第95話 悪魔

 悪魔は驚いていた。

 敵の襲撃の苛烈さ、人智を超えた快進撃に。


 三百年前だったか、それとも四百年前だったか、今となっては色あせた人間だった頃の記憶を反芻しても、これ程の強さを持った集団というのはそう多くない。


 アールグ帝国の神魔兵

 ウルフェ城の吸血鬼一族

 ラルトゲン王国のボースハイト一族

 ダルムスクの不死隊

 そして──拝月騎士団


 所属するものの個の強さで言えば甲乙つけ難いが、集団として見れば拝月騎士団はずば抜けいていたと悪魔は思い返す。騎士と呼ばれる者は歴戦の古強者ばかり、その中でも聖人と呼ばれる者は規格外であった。単体で千の兵に匹敵する強さ、得手はそれぞれ違えど信念を持った強き戦士であることは間違いなかった。


 しかし、拝月騎士団最大の真なる強みは『指揮系統の完璧さ』であった。普通の軍には派閥もあれば軍内での軋轢もある。ある者の命令をある男は聞き入れない、優秀な将でも貴族としての格が低ければ指揮権は弱まる。人間関係や階層社会の複雑さがそのまま軍の弱さに繋がってしまう。


 拝月騎士団にはそれが無かった。

 教義に基づいた精神性により、彼らは一つの意思で動く軍集団であれる。まさしく人類の守護者と言えただろう。


(死んだカ)


 また一人──悪魔が操る聖人の遺骸が討たれたと、脳内に無数に繋がった糸のうちの一つが切れた感触により察する。


(拝月騎士団は滅びたハズ。ボースハイトの王が手引シテ……ならば別のものカ?)


 宝物殿最奥の宝物庫、そこで悪魔は沈思する。

 周りには黄金、金貨、宝剣や色とりどりの宝石。古ぼけたスクロールやマジックアイテムが所狭しと配されている。広々とした空間であるが、悪魔が一体座っているのみだ。


 悪魔が操るは聖人の遺骸、骨に残ったマナの残滓は強く、生前の強さを殆ど再現した戦士を量産したはずなのだ。


 悪魔からすると死んだ場所も何となく分かる。山羊頭をボリボリと掻いて双眸を閉じる。そして自分の住処まで近づいて来てるな、と考えた。


 人からすると見上げるほどの巨躯で立ち上がり、傍らに置いていた竜殺しの聖槍ホーリー・ランスを引っ掴む。振るうだけで大気がビリビリと震え、マナを吸収し続けて聖槍内に莫大な力を蓄えた。


 マナを放出すれば、長大な射程と無慈悲な威力を兼ね揃えた一撃が炸裂する。かつてラトゥグリウスと云う聖人が使っていた技だ。


「これだから浮世は面白イ」


 悪魔は口を開けて笑った。

 まだ見ぬ敵がどんな技を使うか、己を殺すに足る人物であるか、考えるだけで愉快な気分になった。




 ◆




 悪魔は待ちきれずに宝物庫を飛び出した。

 そして回廊を歩く六人組を見つけて戦闘を開始する。


 初手は聖槍の一振り。

 相対する騎士エーリカは穂先を避けるべく勇敢に前に進んだ。身を屈めてミスリル剣を下から切り上げるつもりだったのだろう。


「ナスターシャ! 援護!」


 だがミスリル剣は宙を空振る。エーリカが驚愕していると槍の柄で強かに腹部を打たれた。


 衝撃、ミスリル鎧が砕け散ってエーリカは壁まで弾き飛ばされる。内臓の重大な損傷により吐血し意識が刈り取られそうになるが、痛みを堪えて〈ライトヒール軽治癒〉を自らに掛けた。


(弱すぎル。これが拝月騎士の成れの果てカ。力を抑えてやったのニ……これでハ……)


 悪魔は失望を感じつつ、止めを差すべく槍を構えると腹部に衝撃を感じた。


「エーリカちゃんから離れろ! こ、この薄汚い悪魔が!」


 小さな戦鎚でナスターシャは悪魔の腹部に渾身の一撃を入れた。だが悪魔は僅かな痛痒しか感じない。不運なことに、重症を与えることには失敗したが、苛立ちを増長させることには成功した。


「雑魚ガ……死に様で楽しませてクレ」


 悪魔はナスターシャの腹部を鷲掴みにして力を込める。バキバキと音を立てて肋骨が砕け散り悲鳴が響く。四人の騎士と従士たちは懸命に悪魔に攻撃を加えるが、悪魔は片手で防ぎつつ薄ら笑いを浮かべるだけであった。


