第57話 ハーフェンの休日 上

 サレハを伴ってクロードが借りている安宿まで出向く。資金は潤沢にあるはずだがクロードは贅沢をしない。何に使っているか聞いてもいつも誤魔化されるので深くは聞かないようにしている。


 馴染みとなった安宿の主に挨拶をしてクロードの部屋前まで行く。ドアも立て付けが悪いため力を込めて開ける。するとギギギと乾いた音を立ててドアが開いた。


 部屋にはベッドがあるのみ。昼頃だと言うのにクロードはまだ寝ている。けしからん。サレハがベッドに歩み寄り、シーツの上の塊と化したクロードを揺さぶり始める。


「起きて下さいクロードさん。もうお昼ですよ」


「……あぁぁぁ……帰れ……」


「起きて下さいー」


「……」


 クロードはうめき声を上げて枕に顔を埋める。まるで厄介者が来たから現実逃避しているようだ。せっかく友達が訪ねてきたのに。


 意を決してベッドの脚を掴む。


「サレハ、向かいの脚を掴んでくれ。せーので揺らすぞ」


「承知しました兄様」


「せーのっ!」


 海上でぶつかり消えあう白波が如くにベッドが揺れる。ベッドの上でクロードが跳ねて、木が軋む音がした。仰天という所か。


「あぁあああっ! 何しやがるっ!」


「前に話していた領地に帰る件だが日付は明後日くらいになりそうだ。最後にクロードとサレハ、三人一緒に街を見て回ろうかなって」


「どうでもいい……この一ヶ月まったく休んでねえんだぞ……寝させてくれ……」


「ええー、何かこう……感動的な事を言って俺たちの成長を促したりしてくれないのか?」


「そんなものは無い。お前もガキじゃねえんだから自分で成長しろ」


 サレハが困り顔をする。俺はそっとサレハの肩を叩いてベッドの脚を指差す。すると得心がいったのかベッドの脚を再度掴んだ。俺も反対側を掴んで揺らす準備を始める。


「待て……それ気持ち悪くなるから止めろ。分かったから、遊びに行くぞ」


「俺は世俗に疎いからなあ。遊びって何をするんだ?」


「ほお……じゃあ俺が大人の遊びってもんを教えてやるよ」


 クロードがニヤリと笑い、備え付けのクローゼットをごそごそと漁って準備を始める。そして手を振って俺たちを部屋から追い出す。


「お楽しみってやつだから現地集合だ。ハーフェンの北にアーチ状の石橋があるだろ。そこで待ってろ」


「楽しみですねえ兄様」


「ああ、俺たちはそこで待ってるよ。すっぽかすなよクロード? 俺たちは何があろうと何時までも待ってるからな?」


「なんか重いな……遊びなんだから軽く行こうぜ……」




 ◆




 クロードの言いつけどおり軽食を屋台で買う。羊肉の串焼きをパンで挟んだもので、肉の香ばしい匂いと柔らかなパンの感触が食欲をそそる。紙袋に三人分を包んでもらい仕舞っておく。


 朝市場はもう終わっているため帰り支度を始める商人たちが見える。そして入れ替わるように移動式の屋台が立ち並んでいく。俺たちのような冒険者や流れ者、日雇いの労働者たちが群れるように買い求めていく。


「遊びって何だろうな?」


「分からないですねえ」


 俺もサレハも遊んだことなど無い。かつての楽しみといえば本を読んだり、空を飛ぶ鳥をみて羨ましく思う程度。サレハも同じようなものだろう。


 ふと前方を見ると三人の冒険者がいた。どこかで見た顔。そうあれはこの街に来た時に牡鹿の双角亭にいたような。冒険者も俺たちを見つけたようでギョッとした顔をして叫んだ。


「ゲエエッ! 灰の剣士と『黒の魔術師』ぃいっ!」


「ああぁっ! お前たちはっ!」


 俺とサレハの二つ名を叫んで冒険者たちは脱兎のごとく逃げ出す。あれは酒場でクロードに悪絡みをした冒険者たちであり、俺とサレハは逃すまいと必死に追いかける。


 賑わう大通りを走り抜ける。冒険者たちは路地裏に逃げ込み、積んであった木箱を倒して邪魔してくるが、サレハを抱えて跳躍し躱す。冒険者たちがまた悲鳴を上げた。


 サレハを下ろしてから路地裏の左右の壁を交互に蹴って移動する。冒険者の頭上を飛び越えて前方を防ぐ。後方にはサレハが居るため挟み込むような形となった。


「ま、待て! 俺たちも悪いことをしたと思ってるんだあ!」


 ツカツカと地面を鳴らしながら歩み寄る。腰に差したオリハルコンの剣、それとは違うもう一振りの剣を鞘ごと引き抜く。


「何も殺そうとしなくてもいいだろお!? 衛兵を呼ぶぞオラァンッ!」


「違う違う。剣を弁償しようと思って。前に俺が壊しただろ」


「はあん?」


 鞘に包まれた剣をポカンと口を開けた男に手渡す。酒場での乱闘騒ぎの際に、俺は彼の剣を壊してしまった。なので金を稼いでから同じくらいの品質の剣を購入し、いつでも返せるように持ち歩いていたのだ。


