ストーカー少女に命を救われました。

深山瑠璃

第1話

 着信音が鳴っている。



 ぼんやりとした思考のままスマホの位置を手で探した。部活で体力を使い果たして少しだけ横になったつもりが寝てしまっていたようだ。



「もし、もーし。モモだよー」



 手にとったスマホから聞こえてきたのは、底抜けに明るくて甘ったるい声で、誰からかかってきたか確認もしなかったことを後悔してしまう。



「モモだよーじゃねぇよ。誰から俺の電話番号を聞いたんだ?」


「えへへ。モモは柊っちのことなら何でも知っているのです!」



「切るぞ」


「あ、ダメです! 切ったらぜったい後悔しますよぉ」



 緊張感のない舌足らずな声音に頭が痛くなった。



「俺は電話に出たことを後悔しているんだけど」


「むむむ。可愛い女の子からの電話なのに相変わらず冷たいですね」


「自分で可愛いって言うな。それに、ストーカーに対して破格の対応だろうが」


「ストーカーじゃないですぅぅぅ」


 そう、コイツは否定しているが、間違いなくストーカーなのだ。





 最初に出会ったのは一か月ほど前。


 駅前に人目を惹く少女が立っていた。爽やかな飲料系コマーシャルにでも起用されそう、そんな感想が思わず零れてしまいそうになるほどの透き通るような清涼感を身に纏った美少女。



 同じ高校の制服を着ているけど、こんな綺麗な子いたんだ。


 そんな風に思いながら横目で見つつ通り過ぎようとしたその瞬間。俺の腕をむんずと掴んで満面の笑みを向け『モモとお友達にならないと、死んじゃいますよぉ』と、ぶっ飛んだ発言をしてきたのだ。



 ギョッとして、ドン引きしたのは言うまでもない。



 外見の印象からイメージする性格とは違いすぎて痛すぎる。思わず新手の勧誘かそれとも美人局かと疑って周囲を見渡してしまったほどキョドってしまった。



「んんん? 反応が悪いですねぇ? あ、そっか。柊っちとはもうとっくに友達以上の関係だったのに、今さら友達になって欲しいと言われて拗ねちゃったかな?」



 唐突に、自分の下の名前を馴れ馴れしく呼ばれたうえに「友達以上の関係」というフレーズに反応して改めて凝視してしまう。

 明るい髪色にちょっとお目にかかれないほど整った容姿の美少女。均整のとれた手足に豊かな胸。これほど目を惹く外見なら一度でも出会っていれば忘れない。やはり面識はないはず……だよなぁ。



「なんで俺の名前を? どこかで会ったことがあったか?」


「柊っちひどいよぉ、忘れちゃうなんて。でもモモは寛大だから許してあげます」



 全然会話が噛み合わない。

 しかも、そんなことを言いながら腕を組んできて、二の腕に信じられないような柔らかさを感じてしまったところで色々とキャパを越えてしまった。



「おい、ひっつくな! 俺はお前なんて知らねぇよ!」



 振り払おうとする俺と、離されまいとますます引っ付いてくる謎の美少女。駅前の通りで立ち止まってそんな遣り取りをしている俺たちが邪魔だったのか、随分いろんな人間が不審そうにジロジロとこちらを見ながら距離をとって通り過ぎていく。



 何が目的で近づいてきたのか分からないけれど、怪し過ぎる。絶対に関わりたくない。そう思ってその時は必死に振りほどいて全力で逃げ出した。





 あそこまで完全に拒否したのだから二度と関わることはないだろうと思ったのに、何が目的かモモと名乗る少女のストーカー化は日々順調に進み悪化し続けた。



 登下校の際には後を尾けられ、部活の練習中にはグラウンドの隅で見学。時には授業をさぼったのか、授業時間中にまで窓の外から視線を感じる始末。

 どれだけ無視しても、邪険に扱っても、二人きりになると近づいてきては楽しそうに話しかけてくる。



 しかも一番の親友に相談してみても『……疲れてるなお前……俺も絶世の美少女にストーカーされたいわ。とりあえずその子と付き合い始めたら紹介してくれ』と真剣に取り合ってくれず。



 最近は俺自身も多少慣れて諦めモード。普通に会話をしてしまっている気もする。




 そして今夜は遂にどこで番号を手に入れたのか電話までかけてきたというわけだ。



「で、わざわざ電話してきた用件はなんだ?」


「んと、柊っち今からモモと遊んでください!」

 


