第50話 ハイオーク・ネスト④

 会話とは素晴らしい文化である。


 例えば目の前に血まみれの斧を持った蛮族がいようとも、言葉さえ通じれば会話ができる。そうすれば斧に俺の血を上塗りされることもない……かも知れない。そこは相手の機嫌に左右される。


 殆どの魔物とは会話ができない。

 だから殺す。悲しいけれど仕方がない。


 そういえば上の兄弟とも殆ど会話ができていなかった。あいつらも性根がねじ曲がっているから死ねばいい。兄弟のうち13人中3人が既に死んでいるのだが。


 いや亡くなったうちツーロン兄上とアルファイブス兄上は良いお方だった。優しかったし尊敬できる人だった。けれど謀殺されているし、良い人だけが死んでいくこの世は不条理に満ちている。


 ボースハイト家は大体の世代で兄弟争いをしてその数を減らす。父王も他の兄弟を殺し尽くして玉座についた。狂っている。王冠にそこまでの魅力はないだろうに。


 その点、目の前にいる人々とは会話ができる。人間性も好ましい。聖女は隙あらば俺を尋問してくるが、彼女も思うところがあるのだろう。何であれ。


 目の前でメラメラと燃える焚き火を見れば、鍋でスープが煮えている。食欲をそそる好ましい匂い。やはり温かいモノを腹に入れるのは出先であろうと優先したい。


「スープがそろそろ出来ますよ」


 サレハが鍋をゆっくりとかき回すと、干し肉と野菜がグルグル回る。


 この小部屋に入ってから迷宮についての議論をずっと交わしていた。敵は人か魔物か、迷宮はどれくらいの大きさがありそうか、立ち込めるマナの濃さの理由などなど。結論としては何一つ推論の域は出なかった。だが分からないことが分かった。それでヨシとする。あとは自分の目で見るしか無い。


 サレハが木椀にスープをよそいながらクロードに質問する。


「クロード様は嫌いな野菜とかありますか?」


「子供扱いするな。味さえ付いてれば何でも食える」


「はーい」


 サレハが皆と打ち解けてきた。素晴らしい。サレハも俺以外の知り合いをもっと作るべきである。どうもサレハは俺に兄以上の何かを求めている節がある。父なのか、母なのか、どちらかは分からない。寂しいのだろう。ずっと一人だったのだ。


「……どうぞ聖女様」


「……はい……ありがとう……ございます」


 ずいとサレハが聖女に木椀を突き出す。聖女も思わず小声で応える。


 前言撤回。やはり打ち解けていない。このままでは聖女のスープが涙味になってしまう。あれは辛い。泣きながら食べる食事は心を弱らせる。


 はるか昔、自室で食べた涙味の食事を思い出して、思わず喉の奥に苦いものを感じた。


「こら、仲良くしなさい」


「でも……あの人が……」


「あの人って言うのも止めなさい。ちゃんと名前で……って俺も名前で呼んでなかったな」


 思わず墓穴を掘る。俺もずっと『聖女』呼びをしていた。彼女にはリリアンヌ・ルフェーブルという名前があるのに。


 取り敢えずパンをかじる。うん美味しくない。三人の視線がこちらに向くが気にせずに咀嚼する。


 飲み込んでからリリアンヌ聖女に向き直る。


「すみませんリリアンヌ様。弟が失礼しました。自分も無礼を反省しております」


「ごめんなさいリリアンヌ様」


「……! いえいえ! 私も失礼なことを言ってしまったと思い返しているんです」


 三人で謝り合う。一方でクロードがどこか居心地悪そうにスープをすすっている。あれは「早く終わんねえかな」って思ってる顔だ。俺には分かる。


「そういやさあ」


 話題を変えようとクロードが発言。頬をポリポリと掻いて所在なさげにしている。


「悪かったな。あのエルフ娘たち、お前に全部任せちまって」


「トールとシーラか。クロードにも理由があったんだろう?」


「まあ……あの時ぶちのめした人買い連中が居ただろ。チンケな奴隷商が元締めだったんだが『色々と』根回しをしておいた。その時にエルフ娘が居たんじゃ上手く出来る自信が無くてな」


 俺にトールとシーラを任せて、クロードは街で汚れ仕事をしてくれた。あの時の俺の様子を見て、三人でなら生き延びれる──クロードはそう判断したのだろう。実際に色々あったが生き延びている。いやダンジョンで死にはしたが。


「ありがとうクロード」


「お前は怒ってもいいんだがなあ。あれから一度も様子を見に行ってなかったし、俺も中々に不義理な男だとは思うぜ」


「いやいや。それでもありがとう」


 礼を言ったり謝られたりするのは何か恥ずかしく、ごまかすように二人してスープをすする。暖かさが喉を通って胃に溜まる感覚が気持ち良い。固いパンもスープに浸せば美味く感じる。いくらでも食べれそう。


