第92話 前哨戦の終わり

 大弓のゲオウルス──古い伝承に残る聖人で、一本の矢を空に向かって放ち、二匹の鷹を撃ち落としたという逸話は有名だ。リリアンヌが正体を教えてくれた尊き骸骨様は油断なく大弓を構え、五本の魔術矢を生成した。


 周りの騎士たちの中には困惑する者もいるが、俺の信仰心の低さを舐めてもらっては困る。相手が聖人だろうが神だろうが、斬れるものなら斬ってみせる。


 聖人が矢をつがえる。

 一度に五本全てを射るつもりか。


 あれが当たればミスリル鎧を着込んだ騎士はともかく、少し劣る胸当てしか無い従士たちは一溜まりもない。臓物を撒き散らしながら絶命することは必至である。


「俺が行くか?」


 ファルコが問いかけてくるが首を横に振る。ポケットから石を取り出し、大弓の聖人に向けて全力で投擲。うねりを上げながら聖人の手に当たり、魔術矢を掻き消させた。


 クリスタがこちらを見て頷き、士気が高い騎士を選んで聖人に突貫していく。聖人は手から光刃を生み出し、鋭い剣戟を繰り出すが、騎士たちも負けじとミスリル剣で応対している。


「ガブリールは雑魚を減らせ。クロスボウを撃つ従士に絶対に魔物を近づけさせるな」


 リリアンヌから治癒魔術を受けているガブリールが吠えて了解の意を示す。当たり前のように言葉を理解する彼女はとても頼もしく、跳ねるように駆けて甲虫を始末に向かう。体当たりで甲虫をひっくり返して、鋭い爪と牙で腹部を切り裂いているのが見えた。


「俺たちは大杖の聖人を片付けよう」


「罰当たりめ。お怒りを鎮めるとでも言うべきだ」


 咎めるような口調のファルコをよそに、聖人に向かって剣を構えながら迫る。五歩進んだ所、後ろから神への祈りが聞こえた。


「大技だから長くは持たないわよ! 〈サンクチュアリ聖域〉!」


 クラウディアが聞いたことも無い魔術を詠唱する。地面に光の線が走り魔法陣を形成。周囲一体を囲む魔法陣により聖人の動きが鈍る。リリアンヌが後ろから説明してくれるが、魔法陣内では弱い魔物は消滅し、強大な魔物でも動きを阻害するらしい。

 聖人は魔物ではないが操っている『糸』そのものが邪悪な存在であり、その力を弱めさせているのか。


 背後からリリアンヌの補助魔術が飛んで、俺たち前衛戦士の力を増大させた。ファルコが跳躍し、その姿が闇に溶ける。お得意の隠形術であり、ガブリールなしでは何処に居るか全くわからない程で、今ならファルコは俺を暗殺し放題だと考えると背筋に寒いものが走る。


 敵との距離は二歩、俺は大上段から渾身の切り落としを見舞う。

 轟音──大杖を横にして受けられる。聖人の踏ん張りで大理石の床が割れ、風圧により石片が吹き飛ぶ。


「殺れッ!」


 俺の怒号と共にファルコが聖人の斜め後ろに現れ、完璧な胴蹴りを入れた。吹き飛ぶ聖人、壁にぶつかると同時にファルコのナイフが十本刺さり貼り付けになる。ファルコが申し訳無さそうな顔をしている今にも、ナイフに括り付けれた爆薬筒の導火線がバチバチと音を立てる。


「伏せて耳を塞ぎ、口を開けろ!」


 ファルコの合図を聞いて一斉に伏せる。

 爆音、大気が震え壁の一部が崩れ落ちる。


「殺ったか!」


「いや! まだだ!」


 ファルコが否定してすぐ、破片を押しのけて聖人が立ち上がる。肋骨が折れ、頭蓋骨の一部が陥没しているが、動きはいまだ鋭い。突進してくるので剣で受け、二合、三合と剣戟を交わす。


 観察する。聖人は体に欠損があっても動きに支障はない。アンデッドのように魂を使役しているのとも違う、体に張り巡らされた糸が怪しい。手から腕、背骨を通り、その末端が続く先は──


「頭蓋骨かッ!」


 怪我覚悟で頭蓋骨を切り裂く。腹部に大杖がめり込み嫌な音がする、肋骨が折れる感触、頭の中に稲妻が走り、内蔵が押しつぶされる不快感が身体中を支配する。鎧越しと言えど衝撃は防げない。だが骨数本で勝機が掴めたのは僥倖だ。


 頭蓋骨で蠢く糸の塊──どう見ても本体である。聖人を押し倒して剣を突き入れるが感触は無し。魔術的な物質であると言うことだ。リリアンヌとクラウディアを呼び寄せて〈ホーリーライト聖光〉を詠唱させる。


 聖なる光と共に糸の塊が雲散霧消する。聖人はピクリとも動かず、骸骨の本来の性分を発揮した。すなわち──動かず、騒がず、戦わず。死人は死人らしくあるべきだ。


「あた──ま──の中──っ!」


 頭の中を魔術で灼けと叫ぼうとしたが激痛で無理だった。治癒ポーションを使おうとも思ったが勿体ないので我慢。婚約者の治癒魔術を頼みにする他ない。


「……後は任せろ」


 ファルコが目にも留まらぬ早さで大弓の聖人に斬りかかっていく。騎士たちと上手く連携しているようで優勢である。寝転んだまま眺めているとリリアンヌが右手で腹部を擦りながら治癒魔術をかけてくれた。骨と肉がじわじわと治っていく感触が心地よい。数日分の体の汚れを暖かな湯で流すような気持ちだ。


「また無茶しましたね」


 リリアンヌがムッとする。だがダンジョン製の防具を身に着けているので、死ぬほどの怪我はしないと分かっていた。弁明をすると髪の毛を指で梳くように撫でられたので、目をつむりじっとする。今は逆らっては駄目だ。


「戦闘が終わりそうですよ」


 大弓の聖人が倒れ伏している。ガブリールも最後の甲虫を牙で仕留め、その巨躯の上に飛び乗り、遠吠えを上げた。


「見てみろ。ガブリールが勝鬨を上げている」


「あら、本当ですね」


 騎士たちがガブリールを囲み、剣を振り上げて勝鬨を上げる。大音声がホールに響いて喧しいくらいだ。俺の相棒は世界で一番強い狼だととても誇らしい気分にさせてくれる。アーンウィルに帰ったら大きな骨をもって功績を讃えよう。


「あの……」


「どうしたリリアンヌ。なにか気になることでも──」


「つ、つぎに、無茶をしたら、首輪を付けましょうか? に、似合うと思いますよ!」


 リリアンヌが少し興奮した様子で口を開いた。言ってしまったと頬を赤らめる姿は少女の様で愛らしいが、内容はとても穏やかとは言えない。聖女とは何だと脳内で考えるが、楽しそうだからいいかと思考を停止。大理石の冷たい感触を感じつつ勝利の余韻に浸ることにした。

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