『女嫌いの床』を踏む女達
『女嫌いの床』を踏む女達
「ところで芙蓉ちゃん、御泊り夢見女館のご感想はいかが?」
私は新宿御苑の入口に光が出迎えてくれていた事を思い出し、どきっとして、少し体を震わせた。あれが今日一日エスコートしてくれる始まりだなんて私は知らなかったので、場所に着いてしまったらお別れかしら、なんて思っていたのだ。それから、光と手を握ったり、椅子を選んでもらったり、紹介してもらったり、横にずっと並んでいたり、光がずっと私の事を見ているのを知って興奮したり。カウンターの向こう側からこちらに来ることなんて無いと思っていた光と、こんなに接近できるなんて私は思ってもみなかった……などとスミレに言おうと思ったが、とても恥ずかしかったので止めた。
「新宿御苑に夢見女館のこんな別館があるなんて思わなかったわ。驚いちゃった。
それに、会場に着いてからは刺激的な出来事の連続だったわ。そう、『女嫌いの床』からだわ。あれは女性嫌悪のある女性などを集めていらっしゃると光さんに伺ってね、成る程と思ったのよ。私は昔、自分は女性が全般的に嫌いだと思っていたの。でもそれは間違いだということを前にサチさんに指摘されたのよ。私が嫌いなのは日本社会、いわば男性社会が求める女性像であり、またそういう女性像を信奉する女性が嫌いなのであって、女性自体が嫌いなのではないってね。
では男性社会が求める女性像を信奉する女性ってどういう人かしら。それはやはり自分より強いものに立ち向かっていかない女性の事だと、私は思うの。例えばポルノ表現規制を推進する女性がいるけど、彼女達は社会的 …… これはいわば男性的価値観だけど …… に性的表現を抑圧されて生きてきて、それに疑問を持たない、もしくは抵抗出来ない層なわけよね。家や地域によっては、女性がポルノに触れるだけで暴力振るわれたり、侮辱されたりすることがあるわけだから。だからこそ自分が受けた、ポルノ表現を見てはいけないっていう仕打ちを、男女両方の規制にしようと頑張るわけよ …… 何時の世にも国民の表現規制をしたい国家権力はとにかくなんでも規制には賛成だしね …… 規制推進派の女性は知識不足で、表現する権利というものが国民にとっていかに重要かを知らないし。
でも男性に声を上げられる強い女性はそうは考えないわ。自分達にもポルノ表現に触れる権利を、表現の自由を、と声を上げる事が出来るのよ。そして男達をぱっぱーっと脱がせて、男の裸でグラビアを飾って女が見る権利を取得するわけよ。
それにしても、あのポルノ規制推進派の女性達って、同性として恥ずかしいっていうか、迷惑っていうか ……」
「足引っ張られるんだよね。とりあえず現実の性暴力は厳しく摘発していくとしても、私は表現規制は許せないわね。女のくせしてエロ表現を規制したいなんて、何考えているのかしら。女の人生はセックス至上! えっちしまくって、楽しまなきゃ、何のための人生か! 女のためのエロ本市場をどかーんと作って、オナニー三昧の日々を送るの! これでこそ女よ。それなのにあの不感症女達、何考えて生きているのかしら」
スミレがチーズと剥き海老とオリーブをクラッカーに乗せながら言った。私の前にあるクラッカーはトッピングが乗った状態でテーブルに並べてあるが、スミレの前には色々な食材が並べてあって、好きに乗せられるようになっていた。よくよく見ると、私とスミレのテーブルの大きさも大分違っていて、スミレの方がずっと大きかった。
私はクラッカーの上に乗せてあるプチトマトを食べながら言った。
「そうなのよね。保守的な男達が求める女性像を求める女達、つまり保守的な女性達は、女性が権利を求めていく歴史的な流れを止めるのよ。まぁ、女性を下層階級に留めたい保守的な男性にとってはとてもありがたい事なんでしょうけど、権利を取得したい、しようと頑張っている女性にとっては、保守的な行動を取る女というのは、不利益以外のなにものでもないのよ」
私の言葉を聞きながら、乙姫が椅子の頭を優しく撫でていた。椅子は嬉しそうに乙姫の手の方へ頭を摺り寄せていた。そうか、ああやって椅子を可愛がればいいのか、と私は思った。乙姫は左手でオレンジジュースの入ったコップを持ちながら言った。
「そうなんですよぉー、芙蓉さん。あたしなんてぇー、この間、イベントのパンフレットに超レスビアン差別発言が載っていてぇー、このバカ女サイテー、めっちゃ迷惑とか思っちゃいましたよ …… でも残った文書は、現代の日本人女性が発したレスビアン差別表現の資料として使わせてもらいますけどっ …… まぁ情報等を入手しながらも、差別を推進するのが好きなバカ女は『女嫌いの床』行きって事でいいんですけどぉー、殆どの女性は情報等を入手していなかったり、入手出来ない環境にいるから保守的になってしまうんだと思うんですぅ。だからあたしたちみたいなイイオンナは、情報を得ていない、女性解放の教育を受けられない環境にいる女性に、女性が権利を取得できるよう働くのは、一時的にはとても怖い事だったり、物理的・精神的暴力を受けたりするけど、将来的にはとても楽になる事で、幸せな未来を獲得するために頑張らなきゃならないんだって事を言わなくっちゃいけないと思うんです …… っていっても私、絵を描いたり文章書いたり出来ないんだけどぉー」
