第三章

第68話 プロローグ──とある獣人少女の一日

 穏やかな春は終わりを告げ、じりじりと染み入るような暑さが夏の到来を知らせている。双月祭から数日が経ち、アーンウィルの民は平穏という名の贅沢をしばし楽しんでいる。


「ふわあー……」


 ベッドの上で伸びをして少女が目を覚ます。ピコンと立つ耳は獣人の証。フルドは眠気を堪えてベッドから元気良く飛び降りる。


(おはようお父さん。ごはん食べてきます)


 フルドはアルカラ──第八王子エイスとの合戦時に死去した父に挨拶を告げる。母はフルドを出産時に死去したため、彼女には母の記憶と言うものが無い。フルドはお気に入りの兎のぬいぐるみを抱える。アンリからのお土産だ。


「クリカラさんもいこうね」


 フルドは魂籠のフラスコアニマ・クナブラを縛る紐を手に取る。


《フルドだっけ、私忙しいから、あのアンリとかいう男の所に戻してくれない?》


「領主さまは忙しいんだよ。だめ」


《そこを何とかー。あのアホ、絶対私のこと忘れてるよ! このエーファが誇る大天才! ラ家の才女、クリカラ様をさあー!》


「アホじゃない……もん。領主さまはアホじゃ無いよ?」


《疑問形じゃーん! 私は早く体を錬金術で造って、その美貌をもってハーレムを作りたいの! シリウスとサレハ辺りが中々……まあアンリも端の方に加えてやってもいいかな! ふひひ……》


 フルドは脳内に響く声を無視して家のドアを開ける。木組みの家、質素だが造りはしっかりしてており、フルド一人が住む分には充分である。


「あさだーー!」


 腕をピンと伸ばすフルド。フラスコが揺れてクリカラが悲鳴を上げる。だがお構いなしに石畳の広場を突き進む。目指すはトールとシーラの家、遠くはないため直ぐに着いた。


 フルドは家のドアをノックする


「トールお姉ちゃん、シーラお姉ちゃん、開けてくださーい」


 少しするとドアがガチャリと開きトールが対応した。快くフルドを家に招き入れ食卓へ誘う。


「朝ごはんにしようねフルドさん」


 シーラが木椀にオートミールをよそう。大皿には切り分けた林檎。アンリが冒険者として都市ハーフェンで集めた食料である。


「あれフルド、そのフラスコどうしたの?」


「アーンウィルをみせてあげるの」


「フラスコに……? うん、偉いねフルドさん、よしよし」


 頭を撫でられたフルドは満面の笑顔を浮かべる。トールとシーラが席に着いてから三人仲良く朝食を食べ始める。


「お姉ちゃん今日はどうするの?」


「新しいダンジョンの生態とか地図を纏めるよ。シーラはどうするの」


「ポーションの研究をしようかな……全然出来てないけど……」


《おや、おやおや、困っているようだねお嬢さんがた》


 トールとシーラは脳内に響く声に仰天する。声の主を探して視線を左右に向けるが、はたして声の主がフラスコだと分かると再度驚いた。


《ふ、ふふ、そこのエルフ娘ども! 私を崇め奉るが良い! 何を隠そうこの私は錬金術の始祖! ラ・クリカラ様である!》


「「は、初めまして」」


「ごちそうさまでしたー! またねお姉ちゃんたち!」


 食器を重ねてフルドが二人に礼を言う。そしてぬいぐるみとフラスコを引っ掴んで家から出ていった。


《ちょっと待て! あのエルフ娘をこき使って体を取り戻す計画が……》


「お外たのしいよ、急いでもいみないよ?」


《まあ……そうか。三千年ぶりの外を見せてくれフルドよ》


「はーい」


 またフルドは広場を歩く。途中でゴレムスが居たので肩車をせがみ、しばし楽しんだ。ゴレムスに別れを告げるフルドだが、にわかにダンジョン入り口の階段が騒がしくなる。


「ああ、主よっ! しっかりして下さいっ!」


「アンリ様……なんて事でしょう……!」


 階段からシリウスに背負われたアンリが姿を現す。虚ろな目でブツブツと言葉をこぼす姿はまさに不気味。ガブリールも心配げにアンリを見上げている。


「スライム……スライム……ああッッ! 嫌だあッッ! 体を溶かさないでくれえええッッ! あぁあああッ! 口の中に入ってくるううううッッ!!」


 ダンジョンで壮絶な死を遂げたアンリが発狂する。ドラゴンが守護していた扉の先の階層、そこはまさに魔境であった。アンリ自身の油断もあったのだろうが、格段に強くなった魔物はアンリを即座に殺害。その衝撃は正気を奪うには充分であった。


