西海岸モールの魔女

西のほうのモノ

第1話 引きこもり魔女は追い詰められて避難所に行く

 もう限界だった。

 元々一人暮らしで引きこもりの私は、マンションの自宅に普通より多めの備蓄を用意していたつもりだったが、それはあくまでも一般的な災害向けで、普通に1週間程度が目安だった。


 しかしながら、あの天変地異はそんな甘いものではなく、事が起こってから10日が経過した今でも状況は変わらない。誤魔化し誤魔化し食い詰めてきたが、もう限界だ。


 言い訳するわけではないが、あれは、あまりに突然だった。


 いや、予兆はあったのだ。


 例えばそれは心霊現象。

 とある宿で、座敷童を思わせるオーブが連日出現した。

 例えばそれは都市伝説。

 赤いマントの不審者が出現して、子供が何人か行方不明になった。


 そのような事件が多発して、テレビは相変わらずだなぁ、とか、変質者怖っ、とか、他人事のように思っていた。

 それが、UFOやUMAの出現と派手になっていき、しまいには死霊や空間の歪みまで現れて……。


 それでも眉唾のガセネタだと思った人は多かったはずだ。だから、同じようにそう考えて、備えをしなかった私も、きっと悪くない。


 事態が致命的になったのは、世界規模で起きた、ゾンビの出現がきっかけだ。原因はわからない。ただ、ゾンビが現れた。

 ゾンビは感染する系で、首都東京を中心に、バンバン広がった。

 感染に感染を重ねたゾンビのせいで、社会が崩壊するまであっという間だった。

 東京からかなり西の方にある私の住む地域でも、宅配ピザが頼めなくなり、ネット通販が停止し、宅急便が送れなくなって、私が細々と運営していたネットショップも閉鎖せざるを得なくなった。

 最後の方は注文をキャンセルして返金処理しまくるしかなくなったが、返事が来る前にネット自体が使えなくなったため、ちゃんと返金出来たかどうかは不明だ。まあ、今の状況で営業を続けている店もほとんどないので、相手様も、あまり気にしてないかもしれない。


 ちなみに、インターネットが使えなくなったのは、世界規模で通信を破壊したハッカー集団がいたからだ。悪魔だかなんだかを崇拝するオカルト集団が予告を出して、その翌日には使えなくなった。


 それはともかく、宅急便の停止は引きこもりにとって死活問題である。いや、私は引きこもりといってもソフトな方なので、近場に買い物くらいはいけるが、店が閉まっている、もしくは、店の人がおらず何者かに荒されているので、引きこもりでコミュ障ぎみの私にはどうすることもできない。荒されている店から何かをパクるとか、空気が読めない人間には、刑務所への片道切符にしか思えない。


 いや、理屈ではパンデミックが起きて無法地帯化してるんだろうな、と思ったりはするのだけど、この辺りにはまだ到達していないのかゾンビを見たことはないし、世紀末的な暴徒も見たことがないので、荒らされている店が暴徒に荒らされた確信が持てないというか、実は警察が機能しているんじゃないか、とか、空気を読んで情勢を確信できない引きこもりとしては、どうしても最後の一歩が踏み出せないのだ。

 たとえ万引きで捕まってしまっても、店の人がいなかったわけで、情状酌量の余地はあるんじゃないかとも思うが、常識的に考えて、その前に避難所に入って配給品をもらうべきだろう。


 どんなに人の多い場所が苦手でも、どんなにレジ係以外の人と話すのが久しぶりでも、犯罪を犯す前にそうするべきだ、ということは、わかる。


 この地域の避難場所は、湾岸にあるショッピングセンターである『西海岸モール』らしい。元々の避難指定施設は近くの小学校だったのだが、何らかの問題が起きて場所が変更されたのだと町内放送で報せていた。およそ、1週間程前のことだ。

 それから情勢が変わってないという保証はどこにもないが、崩壊していたら崩壊していたで万引きをする言い訳にはなりそうなので、勇気を出して行こうと思う。

 ……思う。


 道中ゾンビに遭ったらどうするのかって?

 普通に逃げてみるが、モブ オブ モブな私はモブ オブ ザ デッドになるだけだろう。私は自分を知っているのだ。


 しかし決して悲観しているわけではない。

 なぜならマンションの窓からたまに確認していたが、この近辺にはゾンビは出現していないようなのだ。3日ほど前に買い物に出てみたが、店が荒らされて、血痕ぽいものはあったものの、ゾンビどころか遺体も転がっていなかった。

 おそらく事件が起きていたとしても、救急搬送される程度の余裕があったのだろう。


 だから、ゾンビに遭遇したらたぶんお陀仏だろーなー、とは思っても、実際に遭遇する可能性は低いと考えている。


 とはいえ、気休めは必要だ。

 私は今回の騒動が起きてすぐ作成した、ブゥドウー人形……ブゥドウーのお守りをリュックの中に忍ばせた。これは怪しさ抜群のオカルト本に掲載されていたお守りで、日本では知る人は少ないが、現地に行けば由緒正しいとかいう何某だ。

