第148話 竜涙の騎士

 木のジョッキがぶつかり合う音。安い酒を飲み干す男たち。イルキールの安酒場にて店主はテーブルを磨きながら客たちの会話に耳を傾けている。


「──いやー。凄かったなあ王族ってのは。こうっ……! 氷の城が出来たと思ったら光がバーッとなって」

「人外だろ、ありゃあ。王様は魔物とまぐわる趣味があるんじゃねえか。生まれる子供は魔物と人間の混血児だ!」

「……お前酔ってんな。衛兵に聞かれたら殺されるぞ……」

「うるせえな。俺は死んだ友の分まで呑んでんだよ。こりゃあ弔い合戦だっ!」


 痩せた男がジョッキを頭上で揺らすので、店主は意を察して同じ酒を出す。


「次の王様は誰がなるんだろな?」

「やっぱヨワンじゃねえか? 竜涙騎士団って凄いんだろ?」

「その騎士様は部下を一人も連れていなかったじゃねえか。人望が無いんじゃねえかねえ」

「ん~、てなるとミルトゥか。けどあの人……怖かったな……目が合ったんだけど、虫けらを見る目だったぞ。殺されるかと思った」

「貴族様なんだからしょうがねえよ。けどミルトゥは南方の領主だろ。あれって閑職なんじゃねえのか?」

「国境の大都市を任されてるんだし……どうなんだろ? 騎士団長と大領主ってどっちが偉いんだ?」

「分かんねえ……ていうか戦に出た王子って三人くらい居なかったっけ? 後……誰だっけな?」


 太った男と痩せた男は取り敢えず呑みつつ思案に耽る。だが安く強い酒気がいささか邪魔をしているようだった。


「あ~、オンリだっけ?」

「違うって、エンリだろ。脳みそに酒が入っちまったかね。こいつは」


 店主は空いた皿を下げつつ、物覚えの悪い客に教えてあげることにした。


「アンリ王子だよ、お客さんがた。おとぎ話に出てくる騎士団を復活させた変わり者さ」

「そうそうアンリ様だ。覚えてたぞ俺は」

「ホントですかねえ。けど……あの王子は評判いいですよ。アダルブレヒトの野郎をぶん殴った時なんて、スカッとしたね。何より他の王子と比べて怖くない。普通の青年にしか見えないのが良いって、カミさんも褒めてたよ」

「へえ~……褒めてんのかね、それ?」


 店主の後ろの席で誰かが立ち上がる音がする。振り返ってみた所、それは重厚な鎧をまとった冒険者であった。首から下げたプレートには二つの星が刻まれている。


「拝月騎士団は騎士候補である従士を広く募兵している。貴君らは入らぬのか」

「冒険者様。私らも生活がありまして。貴方は……その様子だと入られるんですか?」

「無論。聞けば殿下は戦場で兵の先頭に立ち、武勇を示したと云う。あの御方の民を想う心根は本物だろう。ゆえに、妹と共に従士として入団する事にした」


 冒険者の後ろで糸目の女性がペコリと頭を下げる。


「しかし兄よ。殿下は若く美しい女騎士を侍らせる好色王子だと聞く。何でも既に百の女を孕ませたとか……それがしは貞操の危機を感じているぞ」

「妹よ。尊き御方の血を分けていただくのは名誉だ。謹んで御心にそいなさい」

「名誉で純潔を散らしてたまるか!」


 店主は冒険者の後ろで気まずそうにしている少年を見つける。


「ぼうや。親御さんはどうしたんだい?」

「んや。親はいないよ。俺も従士にしてもらおうと思って、兄ちゃんたちに送って貰ったんだ」

「若いんだからムチャはよしときなよ。名前は? それと……見た目からして農民だな……何処の村のもんだ?」

「俺はダモット村のアッシュだよ」


 アッシュは歯を見せて破顔する。


「アンリ様の元で指輪の代金分、働きたいんだ」


 貧困にあえぐ農村の者に似つかわしくない──晴れ晴れとした笑顔に、店主は若干の好意を覚えた。




 ◆




 王宮の廊下──昏く長大な石床の上、ヨワン第一王子が足元に視線を落としつつ歩いている。

 頭に言葉が残響する。無能で怠惰な者たち。彼らがヨワンに何と言ったかを。


 ──曰く。


『騎士団の出撃は認められません。ここは王都の守りを固めのが肝要です』

『イルキールは王の直轄地ではありません。陛下に無断で兵を出せば、王族と言えど只ではすみませんぞ』

『ミルトゥ殿下に書状を出し、御返事を持って対応に当たられるべきでは?』

『民が死ぬことは遺憾ですが──ここはまず敵将と交渉に当たるべきです』


 ──全てに否とは言えない。正しくもある。


『勝手に出撃されるなど、王族としての責任感は無いのですか。この事は陛下に言上させていただく』

『なぜ供回りを付けられなかったのか』

『……先だっての王宮襲撃の名誉挽回をしたおつもりか?』


 ──何をしても、彼らは文句をつける。


 十万の民が死の危機に貧している。あの大事の前には──如何なる事も些事となるのではないか。

 第一王子として生まれ、周囲から畏怖と羨望に満ちた目を浴びて生きてきた。しかし、今のヨワンは些事を覆す力さえないのだ。負け犬と蔑む視線を跳ね除けることすら出来ない。


