第91話 悪魔が手繰る糸
ガブリールが振り返って首を傾げる。鋭い牙を見せて、吠えようとしたのだろうか。だが逡巡してから前に向き直る。理由は分からないがガブリールが問題ないと判断したなら従うまでだ。
一階の階段を降りたが神官たちの居住区画はまだ続いている。罠の発見はガブリール頼みだから俺たちが先行して進むと負傷者が減る。上階では騎士たちにより掃討が進められているのだろう。
「あれは、遺体か」
ミスリルの輝き。上等な鎧を身に着けた女性の遺体。宝物殿の中は寒く、腐敗もゆっくりと進んでいる筈だ。だが鼻にまとわり付くような死臭はあたりに漂っているし、遺体の下に滲み出している黒い液体は嫌悪感を誘うのに充分だった。
顔が歪みそうになるが、死者への冒涜になるので堪えた。首元の変色が激しいのは毒だろうか。遺体が魔物に食い荒らされていないので可能性は高い。
「……」
クラウディアが遺体に駆け寄って何事かを囁く。あの女性は回収も叶わず放置されていたのか。死んだのは俺たちが来るより遥か前で、以前に宝物殿を攻略していた騎士だろう。
「よく頑張ったね、ティアナ」
クラウディアはティアナと呼ばれた遺体の頭を撫でて、死を悼む祈りを捧げた。肩を抱いて支えようとしているが、重いらしく上手く行っていない。下手なお節介は嫌がられるかもしれないがティアナの遺体を持ち上げて壁にもたれさせた。
「遺体の回収は後続に任せましょう。俺たちは──」
「分かってるわ。祈ってるだけじゃ両手が塞がるもんね。先に進みましょ」
クラウディアが切なげに、はにかむ。彼女は法衣に付いたホコリを払って通路の先を力強く睨んだ。彼女は戦う教皇なのだろう。最前線に出るのは正直どうかと思うが、俺は恐らく世界で一番咎める資格のない男である。
「ありがとう殿下」
消え入るような声量で呟かれた言葉を、俺は聞こえなかったふりをした。
◆
変質して魔物となった蜘蛛や蛇を討伐して進む。アーンウィルの鬼畜じみたダンジョンで鍛えているため、普通の魔物は正直言って弱い。集団戦ではあるが竜狩りすら成し遂げているのだ。
竜より強い魔物など居ない。
この宝物殿も大したことが無いのでは。
そういった思い込みはあっただろう。
だが、地下一階の大ホールはさながら戦場の様相を呈していた。数多くの魔物を屠ってきた精鋭騎士の一人が膝を付いて荒い息を吐く。ナスターシャがはらわたが零れて半狂乱になっている従士を部屋の端まで引っ張り、エーリカが〈
今ここにいるのは騎士十五、従士四十、俺たちを合わせれば六十人となる。ちょっとした小軍隊と言えるだろうが、魔物ではなく人間に苦戦を強いられている。
カタカタと骨が鳴る。敵はアンデッドではない。不可思議かつ半透明な『糸』で操られた骸骨だ。骨格からすると男性、破れた法衣をまとっており、骨の手に持つ大杖を、狂人のように振るっている。
熱い息を吐く。先ほどから続いている戦闘での疲労を誤魔化すように。
「あれは、やはり……聖人アルテリア様の御遺体です」
リリアンヌが語るのは、俺でも知っている二百年前に没したはずの聖人。生涯の全てを魔物狩りに捧げ聖人に除された大英雄だ。光り輝く杖で戦士のように戦っていたようだが、いま持っている大杖にかつての輝きはない。
「斉射!」
クリスタの号令により従士全員がクロスボウからボルトを射出する。狙うは聖人アルテリア、しかし半分以上が外れる。ミスリルの鏃が虚しく壁にぶつかり、残り半分が大杖の回転により防がれる。
外したのではない。
わざと外している。
「腑抜けるな! それでも信仰の戦士か!」
クリスタの怒号が飛ぶが従士たちの顔色は優れない。当然でもある。彼女らは信仰心によって集まった集団であるのだ。聖人がまとう法衣を見れば怯んでしまう。
大百足の一群が部屋になだれ込んでくる。最悪のタイミングであるが騎士たちは安堵したように一群に切りかかっていく。
「ガブリール、援護頼む」
灰なる欠月を抜き払い聖人に横薙ぎの一閃を入れる。対価を要求される〈抜剣〉はまだ使いたくない、消耗が激しすぎる。
一閃を大杖で防ぎ、聖人はニヤリと笑った──いや骨の顔で笑った風に見えた。大杖が聖なる輝きに満たされて熱を放ち、俺の剣に伝播して手を焼こうとする。
「死にぞこないが!」
鍔迫り合いを止めて足払いを入れる。聖人は軽やかに飛び大上段から振り下ろしを入れようとするが──リリアンヌが魔術で妨害する。
「行きます! 〈
