第153話 ケミカル記念日

 ダンジョンの森地帯には巨木があり、そのウロの中には別世界が広がっている。クリカラさんが教えてくれた此処は過去のとある街。古代人がかつて住んだ場所だ。


「では確認だアリシア。まずは俺から──」

「──はぐれない。そのためにも手、繋いで」

「はいはい。それと魔物は──」

「──殺さない」

「人も駄目だぞ。もしもの時は俺が何とかするから、手を出さないこと」

「うん」


 辺りは王都のような都会の街並み。だが敷き詰められた煉瓦はズレや大きさの狂いがなく、窓に嵌るガラスも王都のものより透き通っている。

 人の気配は一切ない。誰も彼も消えてしまったのだろうか。

 試しに窓ガラスに剣先で傷を付けると、ガラスが勝手に修復されて元通りになった。生体金属が使われているのだろう。人は死に絶えても、建物だけが生きている。


「カマエルの牙が伸びたよ。そろそろお肉が食べられるかも」

「狩りはガブリールが教えれば大丈夫そうだな。そうか、そう言えばガブリールのつがいって誰なんだろうな?」

「死にかけた精霊さん。雪山でガブリールが助けた」

「なぜ知ってる……? ああ、なる程。記憶を見たのか」

「うん。精霊さんが助けてーって言って、ガブリールがいいよって言ったの」

「狼と精霊では子が成せないはずだがなぁ」

「魂を融合して、また一つに育てたの。えっちな事はしてないよ?」

「そういう事は言ってはいけない」

「どういう事?」


 アリシアが純真無垢な瞳で見上げてくる。困る……。

 お目当ての建物まで二人してしばらく歩くと、遠くから大きな何かが羽ばたいてくる音がした。振り向いて仰ぎ見れば、それは──白竜であった。


「掴まれっ!」

 アリシアがしがみついた事を確認してから、自身を盾にしたまま窓ガラスを体当たりでぶち破る。木床を三度跳ねるが、アリシアに傷は一切ない。


「アリシア、そういう事がどういう事か、知ってる」

「今は白竜が気になる。また帰ったらリリアンヌに聞いておいて──」

「お兄ちゃんのお母さんとしたでしょ?」

「…………っ、ぁ」

「親子でしていいの?」


 閃光じみた記憶の奔流。目眩と吐き気がしたが──喉の酸っぱいものを飲み込んで耐える。それに違う。アリシアは思い違いをしている。


「俺の記憶……そうか白亜宮で見たんだな。けど違うんだ。俺達の母上はそんな酷いことをしない」

「俺達の……じゃない。あの女はお兄ちゃんのお母さん」

「それも、きちんと話し合おう。けどまずは──」


 誰にも言わずに棺桶の中に持っていくつもりだったが、母の名誉を守るためだ。致し方ない。胸元にアリシアを抱いたまま、縫い付けられたように重い口を開く。


「その記憶は──俺が十歳の時だろう。母上はもう……亡くなっていたよ」

「そっか」

「嫌がらせなんだ。兄が、もう死んだ兄達だけどさ、俺に専属のメイドを与えたんだ。母にすごく似た人で……娼婦だった。俺に〝そういう事〟を体験させろって命令されていたんだ」

