仮初のエピローグ 消えるセカイ(下)



「――それにしても、やっぱりアイツはクソみたいな男だったよなぁ?」


 少女の小ばかにするような言葉に、女性は叫ぶ。


「うるさい! 黙れ!」


「よくもまぁ、あんな男と結婚しようと思ったものだ。……どうせオマエのことだから新しいセカイに行ったとしても、またアイツのようなクソ男を掴むんだろうなぁ?」


「だから、黙れ!」


 罵声を浴びせる少女に対して、女性は怒りに任せて何度も蹴りつける。

 今までの想いをひたすら蹴り続けることで解消していく。

 だが、その中で彼女はふと何か違和感のようなモノを覚えた。

 女性が知るこの少女は蹴られたままで何もしないような人間ではなかった。

 絶対に何かを言って籠絡してくる。

 もしくは必死に頭を回して策を巡らせて打開だかいしてくる。

 このまま蹴られ続けてじっとしているのには、絶対に何かしらの理由がある、と。

 ――これはを待っているのだ、と。



 女性は血の気が引くような感覚に襲われ、肌を粟立たせた。

 身を震わせながら慌てて少女から離れる。

 そしてじっくりと彼女を観察した。

 真っ先に目についたのは、うつ伏せに倒れながらも不自然に身体の下に押し込まれた左手首。

 彼女はそこに何か作為的なものを感じ、再び少女に近付くと慎重に蹴り転がして仰向けにする。

 露わになっても、まだ握りこまれたままの左手。

 だが麻痺はまだ残っているようで、身動きが取れない様子だった。

 警戒しながらも少しずつ体重をかけて、握りこんだままの手首を慎重に踏み潰す。

 簡単に骨の折れる音がした。

 力無く開いた左手からこぼれ落ちるのは、つるんとした小石。

 それを拾い上げ、見よう見まねで握りこむと体力が回復していくのを感じた。


「……なるほど。……これがあなたのという訳ね」


 女性が睨みつけると少女は晴れやかな笑顔を見せた。

 

「……何とか言いなさいよ!」

 

 それが気に障ったのか、女性は叫びながら全力で少女の胸を踏みつける。

 肋骨の折れる音がした。

 それでも少女は可愛らしい笑顔を見せたまま無言を貫くのだ。

 女性は感情に任せて少女に馬乗りになると、ひたすら顔面を殴りつける。

 それでもやはり少女は笑顔のままだった。

 馬乗りの、圧倒的有利な立場にある女性の方が恐怖で表情を歪ませる。

 彼女にしてみれば、この少女の笑顔にはそれ程の破壊力があったのだ。



 女性はその少女が笑顔を見せた後には、必ず自分に災厄が降りかかることを学んでいた。その笑顔は彼女にとって不吉の象徴でしかなかった。 

 彼女は本格的に恐怖に駆られると、叫び声を上げながら腰に差していた短剣で少女の胸を突き刺す。

 少女は口から血の泡を吹き出しながらも、そんな状況でも可憐に微笑んで見せた。

 女性は返り血を浴びながら、何度も何度も無我夢中で少女を突き刺した。

 この少女は何を仕掛けてくるか分からない。

 たとえ死ぬ一歩手前であっても、絶対に油断してはならない。

 女性はそう自分自身に何度も言い聞かせながら、一心不乱に少女を突き刺した。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 完全に事切れていたにも関わらず、それでも、女性はその物言わぬ物体に恐怖を感じ続けて、少女だったモノをひたすら突き刺し続けた。



 一体どれぐらいの時が過ぎたのだろう。

 ようやく女性が動きを止めた。

 知らず流れていた涙を拭うと、いつの間にか取り落としていた宝具を拾い上げる。

 そして立ち上がると、記憶を辿りながら目を瞑って右手でそれを掲げた。


「……新しき扉よ開け、我を迎え入れよ!」


 女性が空に向かって叫ぶ。

 だが何も起こらない。


「新しき扉よ開け! 我を迎え入れよ!」


 再度言葉を発するが結果は同じ。

 彼女は愕然とした表情で周囲を見渡すと、髪を掻き毟りながら何度も何度も同じ言葉を空に向かって叫んだ。

 しかし何も起こらない。

 空しくこだまが響くだけだった。

 叫び続け、喉が枯れてきた頃、彼女の中で一つの考えが頭をよぎった。

 あのとき少女が青年に伝えた、可能性もあるのだと。



 ただ、それを問いただそうにも唯一正しい言葉を知っているはずの少女は、すでに目の前で肉塊と化していた。

 彼女はその現実を受け止めると、膝から崩れ落ちる。


「―――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 血まみれの手で顔を覆うと狂ったように叫び出す女性。

 少女に言葉の真偽を確かめることなく殺してしまった自身の短慮たんりょを嘆き、この状況ですら想定内だとして、笑顔のまま死んでいった少女の底知れぬ底意地の悪さを呪う。

 女性は涙を流しながら、身体中を掻き毟り、ただひたすら叫び、嗤い続けた。

 そんな彼女の目に、草むらに投げ捨てられた血まみれの短剣が映る。

 先程まで少女を刺していた例の短剣だった。

 女性は躊躇いがちにそれを拾うと、震える手でゆっくりと喉元に突き付ける。

 そして目を瞑ると、一思いに突き刺した。



 ややあって、セカイは白く優しい光に包まれ始めた。 

 痛みによる苦しみも、家族を失った悲しみも、大切なものを奪われた怒りも、全てを洗い流す暖かな光。

 そして時間ときが止まり、全ての形あるものが砂のようにサラサラと崩れていく。

 平原で戦い終えた人間も、山奥に住む夫婦も、仕事に励む若き執政官も、森も家も、このセカイにある全てのモノがサラサラと――。

 やがてセカイを構成する全てがその白い光と同化し、消えていった。


 

――――――――――――――――――――――――――


 作者記


 さて、この場面で『小説家になろう版』は完結しました。

 当時は賛否両論でしたね。

 あの頃の私はこれでいいと思っていたのですが。

 皆様はどう思われるでしょうか。

 ただ、こちら『カクヨム版』の方は完全版と銘打っております。

 きちんとアリスとマールの決着をつけるつもりです。

 ということで、もうしばらく続きます。

 ここから先の展開を蛇足とみるか、きちんと終わらせたとみるか。

 その判断は読んで下さっている皆様に委ねたいと思います。           


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る