎士団長としての資質を問われるのでは……)


「カルラ……知り合いに信頼できる文官は居ないか?」


 白髪の少女カルラは首を横に降って否定する。半分冗談かつ本気でもあったが、カルラの交友関係のなさに落胆する。喋れないという弱みがあるので、当然ではあるのだが。


「何だ〝竜涙騎士団の部下を使ってはどうでしょうか?〟だと」


 カルラの筆談によって示されたのはあまりの正論。ヨワンは目眩がした。

 だが部下と言えど筆頭貴族の子息が殆どの竜涙騎士団。力量に信用は置けど、信頼は難しい。彼女が思っている以上に貴族社会は陰湿で複雑なのである。


「子供の浅知恵。書類を運び終わったら砂遊びでもするが良い」


 そんな言葉にカルラは俯いてしまうが、気を取り直したのか紙に『あの夜のお気持ちは叶えるべきです』と書いた。読んだヨワンは訝しげな顔をすれど、反論する言葉を持たない。


「王族は権威の象徴。貴族の棟梁たる存在。平民如きが心を推し量ろうなど無礼の極みである。もし人前で〝それ〟をしたら、私はお前を斬らねばならん。控えろ」


 カルラは切なげな顔をし、一礼してから部屋を退出する。

 ヨワンはどうしたものかと考えながら、ひとまず書類を整理することにした。



 ◆ 一方その頃 ① ◆



 ワインの匂いが辺りに蔓延している。酔いつぶれて寝ている騎士や従士はどこか幸せそうだが、聖なる任務に就く拝月騎士にはとても見えない。

 アリシアも腰にしがみついたまま不安げな顔をしている。どこの集まりなら妹が差別されることなく混ざれるだろうか。妹の体はドラゴンの性質を有している──魔物撲滅を至上命題とする騎士団絡みは避けるべきだ。


「団長、呑んでるでありますか~?」

「俺はすぐ退散するし、それに酒は苦手でな。と言うか……懇親夜会だから、紅茶とクッキーでお淑やかにするものだと思っていたが」

「女所帯なんてこんなものでありますよ」

「そんなものか」

「あっ‼」

「どうした?」


 ナスターシャが胸元をゴソゴトと探り、ブレスレットを取り出した。

 何かしらの毛で編まれていて、銀細工の引き輪が光沢を放っている。


「白亜宮で命を助けて頂いたのと、ここで馬のお世話をする仕事を貰ったお礼であります。受け取って欲しいですが……駄目でありましょうか?」

「ありがとう。ツヤツヤとした毛で編まれているが……これはなんだろう?」

「ロシナンテの尾っぽであります」

「………………」

「ずっと一緒という願いを込めております。エーリカちゃんにも上げたのです!」

「……なんて、言ってた?」

「絶句してましたでありますなぁ。何ででしょうか?」


 ナスターシャが遠い目をして、窓から見える双月を眺めている。

 俺の血肉となったロシナンテとの思いがけない邂逅。もしかして食べたことを恨めしく思っているのでは無かろうか?

