第2話 キラキラ少年剣士は救われる

 世界が崩壊した。


 なぜそんなことになったのか。何か原因があるのかはわからない。

 だけど世界は崩壊して、人の想いが形になるかのように、宗教の逸話やおとぎ話、都市伝説等が現実化した。


 最初は 心霊現象だった。

 いないと思いながらも、心のどこかで在ると思ってしまっている。そういったあやふやで否定しきれていないような事象から、現実化は始まった。


 そして都市伝説、UFOやUMA。

 最初はほとんどの人が信じなかったそれらが、目撃例が増える度に信憑性を増し、人々がその存在を認めるほどに、現実のモノとしてそこに現れ始めた。

 宗教関係の逸話が現実化しだしたのもこの頃だ。


 これは海外の話だけれど、悪霊が現実化し、宗教家が除霊した。

 それにより、その宗教で語られていた天使や悪魔の顕現を信じる者が増加し、天使や悪魔すらも現れ出したという。信者が多い場所ほどその力は強く、欧米各国は天使と悪魔の戦いに巻き込まれる形で崩壊していった。

 さらに死者の復活。ゾンビや吸血鬼といったアンデッドが動き出したのもこの辺りで、人々は世界がそうなってしまったのだと思ってしまった。


 宗教を信じる者が少なく、謎の神風に守られていると信じている者も多い日本では、都市伝説が密かに蠢いている程度だったのだが、各国がゾンビパニックに陥ると、他人事ではなくなった。東京を舞台にしたゾンビ映画のせいで、東京からゾンビパニックが起きると、多くの者が想像してしまったからだ。


 もちろん、これらの考察に証拠はない。

 そもそも信じただけで現実化するのであれば、世界はもっと混沌とするはずだ。

 しかし今起こっている事象が、人の信心と無関係とも思えない。

 ネットで討論され、考察されていたこれらの見解は、ネットが遮断されてうやむやになった。

 もしかするとネット遮断は、真実を知られたくない者たちの陰謀かもしれないが、今となっては真偽を確かめる術もないし、知ったところで自分に何ができるとも思えない。


 なんせ相手は、マジモンの悪魔かもしれないのだ。


 それに、そんなことよりも、今は目先の危機だった。

 ネット遮断と同時にほとんどの電話は使えなくなった。唯一昔ながらの電話線は使えるらしいが、オレは携帯電話に頼っていたし、実家はIP電話だったので、双方向にどうしようもなくなった。

 それとほぼ時期を同じくして、公共交通機関も運行を停止した。

 ネット遮断が原因でいくつかの事故が起こり、復旧作業もままならず、そのまま、ということらしい。

 こんな状況下で電気ガス水道が止まってないのは、幸いという他ないが、これもいつ止まるかもわからない。

 何よりネット情報が確かならば、いずれゾンビがこの町にもやってくるはずなのだ。オレたちの住むこの町も、地方に住んでいるオレの両親も、いつまでも無関係でいられないだろう。


 さて、この辺りでオレの話をしよう。


 オレの名前は大木陽子(おおきプロトン)。

 頭おかしい。なんだこの名前。

 オレは、母親がDVのやばい旦那と別れた後、出来ていた事に気づいた子供で、親権等民事的なものは行政の人が手続きしてくれて問題なかったそうなのだが、精神的に追い詰められた母は、オレを産むことを恐れ、流産寸前だったらしい。

 その時に頼ったのが、母が学生の頃よく利用していた『西の魔女のおマジナイ』というおまじないのサイトで、やり方が掲載されていて、ありふれた材料で実行するだけのおまじないはローリスクで、内容も気を強く保つ為の何某という感じのフワッとしたものだったので、軽い気持ちで実行してみた、という話だった。結果、確かな効果を感じ、ついついお守りのようなグッズまで買うようになってしまって……どう考えてもやばい流れなのだが、不幸中の幸いというべきか、そこは宗教ではなく、個人経営のグッズ販売サイトだったので、多少散財する程度の被害で済んだらしい。

 それで精神的に少し安定した母は、無事オレを出産し、めでたしめでたし、……となる、はずだった。

 うちの母親が頭おかしいのはここからで、学生時代から同人として活動していたサイト主は、当時のゆるい個人情報管理が災いし、母に本名を知られていた。それ自体はこちらにとって何の不利益もないことのはずなのだが、ここからが問題で、うちの母親は何を思ったのか、そのサイト主の名前をオレにつけたのだ。


