第94話 愉悦倶楽部

 神官の居住区画を抜け、聖人墓所の掃討に入って三日目。大怪我をするものは居るが治癒魔術とポーションにより死傷者はまだ出ていない。宝物殿にはマナの風により変質した虫や獣、それと操られた聖人が出るが、何とかギリギリで持ちこたえている。騎士は簡単な治癒魔術が使えるのも生存力の向上に一役買っていると言えるだろう。


 そして戦果が一つ。

 キャンプ地である大ホールの石柱にふん縛られているセヴィマール第七王子だ。腹違いとは言え実の兄、縄で縛り付けのは忍びなく、俺は断腸の思いで尊敬する兄上を縛り付ける任務を周囲から勝ち取った。満足感が胸いっぱいに広がるのは何でだろう。


「くそおっ! 王族に対して非礼を働くなんて、許されると思ってるのか!」


「俺も王族なので問題ないですね。いい眺めです兄上、とても無様で」


「美しくない……美しくないぞアンリ……」


 意味不明な恨み言を言われている。

 セヴィマールは聖人墓所に突如現れた。恐らくだが、俺を暗殺しに来たのだろう。アリシアと名乗る少女と共に転移門を開いて現れ、ならず者たちを聖人墓所に解き放とうとした。

 だがクラウディアの〈ディスペル解除〉が炸裂。教皇にしか使えない最高位魔術らしく〈転移門〉はあっけなく消滅。取り残されたセヴィマールは半狂乱で〈転移門〉を再度開こうとした。


 愚かなりと言わざるをえない。空間転移術は確かに世界でもセヴィマールしか使えないと言われている反則級の技である。だが〈転移門〉は発動までに時間を要するのだ。俺は〈抜剣〉を発動、手首を切って〈血刃〉により刃を飛ばした。首と四肢を狙ったが即時発動可能な〈亜空穴〉により殆どを防いだのは敵ながら見事だと言える。


「腕が……僕の美しい腕が……」


 セヴィマールが失われた左腕を見て嘆く。

 俺の〈血刃〉はセヴィマールの左腕を奪うに至った。血と涙を流して狼狽えるセヴィマールの顎部を本気で殴りつけて意識を奪い、ここにふん縛った。

 正直、殺すつもりで斬った。シリウスの村で起こったエイスの襲撃事件、俺は二人の死者を出し、最後の始末すら人任せにしてしまった。今回は迷わずにやり遂げようとしたが、ファルコがまだ利用価値があると言ってきたのでセヴィマールを生かしている。


「皆が必死に頑張っているのに、何で兄上は邪魔するのですか。本当にイカれてますね兄上たちは」


「お前のほうがイカれてるぞアンリッ! 僕たちボースハイト家が数百年掛けて弱らせた教皇陣営に、お前は手を貸しているんだぞ!」


「何を言おうと、兄上は縛られて何も出来ませんねえ。空間転移術を使う素振りを見せたらクロスボウで撃つように厳命しています。決して無茶をなさらぬように」


「悪魔ぁッ! 人の心がないのかぁッ!」


 聞き流す。

 セヴィマールはともかく、問題はアリシアという少女だ。最初は戦おうとしていたのだが、セヴィマールが斬られると戦意喪失。指令が無いと動けないのか、無理やりセヴィマールに従わされていたのか、分からない。


 アリシアも腕を後ろ手に縛らせてもらった。年は十歳前後、灰色の髪を後ろで縛った華奢な少女。栄養と衛生状態は芳しく無く、麻の粗末な衣をまとっているのみ。無垢な瞳が印象的だが、どこか恐ろしさを感じさせる。


「初めましてアリシア。俺の名前はアンリって言うんだけどセヴィマールとはどういった関係なのかな?」


「関係……?」


「難しいか。君はどこに普段住んでいるんだい。世話になっている人の名前とか言えるかな」


「アリシアは石の部屋に住んでいます。お世話……向かいの部屋にいるオジさんに言葉を教えてもらった……」


 聞き取りを進める。

 石の部屋とは恐らく牢獄、オジさんは囚人──いや政治犯──王族に歯向かった者らしい。アリシアは政治犯が獄中出産した子供かもしれない。

 だが、この言葉が全てウソという可能性も拭えない。本当は狡猾な暗殺者で、俺や教皇の命を狙っている危険性はある。


「兄上は知ってるでしょう。この子は誰なんですか? あまりに不愉快な答えですと、兄上は右腕ともお別れしなくちゃですね」


「ヒイィッ! そ、そいつはな……あ、暗殺者だ! 僕が金で買った!」


 しどろもどろでセヴィマールが答える。ずりずりと足で地面を蹴って、俺から遠ざかろうとするが、石柱に縛られているので無駄だった。リリアンヌが首を傾げてアリシアを見つめている。


