第4話 キラキラ剣士は心酔する
絶望が、その場を支配しようとしていた。
ゾンビはますます力を増し、1体1体数を増し、バリケードに押し寄せて物量で破ろうとしてくる。
オレはゾンビ化した男の対応でいっぱいいっぱいで、田中さんも、皆を中に誘導する余裕はない。
そして遂にバリケードが破られ、自警団の何人かがゾンビの波に飲み込まれそうになった。そんな絶望的な瞬間。
そんな瞬間に、それ、は起きた。
急に、目の前の男が動きを止めたのだ。
何かを、恐れるかのように、一方向を見つめて。
押し寄せていたゾンビたちも、動きを止めていた。
皆一様に同じ方向を見つめていて、その表情には恐れが見える。
しかし視線の先に何かあるようにも見えない。あちらは湾岸道路があるはずだけれど……。
そうこうするうちに、ゾンビたちは潮が引くように、見つめていたのとは逆の方向へ動き出した。
ゾンビ化した男も、同じように動きだし、バリケードの外に出て、何処かへと……。
そのまま、ゾンビたちの背中が遠くなり、そして、見えなくなった。
助かった……のか?
それとも奴らが逃げ出すほど恐ろしい何かが……。
しかし、何かが現れるなんて事はなく、いつまでも動きを止めていても仕方ないと悟ったオレたちは、互いに目配せをして、負傷者を連れて中に避難する事にした。
その人が現れたのは、それからしばらく経って、負傷者の応急処置が済んで中に戻ろうかとした頃合いで……。
着古したパーカーにジーパンといった装いだった。小柄な体に、普通サイズのリュックを背負っていて、ほのぼのとした歩みは、およそ警戒するに値しない雰囲気だった。
近くまで来て、パーカーから覗く顔は年齢不詳、道に迷っていたらつい頼りにして道を聞いてしまいそうな、善良そうな顔つきをしている女性だ。その平和的な雰囲気と、おどおどとした人間的な態度が危機感を薄れさせ、田中さんも平時の災害避難のように対応していた。
何が起きているのか分からず、けれど警戒心も持てないオレは、身分証を見せられ、その名を確認するまで、完全に呆けていた。
けれどその名を聞いて、初めて会うのによく知っているその名を聞いて、オレの中の何かが弾けた。
「え、本当……に?」
信じられない気持ちだった。
だが免許証の生年月日で確認できる年齢も、おおよそ間違いない。よく見ると、リュックには怪しい、オマジナイ品っぽい人形もぶら下がっている。
西野陽子。オレがこの世に生まれるきっかけとなった恩人。
幾度となくオレを救ってくれた、『軍神の護符』の作り手が、目の前にいた。
ではもしかしてゾンビたちが引いていったのも彼女が何かマジナイを……そうだ。間違いない!
オレは、オレたちは救われたのだ。
急に態度を変えて喜色満面彼女を迎えいれたオレを、田中さんは凝視しているが、そんなことはどうでもいい。
それよりも、西野陽子もオレの態度に戸惑っているようで、オレは慌ててフォローをいれた。
「その、オレ、僕は大木プラトンと言います。その、同じ漢字で『陽子』と書いて『プラトン』です。その、親がおかしくて……だから同じ名前で驚いたというか、その……」
オレの名前を初めて聞いた田中さんは「え、大木くんプロトンなの? え?」とか言ってるがスルーだ。
オレは全神経を西野陽子に向けて、様子をうかがった。名前を付けられた経緯とかいきなり話すのはおかしすぎるが、同じ名前ということで少しは親近感を持ってもらえないだろうか?
彼女は戸惑いながらもおどおどと上目遣いで、
「あ、だ、大丈夫です。すいません。その、来たのは、食べ物がなくなって、だから……」
事情を話してくれる。なるほど、食料を求めてここに来たということは、つまりここに食べ物があれば、留まってくれるということか!
