第130話 玉座の呪い
「これ、もそっと頑張ってくだされ」
アロウは畑用のクワを振るいながら、横で気だるげにしているセヴィマールを叱りつける。
「面倒くさいなぁ……王族がクワを持つなんて……」
セヴィマールは渋々とクワを受け取り作業を始めた。
五人の王子の成れの果てが入った樽を横目に、アロウは老体に見合わぬ力強さを見せる。遠目に見えるアーンウィルの第一防壁、外縁部には建築途中の家々が点在している。
既に出来上がっているものは
土を掘る。
ひたすらに。
(何処かで見た風景……うむ、そういえば戦場で疫病を防ぐために……)
アロウはかつての主、戦場を共に駆けたターウ王子を思い出す。
最初に出会ったの三十年以上前、場所は竜涙騎士団の屯所だった。ターウは尊い血が流れる第二王子で、自分はしがない男爵家の長男。騎士団の中でも従騎士として働くだけで重用はされていなかった。
『お前がアロウか、俺の幕下に入れ。なに、損はさせんよ』
ターウが馬上から朗らかな笑顔を見せ、アロウはその場に跪いた。
風になびく金髪が、黄金の稲穂のようだった。
『私ごときが……』
『自分を卑下するのはよせ。剣の才覚においてアロウを上回るものはおらぬと聞く。俺の傍に侍り、俺を守って欲しいのだ。心配するな。騎士団長へ話は通した』
『私は男爵家の出です』
『それが? 大切なのは血ではない』
『では、何が大事だと言われるのですか?』
『教えてやろう。まずは俺に一年仕えてみろ──』
あの時は王位継承権を四人の王子が争っていた。ターウは第二王子、文武に優れ社交もそつなくこなす才人だった。だが何よりアロウを揺り動かしたのは人としての魅力。
一年を傍で過ごすと、自分から嘆願した。「これからも、お仕えしてもよいでしょうか」と。ターウは王族にあるまじき歯を見せる破顔をし、嬉しそうにアロウの肩を叩いた。
『俺はこの国をもっと豊かにしたい。聞いたかアロウ、東の荒れ地に魔女がいるらしい。何でも問答に勝てば望む魔術を教えてくれるとか』
『そうでしたか』
『進んだ農作技術が欲しい。枯れた農地を魔術で蘇らせれば、一つの土地で小麦を連作できるのでは無いかと思ってな』
『問答に負ければ?』
『カエルにされるらしい。傑作だな』
『……必ず付いていきます』
魔女との賭けには勝った。だがあまりにも雄々しくあったターウは魔女に惚れられてしまう。その後数年は女が寄り付かない呪いを掛けられたが、本人は気にした風は無かった。
その後は、当然のごとく王位継承の派閥争いが激化した。まずは第三王子が毒殺されたが下手人はついぞ分からず。そして第四王子がダルムスク王国と内通して戦乱を引き起こそうとしたが、ターウとアロウは精鋭を率いて暗躍し、秘密裏に王子とダルムスクの一派を誅滅した。
『この国は病んでいると思わぬかアロウ?』
『はい。僭越ですが、私はターウ殿下にアルファルドの名を継いでほしく思います』
『王名か。だが長幼の序を違える事は好かん。俺は長兄をお支えしたい』
『……あの男は暗愚に過ぎます。私は──』
『それ以上は言うな。あれでも血を分けた兄だ』
第一王子がアルファルドの名を継ぐのは嫌だった。
タウト伯爵家のマティアスとはよく話した。惰弱であまりにも神贔屓が過ぎる男だが、自分よりも何倍も数字を数えるのが上手く、狭くなりがちな見識を広めてくれる男だった。
『この国を思えば、ターウ殿下が王座につくべきだ』
マティアスの言葉にアロウは同意した。
ターウの家臣団は急激に数を増やしていき、玉座に押し上げる勢いは燎原の火のようで──ターウの預かり知らぬ所で策が進むほどであった。
魔女から手に入れた魔術は素晴らしかった。王国全土に実った黄金の稲穂は、歴代で一番の収穫量となり、飢えに苦しむ農夫が居なくなる程だ。
ターウと一緒にスラムに出向いて孤児に剣を教えて兵士にした事もあったし、性病に苦しむ娼婦たちに治癒術師を定期的に送る法案を父王に認めてもらっていて、慈悲の王子だと国民からも広く慕われていた。
実りを、黄金の稲穂を見る度に、鮮やかなターウとの出会いがアロウを焦がした。
それともターウ家臣団の熱がアロウに伝播したのだろうか。王国歴七百十七年、熱い熱い夏の盛り、ターウが二十一歳となる年にアロウは第一王子を暗殺した。
外套で身を隠し、短刀で胸を貫いたのだ。
殺人に罪悪感を感じることは無い。
死ぬべき人間を殺しただけ。そう思った。
『アロウ……俺は……お前に──』
だがターウが喜ぶことは無かった。
その年、ターウは先代王から
そしてターウは王家の慣習によりアルファルドと名を改めた。
アロウは宮中伯になる誘いを断り、故郷に戻り領主の務めを果たす。こっそりと男爵から子爵に爵位が上がり、任される村も増えて暮らし向きは改善する。
人並みに恋もした。素朴だが心の芯が強い妻との間に子が生まれ、マリーと名付けた。母親譲りの性格をしていて、よく村の男の子に混じって剣遊びをしたのを憶えている。
マリーが五歳の春、ダルムスク王国と戦端が開かれた。一領主として参陣し、敵将の首を五つも取れば戦場の死神と呼ばれるようになる。だが嬉しさは無く、早く妻と娘の元に帰りたかった。
