第五章
第151話 プロローグ──懇親夜会
夕餉は数時間前に終わり、そろそろベッドに潜り込みたい時間ではあるが、俺の私室には男どもが居並んでいる。
たまには男同士で話すのも良いと思い、酒に合う塩漬け肉なども取り揃えている。俺はどちらかと言うと燻製肉のほうが好みなのだが──
「そうか。アッシュがな」
「今は従士マティアスの下で読み書きと商売の基本を習っている。何とも贅沢な孤児だな」
「剣を振る仕事は控えさせてくれ」
ファルコからの報告をアリシアを膝に抱きながら頷く。
……と言うか、この場は仕事の報告会ではない。俺は皆に向き直り、本題を伝えることにした。
「えー、本日の懇親夜会は──まとまりと協調性と友情に欠けたる皆様の為にご用意させていただきました」
「主に協調性を問われるのは些か心外です」
「黙れシリウス。それと夜会最初の議題として『ファルコの新しい短剣に銘を付けよう』としたいのだが……どうだろうか?」
シリウスが立ち上がろうとするので肩を掴んで押し止める。ファルコは両目をつむり、酒を勢いよく流し込んだ。
「西方で魔人リゲルの残党が不穏な動きを見せている。蟲を腹に抱えた亜人と獣人が、自らたちを『特別な存在』だと周りに喧伝して、勢力を増しているそうだ」
「仕事の話は止めてって言ってるでしょ!」
「面倒くさい女みたいな口調は止めてくれ……シュペヒトを思い出して陰鬱な気分になる……」
何ともノリが悪い。アリシアが退屈しているではないか。
暇を持て余したアリシアが手で塩漬け肉を鷲掴みにしようとするので、ちょっと注意する。
「皆が食べるものは直接触っては駄目だ。ナイフを使って薄く切るんだ」
「うん。見ててね」
アリシアは良いナイフさばきを見せてくれる。反面、横ではサレハがセヴィ兄に冷たい視線を向けていた。正直、両者に好印象はないだろう。王宮での嫌がらせと虐めの影響は根深い。
「短剣……一対だから『
「あ、その話続いていたんですね……兄様……」
「サレハは何か案はないか?」
「過去の聖人にあやかってはどうでしょうか? ラトゥグリウス様とかルティネシア様とか」
「良いねえ。どうだファルコ」
「そもそも短剣の色は白黒では無い。それと聖人の名を冠するのは不遜だ」
そっけない返答を返される。だが……剣に銘は必要なはずだ。
「盟友の魔剣──灰なる欠月だが、俺は良い銘だと思う」
「話を逸らせようとしてないか?」
「聖典からの引用とは見上げたものだ。神々の大魔術である『欠月』と盟友の髪色から取った灰色。白でもない、黒でもないと言ったところかな」
「だけど最近は剣身が黒くなってきてな。マジでヤバいって感じがする……黒だと祖父上の長剣と色かぶりしてしまうし……」
「……そうだな?」
たまに魔剣をオーケンさんに見て貰っているが、『これ以上、人を斬るな』と凄まれてしまった。これ以上は不味いということは俺でも分かる。
どうしたものかと考えていると、口元に何かが当たる感覚がしたので目線を下に向ける。
「お兄ちゃん。食べて」
アリシアが塩漬け肉を俺の口に放り込もうとしている。
口を開けて咀嚼すると、アリシアが「にへー」と言いながら満足そうにしていた。そんな様子を観察していたのだろうか、周りの視線が集中する。
確かに──アリシアは王国一の美人だ。周りの有象無象共は俺が羨ましいのだろう。
だが思いかえせ。ここには独り身だらけ。
シリウスを見ると不本意な夜会をごまかすようにして酒を呑んでいる。少し赤ら顔をしてブツブツ言ったかと思いきや──目尻から涙が一筋流れた。周りの男たちはドン引きしているが、シリウスは構わずに続ける。
「──私は嬉しいのです。主がまともな人間になれそうで……いつも、いつも、野生動物より行動の予測が付かなくて……どんな、ろく……大人になるのかと危惧していたのですが……」
「酔って本音を言っているな」
「早く身を固めて下さい……私がお子に槍と弓を教えて差し上げますので──う、うぅううう……」
言うやシリウスは突っ伏して泣き始めた。泣き上戸だったとは意外である。
「何を言ってるんでしょうかねえシリウスさんは」
「そうだな、サレハ」
「……兄様が誰と結婚するかは──弟たる僕に絶対の決定権があるんですよ」
「お前まで酔っているのか……」
「僕はシラフです!」
「なお怖い」
「僕は兄様が幸せになってくれればそれで良いので、なんなら一生独身でもいいですよ。幸せなら……幸せ……幸せってなんでしょうか?」
サレハは思い悩み、うんうんと唸ってから革袋から一枚の銅貨を取り出す。