「大丈夫です! 心配いりません! この避難所はホームセンターもあって、種とかあったので少しは自給自足もできてるし、受け入れられますから! ですよね! 田中さん」
「あ、ああ」
田中さんはオレの勢いに戸惑っていたが、オレの言ったことは間違いではないし、ゾンビもいなくなった状況で無傷の無害そうな女性を受け入れることに問題があろうはずもない。
あってもオレがどうにかする。
オレの決意が伝わったわけではないだろうが、田中さんは状況を判断して、西野陽子に向き直った。
「あ、いや、大丈夫です。こんな状況ですから何か仕事はしてもらうと思いますが、受け入れは可能ですので安心してください」
「あ、ありがとうございます」
西野陽子がこちらの申し出に礼を言って、彼女はこの避難所に留まることになった。
少し複雑そうな様子だが、今のこの状況で簡単に受け入れられることが予想外だったのかもしれない。
ともあれ、彼女は目立つことを嫌うらしい。
彼女の信望者である母の言うことには、彼女に助けられた者は多く、母のような信望者も何人かいるので、テレビやネットニュースからオファーが来たことがあるらしいのだが、そのことごとくを断っているらしいのだ。自分はただ昔買った本のオマジナイを実践しているだけの取るに足らないナンチャッテ魔女なので、取り上げてもらうほどの価値はない、などと言っていたらしいが、剣道で精神を鍛えたオレにはわかる。目立ったりチヤホヤされたりすると、人は浮足立って何かを失うのだ。それは高尚な精神だったり、自戒の精神だったりするかもしれない。
彼女はあらかじめ自身を律することで、その高潔な精神を保っており、それがひいては彼女の力の源となっているのだろう。
だから、決めた。
周囲に悟られないように、そして本人にも気付かれないように、水面下から彼女をフォローしよう。彼女がこの避難所で、目立つことなく確実にオマジナイが行使できるよう、場と状況を整えよう。
なるべく、密かに。
「田中さん、西野さんは怪我もないようですが今のご時世です。しばらくは個室にいてもらった方がいいと思うのですが……」
感染を危惧して2週間隔離するのは、感染を疑われる避難者に適用される規則だ。
実際にはこの状況になってから10日ほどしか経っていないので、隔離された人はずっと個室で過ごしてもらっているが、このショッピングモールにはネットカフェがついていたので、個室にはまだ少し余裕がある。
オレの申し出は、不自然ではないはずだ。
「あ、ああ、そうだね。そうしてもらおう。……西野さんもいいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
よかった。とりあえず西野陽子のプライベート空間は確保できた。
おマジナイをするには静かな空間や、他に誰もいないことが求められることが多いらしい。ネットカフェの中でもランクの高い部屋は普通の個室っぽい作りになっているので、なんとか間に合うだろう。
2週間たったら移動することになるかもしれないが、その時のことはそれまでに考えておけばいい。
「それじゃあ案内します。田中さん、後は任せてもいいですよね?」
「あ、ああ、ああ」
ゾンビがいなくなったので、負傷したものを優先的に自警団の団員の何人かは建物の中に入ったが、バリケードが崩されているので修復作業が必要だった。
いつもであればオレもそれを手伝うのだが、今は西野陽子の方が大事だ。
ここが避難所になった当初からここにいたオレは、各部署にそれなりに顔が効くし、西野陽子のためにいい部屋を確保しなければ!
ヤバイ。テンションあがる。
その上がったテンションを表に出さないよう努めながら、オレは西野陽子を中に案内した。
彼女は黙ってついてくる。どこか諦観したような空気を感じるが、たぶん気のせいだろう。
オレは道すがら、ここでの生活を案内することにした。
「西野さんには個室で寝泊まりしてもらいますが、隔離というわけではないので自由に行動してもらって大丈夫です。ただ睡眠時は無防備になるので、他の人が就寝している区画とは分けられる形です」
まずは行動に制限がないことを理解してもらって、食事をする場所に案内する。
「食事はこちらのフードコートで受け取ってください。今お腹は空いてますか?」
「あ、いえ、まだ、大丈夫、です」
西野陽子は恥ずかしそうに視線を逸らしながら、遠慮してきた。いや、本当にお腹が空いていないのか? ちょっとわからないのでそれ以上踏み込むのはやめておく。
「食料は有限なので、食事がもらえるのは1日3食です。あそこのカウンターに行って身分証を提示すると、名簿に記載してその日の分の食券が渡されます。今食べる必要はないので、今日の分の食券だけもらっておきましょう」
オレは西野陽子を先導して食券カウンターに行くと、西野陽子に身分証を呈示してもらって、新入りだと係の者に説明する。
食券の係をしているのは、ご近所に住んでいた斎藤のおばさんだ。
「あらあらかわいい新入りさんね。大木くんが案内しているの?」
「はい。避難してきたときそこにいたので、その流れでそうなりました。部屋まで案内してきます」
「そうなんだ。ご苦労さんだね。えーと、西野陽子さん? 私は斎藤って言います。いつもこの場所にいるから、どうぞよろしくお願いしますね」
「は、はい。よろしくお願いします……」
西野陽子は斎藤のおばさんから食券を受け取って、ペコリと頭を下げた。この人、うちの母親より上なんだよな。全然そうは見えない。下手するとオレと同じ年くらいに見える。
さすが、魔女なだけある。
「食事は今するの?」
「いえ、今はまだお腹空いてないそうなので……」
「それじゃ、これを渡しておこうね。ここの利用方法が書いてあるから」
斎藤さんが渡したのは、食堂の利用方法を記載したペラ紙だ。電気がまだ使えているので、スーパーにあるコピー機でコピーできたのだ。
「あ、ありがと、ござ、ます」
西野陽子は少し言葉を詰まらせながら、礼を言った。
少し話すのは苦手なのかもしれない。ここにたどり着くまでに、何か問題でもあったのだろうか?
