第51話 ハイオーク・ネスト⑤

 迷宮の中では昼も夜も無い。


 ぐっすりと寝たので恐らく今は朝だとは思うが自信が持てない。サレハに準備を指示していた夜具は何故か三人分しか無かったので、仕方無しにサレハと俺が一つの毛布で寝た。確かにこれなら荷物を軽くできる。サレハが気を利かしてくれたのだろう。


 サレハの地図には昨日のハイオーク遭遇地点も書き込まれている。さらにその後の逃走経路もガッツリと抜かりなく。どうやら走りながら道を覚えていたらしい。俺より賢いのではないかという不安は兼ねてよりあったが、不安はえてして現実となるものだ。


 曲がり角に差し掛かったらこっそりと顔を出して魔物が居ないか確かめる。たまにランタンを持ったハイオークが居るので、見つからないように待つ。敵が居なくなれば駆け足で通路を走り抜ける。そんな感じで何時間も探索を続ける。


 戦士と魔術師では肉体・精神の成長傾向が異なるため、サレハとリリアンヌは少し辛そうにしている。


 たまにロットスライム汚物喰らいが目に映る。魔物が出した汚物を食らって生きる彼らは無害な魔物の象徴。倒す必要はないので放置して先に進む。彼らが居るからこそ迷宮はある程度清潔に保たれている。


 通路を進むとまたぞろハイオークが単独で歩いていたので、背後からこっそりと近寄って暗殺する。王宮では極限まで存在感を消すように努めていたので、足音や気配を消すなど造作もない。


「その剣の切れ味半端ねえな。ちょっと見せてくれよ」


「おう」


 クロードに剣を手渡す。ランタンの明かりで照らされてジックリと観察される俺のオリハルコンショートソード。たぶん王国内でも屈指の業物だろう。領地ダンジョンの装備は常識の埒外を行く性能を持っている。


「柄に『オリハルコンショートソード+18』って書いてあるんだけど……なんだこれ?」


「それはそういう物だ」


「茶目っ気があるねえ。けっこう好きだぜそういうの。馬鹿っぽくて」


 剣を返されたので鞘に戻す。個人的に装備素材はオリハルコンが好きだ。アダマンタイトは切れ味が良いが重くていけない。欲を言えばヒヒイロカネ製の装備は最高だが今のところ農具である大鎌しか無い。あれは切れ味は良いが狭い所では使いづらいので候補から外した。


 その後も探索を進める。


 昨夜の会話を経て俺たちは『金色の嚆矢』としてより強いパーティーとなった。ハイオークなぞ何のその。油断がなければ決して負けはしない。過信を捨てて自身を持って歩めば、この迷宮など鎧袖一触が如くに制覇できるだろう。


 未来は明るい。




 ◆




「ぐぅええ! ゲホッ!」


 口から水を吐く。背中をリリアンヌがさすってくれるが吐き気と水だけの嘔吐は止まらない。ついでとばかりに【ヒール治癒】も掛けてもらう事で何とか意識を保っている。


「ゲッホッ!」


 水と一緒によく分からない虫が口から飛び出してくる。ビチビチと濡れた地面を跳ねる姿は痛ましくも気持ち悪い。王宮ではよく虫入りのスープを出されたが、流石に食べはしなかった。まさか外に出て虫を食う羽目になるとは。


「はぁ……なぜ……こんな事に……」


 迷宮で出会った初めての罠。それは落下式の罠であった。何かをカチリと踏む感触がしたと思いきや、俺だけがパカンと空いた地面に勢いよく落下。小部屋に落ちてすぐさま天井は閉まり、そして水が大量に注ぎ込まれた。


「大丈夫かよ……いやマジで……」

「生きてて良かったです……」


 クロードとサレハの労る声。


 密室と化した小部屋。すぐに腰元まで水で満たされた。天井は高く剣で斬りつけるには足りなく、懸命に跳ねる俺をあざ笑うかのように水位は増していった。クロードがハンマーで叩き壊してくれたお陰で脱出は出来たが、その頃には天井まで水が達していたので水を飲んでしまった。


 水位が増してからは泳ぎながら剣で天井を切りつけていたので厚く硬い石もなんとかクロードと協力して壊せたが、一般パーティーでこの罠から脱することは難しそうだ。殺意が高い。領地ダンジョンと競えるくらいには。