「物の価値はお金が示してくれます。けど心の幸せって──何を基準にして測るんでしょうか? 兄様は何を欲しておられるんですか?」
「俺は幸せだよ。アリシアが居て、サレハが居る」
「えへへ……じゃなくて、ごまかしてるぅっ!」
心配性な弟には困らせられるが、俺は果報者だろう。飢えに苦しまず、帰る所を持つ人が王国には何人居るのだろうか。
「人は金の奴隷たるや。それとも愛の奴隷たるか」
寝転んだセヴィ兄が小気味よく放屁し、俺たちの注意を集める。
「悩んでるな青春の申し子たちよ。青臭くて屁が出そうだよ僕は……」
「セヴィ兄は一家言ありそうですね」
「うん。人は何かの奴隷ってもんだよ。平民は金の奴隷、貴族は名誉の奴隷、神官は神の奴隷で──王は玉座の奴隷ってやつだねえ。鎖に繋がれていないと人は満足しない生き物なのかも」
「ふむ……」
「けどアンリは何の奴隷なのかがよく見えないんだよねえ。玉座も金も女も──復讐も、そんなに興味ないでしょ?」
「そんなことは──」
「人ってのは分かりやすいモノを求めるの。欲望なき為政者なんて恐怖の対象でしか無いぞ。猜疑に塗れた人々はこう言うだろう『うちの領主様は女も酒も嗜まない。きっと……夜な夜な人に言えない変態行為で己を慰めている』……てね」
「変態行為とは?」
「雌鶏にしか欲情しないとか、教会のステンドガラスにしか興奮しないとか……」
セヴィ兄が尻をボリボリと掻いた。そんな変態がいてたまるか。
ファルコが何かを思い出したようで、ぽんと手を打つ。
「七二八年に似たような事件があった。北方都市コルドアンにおいて、教会の鐘が深夜に鳴らされる事件があってな。二年に渡る下手人捜索の結果、鍛冶師のモヘラ氏が捕縛されたのだ」
「続きを聞きたくは無いが、どうぞ」
「悪戯目的かと思ったが、実際は恍惚のままに鐘に体を打ち付けていたとか。二年も安眠を邪魔されて怒り狂った都市民は、衛兵の静止を振り切って真冬の河にモヘラ氏を投げ込んだが──中々に野郎がしぶとくて対岸まで泳いで逃げて、そのまま逐電したと」
「ふーん。変態ってのは生命力が高いんだな」
「これは『コルドアンの鐘の奇跡』と呼ばれているそうだ。忌々しいことにな。神を穢したモヘラ氏を見つけたら、俺に一報を入れるように」
ファルコもかなり酔っている。
またアリシアが肉を切り分けて、俺の口に放り込んでくるので、全て受け止める。さながら俺は木の実を頬袋に入れすぎたリスの如し。アリシアのマナー教育の先は長い。
「ほへでふぁるほのへんのめいはほうふるんだ?」
「人語を喋れ」
「──んぅん! んで、剣の銘はどうするんだ?」
「はあ~……実は、少し考えてある……」
酔っ払いたちが手を頭上で叩いて喝采し、ファルコはしぶしぶと口を開く。
「短剣の銘は『ファザーン』とする。一対の短剣を一つの銘で名付ける。これは──俺の部下だった男の名前だ」
「そうか。良い銘だな」
「ああ。俺は俺の未熟を魂魄に刻まねばならない。いつか冥府でファザーンに逢う、その時までは」
しんみりとした雰囲気になるが──それを打ち壊すようなドアのノック音。開けて迎え入れればノックの主はフルドであった。
「アリシアちゃん! 遊びに行こー!」
「夜中だよ? どこにいくの?」
「女の人だけの『やかい』をしているの。ねえねえ、一緒にいこうよー」
「どうしよう。お兄ちゃん?」
問われるので肯定の意を示す。友というのは掛け替えのない財産だ。友情を維持するのは多大な献身を必要とすると聞き及んだこともある。
「知らない人がいる所はこわい。お兄ちゃんも付いてきて……」
「うーん。俺が行くとまずいだろう」
「アリシアを見捨てるの? なんで……? ひどい……ひどいよ、なんで……な、んで……」
なんとも重たい視線だ。俺は有象無象共に目線を向け、助けを求める。
「いいじゃーん。楽しんでこいよ」
セヴィ兄がニヤニヤとしながら指差してくる。
「明日に響かぬ程度に楽しんで下さい。武運長久をお祈りします」
「狼野郎もこう言っている。度胸試しだぞ盟友」
「僕もお供したいのですが……お母さんが夜ふかしは駄目って……」
サレハは良いとしても、他の男たちは使えない。酒気を漂わせる有象無象が揃って手を振っているではないか。
嫌な予感が死ぬほどするが──アリシアを送り届け、様子を少し見たら、俺は退散するとしよう。
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