エピローグ 残るセカイ
「――夢ッ?」
オレは慌てて飛び起きた。
以前こんなことがあったと思い出して寒気を覚える。
まさか、本当に……夢?
その声に慌てたのか、素早い身のこなしで貴婦人が部屋に入ってきた。
彼女はいまだ視界がぼやけているオレに近付き、慣れ親しんだ距離感で顔を覗き込んでくる。
ようやくはっきりと見えてきた。
彼女は、クロエではなく――。
「どうかされましたか?」
本格的にクロエに弟子入りして帝国淑女の何たるかを徹底的に叩きこまれ、更にウィルの母ネリーからも娘同然に山岳撫子教育を与えられ、この国随一の貴婦人と誰もが認める存在。
ハルバート夫人――パール=ハルバート。
彼女は子育てを終え、先月から女王の側付き兼相談役として白銀城に復帰した。
視線を落とすと綺麗に手入れされているものの、それなりに歳を食ったオレの手。それもそのはず、あの日から既に二十年以上の年月が経過していた。
「……いえ、何でもないわ。ちょっと昔のことを夢に見たようね」
素っ気なく伝えると彼女も無理に訊こうとはせず、笑顔で頷くに留める。
パールは三人の子宝に恵まれた。――ただし全員息子だった。
ウィルは娘が欲しかったのだろうが、こればかりはそれこそマール神にでも頼むしかなかっただろう。
だが先日、彼らの長男とヴァルグラン領主であるカイル=マストヴァルの長女との結婚が成立した。
ウィルとカイルは同年代と言うこともあって、実に良好な関係を築いている。
前回でも彼らは仲良しになっていたから、元々そういう結びつきの強さもあったのだろう。二人とも初恋の平民女性と結婚したという縁もある。
民衆からの絶大な支持こそあったが、貴族社会からは両者とも次期女王の父親レースからは脱落したと思われていた。
しかしここで一発逆転の目が出てきたという訳だ。
肥沃な大地を持つマストヴァル家の力は女王国となった今もなお健在。
ウィルは旧女王国領である東方の統括を任されていた父ジニアスからすべての役職を引き継いでおり、旧女王国陣営のリーダー的存在。
そんな両家に孫娘が生まれれば――。
あとはオレの寿命次第。
まだ誕生してすらいない娘だが、彼女がそれなりの年齢になるまでは生きておいて欲しいはず。
逆に危機感を持つものは早々にオレの命を狙いに来る。
もちろんオレも簡単に死んでやるつもりはない。
……血が騒ぐ。
だからこそオレの身辺警護と、女王に最も近い存在が誰であるかを改めて認識させる為にパールを寄越したのかもしれない。
ジニアスのアドバイスか?
ネリーの差し金か?
いや、ウィルだ。
あの二人の息子として女王国が誇る頭脳となったヤツならば、それ以上――オレの死期の調整まで考えていても不思議でない。
だからと言って他陣営は黙って指を咥えているいる訳にもいくまい。
ここからオレの見えないところで様々な謀略が加速するのだろう。
黙って傍観するしかないこの身が恨めしい。
オレは無言で立ち上がると姿見の前に立った。
パールは笑顔のまま、あの頃のクロエのように慣れた手つきで身だしなみを整えてくれる。鏡越しの彼女は凄みを得て堂々たる風格を纏っていた。
この娘も貴族社会の過酷な環境の中で、そちら方面にも強くなることを求められたのだろう。その日々にあの頃の可愛らしいパールを奪われたことが少々残念ではあるが。それも彼女が選んだ道。
更にその後ろにちょこんと映り込んでいるのは馴染みの山猫だ。
山猫の仕事も時代と共に緩やかに変わってきたが、それでも女王の身辺警護は彼女たちの最優先任務。
特に今のリーダーである彼女は優秀であると国中に名が知れ渡っており、平民――彼女の両親が頑なに貴族になることを断っている為――でありながら貴族からの縁談がひっきりなしにやってくるほどだった。
「せっかくだから貴女も女王候補に名乗りを上げてみたら?」
オレは鏡に映る、決して警戒を怠ったりしないマジメ過ぎる娘に視線を合わせて訊ねる。
「……あっしはそんなのマジ無理って知ってるッスよね? 絶対イヤっす」
彼女は母親譲りの端正な顔を歪ませた。しかも、そんな弱り切った表情が父親に似ていて、必要以上に
あの二人を両親に持ったことで、生まれながらにしてオレやクロエのおもちゃが決定した