 騎士エーリカに助けを求めようとしたが、酔いつぶれて意識不明になっていた。



 ◆



 書類を一山片付ければ──時刻は深夜。腹の虫が鳴いてようやくヨワンは羽根ペンから手を離した。

 同時に部屋に入ろうとする者の気配。数は四名。感じるマナの強さからして部下であろう。ノックの前にヨワンは入室の許可を出した。


「し、失礼します!」「失礼致します‼」「失礼します騎士団長」「夜分に失礼致します騎士団長殿」


 眼鏡の男、筋肉質な男、細い女、壮年の男。どれもこれも部下だ。

 命令はすれど話した記憶はなく、屯所の自室に入る許可など出してはいない。したくはないが怒鳴るべきだろう。こんな無礼を許せば後々差し支える。


「カルラ様からお仕事があると聞いて参上いたしました!」


 眼鏡の男が瞳を輝かせて言った。

 ヨワンはまた目眩がした。一瞥をくれたカルラは顔を横に向ける始末である。


「頼んでいない。く失せろ」

「も、申し訳有りません! ですが、我々も団長殿の配下でありまして、そ、その……仕事を頂戴できれば、これに勝る喜びはありません。なにとぞ御一考のほどを!」

「私はお前に〝発言していい〟と言ったか?」

「も、もうしわけ……」


 言って思い返す。この言い草は父王と同じだと。かつての賢明さを失った狂王──どこか生の感触が無い、薄ら寒い男のそれと。


「いや、言い過ぎた。騎士団を思っての発言だ。撤回しよう」

「だんちょう……」

「眼鏡の奥の瞳を輝かせるな……気色悪い」

「申し訳有りません! 瞳の輝き、止めます!」

「思っていた以上に変な男だ。キサマは」


 カルラが紙を差し出してくる。そこには〝みんな、ヨワン様の事を尊敬しています。助けになってくれます〟と書かれている。

 笑止千万──見せかけの敬意など腐るほど見てきた。唾棄すべき暗愚共。殺すべき王国の膿。そんな有象無象は王国に蔓延っている。


「処断を覚悟で申し上げます。老兵の戯言でありますが、聞いては頂けないでしょうか?」


 壮年の男が強い眼光を見せつつ、口を開いた。


「言ってみよ」

「顔色がよろしくありません。仕事量が多すぎるのです。少々の些事は我々に任せていただき、お休みになられては如何でしょうか?」

「無礼に過ぎるな。私が王であれば同じ戯言を吐けたか?」

「勿論申し上げます。老兵の務めであります」


 なんとも頑固そうな男だ。昔ここで騎士を努めたアンリの祖父とどこか似ている。

 ありがたい申し出でではある。頭の中で理屈を捻れば断る理由が次から次へと出てくる。だが──ヨワンが一番頭を悩ませているのは理屈では無く心情なのだ。


(配下にみっともなく仕事を助けてくれなどと、なぜ言えようか。私はずっと一人で、己を高めてきたのだ。なぜこのような中途半端な輩を相手に悩まなければいけない)


 ふうと嘆息を一つ零す。

 四人の部下は騎兵突撃の前のように、緊張を顔に浮かべていた。

 だがとヨワンは思い返す。己は何に負けたか。

 王宮襲撃、灰の剣士、魔剣。

 禍々しきマナの奔流の主は。ヨワンを殺さなかった。


(アレはアンリだったのだろうか。それともセヴィマールの大馬鹿者。欺瞞工作であれば他国の剣士……私達を恨むものなど、それこそ星の数と比べるようなもの)