「水没の罠と……名付けよう……強敵であった……」


 領地ダンジョンの罠とは違う。魔術的に作られた罠ではなく、技術力を持って作られた罠。寺院の僧侶が侵入者対策として作ったのかも知れない。


 思考はできるが目の前が少しボヤケて見える。言葉もすこし覚束ない。水をしこたまに飲んだせいだろう。


「大丈夫ですか。意識がキチンとあるか試しますので私の名前を言えますか?」


「リリ……アン……ヌ」


「違いますリリィです。お姉ちゃんでも良いですよ。道義的に見て私はアンリ様の姉と言っても差し支えありません。血の繋がりなど些事に過ぎません」


「お……おねえ……ちゃ」


 ぼんやりと返事を返そうとしたが、血相を変えたサレハが割り込んでくる。


「騙されはいけません。しっかりしてください!」


 サレハが手を振り上げて、そして激烈に俺の頬を叩いてくる。


「ぶべらっ!」


 乾いた音──そして悲鳴を上げる。叩かれることで意識がより鮮明になる。俺は何を口走ろうとしていたのだろうか。そもそもリリアンヌが何を言わせようとしていたのか。全てが恐ろしい。


「お前らさあ……遊んでないでさっさと先行こうぜ。そろそろ最奥っぽい雰囲気だしな」


「ええ、マナの濃さも尋常ではありません。あそこの大扉の先が最後でしょう」


 また大扉。頬がじんわりと痛む。リリアンヌが撫でると痛みは直ぐに引いた。これが彼女のスキルで『神の右手』と呼ばれているらしい。治癒魔術との合せ技が非常に強力とのこと。


「サレハ、後ろの通路を全て石壁で塞いでくれ。挟み撃ちを避ける」


「分かりました。お任せください」


 逃げる時には邪魔になる石壁だが、いざとなればサレハに消してもらえばよいし、何なら俺が蹴破ってもよい。ハイオークの膂力であの石壁を壊すことは出来ないだろう。


「さあ行くぞ。基本的に俺がすべての攻撃を引き付ける。クロードはサレハとリリアンヌを守って余裕があれば遊撃。サレハはひたすらに魔術攻撃で、リリアンヌは補助と治癒に専念。分かったか?」


「おうよ」

「はい!」

「了解です」


 三人の返事を聞いてから大扉をゆっくりと開けて中を窺う。


 そこは大部屋だった。女神像が部屋の四隅に建っており、真ん中にある祭壇を見守っている。割れた天井からは光がこぼれ落ちており、祭壇をひときわ明るく照らしている。


 祭壇の周りではハイオークが祈りを捧げている。知性のない魔物が神に祈るわけはない。だが現実として彼らは宙に浮かぶ水晶──蒼い光を放つそれに祈りを捧げている。


「祈リ──進化──マナノ風ヲ起コシ──コノ世ニ我ラノ栄華ヲモウ一度」


 ひときわ大きいハイオークが杖を捧げ持ち、言葉を発している。水晶から放たれている光が生き物のようにうねり、ハイオークの体に吸い込まれていく。


「オ前タチモ──力ヲ──」


 さらに水晶から光が飛んで周りの有象無象のハイオークに吸い込まれ、すぐに彼らの体は変質を始めてゆく。



 ──領地ダンジョンで見た魔物の姿へ。



「投石オーク……? なぜ、ここに?」


 思わず言葉が漏れる。領地ダンジョンの魔物は固有であるはず。過去の書物でもあのような魔物が居たとの伝承は残っていない。


「おい、祭壇の上に人が居るぞ。あれは……生贄か?」


 クロードが一緒に覗き込んでくる。祭壇の上に横たわった人間が居る。首から下がったプレートは冒険者の証。食糧としてか、それとも呪術的な生贄としてか、何にしても生命の危機にあるのは間違いない。


「行くぞアンリ」


「分かった。三秒数えたらドアを蹴破って突貫する。あのオークたちは石を投げてくるから振りかぶったら注意しろ」


「いいねえ、皆殺しだ。喋る魔物だからって同情するんじゃねえぞ。あいつらは人を喰らったんだ」


「分かっている」


 後ろを振り返れば決意を決めた二人も見える。


 高揚する気分を抑えて三秒数える。


 そしてドアを蹴破って魔物の群れに突進する。

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