第150話 エピローグ──生の始めに暗く

 カセヤエ──それは魂のぶつかり合い。

 カセヤエ──それは祖霊に捧げる祭典儀礼。

 カセヤエ──それには、武器も殺意も不要。


 それはまさしく──連綿と紡がれてきた純粋戦士の歴史と誇り──その結晶である。


 何より腰布だけを身に付けて取っ組み合うから、洗濯物が増えない。村の奥様方にも大変好評。非常に盛り上がる格闘トーナメントである。

 昼下がりのアーンウィルは久々の催し物で盛り上がっている。俺も領主らしく椅子に座り、ふんぞり返りつつ鑑賞している。これで女を侍らせてワインでも呑んでいれば悪徳領主の出来上がりだ。


「────ンぬぁああああァアアッッ!」

 よそから来た隊商の力自慢が、うちの領民にぶん投げられていた。

 放物線を描くムキムキがアーンウィルの空で悲鳴を上げ、領民や隊商の皆様方も大変お喜びである。銀貨がパラパラと投げ入れられる程だ。


 従士ナスターシャが居並ぶ観客の前で声を高く張り上げる。


「紳士淑女の皆様方。熾烈な一回戦は終わりを告げ、男たちは二回戦に入ろうとしております! 次の試合は十分後、喉が渇かれている方は広場前の売店でぜひお買い求めをっ!」


 中々の人だかり。領民・騎士・隊商・教皇に謁見を望む信者などが、我が領地の財政を潤すべくして売店へ向かっていく。一方、見学に来た友好氏族の人は地べたに座って、自前の酒を呑み始めていた。


 わいわい。ガヤガヤとしている。

 ここが少し前まで無人の草原だったと誰が信じられるだろうか。


「中々、盛況ねえ。そう言えば……イルキールでは獅子奮迅の働きだったとか」

 教皇クラウディアが隣でよそ行きの笑顔を見せる。


「一万人も死んでしまいました」

「けれど殿下が居なかったら死者は十万人。信徒を救ってくれてありがとう」

「俺は騎士団長ですからね。信仰の力がそうさせたのですよ」

「本当かしら。殿下は神を信じる男じゃないでしょ。そういった目をしていないわ」


 喧騒に紛れた会話。クラウディアは教皇ではなく、本来の口調で語りかけてきている。しばし雑談──イルキールでの騎士や従士の奮戦ぶりを話すと、クラウディアはたいそう嬉しそうに聞き入っていた。


「……んぅんっ! ごほん」

 呼吸を一拍置き、クラウディアがこちらを真剣な眼差しで見つめてくる。


「ねえ……ちょっと言いづらいんだけどね。聞きたい事があるの」

 もじもじとするクラウディア。一体なんだろうか。


「ハーレムって……興味ある?」

「無いです」

「こやつ、即答した……!」


 無いです──と心と口の声が完全一致。


「あのねえ、王侯貴族なら妻を複数持つものよ」

「……父と同じことをしたくない」

「それは貴方の都合。そりゃあ殿下の生まれを考えると嫌でしょうけどね。けど、血を絶やすことなく領地の正当性を保つために、殿下は子供をガンガン産ませるべきじゃないかしら」

「…………」

「だんまりは駄目。わたしも前から気が変わったの。うちのエーリカとナスターシャに話したんだけどね、殿下ならいいって言ってたわよ? 少し考えてみて」

「あの二人が? ありえないでしょう」


 あの二人には好かれることは別段していない。

 なれば俺の権力を恐れて、本意で無い選択をしたことになる。


「何なら、わたしでも良いわよ。リリィ姉を一番にして、わたしを次にすれば問題ないでしょ。それとも……殿下はちっこい女はお嫌いかしら?」

「教皇と王族の婚姻ですか。確かに今の政治バランスなら選択肢として良いかもしれません」

「ちっこい女はお嫌い? リリィ姉みたいに胸の大きい女性が好きなの?」

「重ねて問われた……。あーー、ほら二回戦が始まりますよ。跡継ぎについてはきちんと考えておきますから」


 人が戻ってくるので、二人して身分にあった顔つきに戻る。

 二回戦にはシリウスが出るようだ。銀爪氏族シルバークロウの盛大な歓声を浴びつつ、シリウスが堂々と中央まで歩み出る。

 対敵は仮面を被った男。周りの者が「謎の男が出た」と言っているが、どう見てもファルコである。ご丁寧に包帯を体に巻いて背中の烙印まで隠している。


 シリウスが額を指で抑えている。


「お前が人前に出てくるのか……?」

「……それは言うな。一度、どちらが上かハッキリさせよう」

「承知した。戦士に言葉は不要。拳を構えろ」


 二人が相対して拳闘の構えを取る。達人の足さばきを取りつつ、時に素早く、時には流水のように滑らかに動く。

 目にも留まらぬシリウスの拳を──ファルコは紙一重で避けてカウンターを入れようとする。

 だが、それすらもシリウスは片手で受け止めて、向かう力をいなしてファルコを投げる。


「やるな。狼野郎」

 空中でくるりと一回転してファルコが地面に降り立つ。


 周りは「おお~」と感嘆していた。達人同士の立ち会いは手に汗握る。観客に混じるエーリカも熱心にデッサンしている。拳闘の型を研究しているのだろうか。感心を禁じえない。

