第58話 ハーフェンの休日 下

「それでは行って参ります」


 レースの付いた白いブラウス、ワインレッドのスカート。リリアンヌは普段の修道服とは違う町娘のような格好をしている。


「私もクロードさんと一緒に買い出しに行ってきますね。ごゆっくり」


 ベルナがクロードの横で返事する。頬が薄っすらと赤いのは気の所為では無いだろう。あれが噂に聞く恋というもの。本でしか見たことが無いから空想上の産物かと思っていたのだが。


「いや俺は宿で寝てようと思うんだが……」


 クロードの無神経な言葉によりベルナが真顔になる。だがメゲない。ベルナはクロードの腕を引っ張って街の方へ消えていった。俺とサレハとリリアンヌが残される形となる。


「じゃあ……僕は、お留守番してますから」


 サレハが俯きながら零す。朝からずっとこんな感じである。


「修道院の子供と遊んでやってくれ。サレハが少し年上だから優しくしてあげなさい」


「はあーい」


「お土産買ってくるから」


「食べ物とかは嫌です。思い出に残るグッと来るものをお願いします」


 まさに無理難題。サレハは捨て台詞を残してから修道院の門扉を開けて中に入っていった。孤児の女の子たちにさっそく纏わりつかれている。仮面を何とか取られまいと奮戦しているがサレハで果たして防げるだろうか。


「私服を着るなんて久しぶりです。変ではないですか?」


「似合ってる似合ってる」


「本当に、本当ですか?」


 そこまで聞かれると俺のほうが困る。何とか言葉を尽くして不自然でないことを説明すると、リリアンヌはようやく頷いた。


「じゃあ領地の皆にも土産を買いたいから色々と見て回ろうか」


 リリアンヌが微笑み頷く。連れたって大通りへの道を歩くとリリアンヌがやけに小さく見える。いつも纏う厳かな修道服。それが彼女にある種の権威付けをしていたのか、栗色の髪がふわりと風に舞う姿はどこにでも居る町娘のようだ。


 大通りはいつも通りに人が多いからはぐれないように気をつける。しばらく歩くと目的地の雑貨屋に着く。ドアを開けると鈴の音が鳴った。


「フルドという獣人の女の子がいるんだが、彼女に土産を買う約束をしているんだ」


「お幾つくらいの子なんですか?」


「まだ6歳位だ。可愛い物が好きなんだが」


「ならばお人形です。アクセサリーも喜ぶでしょうが、外で遊んでるうちに無くしてしまいそうですからねえ」


 確かにフルドは活発でよく男の子集団に混じって遊んでいる。髪飾りも首飾りも遊びには邪魔であろう。


 木彫りの人形を手に取る。ドレスを着た女性がかたどられているが何とも可愛くない。微妙に精巧ではあるが人と創造物、どちら付かずの見た目が何とも薄気味悪い。値札に書いてある数値も俺の意気を削いでくれる。


 棚を挟んで向こう側、買い物客が俺を見てヒソヒソと囁きあう。


「ねえ……あの人、灰の剣士じゃない?」

「何で人形を……? 呪術に使うのかしら。変わり者だって噂だし」

「横の女性は誰かしら……?」


 見ず知らずのご婦人に噂され、居た堪れない気分になる。


「リリアンヌ……頼む、選んで欲しい」


「ふふ、いいですよー」


 機嫌の良さそうなリリアンヌがぬいぐるみを手に取る。ウサギを模しており、目はガラス玉で出来て表面には毛皮が貼り付けられている。


「ウサギなど良いのではないでしょうか」


 狩猟部族であるフルドたちにとってウサギは立派な食料。果たして可愛がれるだろうか。そう考えるとほぼ全てのぬいぐるみの元になる動物が食料足り得てしまうのが悲しい。


「うん、それにしよう」


 だが食べる事と可愛がる事は別ではなかろうか。正直考えても分からないのでリリアンヌの見立てに従う。


「店主さん。こちらを包んでくださいな」


 奥から女性の店主が出てくる。手際よく商品を包んでくれたので受け取り、代金を支払う。お礼を言う店主に軽く手を振り次の目的地に向かう。


「次はサレハの土産だ。一緒に帰るのに土産というのも変な話だが」


「ええ、行きましょう。一日あるのですからゆっくりと」


 大通りには様々な店が軒を連ねている。武具やマジックアイテム、食料品を扱う店など、それらをゆっくりと時間を掛けて回る。途中で軽食を取って休憩を取ればいつの間にか昼過ぎになっていた。


 街の中心部には噴水があり、その周りには数人で座れる横長の椅子がある。そのうちの一つに二人で腰掛ける。


「疲れてしまっただろう。だけど本当に良かったのか、リリアンヌも行きたい所があっただろうに」


「いえ、本音を言いますと街中でしたい事などあまり無いのです。普段は外に出ないものですから」


「意外だな」


「案外とつまらない女なのですよ私は」


 リリアンヌが噴水を見つめる。今日は少し暖かいため噴水で遊ぶ子どもたちが見える。手を水に入れたり、水底に沈んでいる石を取ろうとしたりと。


 ──ふと、噴水の縁を歩いていた子供が足を滑らせて落ちてしまう。膝を擦りむいたようで血が出ている。


「あら……大変」


 リリアンヌは直ぐに駆け寄り治癒魔術を掛ける。ふさがった傷を見て目を白黒させる子供。だがリリアンヌに頭を撫でられると笑顔を取り戻して礼を言った。


「ありがとうお姉ちゃん!」


「……いいんですよ。遊ぶのは楽しいけれど周りをきちんと見ましょうね」


「うん!」


 リリアンヌがこちらに戻ってきて座り直す。


「あの子の傷が治って良かったな」


「ええ、せっかく楽しく遊んでいたのですから」


「遊びか、俺たちも昨日クロードと一緒に釣りをして遊んだんだ。いやこれが中々楽しくてな。結局俺が釣った一匹だけで終わったんだが」


「……そうでしたか」


 興味のない話を聞かせてしまったのだろうか。リリアンヌは何処か上の空だ。背中にジットリとした嫌な汗が出てくる。誰か助けてくれ。こうなると春の陽気すら恨めしく思えてくる。何を勝手に暖かくなっているんだ──と。


