第129話 カマエル
サレハは異母妹のアリシアをアンリの部屋まで案内する。
どこか不安げにしている妹だが、頑張って自分に危険がないことを身振り手振り、誠意を込めた言葉で説明するが難しい。王宮でろくに人と喋らなかった事を悔やむサレハは何とかアリシアを椅子に座らせて水を飲ませる。
「落ち着きましたか? 僕はサレハと言います。アンリ兄様の弟でして……ですのでアリシアさんの兄に当たります」
「うん……」
「お腹空いてます、何か持ってきましょうか?」
「……いらない。ありがとう、サレハさん」
アリシアは気落ちした様子で頷いてしまう。水差しを机に戻すサレハは次の会話をひねり出そうと苦闘する。
(な、なんて気まずいんでしょうか。ああ……遠くからセヴィマール兄上の絶叫も聞こえるから、多分兄様はこっちに来れない……)
「……サレハさんは、お兄ちゃんの……何なの?」
「えっ……? 最愛の弟にして第一の家臣だと思ってます……けど……」
「これからはアリシアが末っ子。末っ子が一番、兄から可愛がられるもの。だからサレハさんはこれから我慢してね」
「はぁ?」
思わず語気を強くして返答してしまうサレハ。同時に確信する。この妹は非常に手強いと、系統としてはリリアンヌと同じで、油断すると己から全てを奪っていく存在だと。
「男兄弟でないと分かりあえないこともありますからね」
「そんな事はない」
「……セヴィマール兄上と一緒に居たんですから、あの人と仲良くされては……?」
「セヴィマールさんも好き。けれど……お兄ちゃんはアリシアのお父さんになってくれるの」
「よく分からないです。お父さんって……」
魔術師としての才覚を強く持つサレハは不穏な感覚を覚える。これはマナの奔流、以前にダンジョンで戦ったドラゴンよりも強いマナを持つアリシアが、力強くサレハを睨んでいる。
「お母さんは、アリシアを産んでくれなかった」
「……落ち着いて」
「お父さんは、アリシアを愛してくれなかった……!」
「……」
サレハは杖を構えて魔力を体に纏わせる。決して傷つけはしないが、こうしないと死ぬかも知れないと本能が訴えかけてきたからだ。
「アリシアはずっと、ずっと我慢してきたッ!」
アリシアの怒声に混じって溢れるマナが、風となって部屋を震わせる。頑丈なガラスは振動によって割れるが、不思議とサレハまでは衝撃が来ない。
「サレハさんはジャマッ! もうアリシアは死ぬんだから、時間を奪わないでッ!」
アリシアの瞳の虹彩が赤く染まる。握られた拳を見たサレハが死すら感じ取るが、一歩も引かずにアリシアまで歩み寄る。
サレハは杖を地面に置いてアリシアの前で屈み、目線を合わせて出来るだけ優しい口調で語りかけた。アリシアの震える拳を手のひらで包み──怯えさせないように。
「アンリ兄様は優しい人ですけど、たまに恐ろしくなるくらい冷たい時があるんです」
「……そう、なの?」
「嫌いって訳じゃ無いんですよ。僕も、そうですけどボースハイト家は悪意の苗床で……みんな、少しずつ狂っていて……けど兄様はマトモな人間になろうと頑張ってて……なんて言えば良いのか……父親みたいには成りたくないっていう反骨精神もあるんでしょうけど」
「うん……」
「兄様もずっと我慢してきたから……そんな兄様だからアリシアさんの辛い気持ちも分かってくれると思います。もちろん僕も兄ですので頼ってくれると嬉しいんですけど」
「いいの? 酷いこと言ったのに……」
「もちろん。兄様も三人で力を合わせようって言ってたじゃないですか。僕もそこそこの魔術師なので三人で頑張れば何でも出来ますよ!」
サレハは手を前に出し、体内の莫大なマナを練り上げる。精神を集中してまずは空気を吸い込む炎の魔力球を一つ出し、次は紫雷を封じ込めた魔力球、放てば全てを凍りつかせる氷の魔力球を編み出した。風を体に纏わせ体をふわりと持ち上げさせ、アリシアに告げる。
「最近は現代魔術も勉強しているんですよ。古代魔術は冒険者時代に使ったので、身元が割れるからもう人前じゃ使えないんですけどね」
「おぉ、凄ーい! サレハさん凄い」
