第146話 戦勝

 シリウスは頭上に広がる神秘的な光景に、一瞬息を呑んだ。


 空に光が昇っていき──都市全体が結界に覆われる。彗星か流れ星か、大地を穿つであろう天の怒りは──全て結界の上に降り注いだのだ。


「やったのですね。主」

 シリウスは気勢を取り戻して目の前の亜人を槍で貫く。

 トカゲ頭の亜人は口をパクパクとさせ、絶命した。


 硬質な金属同士がぶつかり合うが如くの反響音──星の破片は粉微塵となり、無節操に飛散して蝿を殺す。空隠しの大魔術の本体──禍々しい空に浮かぶ目が砕け散った。

 そして示し合わせたように都市民の喊声が響く。対して敵軍の士気は目に見えて落ちており、シリウスは敵が持っていた槍を拾い、投擲して敵亜人を三体串刺しにする。


 この場にはシリウスと獣人戦士が十人。

 相対する敵亜人は二百を超える。


「ぉおおお……」

 石蠍氏族ストーンスコルピオンのシャウラ氏族長が嘆息を漏らした。

 シリウスと二十歩の距離で相対するのは、石の尾を持つ亜人の勇士。焦げ茶色の肌に鋭い瞳が印象的なシャウラは、頭上で死滅していく蝿共を諦観と安堵が混じった瞳で見つめている。


「投降すれば苦痛なき死が与えられる。諦めなさいシャウラ」

「貴様は……魔人に従わぬ者か。なぜ……只人ヒュームを助ける? なぜ?」

「我が主が只人ヒュームだからだ。主命に従わずして何が戦士か」

「くっ……ひ、ひひひ……ひ、ひゃひゃ……」


 シャウラが狂ったように笑い出し、シリウスは油断なく槍を構える。


「腹の中でなあ……蟲が暴れるんだよ……寝ようとするとな、こつん、こつんって腹を叩くんだ。毎晩……毎晩……毎晩……ああっ! 頭がおかしくなりそうだよ。この蟲を取ってくれるならなあ、俺たちは何だってする。魔人に従って、何人でも殺してやるさ!」

「蟲……喰らい蟲クイーンワームか。哀れとは思うが……あなた達は巨人氏族ギガントを……力ある者を奴隷以下の扱いで酷使したのでしょう。因果が応報したと思い、諦めるといいでしょう」

「なあ、魔人は……リゲルは……死んだのかな。死んだのなら……なんで蟲がまだ暴れてんだよ。なあ、なあ?」

「…………」


 シリウスが手で獣人戦士に合図をしようとした所──敵の隊列後方に見知ったゴーレムが三体現れる。腕を振り回す度にボロ布のように亜人が宙を舞い、地面に落ちる。


(クリスタ殿か。相変わらず欲しい所に応援を寄越してくれる。もし帰れたら……礼をしなければ)


「ビビるんじゃねえッッ! ただの鉄人形だろうがッッ!」

 混乱する隊列をシャウラが大喝して押し留める。

 そしてシャウラは跳躍し、硬質な尾を脇腹横から通らせて、ゴーレムを一体貫いた。


「我々は何だっっ!」

 シリウスは敵陣の中央に突撃しつつ吠える。オリハルコンの穂先を一直線に構えており、後ろに続く獣人戦士も喊声を上げながら突撃する。


「俺たちは眷属衆ブラッドジニスだっ!」

「そうだっ! 私たちに二度目の敗北は許されない。魔人イサルパ戦の雪辱をここで果たせっ!」


 敵味方の穂先がぶつかって火花が散り、生死の一線を分かつべくして殺し合いが始まる。

 シリウスはただ進む。戦士の規範を示すべく誰よりも一歩先で、誰よりも勇敢に戦う。自身に流れる血が、祖霊の誇りがシリウスをさらに一歩前に進めさせる。


 隊列の奥深くでシリウスとシャウラが相対する。

 シャウラは死んだ亜人の槍を二本拾い、縦横無尽に振り回してくる。シリウスはそれを裂帛の気合を発しながら受け、槍が壊れんばかりの打ち合いを続けた。


 技量はシリウスが上。だが膂力は僅かにシャウラが勝る。亜人の死体が増えていく中でも二人は一騎打ちを止めることはない。


 ふと、生と死の狭間で──シリウスの脳裏に一つの情景が浮かぶ。

 王立魔導院の地下、主と認める男が初めての殺人を犯したあの時。


(あぁ……何で、こんな時に……)


 シリウスは思う。主は、アンリという男は何処まで行っても凡庸な男だと。いくら力を手にしようと、御大層な身分を纏おうとも、本質は──心が壊れかけた、優しい男でしか無いと。


 そんな男が殺人という業を犯した

 業を背負って欲しくなかった。

 汚れた手を見て、自分の価値を見失うだろうから。


 だから己はエイスを殺す役目を肩代わりしたのだ。これからもずっと仕えて、手を汚させずに……いつか主が自分の子供を胸に抱く時、綺麗な手でそれを成してほしいと思った。


「死ねッ! 獣人がァアアッッ!」

 シャウラが繰り出した尾をシリウスは紙一重で避ける。

 相対する敵の膂力はシリウスより上、だが技量においてはシリウスが勝る。


 尾の横に滑らせるようにして穂先を突き立てる。肉と内臓を穿つ感触──だが致死には浅い。シャウラは尾で槍を巻取り、シリウスは〈祖霊の猛りコール・ビースト〉により人狼へ変貌する。