「そう言えばトール様とシーラ様でしたか。領地にエルフの女の子がいらっしゃるのですね」


「ああ、色々と仕事をしてくれているよ」


「私がオルウェ王国の、エルフの民族衣装を薦めた時、なぜ別の物を選ばれたのでしょうか?」


「彼女たちは故郷を失っている。エルフの服は嫌な事を思い出させるかもしれない」


「ええ……それで」


 リリアンヌが右手を擦る。微笑んで口調も少し明るく、気を取り直したように話しかけてくる。


「それにしてもこの一月、色々なことがありましたね」


「ああ、薬草の採取依頼で妖精に騙されたりもしたな」


「あれだけ綺麗な妖精ですからねえ。邪気なき存在だと思っていましたが、騙されて崖下に落とされるとは思いませんでした」


「下に草が敷き詰めてあったから殺す気は無かったんだろう。悪戯にしては悪質だが」


 リリアンヌが口を抑えて笑う。前を通った男がリリアンヌに見とれてしまい、横にいる女性に思いっきり足を踏まれているのが見えた。


「あとクロード様が毒蛇に噛まれたり」


「あれはデカかったな。クロードが紫色になって泡を吹いた時は終わりかと思った。いや治癒魔術で助かったんだが」


「それと死霊術師を捕まえた時は大騒ぎでしたねえ」


「被害者が多かったせいもある。やっぱり死霊術師ってのは碌でもない連中だ」


「本当に、この一ヶ月は長く感じました。こんなに充実した時間を過ごすことはもう無いのかもしれませんね。貴方とサレハ様はもう帰るのですから」


 リリアンヌがこちらを見つめてくる。真剣な瞳で、自身の片手を握りしめている。噴水の水面を反射する光がやけに眩しく見えた。


「先程の子、私のことを聖女リリアンヌだとは分からなかったようです。街の人もみんな。私は修道服を着ていないだけなのに」


「それは……」


「私は元々ただの村娘だったんです。マリー様のお言葉通りに、神の教え通りに、人々の救いとなるべく働こうとも、結局の所は聖人などに相応しくありません。たまに辛くなるのです。私の代わりなんて誰でも務まるんじゃないかって」


「リリアンヌ、それ以上は良くない」


 リリアンヌの声──それ以外の音が全て消えたような錯覚を覚える。


「アンリ様も王族であることが辛くありませんか?」


「辛くないと言えば嘘になる。だがそれ以上に、俺の血肉すべてはこの国の民、彼らが必死に納めた税で出来ている。簡単に捨てることは許されない。今は名を隠しているがいつかは王族として国に尽くすべきだろう」


「他の方に任せればいいじゃないですか」


「だが」


「アンリ様──」


 手を握られる。華奢な腕に似合わない強さ、すこし指が痛む。



「二人でどこか遠くに逃げましょう。そこで名前を捨ててやり直しませんか?」



 これはリリアンヌの言葉ではない。彼女の本心であるはずがない。彼女が修道院の子供、そして救いを求める人を見捨てるわけがない。ああやっぱりと腑に落ちる。彼女はこんな俺でも気にかけてくれる、そういった人なのだと。


「ありがとう」


「……」


「リリアンヌが思ってるより俺は辛くない。領地のみんなは癖があるけど優しいし、何より自分の役割があることが嬉しい。王宮の連中には狙われているだろうけど打開策も見つけているからな」


「そう……ですか」


「領地のみんなが帰るべき場所を見つけるまで、それまでは頑張るよ」


「はい」


 握られた手が解かれる。彼女は少しはにかんで、言葉を零す。


「ふふ、ビックリしましたか? 貴方の驚く顔が面白いからちょっと悪戯をしてしまいました。悪趣味でしたね、申し訳ありません」


「やはりそうだったか」


「修道院のお仕事も楽しいのですよ。秋になったらブドウ踏みがあるので子供たちも楽しみにしております。ぜひアンリ様も見に来てくださいね」


「ああ、ビックリついでだが俺も渡すものがあるんだ。手を出してくれるか?」


 リリアンヌが手を差し出す。そこにそっと指輪──マジックアイテムである共鳴する指輪を置く。予想通りの驚いた顔。指輪と俺を交互に見るリリアンヌはとても忙しそうだ。


「これは共鳴する指輪、念話が可能になるマジックアイテムでな。ハーフェンで何かあったら俺に念話を飛ばしてくれ」


「え、ええ、そうでしたか! いきなり指輪を渡すものですから何かと思いました」


「さっき話したシーラも持っているからぜひ話してくれ。優しい子だからリリアンヌとも気が合うと思う」


「へえ……シーラ様ですかあ。一度お会いしたいですねえ」


「一度領地に来るのも良いかもな。いやあ楽しみだ」


 指輪を作ったオーケンには謝らないといけない。だが非常に便利なマジックアイテムなので今後も遠方の友人にはぜひ渡したい。追加製作を帰ってから頼むべきだろう。


「それで、どちらの手に嵌めれば良いのでしょうか。友愛の右手ですか、それとも愛念の左手?」


「へ?」


 当然だが右手である。だがなんと答えるべきか。笑って済ませてくれるはずのリリアンヌは何故か真顔。取り敢えず俺は「お任せします」と言葉を濁し、この場を見事に乗り切ったのであった。

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