「ありがとうございます。僕の無駄に高いマナも……アリシアさんの治療に使えるかも。兄様も手段を探すでしょうから、もう死ぬなんて、時間がないなんて……悲しいことは言わないで欲しいです」
サレハは床に降り立ち、三つの魔力球を握って消滅させる。
「それは無理だよ……もう、無理……」
「アリシアさん……」
アリシアが切なげにはにかみ、サレハは次の言葉を紡げなかった。
◆
兄たちの“成れの果て”は祖父とセヴィマールが埋葬してくれることになった。
彼らの死は父王の方針が打ち出されたのと同義だ。恐らく──ヨワン、ミルトゥ、の二人を次代の王候補として見繕っている。俺とサレハとアリシア、ついでにセヴィマールは非常に危険だと言える。
もう父王にとって俺たちは用済みなのか。
ガブリールの巣穴に潜り込みつつ今後をどうしたものかと考える。王位継承を済ませても、俺自身が不穏を生み出す種として扱われるし不安は尽きない。
「入るぞ。噛まないでくれよ」
「ガウ」
肯定の吠え声を聞いてから巣穴の奥で座る。てててと小さな足音をさせながらガブリールの子供が近づいてきた。「構え、構え」と膝の上に乗って指を甘噛みしてくるのはカマエル。構ってほしそうだからカマエルと名付けた。
名前を聞いた者が微妙そうな顔をしていたのは何でだろうか。
ガブリールの美しい茶色の毛並みを受け継いだのか、カマエルは少し朱が混じった赤茶色の毛並みだ。指先でまだ幼い牙をいじくると嬉しそうに遠吠えを上げた。
「ぅオぉーーっ!」
「まだ遠吠えは下手くそだな。カマエルを借りてもいいか、ガブリール?」
「グゥオウ」
「分かった。後で返すから」
それっぽい会話をしてから中央庁舎まで帰る。道中、子どもたちがカマエルを見て嬉しそうに集まってくる。カマエルも子供のうちから人に慣れさせておくのも大事だ。
「ガぅオー!」
カマエルが興奮して口から小さな火を噴いた。どこぞの誰とも知れぬ父由来の生態だろう。前髪を少し焦がしながら中央庁舎を見上げると、小気味よくガラスが粉砕された。あれは俺の部屋……今宵は窓ガラスなしで寝ろというのか……。
「アリシアーー! サレハーーー!」
危険を感じたので階段を六段飛ばしで登り切る。ドアを勢いよく開けると驚き顔をした二人。怪我は無いようで一安心だが、兄妹喧嘩でもしたのだろうか。
「ごめんなさい。ガラス、割れちゃった」
「お転婆だなあ。まあ良いさ、オーケンさんに直してもらうようお願いしとくから」
胸の内で不満げにしているカマエル、急に走ったことを侘びてからアリシアの胸元に預ける。
「うちで産まれた初めての領民だ。どうだ、重いか?」
「うん、ずっしりしてる。可愛いねえ」
カマエルには俺の
「名前はカマエル。まだまだ子供で甘えたがりだから、アリシアも可愛がって欲しい」
「カマエル……うん、とっても……いい、名前……」
「ありがとう。俺もそう思うよ」
カマエルの毛並みをアリシアが撫でる。心地よさそうに喉を鳴らすカマエルは腹を見せてアリシアに甘えた。
「ここにはフルドやノワール、他にも友だちになってくれる子が沢山いる。もちろん俺とサレハも頼ってくれ」
「そうですよアリシアさん」
「ありがとう、お兄ちゃん、サレハさん」
サレハとアリシアは少し打ち解けたようだ。歳が近い兄妹だと言うこともあるのだろうが。
「……二人には言っておくが、戦争が始まるかも知れない。兄は今日から動き始めるが、二人はアーンウィルで大人しくしていなさい。絶対に一人にならずに、強い大人と一緒にいるように」
二人に告げると不満げな顔をされた。
アリシアがカマエルを俺に返してきたので胸に抱く。
「アリシアも戦える!」
「僕も魔術を覚えたんです!」
二人が憤怒を顕にして体にしがみついて来る。
「兄様は一人で敵陣に特攻するつもりでしょ! 絶対にさせませんからね!」
サレハが耳元で怒鳴る。何故分かったのか、だがフォレスティエ流の戦場作法において、精鋭の敵陣特攻は策として確立されているのだ。祖父上も言っていたし間違いない。
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