第67話 エピローグ──双月祭
見開いた瞳に天井が映る。
顔を横に向ければシーラとガブリールの姿。目を覚ました俺を認めると、ガブリールはベッドの上に登ってきて俺の顔を舐めた。どれだけ気を失っていたかは分からないがずっと見てくれていたのだろうか。
「俺はどれだけ寝ていたんだ」
「丸一日です……体に変な感じはしませんか?」
「何も問題はない。あれ、服が替えられているんだが」
「お兄さんが泥と血まみれで帰ってきたので、サレハさんに湯浴みと着替えをお願いしたんです」
清潔な服と十分な休養。かなり無茶をしたが後遺症もまったくない。今後も灰なる欠月は大事な場面で使えるだろう。ベッドから降りて体の節々を伸ばす。
「少し昔を思い出しますね。お兄さんは一人でダンジョンに入って、そこで死ぬような思いをしてました。私とお姉ちゃんに黙って」
「いやはや申し訳ない、みんな怒っているかなあ」
「ええ……どうでしょうか。今はちょうど会議の最中ですよ。一緒に行って見ますか?」
「そうだな」
シーラとガブリールを連れて部屋を出る。ここはどうやら中央庁舎の三階に当たるらしく、階段を降りて円卓会議の間まで行く。着いてからドアを開けるとそこには主だった人員が揃っていた。こちらを認めたクロードが手を軽く上げる。
「いよっ! よく寝たかアンリ、まあ座れよ」
言葉に従い椅子に座る。全員がこちらを見つめている。何か言いたげに。
「主よ……最初にですが──」
「待ったシリウス! 次にお前はこう言う『主よ、なぜあんな無茶をしたのですか。それにあの剣の力……我々に黙っていたのは何故ですか?』とな! それで皆で寄ってたかって俺を説教するんだろ! それで最後は『これだから主は……まったく世話が焼けますね』みたいな事を言って終わらせるつもりなのでは?」
「分かってるじゃないですか」
「分かっている、分かっているが、何だかなあ。シリウスもドラゴンに突貫して大怪我しただろう。おあいこだ」
シリウスが苦笑する。ドラゴンを倒した後の説明も受ける。どうやら帰還魔法陣があったらしく、俺を背負って一度領地まで帰ってきたらしい。
「ええ、説教は無しです。やる事がありますからね。議題を一つ解決してから本題に入りましょう」
「議題?」
「この領地の名称についてです。いつまでも名前が無いのでは不便だと皆で話していたのですよ」
領地名──考えたこともなかった。元々ここは魔物が跋扈する不毛の地であり、正式な地名は無い。だが諸国と交友を重ねるためには分かりやすい名前が必要だろう。頭の中で考えを捻っているとトールが手を挙げる。
「その土地の長、ここなら『アンリ』の名前を冠したほうが良いんじゃない?」
「良い考えですトール。『アンリ』に続いてこの土地を連想するような言葉を繋げてはどうでしょうか」
この土地を連想する言葉。ここには草と魔物しか居ない。
「草、ウィード、グラス、ステップ……どれもパッとしないな」
「確かになあ、アンリウィード、アンウィード? どうだかなって感じだな」
「それに最初に『アン』が付くと否定語になるだろ。それは控えたいから読み方も捻らないと」
頭を悩ませる。ベルナがおずおずと手を挙げる。
「あのうアンリさん。この土地でアンリさんが出会ったもの、それを元に名前を決めては?」
「出会ったもの、ちょっと待ってくれ」
思い返す。王宮から追放された日、馬車から草原に放り出された俺。穴に落ちてダンジョンに潜った。何回も死んで頭がおかしくなった頃、草原で
「
ポツリと呟く。
だが予想に反して円卓会議は静まり返る。驚いた顔、感心する顔、こちらを見つめる熱い瞳。今までこんな瞳で見つめられたことがあっただろうか。
「主よ……我々を
「恥ずかしいねお姉ちゃん。
「どうしようシーラ、照れちゃうね」
「いや……ちょっと待て……!」
盛大なる誤解。いやだが果たして誤解だろうか。この土地に来てから出会った人々、それが一番大切だと俺も思っている。だがそんな事は口が裂けても言えやしない。恥ずかしい。