それから十年が経ち、ある日アルファルドから書状が届く。
文面は社交への誘い、マリーを連れてくるよう書かれていた。王宮で開かれた舞踏会でアルファルドはマリーを見初め、第三王妃として迎えたいと──そう言われた。
『久しいなアロウ、まさか嫌とは言うまい』
黄金の稲穂は陰りを見せ始めていた。陰鬱な顔に猜疑心が見える。ターウという男は死んだのだろうか、だが自分の娘ならアルファルドをターウに戻してくれるのではないか。そう思ったアロウは婚姻を了承する。
『これ程の名誉はありません。陛下』
アロウは敬々しく跪く。
ダルムスク戦役が王を変えたのだろうか。王主導の虐殺があったと聞く。それとも玉座の魔力が一人の友を屍に変えたのか。アロウには分からない。
領地に帰ってからも知らせは届く。
孫が産まれてアンリと名付けられたと、二子の懐妊の知らせ──だが母子ともに死んだと。葬儀への参列は許されなかった。激化する派閥争い、何度か王宮に忍び込んでアンリを助け出そうかと考えたが、領民の事を思えば出来なかった。
妻は娘と産まれてくるはずだった孫の死を聞いてベッドの上から動けなくなり、アルファルドがターウに戻ることはなく、狂王と呼ばれるようになった。
人生には後悔しかない。
王位を継がせた自分のせいか。
玉座の魔力を軽んじた報いか。
残ったものは余りにも少ない。
アロウはクワを振るう手を止め、手のひらを見る。剣しか握ったことのない男の手だ。人殺しの、薄汚れた暗殺者の手。
いつの間にか埋葬は終わっており、荒い息を吐くセヴィマールが土の上に腰を降ろしている。
「お疲れさまでした殿下」
「疲れたよホント。人使いが荒いよフォレスティエ家の男はー……」
「……ご兄弟への弔いを、このように些末に済ませて申し訳なく思います」
「ん、ああ~別にいいよ。大した思い出もない連中だし、僕を簡単に殺せる
頷くアロウ。アーンウィルの方を見れば青年が点景として見える。
近づいてくれば首に子供の狼を乗せたアンリだと分かった。
「祖父上に渡すものがある。ついでに兄上にも」
孫のアンリが指輪を渡してくる。
「これは何ですかな?」
「共鳴する指輪と言って、念話が可能になるマジックアイテムだ。貴重品で王国にも出回ってないから紛失は厳禁」
「何と……オーケン殿が作られたのですか?」
「そうそう。ダンジョン資源由来で数に限りがあるし、目ぼしい人に渡して回っているんだ。ファルコとかシリウスとか」
「女性陣に渡す時は勘違いされないように気を付けて下され」
「……はい」
アンリが少し遠い目をする。
「……ファルコに渡した時、見てた騎士の女性陣がキャーキャー言ってたんだけど……なんだろうアレは……」
「むむっ……難しいですな」
「大いなる勘違いを感じたよ俺は。なあカマエル」
アロウは目を細めてアンリを見つめる。
「きゃう」
カマエルが肯定の意を示したのだろうか、幼い声で吠える。
広大な畑を背景として立つ青年を見て、かつてのターウの面影を感じた。
「殿下にお尋ねしたいことがあります。己に流れる血よりも、爵位よりも大事なものがあるとすれば──何と答えられますか?」
「俺はその二つを大事だとは思えないがな。強いて言えば……今はサレハとアリシアが大切だ。俺は兄だから、二人を護らないと……他にも大切な人はいるが……って、この質問には何の意図が?」
「いえ、老人の戯れです。お気になさらずに」
アンリが短い祈りを墓に捧げる。
「俺は凡夫だ。王には、なれないよ」
アンリの言葉。心を見透かされたようでギョッとする。
「凡夫は凡夫なりに働かないとな。西方はシリウスとファルコに任せたから、俺は東方──王国の魔物退治でもしてくるよ。行軍路に魔物が居れば領主としての不備になる」
「お供しても宜しいでしょうか?」
アンリは快く了承する。
「もちろん。兄上も移動役として付いて来てくれるそうですから」
「……聞いてねえんだけど」
「言ってませんから……報酬は払いますよ?」
「はあ~。これだからフォレスティエ家の男は……」
こうして諦めきった人生を、孫と共に歩めるのは何の因果だろうか。
残された時間は少ない。全盛期と比べて遥かに落ちる膂力、霞む目をこする度に老いを実感せずにはいられない。しかし失敗の連続であった人生の──最後の一つだけは間違えたくない。
アロウはアンリに一礼し「最後の忠誠をアンリ殿下に捧げます」と告げ、アンリは辺境伯としてだろうか、それとも騎士団長としてか、あるいは孫として、少し微笑んで了承の意を返してくれる。
「このつまらない王位継承の争いを終わらせたい。手伝ってくれ、アロウ」
「はい、殿下」
胸の奥を焦がす感覚──かつてターウに感じたものだ。それを包みこむ温かい気持ちはマリーを抱きしめた時のもの。
命を使い果たし、役目を果たせば、あの時ターウに聞いた答えも分かるだろう。粗末な墓石に最後の祈りを捧げ、アーンウィルに向かって三人で歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます