第149話 南の大領主
アリシアは陽光の下、友だちのフルドと一緒に地べたに座っている。カマエルが腹を見せて甘えてくるので、二人で毛皮を優しく撫でた。
「かわいいねぇ」
「うん。かわいい」
フルドの獣耳がぴこぴこと揺れるので、アリシアはいたずら心が湧き、耳をちょんとつまんだ。フルドが半目で見てくるので、微笑みながら謝る。
「おや、嬢ちゃんがた。楽しそうじゃの」
昼休憩に入ったオーケンが二人に語りかける。
「オーケンさんも触る? ふかふか、もふりとして心地よいこと、この上ないよ」
「男子はそういった軟弱なことはせん。そういや、兄ちゃんがそろそろ帰ってくるそうじゃよ。良かったのう」
「うん。楽しみ」
オーケンが腰をバキバキと鳴らす。
「何でオーケンさんはふつうに建物をつくるの? 昔のすごい力でどーんとやらないの?」
「……それ聞いちゃうの。いや儂は天才じゃし、古代の技術を使うことも出来るんじゃよ」
「ほんとに?」
「疑り深い……仕方ないのう。後世を担う若いものの為、儂が教授してやろう」
意気揚々とオーケンが地べたに座り、周りの大工が「あれは、話が長くなるぞ」と笑っていた。
「まずは建築技術として生体金属が古代では主流じゃった。周りの建材や素材を取り込み、自由自在に形を作り変えられる……夢の物質じゃよ。ここの防壁とか、家にもちょっとは使っておるわな。あとゴーレムの核とか」
「ふむふむ」
「だがダンジョン在庫分しか無い。新たに作るには……魔導炉を作るなどして、時計の針を千年分は進めんとならん。それ自体は良いんじゃが、技術が発達すると使用するマナ総量が跳ね上がってのう……」
遠い目をするオーケン。アリシアにはよく分からない。
「人がマナを使用しすぎると、マナの風はより凶暴になる。魔物は強くなって数を増し、それに抵抗するために人はよりマナを使う。この繰り返しは一度世界を滅ぼしたのじゃ。だからアンリが『しろ』と言わん限り、儂は技術を乱用せん。この時代にあった普通の建築で領地を発展させとるんじゃよ」
「すごい。かしこいね」
「じゃろう! そもそも儂がなぜ、建築や冶金学を学んだかと言うとな──」
アリシアとフルドは長い話をひたすらに聞く。カマエルが飽きて寝てしまうまで、話はずっと続いた。
昼休憩が終わりに差し掛かり、オーケンは弟子に引っ張れて戻っていく。
「ちょっと散歩しようか」
フルドの言葉に誘われて、アリシアはアーンウィルの中を歩く。
(元気になったね)
アリシアは思い出す。フルドは魔人に拐われてから、夜中に一人で泣くことが多くなった。音に気づいたアリシアが一緒に寝てあげると、フルドは父の名前を呼びながら嗚咽を漏らしていた。
──それを哀れだとは、アリシアには思えない。
フルドのことは好きだ。一緒にいると楽しいし、可愛いくて優しい。だから苦しむフルドを見るのは辛い。
だけど、無くしてしまって泣けるほど大切な思い出を、アリシアは持っていない。泣くフルドを見る度に羨ましくなるのだ。
冷たい風がアリシアの頬を撫でる。灰色の髪がさらりと揺れて、体がぶるりと震えた。アリシアは兄が早く帰ってくればいいのにと思い、空を見上げる。
──兄を失えば自分は泣くのだろうか?