横に座るクロードがニヤニヤと笑いながら小突いてくる。リリアンヌも涙ぐんでいる。
「はは、お前さんも言うようになったな。聞いてるこっちが恥ずかしいよ。だがまあ良かったなアンリ、帰る場所が出来てよ」
「本当に良かった……アンリ様」
引き返さない雰囲気。サレハに目線を向けて助けを求める。
「良い名前です。アンウィルだと否定語になるので、少しもじって『アーンウィル』はどうでしょうか?」
「うむ……さすがサレハ」
席を立ち周囲の注目を集める。少しの誤解はあったが良い名前だと思う。アーンウィルは皆が帰る場所を見つけるまでの止り木。いつかは領民が居なくなって俺一人になるかもしれない。だがそれまではこの楽しい時間が続いていって欲しいと──心からそう思う。
「では本日この時を持って、この土地を『アーンウィル』とする。さらなる発展に皆も尽力して欲しい」
「承りました主よ。わが祖霊の誇りにかけて今後も忠節を誓います」
シリウスの言葉に続いて皆も頷く。
「では外に行きましょう! 主よ、今日は何の日かお忘れですか?」
「今日……? なんだったか」
「アンリ様、今日は春の終わりを告げる『双月祭』ですよ。もう用意はできているので外に出ましょう」
「ああ、もう春が終わるのか」
祭りのため会議は閉会。皆で外に出ることにした。
◆
広場では百名を超える領民が思い思いに楽しんでいる。リリアンヌの土産のワインを飲む男女。珍しい芳醇な酒気に最初は驚いていたが、飲み進める内に病みつきになったらしい。
「俺様は……俺様たちは……竜を狩ったんだぞ! とうちゃん! 俺はやったんだああああーーー!」
酔っ払いのフェインが若い獣人に絡んでいる。すごく迷惑そうにしているがお構いなしだ。その横ではオーケンがアダラに酒を注いでいるようで、あの老人二人も仲が良くなったらしい。なおも絡み酒を続けるフェインだがシリウスに体ごと持ち上げられている。お仕置きだろうか。
焚き火の上で串刺しにされた羊が丸焼きにされており、腹部には芋とバターが入っているらしい。皿に少し分けてもらってガブリールの背中にもたれて食べる。美味い。滋養が体に染み入るようだ。
芋だってバターだって、手に入れるのは決して楽ではなかった。壁に守られ飢えることのない暮らし、ここに最初に来た頃と比べると本当に生活が変わった。
「あの、シーラさん! キチンとお礼を言えて無くてですね、えっと……私!」
「え、ええー! 頭を上げて下さいベルナさん!」
ベルナがシーラに何度も頭を下げているのが見える。彼女はシーラの治癒ポーションで声と手足を取り戻した。感謝の念が尽きないのだろう。頭を下げるベルナを何とかしようとシーラが困惑している。トールとサレハも協力しているがどうだろうか。ベルナはあれで頑固な所がある。
クロードは我関せずと一人で酒を呑んでいる。たまに月を眺めては物思いに耽っている。邪魔になるから声はかけないでおこう。
「ここの暮らしは好きか?」
ガブリールの首を撫でて問うと、ガブリールは機嫌よく吠えて返答した。好きなのだろう。俺も好きであるから主従で意見が一致している。
家から持ってきた『無貌の騎士』──リリアンヌから貰った本を読み進める。前回は呪いの解除を失敗したところまで読んだ。続きはどうなるのだろうか。
目の前をフルドが走っていく。手にはクリカラの魂が入った
本をめくり、月明かりを頼りに読み進めていく。
無貌の騎士は思い悩んでいる。鏡に映らないその顔に、笑っているのか、泣いているのか、自分の顔が分からない苦悩に煩悶する。周りの人も顔が見えない騎士を恐れて近づこうとはしない。呪いは自身ではなく、回りの認識すら歪めているのだ。
「暗い所で本を読むと目を悪くしますよ」
ランタンを持ったリリアンヌが横に座る。ガブリールを背もたれにして二人で本を読む。元々は彼女の本だ。読む権利は彼女にもある。
「どこまで読まれましたか?」
「路地裏で盲目の少女を拾ったところまで」