 効果は死霊など悪しきものを退ける、という類なので、ゾンビにもきっと効く。なんといっても、ゾンビと言えばブゥドウー、ブゥドウーといえばゾンビなのだから。


 だが、ホラー映画好きの私は知っている。

 結局のところ、一番怖いのは人間だという事を。


 だから私は間違えない。私は悪意を持つものを退けるおまじないも荷物に放り込んだ。他にも思いつく限りのお守りやおまじないの道具を放り込んで、いざ、外に出た。


 うちのマンションは、セキュリティが自慢のオートロックだ。電気ガス水道といったインフラ設備はまだ無事なため、マンションのセキュリティも生きており、部外者が入り込んでいるということもなかった。

 エレベーターもまだ動くので、1階まで一気に降りて、誰に会うこともなく外に出ることができた。

 マンション前の通りは閑散としていて人影はない。ゾンビ影もない。

 もしかしたら家にこもっているだけかもしれないが、油断すると世界に自分一人だけになったのではないかと疑う静けさだ。というか、インターネットが繋げなくなって、テレビが沈黙し、ラジオも一般的なチャンネルでは雑音しか聞こえなくなった(細かく周波数を合わせられるようなラジオは持っていない)現在、情報らしい情報もなく、本当に世界に自分一人だけになってしまった可能性も否定できないのかもしれない。


 流石にそれはないと信じてはいるけれど。


 だがそんなこんなも、避難所となっていた西海岸モールに行けば、何かわかるかもしれない。人がいるなら確実に情報が入るはずだし、いないならいないで、何らかの痕跡があるはずだ。


 ただ問題があって、インターネットが使えなくなって、スマホも地図情報を読み込めなくなった。つまり、最近は頼りきりだったナビが使えなくなったわけで、西海岸モールに向かうのは簡単にはいきそうになかった。

 一度ナビを片手にウォーキング気分で歩いた結果、1時間くらいで着いたはずなので、距離は大したことないはずなのだが、私は方向音痴ぎみなので、一歩目から方向を間違うこともあり得る。

 だが不幸中の幸いか、西海岸モールは湾岸にある。

 大まかに湾岸の方向くらいはわかるし、迷った時のための道路地図と方位磁石もある。

 多少の遠回りはあるだろうが、きっと私はたどり着くだろう。

 私はまず、大きい通りを目指して歩き出した。


 静まりかえった街。

 時刻は夜が明けて間もない7時すぎだ。

 通常なら通勤通学の人通りや車の往来がある時刻だが、動くものはなく、車もすべてが停車している。

 ご近所の生活圏を抜けて大きな道路に出ると、パンデミックを思わせる惨状が現れた。

 事故車だ。

 燃えた後があり、焦げた匂いも残っていて、血痕まである。

 遺体までは無いところを見ると、なんとか救急車は来れる状態だったのか、それとも無事だった人もいて人力で搬送したのか、ともかく死体を見ずに済んだのは、精神衛生上とてもありがたいことだった。

 ただ、事故車の位置は明らかに車の通行の邪魔になる位置だったので、普通の状況ならレッカーされるべきであり、そうはなっていないことを考えると、この近辺も確実にパンデミックが起きているということなのだろう。

 うちの近所が大したことがなかったのでなんだか危機感が薄かったのだが、こうして事故現場を目の当たりにすると、現実感が押し寄せてくる。


 私は大丈夫、ゾンビは近くまで来ていない。なんて考えは、楽観的すぎただろうか?


 私は荷物の中に押し込んだブゥドウー人形を取り出した。

 私MADEのこの人形は、目はボタン、太い麻糸で縫われて不気味な表情をしているのだが、その不気味さが安心感を与える珠玉の逸品だ。ゾンビもビビる、とまでは言わないが、愛玩目的でないことが明確で、そのために作られた感がすごいのだ。

 たしか向こうの神様の霊の依り代という触れ込みで、ゾンビや悪霊を寄せ付けず追い払ってくれるとのこと。

 そうは言っても私のような素人が作ったソレに意味などないと思われるかもしれないが、そんなことはない。はじめてこのテの物を作った中学の頃から、それらはなんとなく効いていたし、ネットで販売しているグッズは、生活費が稼げる程度には売れている。効果があったとのレビューもいただいている。

 私が言うのもなんだが、お守りとかおまじないは、信じて真摯に作り、信じてそれを頼りにすれば、それに見合った返しがあるものだ。


 たとえばこのブゥドウー人形の場合、すでに私が心の平静を取り戻した、という効果があった。さらに深く信じることで、ゾンビに遭遇してもパニックになることなく、冷静に行動できるだろう。

 ゾンビは音に反応すると聞く。

 冷静に行動すれば、回避できないものではないはずだ。


 そもそもおまじないやお守りは、0から1を生み出すようなものではないのである。

 例えば合格祈願のお守りは、お守りを信じ、気を落ち着かせて試験に臨むことでその効果を発揮する。動転していると気づかない類似問題なども、お守りを信じて気を落ち着けることで、勉強してきた問題の類似だと気づけるのだ。大抵の参考書は優秀なので、よっぽど間違った勉強方法でない限り、焦らず問題を解いて、自身を合格に導く。