 オレが無事生まれたのは、そのサイト主のおかげだとか言って。


 西の魔女のHNを持つサイト主の名前は『西野 陽子』。生まれた子供が男だったので、さすがにそのまんまではマズイと思い、陽子を原子核を構成する粒子の陽子として、プロトンと呼ぶことにした。なんでやねん。シングルマザーの母に、ツッコミ役はいなかった。


 キラキラネームにしてもヒドイ。意味不明すぎる。


 そんなキラキラネームをつけられたオレは、小学生の頃、グレた。こんな名前で、からかわれる度にヘラヘラしていたら絶対にナメられると思った俺は、ダサかろうとグレる道を選んだ。馬鹿にしてくるヤツはコブシで黙らせた。名前で呼んでくるヤツは、とにかく無視した。同じようにグレている連中の仲間になって、縄張り争いやケンカに明け暮れた。


 そんな生活は、中学の頃母親の再婚して、その再婚相手の義父に諭されるまで続いた。


 だけど、義父に諭されて、精神を鍛えるために剣道場に通うようになり、尖っている自分が無性に恥ずかしくなったオレは、自分を改めることにした。

 仲間も同じ年代で思春期だったので、グレてるとか恥ずかしいと思っていたヤツも多く、自然消滅に近い形でグループは解散となった。


 それはいいのだが、グループを解散したとしても問題があって、地元ではオレの悪評が広まっていて、今更真っ当になったところで、はいそうですか、とはいかなかった。残念なことに、オレは恨みを買いすぎていたし、一度植え付けてしまった恐怖は簡単に拭いされなかったのだ。


 そこでオレがとった作戦は、地元を離れての高校デビューだ。

 親を説得して、偏差値の高い遠くの高校に受験して合格し、生活費をバイトで稼ぐことで、一人暮らしすることも許された。

 寮などがある学校ではなかったので安いアパートを借りてそこに住んでいるが、部屋にトイレと、共同の風呂もある物件なので、中々快適に暮らせている。しかも家賃は親が出してくれている上、母が育てた野菜なんかを送ってくれるので、バイトは土日のみで、剣道部の活動に参加する余裕もある。

 中学の頃と違って精神に余裕のあるオレは、名前でからかわれてもそれをネタに笑いを取れるくらいだし、普通に友達もできて、中々充実した生活を送れていると思う。剣道で鍛えられた身体は引き締まっているし、そもそも容姿は悪くはないので、女子にも人気があるようだ。

 オレはこのまま、穏やかで充実した日々を送れると、信じて疑っていなかった。


 それが……。


 突然、世界中の人間に降りかかったパンデミックによって、すべてが、世界中の人間の生活すべてが、一変してしまった。


 その日は、当たり前に学校に行き、当たり前に部活をして、当たり前に帰宅をした。

 ネットでは遠い町の事件や、ネット遮断の予告などで賑わっていたけれど、オレには関係のないことだと思っていた。

 いつものように食事の準備をして、共同のお風呂に入り、そのあとのんびりと部屋で寛ぎながら、テレビのニュースでゾンビの出現のニュースを見て……。

 どうせ、錯乱した不審者か、ユーチューバーの悪戯だろうと思った。

 だから何の警戒もなく、ネットで騒いでいるのを笑い飛ばして、眠くなったら寝て、そして起きたら…………。


 世界が、一変していた。


 具体的には、ネットが使えなくなり、テレビもつかなくなった。

 後で聞いたところによるとラジオの電波は無事だったらしいが、オレはスマホのラジオアプリを使っていたので無理だった。

 外では事故でもあったのか、サイレンの音が鳴り響き、アパートの前の通りでは、不安になったご近所の人が寄り集まって井戸端会議をしていた。


 これが、終わりの始まり、というヤツだろうか。


 動揺して、俯瞰的にそんな事を考えたオレは、これまでに見た読んだ映画や小説から今後の展開を予想した。


 もし本当にゾンビパニックが起きているのだとしたら、感染者が正気のうちに車や飛行機を利用して感染を広げる可能性がある。鳴り響くサイレンが無関係とは思えないから、脅威はすぐそばまで迫っていると考えた方がいいだろう。