 人生という馬車があるとすれば、車輪が一つ欠けたまま走るような心地悪さ。ヨワンは生まれてはじめての違和感を胸に抱えたままドアを開ける。


 ホコリ一つ無い静謐な空間。

 天蓋付きのベッドと閉じられたカーテン。

 ヨワンはベッドの脇にイスを置いて、そこに座る。


「ご無沙汰しておりました、母上」

 ヨワンは小さな声で呼びかけるが、返事はない。


「ミルトゥと会いました。相変わらず傲慢で陰湿な男でしたよ。アンリまで居まして……昔と変わらず、冴えない男でした」

 聖剣を机の上に置いてヨワンは続ける。


「弟が生きていれば、何かが変わっていたのでしょうか」

 返事は無い。帰って来るはずがない事をヨワンは理解している。


「──母ならば、息子の死に涙くらい流したらどうだ。父王は息子たちを処刑したのだぞ。あれだけ必死に産んで王位を継がせようとしただろう。努力が水泡に帰して……悔しくはないのか……」

 独り言。膝を強く握るヨワンは虚ろな目を母に向ける。


「アンリの母を見習え。子のために死ぬのが親ではないのか。子を相争わせ、その様を玉座から悪趣味に眺めるのが親なのか」


 コンコンと部屋にノック音が響き、カルラが──声を失った少女が入室してくる。水を張ったタライに清潔な布。カルラはヨワンを見て深く一礼し、部屋を出ようとする。


「カルラか……母の体を拭くのだろう。それは貴様の務め、私に遠慮することはない」

「…………!」


 カルラは頷きタライをベッドサイドテーブルに置く。ヨワンにとって喋れない女は都合がいい。何を喋っても、そうそう誰かに漏れることはない。だからこの女を選んだのだ。


「ハルラハラの霊薬の製法は失われた。王家の人体研究技術は二百年後退するだろう。母よ、悔しくはないか。貴様があれほど欲した薬は今生では手に入らない」


 ヨワンは第一王妃──オティーリエに語りかける。

 オティーリエは返事の代わりに首を軽く動かした。


 ハルラハラの霊薬の副作用。優秀な子供を生み出す神の薬は、複数回飲むことで心身を喪失せしめる。オティーリエの目線は定まらず、息子の声にも虫のような反応を返すのみ。言葉が理解できないのだろう。

 王国一の美姫と謳われた美貌は失われた。

 かつての金糸が如き髪は色あせ、肌に刻まれたしわは年齢以上に深い。ベッドの上で屍同然となったオティーリエにとって、王子を生むという名誉は、人生を捧げてなお勝るものだったのかもしれない。


「私は何のために生きているのか」

 問う。母に聞いているのではない。ヨワンは自分の心に問うた。

 王の長子として振る舞い、与えられた玉座に付くべく阿るのか。異母兄弟をことごとく殺し尽くし、父王の望み通りに蠱毒を生き抜くのか。


「ふざけるな。ふざける、な」

 ヨワンは痛いぐらいに拳を握りしめる。


「私の道は誰にも邪魔させない」

 なぜ──ボースハイトの兄弟は死の螺旋から抜け出せないのか。

 王宮襲撃、イルキールの魔人、王国に大きな風が吹き抜け、ヨワンは理解した。何がしかの思惑が自分たちの運命を翻弄していると。


「まずは王家の墓を暴く。我々が何者なのかを徹底的に調べる」

 カルラが居ようとお構いなしに言葉を吐く。


 ふと、ヨワンは花瓶の花が枯れていることに気づく。カルラが不手際をしたと頭を下げてくるので、手で制する。手で花弁を摘むとヨワンの手のひらの上で砕けた。


「王宮には魔物が住む。王家の繁栄は枯れない花のよう。平民は我々をそう言うらしいな。だが……もし、枯れない花があるとしたら……それは生きていると言えるのか?」


 以前からヨワンは王家のあり方に疑問を持っている。

 これをいい機会に一歩踏むこむ事にした。


 立ち上がりヨワンは部屋にあった姿見をチラリと見る。映った顔を見て、これが己の顔なのかと一瞬驚いた。物申さぬ置物に独り言を漏らす己を自嘲し、努めて笑おうとしたが──なぜか姿見を直視出来なかった。

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