空気の波が聖人を襲い、空中で為す術もなく吹き飛ばされるが、宙で一回転して体勢を立て直す。着地後の膠着を狙ってガブリールが喉元に喰らいつく。だが輝く大杖に殴り飛ばされたガブリールが壁に叩きつけられ悲鳴を上げる。
「ああっ! あれはっ!」
大百足の頭に剣を突き立てた騎士が悲鳴を上げた。大ホールの出口、下の階層へ続く大階段より一人の骸骨がゆっくりと昇ってくる。
こちらも聖人がまとう法衣、一人でも面倒となるのに二体目のご登場だ。嬉しいことに背後から巨大な甲虫がノシノシと十体ほど続いている。鉄の装甲じみた表皮に、粘液をあふれさす醜悪な口部。人だって躊躇わず食べるタイプの虫ではないか。
「怯むな!」
クラウディアが大喝する。聖人アルテリアの三歩前まで躍り出て杖を振りかざし、〈
「私たちが諦めれば後に続くものはもう居ない! 相手が教皇でも聖人でも遠慮することはない! 戦って、戦って、活路を開きなさい!」
クラウディアの言葉に、数人の騎士が目に闘争の炎を燃やす。だが迷うものも多いように見える。
私心を捨てて人々を苦しめる魔を滅する──目の前に圧倒的な強者がいて、それが自分たちの尊敬する聖人であるなら、そんな綺麗事を体現できる人間がどれだけ居ると言うのか。
階段を昇ってきた聖人が大弓を構える。
あれは何という聖人だろうかと考えながら、剣を構えて襲い来るであろう矢に備える。矢筒は持っていない。魔術の矢を射出する気だろう。
「後衛は下がれ!」
クラウディアとリリアンヌを下がらせて精神を集中する。
「来るか……!」
ガブリールも痛むであろう体で俺の横に立つ。
聖人の手元に青く輝く矢が浮かび上がり、射出された。音よりも早く放たれるソレはクラウディアを狙っていた。
俺より僅かに右。
全神経を集中されて矢を切り落とそうとする。
だが、俺より早く、動く影があった。
──宙から男の姿が現れる。漆黒の法衣、双刀を巧みに操る男は魔術の矢を切り、踵落としで地面に叩き落とした。矢は地面に刺さってなお力を失わず、熱で大理石の床を灼き溶かす。
この男は誰だと考える。フードからのぞく黒の長髪、振り返ってこちらを見る瞳は鋭い。どこか陰鬱な雰囲気を漂わせる男、俺はこの男を何処かで見た。自問自答すると思い出す。あれはアーンウィルを襲ってきた異端審問部隊の──
「お前は、ファルコか!」
ファルコは頷いて双剣を構える。彼が相対するのは俺ではなく、敵である聖人たち。味方となって戦うというのか。
「お前は王族寄りの修道会所属だろ。なぜここに? なんで助けた? あと味方はどうした、百の部下が居ただろ?」
「矢継早に聞くな! なぜ味方したかなど俺にも分からん! 殿下を暗殺しようと付いてきたらこのザマだ!」
大弓の聖人が撃ってくる矢をファルコと協力して叩き落とす。クラウディアがさらに叱咤激励の言葉を掛け、クリスタの号令が飛ぶ。気勢を取り戻した騎士たちが、聖人アルテリアを滅しようと十人掛かりで切りかかった。
「少し任せた! 殿下!」
ファルコが壁を三角飛びに飛んで懐からナイフを五本取り出す。柄に付いている筒、そこから伸びる線に火を付けてから、こちらに迫る甲虫に投げる。
甲虫の装甲の隙間にナイフが刺さり、緑色の体液を撒き散らしながら爆発する。いかに硬い装甲があろうとも、内部に詰まっているのは只の肉。内部から爆発すれば一溜まりもない。
「それと! 俺の部下は殿下の軍が手足を捻り潰しただろう! 全員療養中だ!」
「すまん」
「いや、敵に情けを掛けられたのは俺だ……クソッ! すまない皆、俺のせいで……」
ファルコが黒髪を振り乱して嘆く。俺を暗殺しようとしたがガブリールが居て出来なかったのだろう。しかしファルコの裏切りが兄たちに露呈すれば、もう王国に居場所は無くなる。何とも不憫な立ち位置であり親近感が湧いてくる。
「取り敢えず聖人二人を倒そう。協力してくれ」
「今回だけ……今回だけだ」
なぜファルコが助けてくれたのか、恐らく教皇を助けるため。信仰の戦士であるファルコにとって彼女に危害が及ぶのは耐えられないのではと思う。
内心でニヤリと笑う。今回のファルコの裏切りは重大なものだ。他者に喋るつもりはないがちょっとしたお願いをする位には使えそうである。
「お前の弱みを握ってしまったな。まさかファルコが俺に協力するとは、神だって分かりはしまい」
「悪魔め」
苦々しい顔でファルコが呟いた。しかし悪魔とは心外である。悪魔とは宝物殿の奥底で待ち構えている魔物のことだと言うのに。
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