「貴様らを生きたまま腹を裂キ、内臓を喰らってヤル。眼球をほじり出して眼窩から脳を吸ってやロウ」


 悪魔は飽きを感じる前に終わらせようと思った。ナスターシャの腹部を爪でスッと縦に裂いて、喰らいつこうとするが、ナスターシャが最後のあがきで戦鎚を頭部に振り下ろした。


 ガキンと鋭い音が鳴る。

 だが山羊頭には僅かな損傷も与えられなかった


「無駄ダ」


「へ、へへ、無駄では無いで、ありますよ」


「痴れ事を抜かすナ。貴様らは弱イ。魔術の才も無けれバ肉体の頑強サも無イ。出来ると言えば戯言を囀るダケ」


「時間は、稼いだであります。この馬鹿悪魔がぁ……お前より強い人が、きっと、お前を、倒して……」


 憤怒──悪魔が止めをすべく力を込めようとした。

 だが、叶わない。


 回廊の角から大狼ガブリールが現れる。

 猛スピードで曲がる際に発生した慣性を跳躍により逃し、壁を勢いのままに走る。背中に乗るアンリは飛び降りて悪魔の右腕を斬りつけた。


 鋼鉄すら切り裂く一撃であったが致命傷とはならない。頑強な骨に阻まれて寸断することは出来ず、アンリは悪魔を殺すことよりナスターシャの救出に専念。踵落としを損傷部に入れると悪魔は呻き声を上げてナスターシャを取り落した。


「ファルコッ! 頼んだッ!」


 〈影隠〉により完全不可視となったファルコが動き、ナスターシャとエーリカを拾って下がる。後衛のリリアンヌが治癒魔術を掛けることにより一命を取り留めた。


(強イッ! だがコレに耐えられるカ!)


 悪魔は大きくバックステップし、突然現れた乱入者から距離を取る。聖槍を構えて莫大なマナを吸収。回廊に尋常ではないマナの風が吹いた。


 放つは必殺の一撃。

 突き出した聖槍の穂先が光り輝く。五重に魔法陣が浮かび上がり、回転しつつマナを莫大な熱量に変換させる。穂先が熱に耐えようとして微振動し、回廊内を聖なる光が埋め尽くす。


「穿テッ!」


 穂先から光線が飛ぶ。

 悪魔ですら支えきれない反動が起き、槍の穂先が跳ねる。天井に当たった光線は大理石を灼き溶かしていき、はるか上の地表部にまで達した。

 悪魔は穂先をアンリに向けるべく渾身の力を込める。筋肉がミシミシと痛む音がするが、痛みより楽しさが勝っており、口元が歪んでいた。


 だが悪魔からするとアンリは予想外の反応を取った。

 ガブリールの背中に括り付けらていたセヴィマールの首根っこを掴み、光線に相対するように差し出す。


「出番です兄上ェエッ!」


「ギャアアアッッ! 止めろォオオッッ!」


 セヴィマールは自分を守るべく〈亜空穴〉を発動。頭ほどの大きさの穴が手のひらの前に空いて光線を飲み込む。〈亜空穴〉とは〈転移門〉の簡易版であるが、性質は同様に他地点に通じる穴を空けるものである。


「見てください兄上ァッ! 我々ボースハイトの男たちが、世のため、人の為に立ってますよ!」


「気狂いがァアッ! 僕は死にたくないんだぞオオッ!」


「皆そうです! だから必死に生きているんです! 兄上も身を張って覚えてください!」


「嫌だああァアッ!」


 悪魔は驚愕に支配される。

 アンリの強さ自体は過去の聖人と同格、もしくは少し劣るくらいで大したものではない。悪魔一人と一騎打ちとなれば勝利の天秤は悪魔に傾くだろう。


 だが──


(何という非道、実の兄を盾とするとハ! 倫理観に囚われない柔軟な思考と実行できる狂気! ああ、この男こそガ、我を殺す者なのデハ!)


 悪魔はアンリに惚れた。目の前の大馬鹿者になら殺されてもいいと思った。

 実のところ悪魔には想像できないほどの複雑な人間関係が渦巻いているのだが、悪魔からするとアンリは兄弟すら狡猾に利用する大悪党に見えた。


「楽しイ! 愉しイ! おい、お前の名を聞こウ!」


「アンリだッ! よくもナスターシャとエーリカちゃんを痛めつけてくれたな! ここで死ねエッ!」


 聖槍が赤熱化して光線の放出を止める。

 アンリは地を蹴って悪魔に肉薄、灰なる欠月を振り下ろし、悪魔は聖槍を横にして防ぐ。馬鹿力が激突し、それぞれが持つ神話級の武器が鋭い音を立てた。

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