「兄様……なんてお労しい……」


「マジかよ……スライムってあんなに強くなるものなのか……」


「怖いです……怖いです……」


「死ぬのが俺様じゃなくて本当に良かったぜ」


 サレハ、クロード、ベルナ、フェインも列に続く。向かうは中央庁舎、そこでリリアンヌに治癒魔術を掛けてもらう予定である。


「ほら! 領主さま、いそがしいでしょ!」


《ホントだね……今日は無理そうかな》


 フルドは第一アダラ防壁へ続く石階段を登る。穏やかな風がフルドの頬を撫でて、少し短い尻尾が揺れる。白銀の髪が日光を反射してキラキラと光った。


「かぜが気持ちいいねクリカラお婆ちゃん」


《お、おば!? まあお婆ちゃんか……もういいよそれで、なぜ登ったんだいフルド?》


「ここからだとアーンウィルを全部みれるの。いいでしょー」


 フルドがフラスコを頭上に捧げ持つ。二百人はゆうに住める家々が立ち並び、錬金工房や鍛冶工房、木や鉱石などの資源が備蓄された倉庫も見える。防壁の外は一面の草原で、我が物顔で闊歩するオーガの姿がある。


(まだまだ発展途上だね。オーケンハンマーが居るってのに何やってんだか)


 クリカラは内心でため息をつく。


《フルドはここが好きかい?》


「うん、好き!」


《そっか》


 フルドは胸壁にもたれ掛かってアーンウィルを眺める。穏やかな時間、初夏の日差しは日陰に入れば防げるので、フルドとクリカラはしばしここで時間を潰した。


《なんか眠くなってきたな……ちょっと眠っていいかい?》


「いいよー」


 気が緩んだクリカラはその場で寝始める。ダンジョン内で積もった緊張が解けたこの一時、まさにクリカラの今後の人生を大いに左右する一時であった。


「ねちゃった」


 フルドはクリカラの体──フラスコをじっと見つめる。ふわふわと浮く光球、魂そのものとなったクリカラの現状である。


「体がなくてかわいそう……」


 フルドは大いに同情する。自由に歩けない体、冷たいフラスコに閉じ込められた稀代の錬金術師を。


(そうだ! 体ならある!)


 フルドはお気に入りの兎のぬいぐるみを膝の上に置く。そしてフラスコの蓋をポンと開けた。フルドは見たことがある。シーラがかつて治療のためにポーションを人に飲ませていたその光景。それを元にフルドはその彗眼から画期的な計画を立案せしめた。


「だいじな兎さん、お婆ちゃんにあげます。ごめんなさい領主さま」


 フラスコを傾けて兎のぬいぐるみの口元に当てる。そして少しずつ傾ければどんどんと魂はぬいぐるみに吸い込まれていった。


 誰が知っていたであろうか。

 義体への魂定着に必要な要素──それは人、もしくは獣を模した形代が必要なことを。魂自体が魔術的に抜き出されたモノであることを。


 この瞬間、完全なる偶然ではあるが、クリカラは義体への魂定着、その要件を完璧に満たしていた。


「かわいいよ、クリカラお婆ちゃん」


 兎のぬいぐるみがスヤスヤと寝息を立てる。寝苦しかったのかぬいぐるみはその場で寝返りを打つ。


 フルドはぬいぐるみ──いやクリカラの頭を愛おしげに撫でた。




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 今後もアンリ不在の時は三人称形式で書きます。Side◯◯形式は控える予定。あくまで予定。

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