ブラウン、故郷に錦を飾る(下)
「お前も家庭を持つといい。確かに大変な責任はある。だが想像も出来ないほどの幸せが待っているぞ。お前はいい父親になれるはずだ。俺が保証する」
別に兄に保証されても仕方ないのだが、そういってくれるのは素直に喜ばしく思う。そこから酔いに任せて説教を始める兄。
早く腰を落ち着けろと。
甥だか姪の顔を見せてくれと。
妻と子供を連れて両親の墓参りに来てくれと。
その後、お互いの家族で遊びに行こうと。
俺は未来を描く兄に適当な相槌を打ちながら酌をする。
こんな柔らかい時間が来るとは思わなかった。
野盗のときも分不相応な将軍になってからも。
あのまま村に残っていたらこんな風に兄弟で酒を酌み交わす日々だったのだろうか。
――それはないな。
幸せな兄夫婦、そして増えていく家族をこんなにも穏やかな気持ちで受け入れることが出来なかっただろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にか兄が轟沈していた。
兄嫁と二人して兄を寝台に運び、実は結構な『うわばみ』の兄嫁と再び飲み始める。俺が子供の頃と変わらないペースで飲み続ける兄嫁の話に相槌を打ちながら酒を注いでやる。
「――長酒につき合わせて悪いわね。でも私たちはずっとアンタと三人でこんな風にお酒を酌み交わす日を夢見てきたのよ」
兄嫁が涙ぐんだ。
別に泣き上戸って訳ではなかったはず。
子供を産んでちょっと変わったのだろうか。
迷惑をかけた自覚もあって何とも気まずい。
だけど今更頭を下げるのもヘンかなって思い、迷った末に軽口をたたく。
「……エマ
「はぁ?」
例によってキレ気味の兄嫁。
こんな切れ方は俺にしか見せない。
ある意味特別とも言える。
近所の人たちにもあまり感情を見せなかった彼女だが、義弟の俺にだけはいつもこんな感じ。
今日のように『英雄』として凱旋してもそれは変わらない。
――だから勘違いしちゃったんだよなぁ。
俺は息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「……俺、ずっと義姉さんのことが好きだったんだよ」
「はぁ?」
だから何故そんなにキレるんだか。
「今じゃねぇよ、昔の話だって!」
「あぁ、そういえば求婚されたこともあったっけ」
兄嫁が勝ち誇ったかのように口元を歪めて笑った。そんなところがちょっとだけ姐さんに似ている。
もしかしてこんな表情をする女性に無茶される運命なのか?
「……もう忘れてくれ」
俺が両手を上げて降参の意思を見せると、兄嫁はイイ笑顔になってグラスを傾ける。ゴビッという喉音が山の男を彷彿とさせる豪快な飲みっぷりだった。
「あの頃、好かれているなっていうのは、何となく気付いていたわ。……でもやっぱり私はアンタを弟としか見れなかった。知っていると思うけれど、私は昔、赤ちゃんの弟を亡くしているからね」
赤子の死亡率は異様に高かった。
まともな医療技術など持たない山の民にはどうすることも出来ない。
武器を持って立ち上がることも出来ない。
だから諦める。
……それが貧しいということ。
それを圧倒的カリスマで吹き飛ばしたのが少女アリス。
自らの野望の為とはいえ、彼女は自分の民を大事に思っていた。
この国の民もそれに応えた。
「私は弟って存在に飢えていたんだと思う。アレをしてやりたい、こんなことをしてやりたいってのをずっと抱えたまま生きてきて。……だから旦那にアンタを紹介してもらったとき本当に嬉しかったんだ。目いっぱい可愛がってやろうと思った。ちょっと想いが強すぎたかもしれないけれど。……それでも大事に大事に思っていたんだよ? ……なのにアンタと来たら――」
……あ、やばい。
説教二戦目が始まりそう。
そこは戦争で機微を覚えた俺、さりげなく矛先をずらそうと試みる。
「オレも結婚すっかな?」
苦しみ紛れに紡いだ言葉に俺自身が驚いた。
無意識のうちに俺ってばそんなコトを考えていたのだろうか?
だけど言葉にしてみれば、ずっと胸の中に
兄嫁はちょっとだけ優しい顔になって肩の力を抜いた。
「……この村の女の子だったら誰でもその日のうちに嫁に来てもらえると思うよ? この歓迎っぷり見たでしょ」
あぁ、正直引くぐらいだった。
女の子にキャアキャア言われるのは悪い気はしないけれど。
「いや、まだ相手は決めていないけれど、取り合えず結婚はしたいなって。……二人を見習って幸せな家庭を作りたいなって思った」
「……そっか。……うん。ありがと」
兄嫁はしおらしく俯いた。
こんな姿、兄の前でしか見せないだろうに。
でも今度こそはっきりと初恋に終止符を打つことが出来た気がした。
「アンタのおかげだよ。戦争のない豊かで幸せなセカイになったのは。子供たちに平和な未来をあげることが出来る。……アンタがアリス様をこの村に連れてきたあの日があったからだよ」
この村はアリシア女王の決起に際して、一番最初に手を貸したと近隣の村からの尊敬を集めているらしい。……俺を輩出した村としても。
兄嫁の目に涙が光っていた。思わずもらい泣きしそうになる。
「……俺は何もしてないよ。ただ突っ走る姐さんの後ろを必死で追いかけていただけだ」
「ううん、違う。もしアンタが本当にどうしようもない人間だったら、斬り殺されて終わっていたよ。……あの人はそういうことをためらう人じゃない」
確かに。
本当によく見ているなぁ。
「ギリギリ及第点だったんだろうな。でもせっかくの義姉さんからの感謝の言葉だ。ありがたく受け取っておくよ。……まぁ、珍しいこともあるモンだ。それだけで里帰りした甲斐があったってモンさ!」
俺が茶化すように笑うと、兄嫁は昔のように身を乗り出して殴ってきた。
懐かし過ぎるこの感覚に、俺たちは声を押し殺して笑う。
一生の思い出になる里帰りになった。
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