騎士は盲目の少女を、親に捨てられた少女をとても可愛がる。目の見えない彼女なら、自分の顔がどうなっているか分からない。初めての人との触れ合いに騎士は暖かいものを感じていく。
「このまま終わるのかな」
「もう少し読んでみましょう。そろそろ終わりですよ」
ある日、西の魔女が騎士を訪ねてくる。手には盲目を治す薬。意地悪く嗤う魔女を騎士は追い返し、薬を棚に隠してしまう。だが献身的な少女を見て騎士は罪悪感に苛まれる。ただただ恐れる。本当の自分を見れば少女は離れていってしまうと。
「自分の心の内が人に知れるのは恐ろしいですね。誰だって何か悩みを抱えていますから」
「……そうだな」
罪悪感に負けた騎士は薬を使って少女を治すが、逃げて山に一人籠もってしまう。水辺で顔を洗う時に、何も映さない水面をみて騎士は悪態をつく。全てを呪い、自死すら考えるようになる。
「なにかの教訓があるのだろうか」
「……」
それから十年、世捨て人となった騎士の前に、騎士甲冑の女性が現れる。狼狽える騎士に女性はそっと手を差し出す。迎えに来ましたと。騎士はヘルムを外した女性を見て驚く。その笑顔はかつて見た少女のものだったからだ。女性は笑いながら告げる。そんなに泣いていると顔がぐしゃぐしゃになってしまいますよ──と。
「結局呪いは解けたのだろうか。最後の解釈が難しいな」
「もしかすると愛が呪いを解いたのかもしれませんよ。アンリ様……もう一ページ、めくってみて下さい」
最後のページには手書きの文字。
「マリー様が最後に残されたものです」
震える手で文字をなぞる。
──これを読む貴方は字を読める歳になったのですね。この本はとある信頼できる方にお渡ししました。私はすぐに死ぬでしょう。王宮内で勢力変動が起こり私は邪魔な存在となっています。
「母上……」
──この本は私の一番好きな話です。貴方に読んでもらいたくて残しました。アンリ、私の息子よ。何も残せず死んでしまう母をどうか恨んで下さい。
その後も母上の手紙は続く。俺に多くを残せず逝くことの謝罪、これから王宮内で受けるであろう仕打ちに対しての懸念、だがどうか、逆境に負けずに一人の人間として生きてほしいと──そう綴られていた。
──帰る場所が貴方に出来ますように母は願っています。
最後の文字は滲んでかすれている。
「マリー様はずっとアンリ様のことを気にかけていましたよ……」
「そうか……」
目の前が涙でにじむ。だが落涙するほどでは無い。この十一年間、人前で泣いたことなど無い。五歳の時、母上が死んだあの日から一度も。
「泣くと気が楽になります、どうか我慢しないで下さい」
「だが涙は恥だ。領主が人前で泣くなど許されない」
「人は泣きながら生まれてくるのです。人生の幕が降りるその瞬間、笑ってさえすれば良いじゃあないですか。ささ、我慢しないで下さい」
「泣かせようとしてない? ちょっと待ってくれ……」
「ああ……いい顔……泣き顔も素敵ですよアンリ様」
その後もリリアンヌは母上との思い出話を続ける。情感を湛えた話し口調、出会いの花畑の話、俺の成長に合わせて繰り広げられる思い出話、全てが俺の琴線に触れた。目頭を抑えてやめるようにお願いしたが、リリアンヌは聞いてくれない。
「ご自身の名前、その由来は知っていますか?」
「いや……知らない……」
「アンリという名前は『家の主』から来ています。マリー様は常々仰っておりました。どうか息子に帰る場所が出来ますようにと。家族でも、友人でも、そこの主になり皆を護れるような男性になって欲しい──そう願いを込めた名前なのです」
無理だった。俺は泣いた。
リリアンヌも両目から涙がはらはらと流れている。
空に浮かぶ双月が涙で滲んで四つに見える。俺は泣き顔を見られまいとガブリールの背中に顔を埋めた。
第二章 アーンウィルの領主アンリ編 完
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