第80話 白亜宮

 アーンウィルから北西に聳えるオルザク山脈。その頂に白亜宮がある。カルデラ湖の中心にある白亜宮はさながら一面の青に浮かぶ白磁の宮殿。雪の白より白いと吟遊詩人が唄う拝月教の聖地である。


 そこに住まうは教皇と付き従う騎士たち。当代教皇は女性であるので騎士と従士も女性のみで揃えられている。


 白亜宮の最奥、教皇との謁見の間にて二人の女性が向かい合っている。一人は純白の法衣を纏った教皇クラウディア・ルーディ・ヘンデル。肩まで伸ばした艶のある黒髪が印象的な少女だ。年は十六歳で背は低め、はるか遠くにある王宮で生まれた第十二王子と同い年である。


「教皇猊下、報告申し上げます」


 もう一人はミスリルの胴鎧を身につけた騎士長クリスタ ・ラウ。軍学を治めた貴族の才女である。


「うん。報告申し上げて」


「──もう少し口調を改めたほうが宜しいかと。教皇猊下であらせられるので、下々の者には毅然とした態度をですね」


「いつもそれね。良いじゃない二人しか居ないんだから」


 騎士長は物申したい気持ちを抑える。


「宝物殿から発生している魔物の駆除ですが芳しくありません。昨日の突発遭遇において騎士一名、従者二名が死亡。重傷者は七名。備蓄食料、治癒ポーションの残量も少なく、戦況は圧倒的に不利です」


「残存兵力は?」


「騎士58名、従者147名。士気は低く危険です」


 深い溜め息をつく教皇。

 騎士長も額を抑える。


「人が死ぬことに慣れたくないわ。何とかならないのかしら」


「こちらハーフェン伯マティアス卿からの書状です。恐らくですが援軍の知らせでは無いでしょうか」


 椅子に座った教皇は笑顔を浮かべる。援軍──彼女たちに長らく無縁だった朗報である。蝋で封された書状を開く教皇だが、その顔はすぐに絶望に満たされた。


「援軍って、ラルトゲンのアンリ殿下なの? じゃあ駄目じゃない。きっと悪巧みしているわ」


「第十二王子ですか。教皇猊下を無理矢理に娶って子供を教皇にさせるつもりでしょうか」


「わたしが『不慮の事故』により死亡して、アンリ殿下が教皇代理を務めるって計画もあるかもね」


 書状を眺める二人。オルザク山脈の麓には援軍が到着しており、使役された鳥の足に書状を括り付けてこの白亜宮まで送り届けている。


「あっ! リリィ姉も来るって書いてある!」


「リリアンヌ様ですか。それは喜ばしい」


「殿下に酷いことされてないかな。してたら破門にするんだから」


「王族に破門など前代未聞ですよ。おやめ下さい」


「えー駄目なのー。けどリリィ姉は美人だし優しいもの。男なら放っておかないわ」


 教皇は沈む気持ちを抑えて無理に笑う。上に立つものが折れてはいけないことを知っているからだ。名前や顔、趣味まで知っている旧知の騎士や従士、彼女らの死を受け入れ、それでも奮い立たなければいけない。


(助けて。誰でもいいから)


 弱い気持ちを押さえつけ、教皇は立ち上がる。


「援軍を受け入れましょう」


「宜しいのですか?」


「土と血と、敗北による苦渋の味は飽きました。教皇失格と罵られようが、歴史にどれだけ汚名を残そうが、縋れるものには縋りましょう。生き延びなければ終わりなのです」


「畏まりました。返事の書状はすぐに出します。殿下の軍が来るまで、一兵たりとも失わせないとお約束しましょう」


 騎士長は一礼し踵を返す。

 そして一度も振り返ること無く退出していった。


 ミスリル軍靴が白の大理石を叩く音を聞きながら教皇は沈思する。王国の軍を受け入れること、今ある魔物の脅威、騎士長や騎士、従士の今後について。


 王族は当然のことながら信用できない。血族同士で殺し合う怪物の群れ、教皇はそう認識している。だが膝を屈する屈辱に甘んじても、ただ生き延びることを優先する。ここで自分たちが負ければ拝月教は崩れ去ると理解しているからだ。


「小娘と思って侮られては困ります。死なば諸共、冥府の底まで付き合ってもらいますアンリ殿下……」


 白亜宮に教皇の声が虚しく響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る