 例えば嫉妬心を抑えるおまじないがある。嫉妬心を抑えたいと考え、そのおまじないを実行するためにあれこれしている時点で嫉妬心は軽減する。というか、嫉妬心を抑えたいと考えておまじないを始めた時点で、すでにある程度嫉妬心から気持ちが逸れているのだ。しかもテントウムシの死骸の匂いを嗅ぐとかいう下らない内容だったし、そんなことをしている我を顧みれば、嫉妬とかきっと虚しい。


 などとあれこれ語ったが、つまりそういうことなのである。

 こういった思考の流れが私を冷静にし、動揺した気持ちを落ち着かせた。


 さぁ、行こうか。


 自分に自分で声かけして、私は事故現場を迂回し、道を進んだ。


 途中倒れた電波塔や、焼け落ちた長屋、入り口が荒らされきった総合病院等恐ろしい光景に出会ったが、人もゾンビもおらず、現在進行形の事件に遭遇することもないまま、私は無事湾岸道路に、そして西海岸モールが見える橋にたどり着いた。


 空が広い。

 天気は晴れて、海はおだやかだ。

 海上遠くに船影は見えるが、遠すぎて動いているのかどうかはわからない。

 そして問題のショッピングモールはなんとか上階部が見える程度だが、その屋上から何やら垂れ幕のようなものが垂れていて、『SOS』の文字が!


 これは人がいるということではないだろうか?

 文字が『SOS』だけに楽観もできないが、世界的パンデミックにあってどこも助けを求めているだろうから、助けてくれるアテがなくともとりあえずは助けを求めてみるのだろう。

 ソフト引きこもりの私は人に会うのはあまり得意ではないが、今の状況下では、やはり人に会えるのは少しうれしくも感じる、かもしれない。


 避難所ってどうなん? なんて言えばいいの? いきなり行って大丈夫? などとビビったりはしているし、いっそ引き返しちゃおうかな、とかリアルに考えたりもするが、ここまで来るのはそれなりに大変だったし、せっかく来たのだし。


 ええい、ままよ!


 私は意を決して、西海岸モールに向かうことにした。


 結果を言うと、私の心配したあれこれは杞憂だった。

 入り口では武装して物々しい人たちが、バリケードの奥で負傷者のケアをしていたり、疲れ切った表情の高校生くらいの少年が、現れた私を酷く驚いた様子でガン見してきたりはしたが、自分の住んでいる場所を言い、身分証を提示し、避難所を目指してきたことを告げると、皆暖かく迎え入れてくれた。


「西野……陽子、さん?」

 疲れた様子の少年が、息を飲んで目を瞬く。なかなか見た目の整った少年だ。真面目な印象の短髪黒髪で、ほどよく筋肉をつけたスポーツ少年といった印象。木刀を手に持っているところを見ると剣道でもやっているのだろうか。

 その少年が、何かに驚いた様子で私をガン見してきた。

「え、本当……に?」

 たしかに、この西海岸モールが避難所になったという町内放送があったのは1週間前の事だ。ほとんどの人はもっと早く非難して来ているだろうし、ただ一人、歩いて来たというのも違和感かもしれない。


 言い訳が必要だろうかと悩む私の予想に反して、何か納得した様子の少年は、いきなり瞳をキラキラさせ始めた。

 彼の頭の中で何が起きたのかはわからないが、なんだかとても、好意的な視線だった。


「あ、すいません。その、オレ、僕は大木プラトンと言います。その、同じ漢字で『陽子』と書いて『プラトン』です。その、親がおかしくて……だから同じ名前で驚いたというか、その……」


 お、おう。

 私が黙り込んだせいか、気をつかって無茶苦茶話題を変えてきた。

 そ、そうか。名前を見て驚いたのにはそんな理由が……。

 それはそれとして私が口ごもっていると、少年が気を使って際限なく無駄話をしてしまいそうだ。私はなんとか、口をはさむことにした。


「あ、だ、大丈夫です。すいません。その、来たのは、食べ物がなくなって、だから……」


 配給品があるなら分けてもらえないかと言おうとしたところで、少年、大木プロトンくんに遮られた。


「大丈夫です! 心配いりません! この避難所はホームセンターもあって、種とかあったので少しは自給自足もできてるし、受け入れられますから! ですよね! 田中さん」

「あ、ああ」

 大木くんの勢いに、田中さんと呼びかけられた30歳くらいの男性は戸惑った返事をし、はたと気づいて言い直した。

「あ、いや、大丈夫です。こんな状況ですから何か仕事はしてもらうと思いますが、受け入れは可能ですので安心してください」

 安心させるように笑いかけてくる。いいお父さんという雰囲気の男性だ。

 本当は配給品だけ貰って撤退するつもりだったのだが、とてもそんなことが言える空気ではない。

「あ、ありがとうございます」

 私は受け入れてくれた礼を言うので精いっぱいだった。


 ドナドナ。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る