 一進一退の攻防。拳闘は観客の興奮と同調するように、さらに力強く、速くなっていく。拳と拳がぶつかり合い、投げ技の応酬は技の限りを尽くしている。


「一体どうなってしまうんだっ!」

 観客の一人が叫んだ。声の限りに。


 ──そして。ファルコが飛ぶ。大技の予感に観客の興奮は絶頂に近い。


「死ねいっ!」

 なんとファルコはシリウスの側頭部に鋭い蹴りを入れた。

 シリウスが横っ飛びに吹っ飛び、「無念」と言いながら気を失った。仮面の下で得意げにしているであろうファルコだが、申し訳無さげにナスターシャが旗をぱたぱたと振る。


「謎の男の反則負けであります。蹴りは駄目でありますよ」

「何っ! 聞いてないぞっ!」

「そりゃあ、ルールをきちんと聞いていないからでありますよ」


 落胆するファルコがとぼとぼと退場する。白目を向くシリウスは……クリスタに介抱されていた。

 何とも言えない結末に観客は絶句しているが、気を取り直すようにナスターシャが声を張り上げる。


「さあ! トーナメントが一枠減ってしまったでありますが、次の試合です! 銀細工職人のフォルカー対翠羽氏族グリーンフェザーのピーコック氏族長! 両名前へ!」


 ──そして、カセヤエは続く。


 熱気あふれる試合は続き、最終戦も近くなってきた所、木陰から小石が飛んでくる。俺の横にコツンと落ちたので、来た方を見れば──そこにはアリシアがいた。手招きをしている。


「どうしたんだアリシア?」

 カマエルを抱いたアリシアに問いかける。


「うん……あのね。ちょっと頭、いたい……かも」

「大丈夫か?」


 ──呪いの影響かと思い血の気が引く。

 アリシアの黒い翼は申し訳なさげに垂れ下がっていた。


「俺の部屋で休むといい。歩けるか?」

「……わかんない」

「俺の首に掴まって。あまり動かないように」


 アリシアを横抱きにして中央庁舎の方へ向かう。カマエルも心配そうに俺の後ろを付いてきた。




 ◆




 ベッドに横たわったアリシアに薄めた治癒ポーションを飲ませる。頭痛は体が冷えたせいだろうか、それとも寿命を蝕む呪いのせいか。


「具合はどうだ。気持ち悪いとか、何かあるか?」

「寝たら楽になったかも」


 アリシアの腹の虫がぐうと鳴る。頬を赤くして枕に顔を埋める姿は可愛らしい。


「食べ物を取ってこよう。消化に良くて……滋養のあるもの。果物とかかな」

「まって。後でいいから、部屋にいてお兄ちゃん」

「ああ、何か話したいことがあるのなら、遠慮するな」


 アリシアはベッドの上で首だけこちらに向けている。


「アリシアもダンジョンに入って強くなりたい。そしたら役に立てるかなって……思って……」

「──マナを体に取り込むのは危険だ。アリシアの体では悪影響がある」

「じゃあ……アリシアは何の役に立てるの? ここに居ていいの?」


 確かに──村において役割が無いというのは辛いのだろう。だが文字の読み書きが出来ないので書類整理も難しく、特殊な生い立ちと体のせいで人前に立つのは難しい。

 もし「何もしなくていいよ」と俺が言えばアリシアは傷つくのだろうか。こんな事すらわからない。今までろくに人と向き合ってこなかった報いだろうか。


「俺たちは家族なんだから──損得じゃない。外ですべきことは大体してきたから、明日からはしばらく一緒にいられる。そうだ、前々からアリシアに教えたいことがあったんだ」

「なに……? おべんきょう?」

「そうだ。まずは食事のマナーから。手掴みで食べるのは行儀が悪いからな。貴族式ではなく、平民のマナーを覚えような」

「うん」

「何も心配することはない。兄に全て任せておいてくれ」


 いつかアリシアにも好きな人が出来るだろう。その時、恥をかかないように──色々と憶えるのは無駄ではない。だけど、一年先になるのか、五年先を生き延びられるのか、アリシアの命のロウソクは常人より短い。


 ふと、『無貌の騎士』の顛末を思い出す。

 物語に出てくる西の魔女は何でも治せる薬を与えてくれる。

 愛は万能で呪いを解いてくれる。

 だけど、俺もアリシアも物語の主人公ではない。

 愛は何も、誰も救えはしない。

 アリシアを治す方法は一つだけしか無いのだ。


 ──その為に俺はアリシアの命を奪う。


 俺は人殺しだ。殺す人間を選ぶ権利はない。

 そうだ。俺の役割は──生まれた時から決まっていた。




 第四章 魔人編 完

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