「いや、貴女は樹璃のコスプレしているだけで、十分、頑張っていると思う」
私がそう言うと、乙姫が膝を大きく叩いて喜んだ。
「あたしもコスプレすることって、大切な表現の一つだと思ってますぅー。なんか嬉しいなぁ。あたしも早く栞みたいなクソアマに激ラブしたいのよねぇー。あっ、栞っていうのは『少女革命ウテナ』で樹璃が激ラブな女の子なんです」
乙姫が一息ついたところで、スミレが言った。
「女嫌いと一言でいっても、情報が無いだけなのか、元々差別主義者なのか、女性差別を受けすぎて気が狂っちゃっているのか、ただのバカなのかは、なかなか判別しづらいのよね。差別主義者とバカは、私が丁寧に踏んであげるってかんじだけど」
スミレは巨大な器に注いであるコーンスープを口に運んだ。
私は、スミレに踏まれたらさぞかし痛いんだろうなぁと考えていた。いや今までだって踏まれた女性はいるに違いない。スミレの椅子の足元には、サイズ・二十五センチメートルの真紅のハイヒールがあった。足の悪いスミレは、普段は踵の低い革靴などを好んで履いていた。だが夢見女館の優秀な従業員達の手を借りれば、いくら足が悪いといっても、ハイヒールくらい履いて歩けるに違いない。きっとあのヒールの高い靴は、『女嫌いの床』を踏む為だけに買ったのだろう。スミレは靴とお揃いの真紅のサテンで出来た裾が広がるイブニングドレスを着ていた。胸と腰には金色の太い紐が幾重にも体に巻き付いていた。長い髪は大きな三編みにして巻き上げ、それを金色と真紅の紐で留めていた。胸には金で出来た大きなコイン型(盆型?)のペンダントヘッドが輝いていた。これで気迫が無ければ体育館の垂れ幕に包まれた巨体女というところだが、スミレはその迫力で女帝のような雰囲気を醸し出していた。
私は干アンズを口にしながら言った。
「そう、情報が足りないというのは女性にとって深刻な悩みだわ。私だって学校教育で男女差別が無いって教わって、そうやって卒業まで信じてきたもの」
「でも芙蓉ちゃんの学校は名簿で男子が先で女子が後でしょ」
「私の学校は母の母校でもあってね、母は生徒会長もやっていたのよ。そんな母親に育てられて、差別があると思う方が難しいし、名簿の順番なんて、後ろの方が劣等なんだって考えがなければ思い付かないわよ。芙蓉のふはね、男女混成で並んでも、後ろの方なのよ。だから社会は実力の世界で、私には実力が無いだけなんだって思ってたの。それに私が幼い頃は、日本の中でキリスト教徒が差別されているって事の方が深刻な悩みだったもの。
就職する時よ。女性の雇用の方が無いし、落とされるし、入社してからも能力給でない会社で同期の男性と給料や昇進の差別があるし。そして女性全般が男性平均に比べ、凄く悪い待遇のまま働かされている事を知ったわ。私はとても怒りを覚えたけど …… でもよく仕事の出来る女性の先輩が、昇進の意志が無いって知った時のほうが絶望的に思えたわ …… 仕事が出来る女性の先輩が昇進出来なかったら、通院や入院で休みがちな私なんてどうなるんだろうって思ったもの ……」
「就職すると、誰でもわかる事なのかしら? 芙蓉ちゃん。私は足っていう人の目に付き易い障害だったから、大分苛めや陰口にあったのよ。悪い意味でも良い意味でも特別扱いされる事が多かったの。その上、就職口は少なかったわ。女は容姿、みたいな雰囲気でね。まぁ、校正の仕事にありつけたから良かったけど」
「就職すればわかる女ばかりじゃありませんよぉー、スミレさま。オタク女なんて、オタクな本当の自分と現世、みたいなかんじで分けちゃっていて、自分のこと女だって認識すらしていませんものぉー」
「私が思うにはね、乙姫。それはオタク女に限った事ではなく、女性全般に言える事だと思うのさ。オタクの場合、物語に則って狂っていくから説明しやすいだけで、多くの女性が社会に幻滅して訳も分からず狂っていくんだと思うのよ。狂った女性達は社会に波紋を広げ、社会を狂わせていくの。そして多くの狂人達が私達に踏まれて幸せになっていくのよ。なんて素晴らしいシステムなのかしら。
…… そういえば芙蓉ちゃん、貴女の椅子を皆さんに紹介して頂けないかしら?」
スミレは椅子の白い背を撫でた。スミレの椅子は、嬉しそうに首を伸ばした。
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