 時計を見ると夜の十時だった。相変わらず頭おかしい。



「こんな時間に出かけねぇよ」


「柊っちのパパさん今夜も日付変わらないと帰ってこないですよねぇ? おうちに一人だよね?」


「なんでそんなことまで知ってるんだよ……一人で家にいたとしてもこんな時間から遊ばないし、昼間でもお前と遊ばねぇよ」


「でも、モモはもう柊っちの家の前にいますよ?」


「はぁ? お前……こんな時間に女の子がうろうろするなよ。さっさと家に帰れ」


「んへへ。なんだかんだ心配してくれるし、電話切らないし、柊っちは優しいですね。やっぱり大好き! きっと放っておけなくて外に出てきてくれますよね」


「……調子に乗るな」


 

 だんだんと絆されている自分に溜息がでてしまう。どうにも掴みどころがなくて、何が本当の目的なのかも分からない。かといって、何か具体的な危害を加えられているわけではないし、どうしたものか。


 

 我ながらチョロすぎるのではないかと思いつつも……とりあえずこんな時間に外に居座られて何かあったら寝覚めが悪いと観念してジャージ姿のまま部屋を出た。


 

 俺たちが住んでいる地方都市では、大通りから一本入っただけで家の前にある街灯から少し離れると次の明かりとの合間、夜に紛れる空間が出来るのだが……そんな境界付近の光の端にモモが立っていた。

 


 こちらに気づくと、整った顔を笑顔で弾けさせ嬉しそうにしがみついてくる。

 まるで、全身で喜びを表して懐いてくる子犬のようだ。いや、モモの掴みどころのなさを考えると、気まぐれな子猫が咽を鳴らして擦り寄ってきた感じという方が適切だろうか。



「わーい。柊っちが出て来てくれたー」



 どこまでも明るい声音と人懐こくも魅力的な満面の笑みに、力が抜けてしまう。こうなったらもう仕方がない。



「家はどこだよ、送って行ってやる」


「おぉ! 柊っちが優しいです! でも家はありませんので結構です」

 


 まさかコイツ家出してきたんじゃないだろうな。



「……お前、家に帰らないでどうするつもりだよ」


「勿論柊っちと一緒にいます! そうですねぇ、とりあえずはコンビニでアイスを買いましょう! 柊っちは家出少女を路頭に迷わせるなんてことしないですよね」



 そう言うと、俺の腕を引きずるように、ここから五分ほど歩いた先にあるコンビニの方へと歩き出した。



「おい、本気で家出少女かよ……」


「うーん。なんでもいいのです。とにかくしばらく一緒にいてくれればそれだけで満足なのです。一緒に行ってくれれば、えっちぃこと以外なら何でもしますから、ダメですか?」


「いや、えっちぃことが抜けたら、『何でも』に価値はない」


「……最低ですね。いつからそんなに頭の中がエロエロになったのですか。家出少女をひどい目にあわす側の人間は……死ねばいいですね」


 

 それまでのご機嫌な顔から、一転ジト目になって顔を近づけてくる。



「そうだよ、最低の人間だからもうつきまとわないほうがいいぞ」


 

 近づけられた顔にドギマギしながら、少々赤面してしまった表情をごまかすように冷たい口調でそう言い返してみたが――にぱぁーと笑われた。くそっ。



「うへへ。そんな作戦にはのりません! 柊っち! その表情にモモは萌えました! モモはこれからも永遠につきまとって柊っちを守ります!」


 

 握りこぶしを作って、勢いよく片手を天につきあげている。涼しげな美少女なのに、本当に外見と性格がミスマッチな奴だ。



「おい、何を堂々と一生ストーカー宣言かましてんだ!」


「ストーカーじゃないですうぅぅぅ! もう恋人ってことでいいと思いますぅ!」



 うーん……なんかこう、いくら冷たくあしらっても距離を詰めてこようとするモモが、どうにも憎めない感じではある。

 


 気づけば、コンビニでアイスを買い、そのままついつい当たり障りのない会話を一時間ほども続けてしまっていた。



「はぁ。仕方ない。そろそろ親父も帰ってくるだろうし、頼みこんで今夜ぐらい家に泊めてやるよ」


 