 シャウラの二本の槍と尾が迫ってくる。相打ちを覚悟したシリウスだが──空を切る音と共に短刀が飛んできて、それはシャウラの右目を潰した。


「ぐぅうううっっ……!」

 シャウラがたたらを踏み右目を抑える。


 シリウスが渾身の力を振り絞り、爪でシャウラを貫こうとすると──後ろから声が聞こえてくる。あの声は知っている。低い耳触りなそれは──己が最も嫌う暗殺者の声だ。


「それは教皇猊下から下賜された短刀だっ! どうだ、見たか神の力の偉大さをっ!」

「誰が助けてくれと言った。暗殺者がっ!」

「知らん! さっさと殺せ狼野郎がぁああっっ!」

「──言われなくてもっ!」


 シリウスは左腕でシャウラを掴み──右手で心臓部を貫く。内臓が壊れたシャウラは勢いよく吐血し、目がグルンと裏回る。シリウスは腕を引き抜き、シャウラの首を爪で落としてから掴む。


「鬨の声を上げろっ! 敵将シャウラ、御首貰い受けたっ!」

 シリウスがシャウラの首を頭上高くに掲げる。

 指揮系統の崩壊により敵亜人が四散して行く。シリウスはシャウラの頭を掴んだまま味方に追撃の指示を出し、これで南部戦線は完全に掌握となった。


「ファルコ、私は──」

 シリウスは振り返ってファルコに礼を言おうとしたが、その姿はすでに無い。

 違う戦線に移動したのだろうが、礼を言わずに済んだのはシリウスにとって僥倖だった。


 シリウスが深く息を吐く。ふと目線を上げると、家々の窓から逃げ遅れた都市民が覗いてきた。只人ヒュームに対した思い入れはないが、こうして感謝の目を向けられると嬉しいものを感じる。

 ──この人たちを守るために、主は殺人者になったのだと思おう。

 そうシリウスは結論づけ、自身も戦線に参加しようとした所、はるか彼方から敵亜人の悲鳴が聞こえてくる。大きな通りに戻って確認すると、それが敵陣を粉砕しつつ進むアンリの一団だと分かった。


「何と……滅茶苦茶な……ゴーレムと一緒に都市中を走り回って……戦っていたのですか、主は」

「おおっ! シリウスか。一緒に掃討戦に参加するか?」

「……はい。しかし、ご兄弟と一緒に戦っていたのでは? 他の者はどうされたのですか?」

「ヨワン長兄が魔術を発動した瞬間に逃げてきた。あの場にいたら俺まで兄たちに殺される。それで道中で見つけた敵兵を兄上たちに擦り付けつつ、俺は敵陣をかき回しているという訳だ」


 シリウスは物申しそうになるがこらえる。

 アンリの横にいるセヴィマールはげっそりしつつ言葉を漏らした


「……疲れた。ん……城壁の上に変な人がいるぞアンリ。あいつ何なの?」

「ローブを着た不審者。服装からして魔術士ギルドの者や冒険者ではない。というか……あそこは敵陣近くだから、少なくとも味方ではないな」


 ローブの男は先程まで都市を睥睨していた目を──その残骸に向かって手を伸ばしており、残骸からは白く光る何かが湧き出している。


「あれは魂……? 大魔術の失敗を取り戻そうとしている……ということは黒幕だな」

「どうでしょうか。いささか早計かと思いますが」

「いや、あれは黒幕だ。そうで無いにしても悪党だろう。シリウス……頼んだ」


 アンリはシリウスが背負っている大弓にチラチラと目線を寄越す。


「撃てと?」

「そうそう。あっ……、いや……悪かったな。あんなに遠くだとシリウスでは難しいだろう?」

「下手に煽ろうとしないで下さい。距離にして千六百歩程度です。外すことはありえません」


 シリウスは大弓を構えて──マナを込めた渾身の矢を放つ。攻城兵器のような音を立てて矢は飛んでいき、ローブの男の胸元に深く突き刺さった。


「よし。あれで死んだかな。どう思いますセヴィ兄?」

「うーん……あっ……男が消えた……怖~、化け物じゃん!」

「何だかスッキリしないな。黒幕は魔人リゲルでは無かったのだろうか」

「分かんね。いや~、何にしても一件落着。世は事もなしって奴だねえ」

「そうですね」

「そういやさ、何で僕のことを『セヴィ兄』って呼んでんの? 気持ち悪いんですけど?」

「名前が長いから面倒くさいんですよ兄上は。父王から貰ったしょうもない名前なんですから、いっそのこと改名して下さい」


 沈黙。シリウスは少し気まずい気分になる。


「ははは、こいつ~。…………死にたいの?」

 セヴィマールは眉をしかめてからアンリの頭を軽く叩き、アンリは口角を歪めて笑っていた。


 魂だろうか──白い何かは蛇のような形になり天に昇っていく。三人とゴーレムたちはしばし眺めてから、それぞれが掃討戦に参加すべく武器を握りしめた。

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