第30話 パール、最初で最後の交渉を見守る(下)



 セカイの存続が決定し、陣営も関係なく皆が立ち上がり握手して抱き合って喜びを分かち合う。興奮したボクがアリス様の表情を窺うと、喜んではいるものの緊張感を保ち続けている様子。

 

 ――まだ、交渉は終わっていないんだ。


 みんなもそれを感じたのか、徐々に静寂が戻ってきた。そしておのおの再び着席する。少し静まった頃合いを見てアリス様は続けた。


「最後に魔王のことだけれど……」


 そのことを思い出したみんなが行儀よく耳を澄ます。


『あぁ、魔王の出番は必要ないな。意味もなくなった。皇帝の痣は消すことにしよう。……それ以上のモノを見せてくれるのだろう?』


 マール神はおどけるような軽い声で告げる。

 アリス様は笑顔で頷いた。


「えぇ、きっと退屈させないわ。そう遺言にも残すと約束する。『我らのマール神は波乱をお望みだから、絶対にを裏切らないように。裏切ったら今度こそセカイが無くなるからね』って」


 クツクツと笑うマール神とアリス様。

 本当に似たもの同士だと思った。

 



「――あ、最後の最後にもう一つだけ」


『まだあるのか!?』


 マール神の呆れつつもどこか楽しそうな声が返ってくる。


「えぇ、これが本当の本当に最後だから。……さっき死んだり生き返ったりさせることが出来るって言っていたわよね?」


『あぁ、だからといって戦争で死んだ人間全員とかは無理だぞ?」


「じゃあせめて一人だけでも。――ジニアス=ハルバートを生き返らせて欲しいの」


 その言葉にウィル君とガイ様が顔を跳ね上げた。そんな彼らに対してアリス様は口元を歪める例によって性格の悪い笑みを見せる。


「言っておくけれど、これは善意からではないわ」


 そして中空を見上げる。

 

「きっと彼ならばこのセカイに不穏の種をまき散らしてくれると断言する。貴方も彼が本気で私を潰そうと動いてきたのを見ていたでしょう? 何より彼は私の臣下に甘んじることを良しとしないわ。そして私はそんな彼と思う存分!」


 ウィル君のお父様はアリス様が認めた人間。

 何より最後まで――交渉の間もずっとアリス様の命を狙い続けていた。

 そしてアリス様はそんな彼を下に置くことを嫌がった。

 おそらくセカイを制するのに最大の障壁になると考えていたから。

 その人材を敢えて復活させるという意味。 


『……フム、まぁいいだろう。……辻褄はお前が責任を持って合せるのだぞ?』


 しばらくして広間の扉が開かれ、一人の男性が部屋に入ってきた。

 よく事情が飲み込めないのか大勢が集まっていることに面食らいつつも、努めて冷静であろうとしているのが表情から読み取れた。


「……父上!」


 そんな彼を見たウィルくんが立ち上がり涙声で叫ぶ。

 男性――ジニアス=ハルンバートは驚いた顔を見せながらも、一拍置いて渋面じゅうめんを作った。

 

「今は大事な会議中だ。……わきまえろ、若輩者が!」


 その一喝にウィル君は涙をポロポロと零しながらも満面の笑顔で頷くと「会議の邪魔をして申し訳ありませんでした」と周囲に向かって丁寧に謝罪して着席する。

 その横でガイ様は肩を震わせてむせび泣いていた。

 

『……それでは、皆の者せいぜいくれよ』


 咳払いの後、そう言い残し早々にマール神の声は聞こえなくなった。

 これ以上アリス様が注文をつけるのをイヤがったのかもしれない。



 今度こそアリス様は大きく息を吐いて緊張感を解いた。


「まぁ、こんな感じでどうかしら?」


「……このセカイは大丈夫なんだな?」


 ロレントさんが念を押す。


「あの感じなら、ね。……万事解決というコトよ」


 アリス様が微笑むと広間に安堵の溜め息が漏れる。

 アリス様はゆっくり皇帝の元に向かい、頭を下げた。


「勝手に決めてしまって申し訳ありません。とはいえ、このセカイは私のモノになったようです」


 その何気ない一言に少し冷静になったみんなが顔を見合わせた。

 ボクも改めてに気づく。

 アリス様はこう切り出した。


 ――【ですが、これからのセカイ】と。


 この一連の流れは仕組まれていたことなのか、と察した顔も幾つか。

 アリス様は実に晴れやかな笑顔で皆を見渡す。

 ボク自身かは分からないけれど、大筋では計画通りだったのだと確信している。

 もちろんアリス様に尋ねても正直に全部話してくれないだろうケド。


「皇帝陛下、結果的にあなたから玉座を奪うことになりました。……今後の生活で何か希望がありましたら是非お聞かせください。出来うる限り叶えさせて頂くことを約束致します」


 その言葉に皇帝はハッとしたような表情を見せた。

 珍しいその姿にみんなが注目する。

 皇帝は唇を震わせ、躊躇いがちに口を開いた。


「……私には子供の頃から捨てきれなかった夢がありました」


 丁寧な言葉遣いの彼にみんなが沈黙で先を促す。

 皇帝は頷くと儚げな笑顔で続けた。


「私の居場所は玉座か墓の下にしか無いと頭では理解してたのですが、それでもずっと、ずっと、その夢が私の胸の中でくすぶり続けていました。絶対に叶うはずのない夢なのに。自分でも愚かだと思います。……でも待ってみるものですね。もしかしたら、あとは私の努力次第で何とかなるかも知れない」


 一呼吸おいて皇帝は立ち上がって、ゆっくりと歩を進める。アリス様の隣を通り、

宰相さんをじっと見つめながら前へと。

 だけどすぐに立ち止まってしまう。


「私の夢はニールお前の、いえ貴方の部下として、国の為に働く政務官になることでした」

 

 その言葉に広間がざわめいたが、全員が慌てて口をつぐむ。


「国の為に、人々の為に……何よりこんな敵だらけの私の為に、自分を捨てて尽くす姿はずっと私の憧れでした。子供の頃から貴方のような立派な大人になりたいと願い続けてきました。……どうか私に政治を教えてくれませんか? 私を貴方の弟子にしてください。期待を裏切らないように精一杯頑張ります。どうかよろしくお願いします」


 皇帝は宰相さんに向かって丁寧に頭を下げた。

 というより、皇帝って今までこんな風に頭を下げたことがあったのだろうか?

 宰相さんは放心したように立ち上がり、覚束ない足取りで皇帝の元へと駆け寄り、膝から崩れ落ちる。そして顔を覆い誰はばかることなく嗚咽おえつを漏らした。


「……もった………おこと、ば……。あり、が……ます……」

 

 過呼吸で言葉にならないけれど、この場にその言葉を聞き取れない者は一人もいなかった。

 そんな二人を見つめるアリス様の表情は今までになく穏やかだった。

 まるで全てを包み込むような優しい笑み。

 ボクはその横顔を目に焼き付けていた。

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