第81話 山登り

「高すぎる」


 目の前にそびえる山々を見て、思わず言葉が漏れる。遠目に見ていたオルザグ山脈は「綺麗だな」で済ませられたのだが、いざ自分が登るとなると「本当にこれを足で登るのか」という気持ちが襲ってくる。


「アンリ様、ここまでも大変でしたが、これからが本番です。気を抜くとですね」


「気を抜くと?」


「大変なことになります」


 具体性を欠くリリアンヌの言葉。著しく健康を害する死ぬってことなんだろう。山道から足を踏み外せば大怪我をするし、山頂付近は雪に覆われているから雪崩に巻き込まれる事もある。そもそも準備がなければ凍死する。凍死で死ぬのは楽だと聞いたことがあるが、ここで死ぬつもりはさらさら無い。


 後ろを振り返れば五十のゴーレムとガブリール。ゴーレムは食料、ポーション、生活物資を背負子しょいこに入れて背負っている。荷車運搬では険しい山道は歩けない恐れがある。


 麓は樹木が茂る林、ある程度の高さになると木は無くなり岩と土の世界。更に登ると極寒の雪山となる。険しく遠い道のり。マティアスの軍兵を貸すという申し出もあったが、物資の提供だけ受けて人員協力は断った。人が居れば居るほど必要物資が多くなるし、一般兵の体力では付いてこられるかも怪しい。ここは飯を食べないゴーレムを主戦力としたい。


 むしろマティアス本人が付いていくと半狂乱になっていた。執事長や息子たちが止めることで何とか諦めてもらったが、目に灯った執念の炎は忘れられそうにない。伯爵と言えど子供からの夢は捨てられぬと言うことか。しかし、そう見せかけて俺を油断させている可能性すらある。


 ゴーレムのズシンという足音を背に聞きながら、山の麓に入る。


「そう言えば教皇の騎士と従士は数が少ないんだってな」


「合わせて二百名程ですね。信者からの寄進とミスリル鉱山の独占採掘権で資金はあるのですが、やはり目立つと……その……」


 王国に睨まれるから、騎士の数も抑えている。


「──ああ、そういう事か」


「そういう事なのです。アンリ様を責めている訳では無いのですよ」


「いやいや不勉強だった。下手な発言をすると教皇を怒らせてしまうな」


「あら」


 口元を抑えて上品に笑うリリアンヌ。何かと思い理由を聞く。するとリリアンヌは少し昔話をしてくれた。俺が十歳の頃、教皇から洗礼式を受けた日のことを。


「──ええ、あの日、教皇猊下は必死に背伸びしてましたね。聖油を頭に垂らす時、アンリ様と身長差があるものですから」


「俺がもう少し屈めば良かったんだが」


「教皇猊下も後になって怒ってましたよ。怒る様子が本当に可愛らしくてですね。背が低いことを気にしてらっしゃいましたから」


「まだ怒ってないと良いけど」


「もし怒っていたら一緒に謝って差し上げます」


 思い出話をしながら進む。


 休憩と食事を挟んでひたすらに歩く。疲れのせいかリリアンヌが少し辛そうにしていると、ガブリールが我が意を得たりと吠える。背中に乗れという事だろう。戸惑っていたリリアンヌだが恐る恐るとガブリールに騎乗した。


 木々の切れ間、振り返ると遠くに平地が見える。かなりの距離を登った思うがまだ二合目ぐらいだろう。目線をずらしてアーンウィルがある方角を見つめる。


「アーンウィルが気になりますか?」


「ああ、俺って基本的に外に出ているからな。もうちょっとアーンウィルに居たいんだが」


「いつか平和になったら皆でゆっくりしましょう。その時は治癒術師が今ほど重宝されないでしょうから、私も暇になるかもです」


「そうだろう。そんな時代がいつか、来ればいいな」


「はい。お互いに暇になったら、新しい時代にどう生きるか一緒に考えましょうね」


 頷き、坂道を登っていく。




 ◆




 野営を終えて木が生えてない岩場を進む。

 ガブリールの索敵で魔物が少ないルートを選ぶ。

 さらに野営を挟んで進むと雪の領域に達した。


 ザクリ、ザクリと雪を踏みしめる。


 硬い中敷きを入れたブーツ、表面には鉄鎖を縛り付けている。滑落対策としてだ。リリアンヌも同様にしており、さらには分厚いコートを羽織っている。まだ日は出ているので雪面の照り返しが眩しい。


