第82話 ロシナンテ
やって来た騎士長はクリスタ ・ラウと名乗った。ガブリールの背中でグッタリとしているリリアンヌを見て、ひとまず俺たちを白亜宮内に案内してくれた。
コツコツと足音を立てながらクリスタがボヤく。
「まずはリリアンヌを休ませるべきかと。まったく、修行時代はここで過ごしていたのですから、高山の恐ろしさは知っていたでしょうに」
「クリスタ、久しぶりですね。負傷者は居ますか?」
「居るには居ます。まずは貴方が休みなさい。どうせ負傷者が居ると思って急いで登ってきたのでしょう。けど駄目です。まずは山酔いを治しなさい」
「嫌です。絶対に、嫌です。まずは治療室に行きます。ガブリールさん、そこを右に曲がってくださいね」
「はぁ、貴方は昔から本当に頑固です」
戸惑うガブリール、俺を見上げてきたので右側に目線を向けて頷く。ここはリリアンヌの意思を尊重しよう。
真っ白な廊下。
だが治療室と思しき部屋の前、そこには血を拭いた跡が残っている。無理に立ち上がろうとするリリアンヌがこちらを見つめる。
「肩を貸して下さい」
「分かった」
覚束ない足取りで室内に入る。呻き声、年若い女性たちが苦痛に喘いでいる。負傷者は十五名で、腹部に包帯を巻いているものが居れば、手足が欠損している者もいる。
「欠損は直せないので【
リリアンヌが女性の腹部に右手を当てる。そして
「アンリ様、あちらのベッドまでお願いします」
頷き、移動し、治療を続ける。比較的軽症な十二名をそれぞれ治療し終えたが、マナが空っぽになったリリアンヌは青い顔をしている。気を失うといけないので空いているベッドに座らせた。
申し訳無さそうな顔でクリスタが呟く。
「騎士たちは【
退出を促される。我々はこんなに弱ってますよ──と喧伝するような有様。指導者としては外部の者には見せたくない筈だ。
「アンリ様、残りの三名をどうかお願いします」
「ご苦労さま。後は
「貴重な遺物を使っていただき感謝致します。皆も喜ぶでしょう」
聖杯を取り出すと、クリスタの瞳が驚愕に支配される。遺物とは国宝級のマジックアイテム。一般人では目にすることすら出来ないだろう。
だが治癒の聖杯なんて遺物はない。これ自体は只の杯であり、何の効能も無いのである。リリアンヌも分かっている。だがアーンウィルで作った治癒ポーションを注いで飲ませれば、これは本物の遺物であると周囲を騙せる。
アーンウィル製治癒ポーションは公にしたくないし、使用するにしても節約はしたい。そのための誤魔化しである。
「──ぐ、うぅうう」
呻き声を上げる女性。騎士だろうか、それとも従士だろうか。治癒の聖杯に治癒ポーションを注ぎ、女性の口に当てる。コクリコクリと嚥下させ、欠損した右手を治した。
女性が寝息を立てる。
苦悶の表情はもう無い。
「これが遺物の力ですか。部下を助けていただき感謝します。その、遺物に見合う対価ですが……我々ではとても」
「別に金を請求したりしないよ。あとの二名も治療するから」
「本当に、本当に、ありがとうございます」
深く頭を下げるクリスタ。残り二名も同じ様に治療し、リリアンヌを背負って部屋を出る。
「殿下、まずはリリアンヌを部屋に閉じ込めるとしまして、その後は教皇猊下に謁見されますか?」
「いや、リリアンヌの具合が良くなってからにしよう」
「それでは部屋にご案内します。荷物を降ろされたら食事にすると良いでしょう。そろそろ時間ですので部屋までお持ちします」
「いや手間になるから食堂で食うよ。場所だけ教えて欲しい」
「畏まりました。あちらを左手に曲がれば食堂です」
リリアンヌを部屋に入れたついでに、物資の保管場所と不足している物資が無いかを聞く。そこにゴーレムが背負ってきた各種物資を運ばせた。燃料用の木材が足りないと聞いたので、ゴーレム数体に指示を出して木を取りに行かせる。
雪山を下っていくゴーレムを見送り、白亜宮内に戻る。食堂は六人がけの机が何個も並んでいたので、そのうちの一つに座る。こちらを見つめる数十の瞳。珍獣を見るような眼差しがキツい。
「王子なんですって」
「男……ねえ男よ」
「玉の輿、いえ不敬ですわ」
「男……男……」
「そう言えばこの世には男と女が居たわね」
「うん、女しか見てないから男の存在を忘れてた」