「その代わり汚れた服の弁償代をくれ。あの時、我が主の服がエールまみれになったから、石鹸代として銅貨一枚ってところで」


「いや剣とは全然釣り合わねえぞ。いいのかそれで」


「別にいい。その代わりに俺たちの貸し借りや遺恨はもう無しにして欲しい。駄目かな?」


「噂通りの変人だな……ほらよ」


 銅貨を手のひらに落とされる。人の恨みを買うことは恐ろしい。少しの遺恨がいつか障害となるかも知れないので、こうやって一つずつ潰していく。そもそも騒ぎを起こすべきでなかったという後悔もあるが、えてして後悔というものは先に立たない。


「これで終わりということで。じゃあ一緒に仕事をすることがあったらよろしく頼むよ」


「第三位階と仕事ねえ……する事があれば手伝うわ。じゃあ俺たちはこれで……」


「ああ、我が主クロードと金色の嚆矢をご贔屓に」


「俺はイガア、太っちょはデルガ、そこのノッポはマシューだ。何かあったらよろしく頼むよ。それと……悪かったとクロードの旦那にも伝えておいてくれ」


「ありがとう。それじゃあまた」


 手を振って三人と別れる。


 そして約束に遅れないように小走りでハーフェン北まで向かう。




 ◆




 都市ハーフェンに流れる川、それに掛かるアーチ状の石橋前にクロードは立っていた。呆れ顔でこちらを見つめている。


「お前ら何で汗だくなの?」


「色々あって、それで何するんだ」


「これを見てみろ。一目瞭然だろ」


「釣り竿……釣りか!」


 釣り竿が三本。それと蠢く虫は釣り餌だろう。クロードは俺とサレハに釣り竿を渡して、餌の付け方や糸の結び方を教える。投げ方はこうだとか。横にいる釣り人とは五人分の間隔を開けろとか色々と。


「後は体で覚えるもんだ」


 川沿いに立ってからクロードが見本とばかりに釣り竿を振る。竿がしなって重りと一緒に釣り針が飛んでゆく。ぽちゃんと音を立てて水しぶきが舞った。


「後は待てばいい。魚が俺たちより馬鹿だったら餌に食いつくだろうな」


 俺とサレハも同じ様に竿を振る。二つの水しぶきが舞って、三人でその場に座り込む。クロードは石で釣り竿を固定してさっそく昼食を食べ始める。


「美味いぞこれ。お前らも食えって」


「そうだな、ほらサレハも一つ食べなさい」


「ありがとうございます」


 周りに人は居ない。互いに本名で呼び合っても問題ないだろう。

 頭を空っぽにして魚が掛かるのを待つ。


 見上げた橋の上を荷車が通る。牽く男は汗を拭う。


 欄干にもたれかかって談笑する恋人たちが見える。


 川の上を小舟が通る。荷は塩か何か。


 魚は掛からない。まだだろうか。


 クロードが欠伸をしている。


 後ろを木の棒を持った子どもたちが走り去っていく。


 魚が掛からない。何でだろう。


「クロード、釣れないんだが?」


「まだ始めてすぐだろうが。釣りをしたこと無いのか?」


「王宮には川が通ってないから釣り竿を見たのも初めてかな。クロードはどこで釣りを覚えたんだ?」


「釣りは親父に教えてもらった。漁師になれってうるさくてなあ。芋と魚しか無い村が嫌で嫌で、なーんか村の暮らしは息が詰まるようだった」


 クロードが竿を上に少し引いて緩急を付けるので真似をする。


「んで村の幼馴染と冒険者になって……いや面白くもない話だな。アンリ、お前はどうなんだ。親父のことはなんか覚えているか?」


「……父王アルファルドか。あの人は何を考えているか分からないし、話したことすら殆どない」


 サレハが驚いた顔をして竿を上げる。しかし餌を取られた針が見えた。


「ああ……餌が……ええ、父王陛下ですか。あの人は何と言いますか、人間離れしてますからねえ。人を殺しすぎて狂ってしまったんじゃないですか」


「オルウェの国境紛争に、ダルムスクの大虐殺か。たしかに殺した人数で言えば大陸一だな。やだねえ権力者ってのは」


「本当だ。さっさと世継ぎを決めて隠居すればいいのに」


 世継ぎを決めないから派閥闘争が終わらない。このままでは南北の諸侯を巻き込んだ内乱が起こるだろう。流れる血の量は如何ほどだろうか。目の前を流れる川、それが赤く染まる錯覚を覚える。


「それと……クロード、ベルナとはどうなんだ?」


「何だって何だよ。ただの冒険者仲間だろうが」


「またまた。ふふふ、クロード君ってば」


 最近、ベルナのクロードを見る目が変わってきていると思う。食事のときにも最初にクロードに飯を渡すし、たまにクロードを見つめて頬を赤らめてぼーとしている。クロードはかなりの鈍感野郎だからベルナも苦労するだろうなと感慨にふける。


「何だってんだよ。って、おいアンリ、竿引いてるぞ!」


「何いぃっ! どうすればいいんだクロードっ!」


「引いて下さい兄様! 上にグイって!」


「お、おお! こうか!」


 竿を勢いよく引く。すると水面から子供の腕はあろうかという魚が跳ねる。強い引きに負けないように糸を手繰ると魚が川岸まで引っ張れた。すぐにクロードが手網を差し入れて魚をすくって地面に下ろす。


 ビチビチと地面で跳ねる魚。

 かなりの大物である。


「こりゃ凄い。夕飯にしようぜ」


 クロードが快活に笑う。俺らもつられて笑った。

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