 パンをもそもそ食べてると急にクロードが立ち上がり横まで移動してきた。その勢いのままドカリと座る。急になんだと思ったが、肩を抱かれて二人に聞こえないように耳打ちしてくる。


「あの聖女、俺は信用できると思う。お前が心配していることは分かる。王族だもんな。けど今まで腐るほど見てきたクズ共とあの女は違うことは目を見れば分かる。お前もそう思っているんじゃないか?」


 確かにそうかも知れない。そもそも間者であればあんなに分かりやすく聞いてくる筈も無いし、少々神経質になりすぎていたのかと思う。


「最後の判断は自分で下せ。けどな、ちんたら迷ってたら言う相手が死んじまうぞ」


 クロードが歯を見せて笑う。焚き火のバチバチと燃える音がいやに大きく聞こえた。


「確かにそうかもな」


 仮面に手を掛けて、そっと外す。リリアンヌとサレハが驚いた顔をしたが構わずに続ける。


「リリアンヌ様、今までお答え出来なくて申し訳ありません。俺はアンリ・フォン・ボースハイト・ラルトゲン。お察しの通りマリー・フォン・フォレスティエの息子です」


「やっぱり似ています……マリー様と……」


「そう言ってくださると嬉しいです」


 リリアンヌは涙ぐみながら俺の手を取る。包み込むように握られた手が温かい。


「母上とはどこでお知り合いになったんですか?」


「私が先代教皇猊下と一緒に王宮に出向いた際に、とても良くして頂いたんです。王宮では下賤の生まれと後ろ指を刺されましたが、マリー様だけは私を一人の人間として見てくれました」


 リリアンヌは母上との出会いを最初から話してくれた。十歳という若さで聖女の認定を受けた事。貴族や聖職の生まれでないことから来る誹謗中傷。ただの十の村娘には耐えられないだろう。事実、彼女はそこで心が折れたと語った。


「王宮の庭……そこでずっと花を見ていたんです。教皇猊下は王と何事かを相談されてましたが、私はする事が無かったのでずっと花を見ていました」


 新しい聖女。それを王侯貴族へ顔見せするためにリリアンヌは伴われた。心を支える使命もなく、ただ悪意の目に晒される日々。教皇が用事を終えるまでかなりの日数を王宮で過ごしたらしい。


「ふと気づくと髪に瑪瑙で出来た花飾りが挿さっていたんです。そこにはマリー様がいて、微笑みながら頭を撫でてくださりました」


 母上は花かんむりを作ることを嫌っていた。花は地から離れると死んでしまう。だから造り物で代用するか、見て楽しむだけにしましょうと──そう言っていた。


「こっそりと部屋にも泊めてくださいました。私と殿下そしてマリー様、一つのベッドで寝たことを覚えていますか?」


 たしかにそんな日もあった。あの時いた少女はリリアンヌだったのか。俺は当時四歳くらいだったから言われるまで記憶が朧気だった。


「はぁ? 僕も兄様と一緒に寝たことがありますがー?」


「お前黙ってろって。こっち来い!」


「むぐぐーーーー!!」


 謎の対抗意識を見せたサレハがクロードに口を塞がれながら連行される。


「それで……私の話を聞いてくれたマリー様なんですが、なんと教皇猊下を叱り飛ばしたんですよ。ちゃんと子供を見てなさいって」


 一転、リリアンヌがくすくすと笑いながら語る。我が母ながら剛毅である。教皇を叱り飛ばした女性など歴史上に居ただろうか。いや多分いない。


「マリー様のお立場は当然悪くなりました。けれど毎日私の治癒魔術の練習に付き合ってくださり、そして褒めてくれました。これは人を救う力だと」


 そこでリリアンヌは折れた心を繋ぎ止めたらしい。それからは聖女としての使命をこなし、孤児を養い、そして異例の若さで修道院長である総長の位に付いた──と。


「アンリ殿下が領地を拝領したと噂を聞いた時は直ぐにハーフェンの修道院へ異動しました。待っていれば逢える機会も増えるだろうかと思ったんです」


 恥ずかしい。顔見知りに仮面を着けて会いに行っていたのか俺は。とんだ道化である。


「そうだったのですか。俺も会えて嬉しく思いますリリアンヌ様。それで……申し訳ないですが母上の死んだ理由ですが、俺も分からないのです」


「いえ今は殿下がご無事だというだけで充分です」


「全てが分かれば必ずお伝えします。あと俺は殿下なんて上等な者では無いので『アンリ』とだけお呼びください」


「では私も様付けは不要です。私たちは『金色の嚆矢』の仲間なんですから」


 二人して口を抑えて笑う。ハイオークに見つかってはいけないので控えめに。


 ひとしきり会話をした後、ずっと静かだったサレハとクロードに向き直る。気を使ってくれたので礼の一つでも言いたい気分。気分がとても良い。


 しかしそこには暴れ疲れてぐったりとしているサレハがいた。魔術師とはかくも軟弱なものか。違う笑いが漏れそうになり思わず口元を抑えた。

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