第83話 謁見
一晩経てばリリアンヌの具合も良くなった。廊下で騎士長クリスタを見つけて声を掛け、教皇への謁見をお願いする。快諾してくれて昼頃には謁見の間に通してくれた。
磨かれた白の大理石に自分の顔が映る。リリアンヌと一緒に片膝を立てて平伏しているためだ。俺は立場上としては王族に当たるが、この場においては教皇のクラウディアが目上となる。
「面を上げよ」
クラウディアのお許しが出たので顔を上げる。高い天井、白磁が如き壁、彫刻が施された石柱まで純白だ。高い天井と比べるとクラウディアの背がより低く見える。部屋の両脇には剣を胸に抱えた騎士が合わせて十名程。護衛と権威付けの両方を兼ねているのだろう。
「よく参られたアンリ・フォン・ボースハイト・ラルトゲン。援軍の一件、私も大変嬉しく思います」
少し幼い声──俺と同い年であるので無理もない。精一杯に威厳ある振る舞いを取っている印象を感じさせる。瞳は真剣そのもので、こちらを真っ直ぐに見つめている。
「はい、拝月教の一信徒として馳せ参じました。教皇猊下の御聖言を直接賜り、恐悦至極に存じます」
それらしき言葉を並べる。敬虔な信徒では無いので、別に教皇に会えて嬉しいという訳では無い。互いに長々とした挨拶をし終えると、本題である情報共有をする雰囲気になった。細々とした話であるのでクリスタが説明してくれるようだ。
「まずは魔物による被害状況について──」
説明を受ける。教皇領の人口は約一万でオルザグ山脈に広く住んでいるのだが、彼らとの流通路が深刻な打撃を受けているようだ。原因は魔物。村には先代教皇に仕えた退役騎士も住んでいるので、ギリギリの所で持ちこたえている。本来ならば彼らが白亜宮に物資を運ぶのだが今となっては無理な話だ。
拝月教の騎士は魔物殺しの精鋭集団──かつてはそう呼ばれていた。教義からして『魔物の廃滅』なのだ。魔物の研究をし、魔物の脅威から人々を守ることを生業としていた。俺の一族が力を削ぎきったので、かつての栄光は失われているのだが。
クリスタの説明をさらに聞く。だがどこか要所をボカしたような説明である。重大な魔物の脅威が隠されているはずだ。冒険者ギルド長は教皇領で新種の魔物が出たと言っていた。
疑問に思ったので質問する。
「クリスタ殿、説明ありがとうございます。我々も援軍の務めを果たしたく思いますので、周辺の詳細な地形図を頂くことは可能でしょうか?」
「申し訳ありません。そちらは難しくあります」
駄目と言われた。当たり前といえば当たり前だ。地図や地形図は防衛の要であるので部外者に容易く渡す訳がない。貴方のことはまだ信頼してませんよと意思表示された形になる。
「殿下には援軍として──指揮官である私の指示にのみ従って頂ければと思います。追って派兵場所を伝えますので、そちらの地形図のみお渡しします」
クリスタが額に汗を流しながら述べる。リリアンヌが思わず声を上げそうになったが押し止めた。軍権の自由を制約するなど失礼にも程がある。だがクリスタもこの申し出を断腸の思いで告げたのだろう。教皇からしたら俺は他国の兵なのだ、受け入れはすれど勝手な真似を許すわけにはいかない。
「分かりました」
「申し訳ありません殿下! ですが従って頂くほ、か──あの、いま何と?」
「分かりましたと言いました。今後は騎士長クリスタ・ラウ殿に全面的に協力し、その指示に従うことをお約束します」
「えっ……良いのですか?」
クリスタが目に見えて動転している。教皇の法衣も胸元が汗ばんでいる。別段、俺は威圧外交に来たのでも、援軍と称して占領に来たわけでも無い。まずは信頼を得るのだ。どれだけ時間が掛かろうとも。
息を吐く。
ふと、誰かが呟いた。
「血塗られた一族の末裔が、何を白々しい。人間の真似事でもしているのか」
静かな部屋に呪詛が響いた。
騎士の数人が憎しみを含んだ瞳でこちらを睨んでいる。憤怒の表情を見せるクリスタだが、誰が発言したかは分からないようだ。俺も分からない。いや知りたくもない。
少し辛くなってくる。どう見ても歓迎はされてないし、信用もされていない。王族として動くと決めた時から覚悟はしていたし、むしろ石を投げつけられないだけマシだと思おう。
王宮にいた頃は蔑みの視線にも、罵詈雑言にも耐えれた。だが心が弱くなったのだろうか。最近は少しの悪意に心が動いてしまう。情けない。
そろそろ退出すべきだろう。横にいるリリアンヌに目で合図を送る。だが立ち上がろうとはしない。片膝を付いたまま、ただ前を見つめている。
「教皇猊下」
リリアンヌの透き通るような声。
「一修道女が口を挟む無礼をお許し下さい」
「う、うむ。申してみせよ」
「王族の、ボースハイトの名が持つ意味を我々は深く知っています。教義を蔑ろにし今なお拝月教の力を削ぎ、名誉を貶めている蛮行を決して皆は許せないでしょう」
胸がズキリと痛む。
確かにその通りだ。
「ですが、一族の罪過でひと括りにして欲しくないのです。私は短い間ですが殿下のお心に触れました。殿下は決して力を我欲のために使いません。いつだって大切な人や、守るべき民の為に振るわれてきました」
教皇が怪訝な顔をする。
俺だってそうだ。
なぜ、今なのか。
「どうか殿下の努力を嗤わないで下さい。疑わないで下さい。一人の人間として、公平にその行いを見て欲しいのです。ここに居る皆も、どうかお願いします」
只の感情論。教皇は万人の上に立つ存在であり、理と利によって物事を俯瞰的に見るべきだ。だから俺を懐疑的に見るのは仕方がない。
けれど、胸の奥が熱くなる。目頭に何かがこみ上げそうになるが、ぐっと堪える。父は俺をボースハイトの一員だと言った。力と欲に溺れた血族だと。だが違うと言ってくれる人が居た。
俺はずっとそれを言って欲しくて──
「リリィ! 教皇猊下に意見するなど、いつから貴方はそこまで増長するようになったのですかッ!」
「本心ですクリスタ」
「下がりなさいッ! 沙汰は追って伝えますッ!」
教皇が右手を軽く上げる。
「良い。静かにしなさい。まずはアンリ殿に対する無礼を教皇として詫びましょう」
「ありがとうございます。軍事に関する自由裁量権もある程度認めて頂けないでしょうか。殿下のお力は縛られては十全に発揮できません」
「認めると思いますか?」
「認めるべきなのです。疑い合っては死者がただ増えるだけ。これは我々だけの問題では無く、教皇領一万、王国二千万の民に関わる一大事です。時間が経てば経つほどに民は苦しみます。どうか御聖断を。私も払えるだけの対価を捧げます」
「対価──何を捧げるというのです。修道女に私有財産権は認めておりませんよ」
「もし殿下が教皇猊下の期待を裏切る──悪しき存在であるならば、私は聖ラトゥグリウス修道会の総長を辞し、一命を持って責任を取ります」
白亜宮、謁見の間が驚愕に支配される。
誰も、何も言えずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
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