 その上でこの安アパートだ。

 ここに閉じこもったところで防御力は期待出来ない。武器もない。喧嘩には自信があるが、素手で戦うのは感染リスクが高すぎる。


 オレはすぐ動くことにした。

 荷物や格好は学校に行く時の物でいい。制服は頑丈だし、ゾンビがいるのだとしたら、大きい荷物で動きが取れなくなったり、体力を奪われる方が問題だ。


 それに……、


「あら大木君、おはよう」

  家を出ると、井戸端会議をしていた近所のおばさん……世話好きの斎藤さんに呼び止められた。

「おはようございます」

 挨拶を返すと、当たり前のように会話を続けてくる。

「もしかして学校に行くの?」

 ご近所との良好な関係は、これまでの生活で築き上げてきた成果ではあるが、初動が重要な今の状況では枷になりかねない。

 だからこそオレは肯定する。

「はい。学校から何の連絡もないのに休んだら、皆勤逃しちゃうんで」

「……でも大変な状況みたいだし、学校も休みなんじゃないかしら」

「そうですね。でも電話も繋がらないし確認のしようもないので、とりあえず行ってみます」

「そう? それじゃあ気をつけて……何かあったらこの地域の避難所は市の上小学校だから、そちらに来ればいいからね」

「はい。ありがとうございます」


 オレは反論することなく頷いて、その場を離れた。

 やはり制服を着てきたのは正解だと思う。

 こういった状況において、正しいのは集団を形成して近くの避難所に行くことだろう。しかし、今はまだ切羽詰まっていないので、学校へ行くという選択肢もさほどおかしくはない。

 それでも明らかに避難するような恰好をしていたら、学校へ行くと言い張るのも難しかったろうから、服装はいつもの登校時の服装一択だった。


 それでも斎藤さんは何か言いたそうな顔をしていたが……。

 町内会の役員もしている人なので、非常時の避難誘導的な役割があって、大人としての使命感に燃えているのだろう。

 立派だと思うし、協力したい気はするが、今はそれよりもやるべきことがある。


 武器の調達だ。


 俺は学校で剣道部に所属しているのだが、毎日持って帰るのが面倒なので、自分の竹刀を学校の部室に置きっぱなしなのだ。

 さらに言えば、学校の部室には剣道部の備品である木刀もあったはずだ。

 パンデミックが本格化すれば動きがとれなくなる可能性が高いのだから、法に触れない範囲の備えは急いだほうがいい。


 オレは足早に学校へと向かった。


 この辺りは古い埋め立て地に作られた住宅地で、団地やアパートが多い。

 これで情報さえ家に届くのであれば家に引きこもる選択肢もあるのかもしれないが、ほとんどの電話とネットが使えなくなり、有線のテレビも映らない状況で、人々は情報を求めてか外に出てきていた。

 近所の人と情報交換する者、避難所や知人の家に向かう者、情報がないので、皆それぞれ自身の判断で行動している。オレのように、避難所でもない学校へ向かう者は少数だ。

 少なくともオレの通う学校は、ほとんどの生徒が親と同居なので、こういった事態の時は親と離れたりはしないのだろう。


 そして車は渋滞していた。


 単純に車が増えているというのもあるだろうが、その先頭は普通に事故で、パトカーと救急が駆けつけているが、けが人の搬送に入ったくらいの状態で、道を塞ぐ事故車の移動は現場検証の関係からも後回しにされていた。

 幸いといっていいのか、ゾンビパニックは起きていない。搬送されていったけが人の顔色は悪かったが、それをゾンビ感染者と断じるには、情報が足りていない。

 何より、事故を眺める人たちが冷静な様子なので、明らかにそうだという状況ではなかったのだろうと伺える。

 オレは野次馬を避けるために道を迂回して、何度か通ったことのあるわき道から、学校を目指した。


 それからは特筆することもなく学校に到着。

 オレの通う学校は私立で、避難所にも指定されていないので、門は閉じられ『休校』の札がかけられていた。用のある人はインターホンを押すように、とのことなので、オレはインターホンを押した。


『はい、どうしました?』

 落ち着いた男性の声だ。

 この様子だと、校内に問題は起きていないらしい。

「あの、すいません。ここの生徒なんですけど……」

『ああ、それは大変でしたね。本日は休校に決まってしまったんですよ。電話で連絡できるかぎりは連絡したのですが、今日はメールも携帯電話も使えないもので……申し訳ありません』