身だしなみを整えてくれているパールも娘か姪っ子のように可愛がっている。
「ねぇパール? あの子、素材としては抜群なのだけれど、貴女とクロエにネリーと三人で仕込んだら何年で形にデキると思う?」
オレの言葉にパールは頷き、現役時代さながらの剣呑な視線で鏡に映る彼女を射抜く。
「そうですね、二年、いや一年…………半年でも?」
頭の中で描く修行内容が徐々に苛烈になっていったのか、提示される期間が短くなるごとにパールの目つきに剣呑さが増していく。
「いや、ホントマジ勘弁してください! 女王なんて死んでも無理ッス!」
彼女も背筋が冷え始めたのか、その言葉を残して文字通り鏡の中から一瞬にして姿を消した。山猫リーダーの名は伊達ではない。
その身のこなしを二人して感嘆の笑顔で称賛した。
女王国はあれから続々と子供が生まれた。
何せ女王であるオレと主神マリスミラルダ公認で女王争いが許可されたのだ。
ルールがあるとすればたった一つだけ。
――女王としての力量をセカイに見せつけること。
陣営の代弁者だったりお飾り人形ならば簡単に見切られ、闇のうちに始末されかねない。それらの対処を楽々こなすことも含めて女王としての器が試されている。
中々に修羅の道だ。
ウラで血が流れている間も、未来の女王とその支持陣営は民からの信頼を得る為、治政をしっかりこなしてきた。状況次第では女王であるオレを相手に苦言諫言を呈すことも
そのこともあって確実に技術や生活水準は前へと進んでいた。
浮いては消える
元宰相ニールとアンジェラの娘。
そしてロレントとケイトの娘だ。
奇しくも、オレがあのとき具体的な候補として挙げた存在だった。マールがそう采配した可能性もある。
大方の予想通り、彼女たちはまだ幼いといわれる時期から頭角を現し、早々にオレの側近として送り込まれてきた。
突っぱねても仕方ないので、引き取って女王として知っておくべき仕事のイロハを叩き込んでおいた。
成人し、更に両者ともに結婚も出産もした現在、どちらも政府中枢でバリバリと仕事をこなしている。
公然と巨大派閥を形成し、すでに陣営から女王のように扱われている二人だが、昼食時には何故か余人を寄せ付けず二人きりでお弁当を持ち寄り、王城の庭の芝生の上で顔を突き合わせて黙々とご飯を食べている姿が見られる。
それを皆が遠巻きで息を殺して眺めているのが面白かった。
ちなみにあの後テオドールとクロエの間にも子供が出来た。
最後の最後できっちりそういう勝負に打って出られるあたり、これでこそクロエだといたく感心したものだ。
妊娠したと報告を受けた娘のケイトは大きなお腹を抱えて絶句したらしい。
……だけど生まれてきたのは男児だった。
それでもテオドールは愛の結晶でありターナー家次期当主の誕生に、普段の冷静な仮面を取っ払って執務中だろうが所構わず狂喜乱舞していたし、クロエも幸せそうに赤子を抱いていたが、オレと二人っきりになってから「そんなに上手くいくものでもありませんでしたね」と独り言のように小さく呟いた。
だがその子が将来、誰の婿になるのかでセカイの状況が一変しそうな気配がする。
「――ねぇ、アリス様?」
オレに耳飾りをつけながらその耳元でパールが意を決したかのような固い表情で囁いた。
「なぁに?」
「アリス様は、本当は男の人なんですよね?」
「……ん? ……まぁ、そうね」
「もしかして私のこと、そんな風に思ってくれたりしましたか?」
いつかは来ると思っていた質問だったが、なるほどここで来たか。
「そんな風って、なぁに?」
だけど、はぐらかす一手だ。
オレはいつものように笑えているだろうか?
「その、女性として、ボ……ボクを、その、手籠めに?」
パールはしどろもどろだったが、言わんとすることは十分理解できている。貴婦人の仮面が剥がれ、自分の呼び名が昔に戻っているのがご愛敬。
それだけ彼女も必死なのだろう。
「もし、そうだったのなら……今でもボクのこと……そんな風に思ってくれているのでしたら、……いいです、よ? ボクもアリス様のこと好きですから。……じ、実は、その為に側近に、志願したんです」
そんな理由だったのか!