「女の人、肌に赤い痣がいっぱいあった」

「病気だった。治療費も払えなくて、王宮で仕事があるって聞かされて兄に連れてこられた。只それだけの事だ。母上とは関係ないよ」

「そうだったんだ。酷いことばっかしてたお兄ちゃんが死んでよかったね」

「…………そうだろうか」


 俺は彼女の名前を知らない。教えられてない。

 今更にして思うが、彼女はあえて教えなかったのではないか。俺の記憶に残らないための努力だったのかも知れない。


「白竜が向かったのが目当ての方角だ。潜みながら近づこう」

 事が起こった翌日──彼女の首だけがドアの前にあった。それが一番イヤな記憶だ。 


「皆には内緒な」

「お兄ちゃんが嫌がる事はしたくないかな」


 白竜は完全に通り過ぎた。

 窓から出て街の中心へ向かう。ル・カーナが言っていた世界の真実、俺達は魔が蹂躙跋扈する世を生きるために創られた存在。いわば新人類なのだ。

 結果には過程がある。すなわち過程とは研究──研究といえば研究所がふさわしい場所だ。そこにはアリシアの魂を治す方法があるかも知れない。


「ここがそうか」

「おっきいね」

「ああ、なんてデカさだ」


 十五階建て──煉瓦造りの研究所は広大な敷地を有している。囲う鉄柵にサビや汚れは一切なく、そこでは何と──戦争が始まっていた。 


「定命の者よ。中に入れてくださいー」

 体躯に似つかわしくない少年じみた声は白竜から出ていた。


「ハクよ、説法はやつには効かん! ホワイトスプラッシュを吐くが良い。白濁したそれを門の中に出してやれ!」

 白竜の背に立つ痴女が、弓を引き絞っている。

 タイトなスカートに体をねじ込むような黒髪ショートの彼女は「それ、防寒機能ありますか?」って感じの下着みたいな上着をわずかに着ているだけ。

 まさしく痴女である。お近づきになりたくない。


「ホワイトスプラッシュじゃない! 白竜の吐息だもん!」

 白竜が怒りながら氷の咆哮を上げる。鉄門がたちまちに凍りつき、建物の影から見ているこちらにまで寒気が届いた。


「今日も来たか! 愚物共が!」

 白衣を纏ったボサボサ髪の少女が吐息に真っ向から対応する。時さえ凍らせそうなそれを、少女はポケットに手を突っ込んだまま立ち向かう。


「効かん! 帰れ! 研究の邪魔だ!」

 当たる直前に透明な円球が彼女を守った。おそらく遺物アーティファクトの効果だ。欲しい。


「薬を寄越すのだな。されば無法はせん!」

「な~にを言うか、この腐れビッチがっ! 尻の穴を三つにしてやる!」

「なんて事を! 聞いたかハク! お前には総排出孔しかないのだから、奴は攻め手を無くした! お前が戦うんだハク!」

「ひーん!」


 建物の窓から鎧を纏った人形らしきモノが百体程出てくる。羽根の形からして妖精──恐らくは騎士妖精だ。そういったものがあると聞いている。


「あれは……もしかしてア・ルーベルか」

「誰なの? お知り合い?」

「オーケンさんから貰った古代人名簿に載っている。何々……超危険人物だから捕縛推奨、捕まえたら連れてこい……か。何という怒りの籠もったオーケンさんの筆跡。ヤバい人だな」

「もう一人は?」

「ラビ・ラビルスだろう。この新人類創造計画ルーキス・オルトゥス研究所の長だ。偏屈だけど悪人では無いらしい」


 研究所には入りたい。

 だけどあの人達とかかわり合いになりたくない。


「研究所側か変態側どちらかに味方して、中に入るか。もしくは無視して忍び込むか」

「どっちにしたいの?」

「アリシアはどちらのお姉さんが好きだ?」

「うーん……似たりよったり……」

「そうだよなあ」


 白竜の吐息で妖精騎士が凍り、少女が魔法の銃を乱射すれば白竜が痛がる──が、血は一切出ていない。幼そうだが一流の竜種だ。けっして侮れない。


「喰らうがいいっ‼」

 痴女が一度に八本の矢を番えて、撃つ。

 マナを含んだ矢は自由自在に軌道を変え、衝突の直前にそれぞれが十以上に分裂し、炸裂した。


「ケミカ────ルッ‼」

 少女が爆散した。だが黒煙の中から姿を表すその姿に一切の揺らぎなし。顔が真っ赤なのはうっかり断末魔を上げてしまったからだろう。


 それにしても戦闘力が高い……。というか、技術力が高い。扱う技量も見事だが積み上げてきた知識の層が深すぎて、俺達現代人の理解の内を容易く乗り越えられてしまう。


「ん……? アルファ、では無いな。うむ……」

 痴女がこちらを見た。なぜ気付けるのか? 怖い。


「ハクよ、約束の者が来た! これで我らの勝ちだ!」

「やたー! けど、やくそく……?」

「あそこの少年が勝利を握る鍵だ! ははは、今夜は祝勝だなこれは!」


 白衣の少女が驚き、こちらを目を丸くして見つめてくる。

 動揺は怒りに変わり、怒りは殺意に──そして殺意は手段に変わるもの。


「新手が何だってのよ! まるごと吹き飛ばしてくれるわ!」

 研究所の屋根からけたたましい音がなったと思うや、巨大な砲門がニョキっと出てくる。それは素早く首を動かして、俺達を睨んできた。


「しまったっ。そこまでするとは。おい、逃げるぞ少年少女」

「巻き込んだな! 俺達は関係ないのに! おーい、ラビ・ラビルス様! 俺達は旅の者で、一切関わりがありません!」

「少年。裏切りは許さんぞ」

「黙れビッチ」

「もっと言ってくれ」


 少女ことラビ・ラビルスは思案顔をしてから──手元の何かをポチッと押した。

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