「この子……マリー様に、その、似ていると言いますか……生き写しですね。それに灰色の髪ですし、ねえアリシアさん、お母さんの名前は言えますか?」


「お母さんはいないです。お父さんも……」


「ごめんなさい。辛いことを聞いてしまって」


 リリアンヌがアリシアを優しく抱きしめる。目を丸くして驚くアリシアだが、縛られているため抵抗叶わずなすがままだ。

 マリーとアリシアが似ている。もしかするとフォレスティエ家の者かもしれない。そうであれば──フツフツと怒りが湧く。何処まで馬鹿にすれば気が済むのか。


「服が汚れていますね。ねえあなた、簡単に湯浴みさせて着替えさせてもいいでしょうか?」


「……護衛を五人付けるならいいけど」


「はーい」


 リリアンヌが騎士を連れてテントに入っていく。今さらだがリリアンヌの呼び方が『アンリ様』から『あなた』に変わっていることに気づいた。外堀から埋めるタイプの女性なのだろう。素敵だ。


「兄上、アリシアはフォレスティエ家の縁類の者ですか? 嘘を言うと耳を千切ります。後ろから引っ張ると簡単にもげるんですよ、耳って」


「ち、違うぅ!」


 前髪を掴む。サラサラとした金髪が乱れ、セヴィマールが苦痛に顔を歪める。碧眼を覗き込む──俺と同じ色だ。


「──俺が絶対に殺せない者を暗殺者に仕立て上げようとしたのか?」


 小手調べに前歯を何本か折ってやろうと拳を振り上げるが、何者かに腕を取られて叶わない。振り返るとファルコが居た。瞳を細め、俺を咎めているように。


「殿下……それはいけない」


 ファルコに止められる。

 確かに過去に王宮でセヴィマールから受けた仕打ち──誹謗中傷、暴力──それが俺の正気を奪っていた。頭の中ではもう忘れていたつもりだったが、目の前に張本人が居ると記憶が次々と蘇ってくる。ファルコはそんな私怨で動く無様を咎めてくれたのか。


「歯が折れると喋れなくなって拷問の意味がなくなる。まずは爪から攻めるべきだ」


「ファルコ……お前……」


 違った。何とも実利的な男だ。

 嗜虐的な笑みを浮かべるファルコが法衣の内側から拷問器具を取り出す。細い鉄串はもしや爪と肉の間に通すのだろうか。想像するだけで背筋に寒いものが走る。


「ファルコ、何をしているの?」


 だがクラウディアに止められる。

 こちらも咎める視線。マナと安寧の象徴たるイールヴァ・カティエルに仕える教皇は、やはり拷問を止めようとするのか。ファルコは己の不明を恥じるように項垂れ、クラウディアの言葉を待った。


「私も混ぜなさい。王族に対する恨み、思い知れ。けどあんまり痛いのは止めてね。見るのが怖いから」


「教皇猊下……お任せください。このファルコ、全身全霊をもって拷問官を務めさせていただきます」


「盛り上がってきたな」


 三人で歪んだ笑みを浮かべると、セヴィマールが小便を漏らして失神した。床を伝う穢らわしい液体を避けるべく、三人で後ろずさると、クラウディアがカラカラと笑い背を向ける。


「冗談よ。けどいい気味ね」


「教皇猊下はいい性格をしてらっしゃる」


「ふふふ、褒めても無駄よ。けどフォレスティエの小倅はどこまで本気だったのかしらねえ」


 クラウディアが自分のテントに戻っていく。ここ数日の掃討作戦で彼女も疲れているし無理もない。尿の据えた臭いに鼻を摘んでいるとファルコが俺の肩を叩く。


「さっさと起こそう。右手の爪から行くか殿下」


「拷問はまだしない。それに、この男の利用法は考えている」


 ファルコが残念そうな顔をする。拷問が好きというよりセヴィマールが嫌いなのだろう。アーンウィルを襲撃したのだって王族からの依頼だろうし、腹に据えかねる思いがあるのか。


 失禁で股間を濡らすセヴィマールを見つつ、そんな事を考えていた。この男を恨む意義は無いが利用する価値はある。

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