「疲れていないか?」


「ハア、ハア。ちょっと、ちょっとだけ、ですよ」


「目に見えて疲れてる……ガブリールに乗りなさい」


 荒い呼吸を繰り返すリリアンヌがのそりとガブリールにまたがる。俺の足跡をなぞるように続く皆。振り返るとゴーレムたちも遅れずに付いてきている。


 ビュウと強い風が吹く。


 吹き飛ばされないように身を屈める。

 ガブリールも腹を地面につけて対策していた。


「空気が薄いな。噂に聞いていたがここ迄とは」


「うすいですー。つらいですー」


「思考力が落ちているな。休んでいなさい」


 ふと、ガブリールが上を向いて鼻をヒクヒクと動かす。何かを嗅ぎ取ったようで吠えて警告を飛ばす。吠えた方向をジッと見る。遠くから何かが走ってきている。


「魔物か」


「提案──我々を使っての迎撃。二体いれば対処可能」


「いや技の試しをする」


 目を真っ赤にしたゴレムスを押し止める。


 灰なる欠月はまだ使いこなせているとは言えない。今後のことも考えれば技に汎用性を持たせたい。只でさえ俺は特殊な技能が無いのだ。創意工夫を重ねなければ。


 心を平静に保ち【抜剣】を発動。

 出来るだけ力を抑えつつだ。

 体内で暴力的な何かが暴れる感触。

 刀身の色は未だ灰色。

 まだ俺は剣に飲み込まれていない。


 腕を少し切り、血を地面にばらまく。

 真紅が雪を染め、鉄っぽい匂いが鼻腔に届いた。


「獲物はフロストトロールか」


 四肢をバタつかせ、跳ねるように地面を駆けるフロストトロール。爆発したように雪が飛び散り、見る見るうちに近づいてくる。俺より二回りは大きく、恐らくだが成体。ジリジリと後ろに下がり血溜まりに誘導する。


「グゥオォオオオオオッ!」


 血溜まりとフロストトロールが重なる。


「血刃──切り刻めッ!」


 雪に染み込んだ血が意思を持ったように動く。無数の刃が雪面を跳ね、フロストトロールを切り刻む。悲鳴。魔物の血が、肉が、臓物が、雪を赤黒く染める。


 討伐完了。

 フロストトロールの切り身が一体分出来上がる。放っておけば獣が食い漁るだろう。


「これは良いな。設置式の罠に出来る」


「むちゃ、しないで、くださいー」


「これは出血を伴う未来への投資。だから無茶ではない」


「へ、へりくつ、からだを、だいじに……」


 グッタリとしたリリアンヌの声。革袋に入れた水を飲ませるが気分はまだ優れないようだ。夕方までには白亜宮に着くだろうから、そこで休ませれば良い。


 灰なる欠月を鞘に収める。頭痛もそこまで酷くない。治癒ポーションを一滴傷跡に垂らして伸ばせば、傷跡はそれで塞がった。




 ◆




 息も絶え絶えのリリアンヌの道案内を受けつつ進めば、白亜宮が見えてきた。雪が積もっているから白いのではなく、元々の建材が白いのだ。汚れを感じさせないその様は聖地と呼ぶに相応しい。


 山の稜線に近い。

 眼下に望む雲──夕日が溶け込むように落ちてゆく。幻想的な風景。今まで生きてきた中で最も美しい。ゴーレムたちも声を失っている。しかしガブリールは干し肉を齧っている。さほど興味は無いようだ。


「いかん、景色に見とれていたら滑落してしまう」


 白亜宮の正門にたどり着く。

 鉄門と思いきや、触れてみるとミスリル鋼で出来ていた。何とも贅沢に使うものだ。ミスリルは一流冒険者ですら滅多に使えない貴重品であると言うのに。


「御免下さい!」


 呼びかける。

 返事はなし。


「はいって、しまい、ましょう。わたし、いれば、だいじょうぶ」


「……そうだな。早く休もう」


「ああ、ひさしぶり、です」


 門を開ける。奥にある正面入口を見ると立派な鎧を身に着けた騎士が見える。声を掛けようとしたが思いとどまる。なにやら悲痛な声が聞こえてきたからだ。


「ロシナンテ、うう……ごめんねロシナンテ……」


 建物の影に隠れてしゃがみ込む女性。

 ナイフを器用に使って馬を解体している。


「あの、すいません」


「は、はい! 何でありますか!」


「書状を出していたアンリです。援軍として参上しましたので、上官に連絡願えますか」


「承知であります! 私はナスターシャ ・シェール! 白亜宮にて従士をしているであります!」


 鎖帷子にミスリルの胸当てを付けた金髪の女性。年は若く、俺より年下に見える。血の滴るナイフを持っており、涙を流しながら敬礼している。


「その馬は?」


「飼葉の備蓄が尽きたのであります……ぐぅうう、ロシナンテ、ごめんねえ。ずっと、ずっと、一緒だったのに……」


「それは、何とも、ご愁傷様です」


「お気になさらずであります……で、では騎士長に報告しますのでお待ちを!」


 白い息を吐きながらナスターシャが駆けていく。

 転々と血の跡が追いかけていく。あと涙。

 横を見ればロシナンテの遺体があった。

 食料備蓄は厳しそうだ。

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