 恥は死ぬほどに掻いた。耐え難き屈辱だが──確かにあの日から何かが変わった。

 ヨワンは自嘲する。この上に一つ恥を重ねても、何も変わらぬでは無いかと。


「六人が座れるだけの部屋はあるか?」

「勿論ございます! 準備万端、全て抜かり無く!」

「書類を運べ。徹夜で終わらせる」


 四人の部下とカルラが嬉しそうな顔をした。それはとても不思議で不可解。王子に媚びへつらうのがそんなに楽しいのだろうかと、ヨワンは内心首を傾げていた。



 ◆ 一方その頃 ② ◆



「お兄さん。クッキーをどうぞ。私が焼いたんですよ」

「ほらアリシア、シーラお姉さんにお礼をいいなさい」

「ありがと……おいしい……美味しいね、シーラお姉ちゃん」


 両手でクッキーを持って齧るアリシア。げっ歯類みたいで可愛らしい。

 前に座るシーラの頬はほんのり赤く、姉のトールが心配げにこっちを見ていた。


「鎖骨がチラ見えしていますね……お兄さん……」

「シーラ?」


 シーラが俺のシャツの襟元を見つめて言う。意味不明だった。


「はしたない……そうやって、あざとい事ばっかりして……」

「酔ってるな……酒を呑んだのか?」

「酔ってません! よって、ませんー‼」

「……酔ってる」


 瞳を蕩かせるシーラが、胸元に頭を埋めてくる。いい匂いがした。

 こちらをじっと見つめるのは教皇クラウディア。なぜか舞踏会で使うような仮面を付けている。


「すけべ王子」

「何をしているのですか……? 教皇猊下……」

「教皇違う。私は謎の仮面美少女。なので夜会に混じっても大丈夫。ねえ、このワイン美味しいわよトールさん。一口どう?」

「いただきますー。わー、美味しー!」


 なんか仲が良さげだった。

 胸元のシーラは寝息を立て始めるのだが……バルコニーで涼んでいたリリアンヌが戻ってきて、こちらを見て、ニコリと微笑んで、俺は…………。



 ◆



 徹夜明けの六人は外の空気を吸う。

 早朝──自己鍛錬に励む騎士たち。刃を潰した槍で馬上調練をしている者もいる。


「またお呼び下さい! お待ちしております!」

「今夜また来なさい」

「はい! それでは!」


 四人の部下が深く騎士の一礼をし、立ち去っていく。

 ヨワンは奇妙な充実感を覚えている。恐らくは効率的な業務遂行が己を喜ばせているのだろうと推測した。


「この調子で十日も働けば、しばらくは王都を離れられるな」


 彼らには馬車馬のように働いてもらおう。どうやら仕事が大好きなようであるので、いくら頼んでも苦にはならないだろう。

 王家の墓までの道中──護衛に四人を連れて行くのも良案だ。魔物が山のように出る地帯を通れば、育成にも繋がる。


「王墓か」


 王にのみ許された聖域。立ち入るために高名なエルフの魔術士も一人用意してある。鬼が出ようが、神が出ようが、構わない。聖剣で一刀の内に斬り伏せてくれよう。

 ヨワンは嗤う。己を。

 己が何者であるか?

 二十歳を遠に過ぎてから、そんな青臭い命題を片付ける羽目になるとはと、ヨワンはどこか愉快な気分になった。



 ◆ 一方その頃 ③ ◆



 錬金工房パルパーテ・アルケミアの地下室。

 蝋燭の淡い光が黒煉瓦の壁を照らしている。


「クリカラさん。どこまで進みましたか?」

「まだ子供ね」

「魂の定着は出来そうですか?」

「完璧な魂であれば可能かなあ。欠月の魔剣はちゃんと使えてる?」

「完璧、一人分……それが問題ですね。何人か野盗の魂で実験をしたのですが、やはり難しい」

「え……人で魂の実験をしたの? ヤバくない?」

「略奪と強姦、ゆすりタカリ殺人、悪行は何でもした野盗共です。別にいいでしょう。妻子も居ないと言っていましたから」


 ガラスの筒の中ではホムンクルスが膝を抱えながら浮かんでいる。母の羊水に浸かるような性別不明な無垢な体。魂さえ定着すれば……何とでもなる。


「あなた倫理観がおかしいわね。狂ってるわ」

「三千年前と今では倫理観も違うんです。それに助けるためなら、俺は何でもしますよ。善良な人は絶対に巻き込ませんが」

「そかー。けど私も研究者だしね。正直ワクワクしてる。やっちゃるわよー」


 机上に立つクリカラさんが、ぬいぐるみの手で拳闘の真似事をしている。


「オーケンハンマーには言わないほうがいいわよ。多分離反するから」

「そうでしょうね」

「あのね……ダンジョン内だけど……あそこっていろんな場所が取り込まれた場所なの。時間軸とか位相軸が流動的って言えば分かりやすいのかな? だから、なんか手段はあるわよ」

「ありがとうございます。俺も穏便に済ませたいんですよ」

「うん思いつめないでね。これはあくまでバックアップ。最悪の未来を最悪の手段で回避すると、人生シンドいわよ。滅んだ文明人からのちゅーこくー」

「痛み入ります。ほんと助けてもらってばかりですね俺は」

「いいってことよ。お姉さんに任せなさいな!」


 クリカラさんが胸元に飛び込んでくる。上まで運んで欲しい、というサインだ。

 ガラス筒のホムンクルスを一瞥してから、階段を一歩ずつ登った。

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