 こんなこと言ったら、大喜びしてますます調子に乗るんだろうな。そう思いながらモモを見ると、急にしょんぼりとした様子で顔を俯け反応がない。



 それどころか、顔を伏せたまま不意に乾いた声が返ってきた。



「仕方ないですね……そろそろ時間ですね……」



 強く握りしめられた小さな拳が震えていることに気づいて唖然としてしまう。



「お、おい、どうした?」


「柊っち、今回はこれでお別れです。えへへ。今回も柊っちのことを守れてよかったです」


 

 すごく淋しそうな顔で、陰のある笑顔を向けてくるモモに胸の奥が疼く。



「おい何を言ってるんだ? そんな顔……お前に似合わないぞ」


「バカ! 毎回毎回柊っちがモモのことを忘れちゃうからこんな面倒な事をしてるんですよ! 今夜、モモと一緒にいた時間に、もしも柊っちが一人で家にいたら死んでるんですよ! そこのところ分かってますか!」


「は?」


「柊っちがモモを忘れちゃうから……急に現れた女の子の忠告なんて聞きやしないですよね! だから、一ヶ月かけて柊っちと仲良くなって、こんな時間に電話しても外に出てきてくれるぐらいになれるように頑張っていたモモのことを褒めてくれてもいいと思うのですがどうですか? 頭ナデナデしてください!」


「全然、意味がわからないんだけど」



 もともと会話が噛み合わないことはよくある事だったが、本格的に意味がわからない。



「もういいです。お家に帰ったらパニックにならずに、ちゃんと警察に電話してくださいね」


「へ? マジで何を言っているんだ?」

 


 俺の問いかけには答えず、寂しそうに笑って見せると。



「頑張った、モモの頭を、撫でて欲しかったです」


 もう一度そう言って。



 あれ? なんだ、これ? 


 モモの姿がまるで蜃気楼のようにぼやけて霞み、透けて、消えていく。


 

 あまりに突然のことに思考が停止し――冷汗が一気に滝のように流れ落ちた。


 急に寒気がして、背筋が凍りつき。コンビニ横の自動販売機の発する音がやけに大きく感じられる。

 


 そういえば、さっきの店員かなり訝しそうな様子でこっちを見てきたような。いや、さっきの店員だけじゃない。最近やけにジロジロと怪訝な顔で見られることが多かったような……。



 最悪だ。



 鈍いにもほどがある。



 くそっ。最後の寂しそうなモモの笑顔が脳裏に貼りついて消えてくれない。



 どうしてすぐに頭を撫でてやらなかったんだ。



 とぼとぼと、来た道を戻ると、誰もいないはずの家に明かりが見えて慌てて自宅に駆け込んで――立ち尽くした。ありとあらゆるものが散乱し荒らされた室内。土足で歩き回ったと思われる跡。割られた窓ガラス。



 茫然としながらも思考の片隅でモモの言葉を思い出す。



 確かに、モモからの電話がなかったら、リビングのソファーで眠ってしまっていた俺は強盗に殺されていたのかもしれない。かなり乱暴な様子で荒らし回ったとみられる室内をもう一度見まわして、遅れて身体が震えてくる。



 モモ……お前は一体何なんだ。どうして助けてくれた。



「大好きだから助けたんですよ。大きくなったら柊っちのお嫁さんになるって言ったよね」


「え?」

 


 声だけが微かに聞こえたその瞬間、モモの面影がある小さな女の子と砂場で一緒に遊んでいた光景が思い浮かんでは消えた。



 あぁ――確かに、いつも一緒にいた女の子が満面の笑みでそんなことをよく言ってくれていた気がする。

 


 どうして忘れていたんだ。

 


 視界が霞んで、水が滴り落ちてきてしまう。



「泣かないで、柊っち。モモはまた来るからね。モモのこと今度こそ忘れないでよ。そうじゃないと今度は呪っちゃうからね」

 


 感傷に浸っていた俺の耳元で、物騒な言葉が聞こえた。



 おい、行くなよ。



 また来るというのはどういうことだ。



 もしかして、俺はこれからも死にかけるって事なのか?



 それだと、モモには会いたいけれど会いたくないような。



 おい、何か言えよ! 



 何度話しかけても、モモは現れなかった。



 …………もう一度会いたいな、俺のストーカーに。待っているからなモモ。

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