辛い。気心の合う男友達が欲しい。いや、友達なんて俺には居ない。悲しい。クロードもシリウスも年上だし友達っぽさは無い。冗談めかして友達だと言うことはあるが、実際にはどう思われているのだろうか。
「声、掛ける?」
「不敬だって言われて首を切られたりしない?」
「分かんない」
「失礼ですわ。聞こえていたらどうするのですか」
「アタシは聞こえてると思う。こっち見てるし」
なぜ若い女性は徒党を組んでヒソヒソ話をするのだろうか。飯はまだか。俺は空腹であるぞ。備蓄状況は悪いと聞くので期待は出来ないけど。
気まずい気分でテーブルナイフを弄る。
こちらを見つけて声を掛けてくる女性。
あれは従士ナスターシャだ。
「あ、殿下! お疲れ様であります! 今日の調理担当は私なのです。少々お待ち下さいませ!」
「ゆっくりでいいよ」
ナスターシャはキビキビと動いて皿を置いていく。メインディッシュは贅沢にもステーキ。付け合せはレンズ豆を煮たものだ。テーブルナイフを滑らせて六分割し、フォークを刺して食べようとする。
──ふと、違和に気づく。他の机の皆が手を付けていない。
向かいにナスターシャが座る。不穏な雰囲気は食堂全体に漂っている。皆、一様に皿の上の肉をじっと見つめる様は少し怖い。
「殿下、こちらはわたしの友人のエーリカちゃんであります。ほら、エーリカちゃんもご挨拶を」
「ちゃん付けするな! あっ失礼しました殿下。私は覚えるほどの者ではありません。お食事を邪魔して申し訳ありません」
「いやー、食事は一人で取るのは味気ないでしょう。あ、殿下。エーリカちゃんは若くして騎士になった凄い子なんですよ。私も早く騎士になりたいであります」
「王族の御方を前に、よくもそうベラベラと……す、すみません」
頭を下げるエーリカ。個人的にはナスターシャの態度くらいが一番心地よい。もっと気軽に呼び捨てして欲しい位だ。
「いやいや、気を使わなくて良い」
元気に喋るナスターシャだが、どこか空回りしているようにも見える。目尻には涙の跡があるし、目も少し充血している。愛馬を捌いた精神的ショックがあるだろうに。
「ささ殿下、どうぞお食べ下さい」
肉を食べるように勧めてくるナスターシャ。それを聞いたエーリカがギョッとする。嫌な予感。まさか、この肉は──
「良かったね、ロシナンテ。王子様が食べてくれるんだって……」
「なんて事だ」
ナスターシャはポロポロと涙を零す。皿の上の肉は予想通り
「うぅう゛……ロシナンテは私が九歳の時、お父さんが買ってくれたんであります。ずっと一緒で従士になる時も付いてきてくれて……私が十二歳の時に足が折れて曲がってしまい、馬医者に相談して蹄を曲がりに合わせて削って……また走れるようになって……本当に、嬉しかったのであります……」
「ちょっと止めなさい! 食べれなくなるでしょ!」
「エーリカちゃん、食べて、供養してあげて」
「んぅうん……で、殿下、どうしましょう?」
どうしましょうとは、どうしましょう。
いや、どうしよう。
食べるのも、食べないのも、マズイ。
「エーリカちゃん、食べてみてはどうか。俺の分もあげようか?」
「押し付けないでくださいよう!」
「すまん。そうだな。自分で頂くとしよう」
フォークを刺して肉汁滴る肉を口に運ぶ。しっかりと焼かれた新鮮な肉。さっきまで生きていたからとても新鮮である。身はシッカリとしていて濃い肉の味がする。表面に振られた塩が旨味を凝縮しているようだ。ああ、美味い。付け合せのレンズ豆もまた素朴な味わいである。肉と豆を交互に口を運べば、まるで口の中で
「ぐす、美味しいですか、殿下……?」
「美味いよ、命の味がする。いやホント」
「良かった、良かったね、ロシナンテ」
「……昔にある人が言ってたよ。全ての命は役割を持って生まれる──って。ロシナンテは死んじゃったけど、こうやって皆の血肉になった。死は決して無駄じゃないさ」
「殿下ぁ……! そう、ですよね……!」
ナスターシャとエーリカがステーキを口に運ぶ。周りの人もそれに倣っている。何とも言えない複雑な心境。ロシナンテのステーキを口に運びつつ、この世の世知辛さをひしひしと感じた。
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