ウィルやらジニアスやらが関わっているだなんて深読みし過ぎていた自分が滑稽で、思わず噴き出してしまった。
赤くなってモジモジしていたパールは少し不満気に頬を膨らます。
彼女からすれば一世一代の大告白だったはず。
「ゴメンなさい。貴女のこと笑った訳じゃないの、それだけは信じて。……あまりに意外な理由だったから驚いてしまって」
オレの言い訳にもパールは拗ねたように口を尖らせたままだった。
正直なところ、オレ自身いまだメイスなのかアリスなのか分からない部分がある。
少なくとも今はメイスだと思っている。
だがあの広間でマールと交渉したのは、アリスだった気もしないでもない。
おそらく自分の中でメイスの部分が強く出ると『例の破滅』が待っていて、アリスの部分が強く出ると今の平和に繋がるのだろう。
何となくではあるが、そんな感じだと自分を納得させている。
ずっとアリスを演じてきたつもりだったのだが、いつしかアリスはもう一つの人格として確かに存在していた。
オレは鏡越しにパールとしっかり目を合わせる。
パールも逸らしたりせず、こちらを見つめてきた。
「ありがとう、パール。……でもね、私はこのセカイに生まれ変わるときに女になることを選んだの。……そのときの気分で選んだのだけれどね」
本当に適当だった。
せっかくだから女の恰好でいろんな服を着たり違った言動を楽しみたいと、ただそれだけで深い意味などなかった。
それがまさかまさかの展開。
このセカイにここまでの愛着を持つとは思っていなかったし、人生の大部分を女王として過ごすことになろうとは夢にも思わなかった。
「――それでも、これがオレの選んだ生き方なんだ」
パールが目を見張った。
「もし男のままだったら、オマエをウィルにくれてやったりしなかっただろうな。……実際に何度か『オレが男だったら』って考えたこともあった」
一切飾ることのない男セリフにパールが頬を染める。
オレは小さく息を吐き、再びアリスに戻った。
「でも、もし私が男として2周目を始めていたら、きっとこのセカイは私のモノになっていなかったし、貴女が尊敬するアリスは存在すらしていなかった。それも事実なの。それに私はセカイと貴女を天秤にかけて貴女を選ぶ自信はない。そういう意味では私は貴女に相応しい男ではないわ。実際あの2周目では貴女を見殺しにした。……だから、これ以上滅多なこと言わないで。貴女にはウィルがいる。彼との間に生まれた大事な息子たちがいる。……それにウィルは絶対に最愛の貴女と自身の欲望を天秤にかけるようなことはしない」
ましてやパールを見捨てるなど。
殊更真剣な表情を作って見せるのだが、それでもパールは珍しく食い下がる。
「……でも、ボクだけ幸せで、アリス様だけ、その、何か悪いです。……別にアリス様が幸せでないとかそう意味じゃなくて、その何というか……」
パールはもどかしそうに一生懸命に訴える。
「ありがとう。……まぁ、気持ちだけ貰っておくことにするわ」
オレは振り返って昔のようにパールのやわらかな頬を引っ張った。
「貴女は『女王の妹』。私にとって唯一無二の存在。……それではダメかしら?」
オレの言葉に、パールは耳まで真っ赤にして小さく頷いた、
「――ねぇ、そんなコトより、今度休みが取れたら久し振りに狩りにでも出かけましょうか?」
ちょっとだけ変な空気になったのを変えようと声を張り上げてみる。パールも少女の頃のような笑みを浮かべた。
「いいですね! ……あの塩を振った肉を思いっきり食べたいです!」
「もうみんなオジサンオバサンになっちゃったけれど、まだ身体が動く人間は女王命令で総動員しましょうか!」
「はい! 今晩帰ったら早速、現役時代の短剣を研いでおきます!」
パールは嬉しそうな顔で目を輝かせる。
「サファイアにも声を掛けておいてね」
「もちろんです!」
そんな話をしながらでもパールの手は止まらない。
あっという間にオレの準備が整った。
「さて、そろそろ行きましょうか」
これから定例会議が始まる。
女王、それももうオバサンに近い年齢だから激務こそ無くなったが、それでも女王としての仕事量は相変わらず。
パールが笑顔で扉を開けて一歩廊下に出る。
そしてあの頃のように、オレたちは二人して腕を組みながら部屋を後にした。
〈完〉
―――――――――――――
さて、これで本編終了です。
仮初のエピローグ部分で終わらせておくべきだったのか、いまだ自分の中で結論はでません。
まぁ、私自身こっちのエンディングの方が好きだったりしますけれど。
大団円とみるか予定調和とみるかは読んでくださった方に決めていただくとしましょう。
ちなみにアフターストーリーを数話用意しております。
婚約直後のパールの話。
宰相ニールの娘とロレントの娘の友情の話。
皇帝ロイの話。
ブラウンとマイカの娘の話。
……そしてラストはクロエの息子(荒ぶる血の後継者)の話。
以上です。
もう少しだけお付き合いください。
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