アリシアは早く雪が振らないかと待ち遠しくなる。一緒に雪うさぎを作った思い出が色あせてしまう前に、もう一度兄に会いたいと強く思った。
◆
ミルトゥの前でメイドが扉を開ける。自領に有る邸宅──両開きの玄関扉の向こうには執事長のアルフレートが居て、主人を認めるや恭しく礼をする。
「よくぞ戻られました。家中のものは旦那様のお帰りを首を長くしてお待ちしておりました」
アルフレートはミルトゥの外套を受け取る。
「アル、人払いをしろ。俺の部屋に戻るまでに現状を伝えろ。時間を無駄にしたくはない」
「畏まりました」
アルフレートが片手を上げてメイドや執事を退散させる。ミルトゥの半歩後ろでアルフレートは付き従いながら、領民からの陳情を何件か報告した。
「牛が病気になったとか知らねえよ。これだから無能で無学な平民は嫌いなんだ」
「治癒術士を誘致するのも手です」
「従軍できる、体力のある治癒術士なら許す」
「はい。二十名ほどなら財政にも影響は少ないかと」
「なら、それでしろ。軍備の増強をしていると悟られないようにな」
自室のドアを開けて、ミルトゥは乱暴に椅子に座る。執務机に積まれた紙束を見て、ため息を漏らしそうになった。
「イルキールはもう駄目だ。アダルブレヒトが死んだ」
「何と……」
「ヨワンとアンリも居たが……暗殺は無理だ。特にアンリはな。何だよあの諜報網はよぉ。フザケやがって」
「ではバルツァー卿とキースリング卿にお伝えします」
「ああ、動くのは控えろと伝えとけ」
自派閥に取り込んだ貴族──その親族や伝手を辿ってさらに派閥を強くする。時には当主を暗殺し、自分になびきそうな者に代替わりさせる事もあった。
王都に自分が居ないということは不利ではあるが、人の目が少ないという利点はミルトゥに動きやすさを与えた。ムダに広い領地を経営する難事が、頭を悩ませはするのだが。
コンコンとノック音がする。ミルトゥは許可したが誰も入ってこない。アルフレートが微笑み、ミルトゥが眉をひそめたのは、誰が訪問者であるからを察したからだ。
「お入り下さい。お嬢様」
アルフレートがドアを開けると、ドアノブにまだ手の届かない、五歳の少女が部屋に入ってくる。
上品な白のドレス。親譲りの金髪は少しウェーブが入っている。そんなイタズラっぽい少女はミルトゥを見上げて大きな声を上げた。
「お父様! 帰ってきたなら私のもとに馳せ参じるべきです!」
少女──リーゼロッテは少し怒っているように見える。
「死ぬほどうるせえ。俺は大人同士の話をしてるんだ。メイドに本でも読んでもらえや」
「ひどい! ひどい! 娘が可哀想だとは思わないのですか!」
「うるせぇっ! おいアルッッ! こいつには淑女の礼儀作法を叩き込めって言ってただろうがッッ!」
「そうは言われましても。お嬢様は作法を完璧に憶えております。ただ……旦那様の前で年相応になってしまうだけで……いやはや……」
膝の上に乗ろうとするリーゼロッテを見て、ミルトゥはうんざりとした気分になる。
「カリハと遊んどけ」
「まあ精霊さん。嬉しいですわ。早く出して下さいまし」
「後でな。疲れてるんだよ」
「むぅー」
リーゼロッテは頬を膨らませた。アルフレートが親子の微笑ましいやり取りを見て涙を流しており、それがミルトゥを腹立たしくさせる。
「おい。俺が国王になったら、お前は王女になるんだぞ」
「はい。お父様こそ国王──アルファルドの名に相応しいお方です。私も家名を高めるような淑女になりますわ」
「──く、くく。俺が王になったら好き放題してやろうか。まず手始めに国名を変える。そうだな……ここは『アルフレート王国』なんてどうだ?」
ミルトゥが高笑いをし、アルフレートは青ざめて主を諌める。冗談にしても不謹慎に過ぎ、誰かが聞いていないかと不安になったアルフレートは、廊下に人が居ないかを確かめるほどだ。
「後でカリハを向かわせるから、リーゼを中庭で遊ばせとけ」
「畏まりました旦那様……それと先程のような冗談なお控え下さい」
「冗談じゃねえよ」
「えっ……いえ、失礼しました」
ミルトゥはアルフレートの肩を叩く。
そう、冗談ではない。ミルトゥの本意としては──王位争いは二の次だ。本命は自分の王国を建国すること。これに尽きる。東方との戦争準備として兵を集めているのもカモフラージュに過ぎない。
(与えられた王位なんているかよ。俺は俺の力で、自らの玉座に付く)
「ほらよ」
ミルトゥは娘をむんずと掴み、アルフレートの胸に抱かせる。
「そいつをな──これ以上、俺の弱みにするんじゃねえ」
要らないことを言ったとミルトゥは後悔する。
嬉しそうにする娘を見ると──その気持はより強くなった。
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