仮初のエピローグ 消えるセカイ(上)

 

 小高い丘で背中に矢を受けた少女が倒れ込んだ。

 普段から入念に手入れされていたのだろう、少女のその長く美しい指から何かの小物が滑り落ちる。

 その瞬間を待っていたかのように、木の陰から女性が姿を現した。

 その姿は血まみれで泥まみれ。

 ここまで走り続けてきたので息も荒い。

 女性は鬼のような形相を崩さず肩で呼吸を整えながら、うつ伏せに横たわったままの少女にゆっくりと近付く。

 そして動けない彼女を力いっぱい蹴り上げた。

 怪訝な表情を見せる少女の耳元で、女性は勝ち誇ったかのように囁く。


「――マヒ矢よ。耐性があっても確実に決まる特別製とっておきだから、しばらくは動けないわ」


「……何故生きている?」


「さぁ、何故だと思う?」


 女性は微かな笑みを浮かべ、もう一発脇腹を蹴る。


「……『絶命回避』か?」


「ご名答! プレゼントはこちらです!」


 途端に上機嫌になった女性は、更に一発少女を蹴り上げる。


「……あと、もう一つ挙げるとしたら妹が渡してくれた霊薬エリクサーね」


 次の瞬間、少女が初めて表情を歪めた。

 それはこの少女がほんの気まぐれで自分のことを盲目的に慕う娘に渡したモノ。

 それがここに来て致命的な事態を引き起こしてしまったのだと悟ったのだ。

 その姿を見たかったのだと女性は大喜びしながら、何度も少女を蹴り続ける。

 蹴り疲れたのか大きく深呼吸すると、草の上に転がっている小物――宝具≪逆巻きの懐中時計≫を拾い上げた。



 女性はその宝具を何度も何度も愛おしそうに撫でて、頬擦りする。


「――あぁ、ずっとこの瞬間を待っていたの。これでようやく幸せになれる! ……もう二度とあんな顔だけの、ロクデナシ男なんて好きにならない!」


 そして瞳孔の開いた目をらんらんと輝かせながら、壊れた笑みを浮かべた。


「新しいセカイに行ったら、私だけを愛してくれる素朴で優しい男のヒトと出会うの。とゆっくりと愛を育んで、家族や友達みんなから祝福されて結婚するわ。そして生まれ育った田舎で幸せに暮らすの。畑を耕し、自然の恵みを受けて静かで穏やかな日々を送るわ。……子供はやっぱり五人ぐらいは欲しいかなぁ? みんなに似て思いやりのある素直で良い子に育つの。子供たちが独立したらまた二人っきりで新婚の頃を思い出しながら仲睦まじく、たまに子供たちが孫を連れて遊びに来ちゃったりして、それを楽しみに一日一日大事に過ごすの。……そして、いつかやって来るその時を穏やかな気持ちで迎えるわ。子どもたちや孫たちに囲まれながら、『あぁ私の人生はなんと幸せなモノだったのか』って笑顔のまま死ぬの」


 うっとりとした、それでいて狂気に満ちた声で女性は止めどなく妄想を垂れ流す。

 決して格好良くはないが物静かで、妻だけを一途に愛し続ける男と添い遂げる。

 貧しいながらも日々に新しい幸せを見つける生活。

 子宝に恵まれ、その子たちの輝かしい未来に思いを馳せる。

 今、女性が語った理想とする未来は、しくも名も残さない山暮らしの女性が、手にしようとしていた人生そのものだった。

 ……彼女の義弟は歴史に名前を残すような将軍になったが。


「……そんなことの為に? ……オマエはそんなくだらないことの為に宝具を求めたのか?」


 小さな声で呟いた少女の声を、耳の良いその女性は聞き逃さなかった。


「アンタに何が分かるのよ!」


 彼女は再び鬼の形相を見せると、足元の少女を力いっぱい蹴り上げる。

 しかし少女の口から出てきたのは苦悶の声ではなく、乾いた笑い声だった。


「オレはこんなクソみたいな、頭がお花畑の馬鹿女に、出し抜かれちまったとでもいうのか? ……このオレが!?」


 蹴られながらも発せられる少女の声は、全ての者を虜にするような麗しいものだったが、言葉使いは男そのものだった。


「うるさい! うるさい! うるさい!」


 女性は何度も叫び、ひたすら少女を蹴り続けた。



 そもそも女性は足元の少女のことが憎くて仕方がなかった。

 ずっとずっと憎み続けていたのだ。

 生き別れになっていた妹を捨て駒にしたからではない。

 自分と自分の今までの人生を虚仮コケにするようなマネをしたからだ。

 確かに妹は可愛かった。

 大事に守ってきた。

 でもそれは同じく貧しい生活をしている妹であって、みんなと楽しそうに笑顔で充実した日々を過ごす妹ではなかった。


 ――これでは並々ならぬ決意を秘めて、山を下りた自分はただの道化どうけよ!


 妹を見る度、彼女は搔きむしりたくなるような胸の痛みに苦しんだ。

 女性はそんな理不尽な状況を作り出した女王とやらを憎みぬいた。

 自分のいた山が豊かになったと聞いたときから、ずっと殺してやりたりたいと思っていた。






――――――――――――――――――――――


 作者記

 突然の三人称に面食らわれたかも知れません。

 これはプロローグとエピローグを同じにしていた初稿の名残でして、これはこれで味わい深いのではと思い、こちら投稿分でもそのままにしています。


 さてタイトルが『仮初のエピローグ』となっています通り、これで終わりません。

 もう少し続きます。

 続きはこのエピローグ後半で。

 十分以内に(下)の方も投稿します。

 

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