オレもパンデミックが起きてからいろいろあったし、オレよりつらい目に遭った人も何人か見てきたので、言葉がうまく出なくなってしまう症状にも心当たりがある。
斎藤さんもそうなのだろう。西野陽子を気遣って、困ったことがあれば相談するようにと申し出ていた。
西野陽子はそれにも礼を言って、その場を離れた。
それから、見やすい館内地図のある場所を案内して、館内地図が掲載されたショッピングモールのパンフレットを渡し、ネットカフェのある北側区域まで案内してきた。
「ネットカフェの個室は中から鍵がかけられるようになっていて、防音もある程度大丈夫です。ネットは使えませんが……」
「はい」
「部屋は……」
案内ボードを確認すると、3か所空いているようだ。
「どの部屋がいいですか?」
「え……」
「こちらとしてはどの部屋を選んでもらっても一緒なので」
「あ……じゃあ、この部屋……で」
西野陽子が選んだのは北西隅の小さめの個室だった。トイレは近いがシャワーは遠い。
「登録しますね」
案内ボードを操作して、部屋にチェックインしてカードキーを渡す。
「部屋の中にネットカフェの案内書があるので読んでおいてください。シャワーやトイレの使い方はそれに準じる形なので。後、何かあったら部屋から出ずに非常ボタンで知らせてください。個室以外は監視カメラで確認できるので、自警団が対処します」
「は、い。わかりました。よろしく、お願い、します」
よっし! よろしく、いただきました!
それから部屋まで案内して、扉の前で、
「それじゃ、
…………その、何か聞きたいこととかありますか?」
期待を込めて聞いてみた。
もしかして魔女的な何かで、オレとの繋がりを感じたりなんかは……、
「い、いえ、大丈夫、です。ありがとうございました」
まあしませんよね。
「それじゃ、オレは行きますね。何かわからないことがあったら……オレはなかなか捕まらないだろうし、食堂の斎藤さんにでも相談してください」
オレは不審がられないようにあっさり流して、せめてもの抵抗で手を差し出した。
「これからよろしく」
「あ、は、あ」
西野陽子は戸惑いながらも握手を返してくれる。暖かい手だった。
「それじゃ」
オレは嫌がられる前にとその手を離し、西野陽子は扉の奥へ消えた。
ああ、緊張した。
ともあれ大きな仕事を為して、一息ついたオレは、自分のとった不審な行動を説明しようと田中さんの元へ向かった。
しかし、
行った先で、何も終わっていないことを思い知らされた。
出入口のところに人が集まって、なんだか出ていこうとしているようだ。
それを田中さんが押しとどめていて、
「田中さん! 大丈夫ですか?」
駆けつけると、田中さんが弱り切った様子で、助けを求めるようにオレを見た。
そして集まっていた人たちもこちらに視線を向ける。
「ああ、丁度よかった。大木ちゃんもなんとか言ってやってよ。このおっさん、俺たちが出ようとするの、邪魔するんだよ」
「た、た、たしかに私たちはここに避難してきましたが、監視されて半ば監禁されているような状況は承服いたしかねますというか」
「あのねー、なんだかわかんないんだけど、ここ空気悪いのよ。居づらいっていうかー」
そこにいたのは、我儘だったり問題行動が目立ったり、感染が強く疑われる人……いわゆる、これから問題を起こすかもしれない、要注意の危険人物たちだった。
危険だが、実際問題を起こしたわけではないので、追い出すわけにもいかない、そんな危険人物たちが、こぞってこの避難所から出て行こうとしていた。
都合が良すぎて、まさか、とも思う。だけど本当に起こっているのだ。
「大木くん、これはどうしたら……」
田中さんは迷っているようだ。たしかにこの避難所は自主的に集まってきた者たちが自主的に協力して共同生活している場所だ。
尊重されるべきは自由意志であり、出て行こうとする者を止める権利はどこにもない。
しかし外にゾンビがいる状況でいきなりここを出て行きたがる等、どう考えても異常な行動だ。それが本人の意思だと断じるのはいささか難しいのだろう。
しかし、
「本人が出て行きたいというのなら、止めることはできませんよ」
オレは決断した。今は、切り捨てるべきを切り捨てないと、自分たちすらも守れなくなる時だ。西野陽子は、それをオレたちに教えるために、ここへ現れたのだろう。
守るべき者と切り捨てるべき者を間違えさせないために。
「さようなら皆さん。どうかお気をつけて」
オレが言い切ると、田中さんは咎めるような視線をこちらにぶつけてきた。
しかし、本人の希望がある以上引き留めるなんてできない。出て行きたいという者を引き留めて、今後協力してくれるとも思えない。
ここが切り捨て時だった。
田中さんは渋々出入口の扉を開けて、彼らを外に送り出した。
「…………大木くん、君には何が起きたのか、わかっているのかい?」
彼らの背を見送りながら、田中さんが聞いてくる。
俺は首を横に振った。
「わかりません。でも、いつかは限界がくるから、こういうことには慣れた方がいいと思ったんです」
答えにならない答え。だけど田中さんは息を吐き出して、受け入れた。
「彼らが自分から出て行ったことを皆に納得してもらわなきゃいけないね。まあ勝手な人たちだったから、それで納得してくれるかもしれないが……」
無理なら……。
それで和を乱すような人もまた、ここから出ていくのだろうか?
それはとても恐ろしい想像だったが、同時に希望の光でもあった。
この西海岸モールには魔女がいる。
この末期的状況にあって、ゾンビを祓い、悪意を遠ざけてくれる、心強くも残酷な魔女が、この西海岸モールを守ってくれるのだ。
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