「はい。わかってます。ただその、中に取りに入りたいものがあるんですが、入れてもらうわけにはいきませんか?」

『……学生証は持っていますか?』

「はい、大丈夫です」

『では今からそちらにいきますので、少し待っていてください』

 それから守衛のおじさんが来てくれて入校の手続き、オレは中に入って、速やかに剣道場へ向かった。


 剣道場は部室棟の奥にある。

 部室棟の中を通り抜けた方が速いので、オレは部室棟を抜けることにした。しかし、部室棟に入ってすぐ、オレは後悔することになる。


「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!」

 布を引き裂くような男の悲鳴が聞こえてきたのだ。

 方向は男子トイレのある辺り。

 そういえば、部室棟の男子トイレにはキモイ怪談があった気がする。なんだったか……『トイレの花子さん』の男子版みたいな感じの……。

「ヒィィィィィ!!

 だぁれかぁぁぁぁーーーーー、たぁーーーすけぇてぇぇぇーーーー!!!」

 心底スルーしたいが、このあやふやだったことが現実化するようになった世界で利己的な行動をとることは、なんだか危険な気がした。ホラーとかで小悪党が率先して襲われるように、都市伝説系の災厄は、ちっさくてセコイ悪から襲っていくのではないか、という、根拠のない憶測。いわゆる、フラグ、というものが現実化しているのではないかという恐怖が、オレを足止め、苦渋の決断を選ばせた。

 断腸の思いで、悲鳴の上がった男子トイレに駆けつける。

「!」

 トイレの乾いた床に、腰を抜かした男子生徒が転がっていた。

 壁を背にして、視線の先はトイレの個室。そこから……黒いモヤのようなものが這い出してきて……。

「大木!!!」

 オレが黒いモヤに気を取られている間に、オレの存在に気付いた男子生徒が、シャカシャカとゴキブリのように這い飛んできた。キモイッ。

「大木ー、大木ぃぃぃー」

 涙目でオレの後ろに回り込み、ガタガタ震えながら足元にすがってくる。

「たぁーーすけぇてぇ」

 キモイ。だが今はキモイ男子生徒よりも黒いモヤが問題だ。

 這うように個室を出た黒いモヤは立ち上がって、人のような形をとって……。

 ヤバイ。ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!

 気が動転したオレは本能的に後ずさるが、男子生徒がガッツリ掴んでいるせいで身動きがとれなかった。

 絶対絶命の窮地に心臓は激しく脈打ち、背筋は凍りつくようで、余計なことを考え

ずに逃げていればと後悔するも、もう遅い。

 オレ……は……。


 えっ?


 オレは気付いた。胸ポケットがほんのり暖かい。

 カイロなんて入れた覚えはないのだが、一体……。

 オレはほとんど無意識にそれをまさぐって、

「……はは」

 思わず乾いた笑いを漏らした。

 胸ポケットに入っていたのは母が送ってきた『軍神の護符』だった。母からの手紙には、不運やアクシデントから身を守る効果があり、有事の時には心臓の上に当てて一心に祈ることで難事を逃れられると書いてあった。もちろん、例のサイトの通販で入手したものだ。


 馬鹿馬鹿しい。暖かいと感じるのは気のせいだ、などと断じることはオレにはできない。

 なぜなら、経験則で知っている。おまじないは、効果があるのだ。特に心が弱っている時は、信じる者は救われてしまうのである。

 根幹にあるのは母からの刷り込みだろう。変な名前まで付けられて、それが全くの紛い物だと決めつけたくない気持ちもある。


 オレは、祈った。

 胸ポケットにあった護符を取り出して、ドキドキと落ち着かない心臓に押し付け、一心に祈った。

 暖かい、気がする。落ち着いてきた、気がする。黒いモヤの動きが鈍った、気がする。

「大木? はえ……何……やって……?」

 オレの奇行に、縋り付いていた男子生徒が虚をつかれたように力を緩める。

 オレはその腕を掴んで、立ち上がらせた。

「逃げるぞ。走れ!」

 グイと引っ張ると、男子生徒は一歩踏み出した。

 それを合図に俺も走り出す。

「うひぃ、ま、待って……」

 情けない声だが、なんとか走って、ついて来ているようだ。


 オレはとにかく走って……武器だ。剣道場に行って武器を手に入れようと思った。

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