第7話 晴隆蟄居

 四月の鎌倉は、輝いている。

 蒼味が飛んだ海が煌き、若緑が滴る山が夏を迎える準備を整えたのだ。

 晴秀の屋敷裏庭では、木刀の音が「元気、陽気、呑気」と響いている。

 晴隆と佐助が宋行きに備え、武術の稽古に励んでいるのだ。

 晴隆は佐助より九ケ月年下だが、その背は高く自慢心も高いので大きく見える。

 佐助は、何時も控え目に一歩下がり、目線を落としているので小ぶりに見えた。

 二人の腕はと云えば、云うまでもなく佐助が勝っていた。若い主人の気分を害さないように鍛錬を続けるのは、なかなかに骨の折れることだった。生まれて直ぐにその任を負った佐助だった。


 屋敷は、稲村ケ崎の海岸から山に駆けのぼった中腹にあった。

 三段に切り開かれた中段に屋敷があり、裏庭は一段高く竹林を背負っている。

 まえ庭からは、塀代わりの木々の間をぬって鎌倉湾が見渡せた。

 木陰の縁を飾りに、晴れやかな眺望がご馳走のこの家は晴秀の修行の場であり、少年たちの夢を叶える教場だ。

 安倍一族の多くは、御所近くに屋敷を賜り優雅な暮らしをしていたが、晴秀だけは鎌倉とは云え端の外れ、不便な山の上である。妻を迎えた頃に屋敷を建てる土地としてこの小山を賜った。変わり者と云われる晴秀の希望であった。


「晴隆、晴隆はどこじゃ」

 足早に入って来る親職の前に、乳母の佐紀が平伏する。

 忙しい親職が、この屋敷を訪ねるなど殆どない。

「はい、はい。こちらでございます」

 佐紀はすでに泣いている。

「そちではない。晴隆だ」

「何でございましょう、爺さま」

 裏から姿を現した晴隆が、廊下に片膝を付く。

「御所さまが発熱され臥せっておられる」

「やはり、さようでございましたか」

 応える佐紀に、親職の叱責が飛ぶ。

「佐紀どの、口出し無用。お下がりめされ」

「爺さま、乳母どのに当たるのはおやめ下さい。乳母どの、さあ、お下がり下さい」

「はい、はい。失礼いたします」

 佐紀は、初めてこの屋敷に登る坂道で息を切らせながら息子と自分の名前を変えた。

 姓は佐介さすけ、名は太郎左衛門の室初子から佐紀とし、息子は左太郎丸から佐助とした。武家の室の身分を捨てた佐紀の覚悟であった。嫁いだ家の姓は、佐介であった。人を助け支えると云う、嬉しいような悲しいような家柄だった。

 初子は、御家人の長女として、それこそ蝶よ花よと育てられた。豊かな家ではなかったが、日々華やかさを増す、関東鎌倉にあって、食べ物、着る物に不自由することはなかったが、嫁ぐ前に実家を失っていた。

 贅沢は云えない相応の家に嫁入ったのだ。それでも、するりと嫡男を産み落とし、夫も周囲も拍手喝采だ。幸福の絶頂だった。間もなく夫、太郎左衛門があっけなく死んだ。過ぎし日の戦乱で負った傷を癒していた身だが、病死と云うことになる。途方にくれる初子に、乳母の口がかかった。陰陽師の家の嫡男に、息子が吸い残した乳を分け与えるのだと思ったが、生まれたばかりの赤子は、すこぶる元気で、息子を押しのけて、乳を搾り取った。


 廊下をすべる佐紀の足音が消えるのを待って親職の愚痴が開始された。

「全く、晴隆がうつけなのは、あの乳母どのが甘やかすからじゃ」

「爺さま、佐助の母者にございます」

「ああ、そうであったな。佐助も色々と苦労するな。こんな虚けに仕えて」

 後ろに控える佐助が、顔を上げた。

「とんでもございません。わたしは若にお仕えして幸せ者でございます」

「まあまあ、よい。さて、晴隆、御所さまの病に母上さまの尼御台政子さまがことのほかお怒りじゃ。晴隆と佐助は、宋へ行かれないかもしれぬ」

「えっ、そんなぁー。それはねえじゃん。おれ達は何も悪いことをした訳じゃねえ。実朝さまに水練をお教えしただけだ」

「そんなことは分かっている。じゃがな、晴隆、良く聞け。お勤めと云うのはそういうものじゃ。上手く行けば良いが、結果が悪ければお咎めもある。どうじゃ、これを機会にお供は願い下げにしては」

「い、いやだ。おれは行きたい。海の向うには大きな宋という国があり、さらにその向こうにも幾つもの国があり、そして天竺があると教えてくれたのは、爺さまではないか。おれは、それらの異国を見てみたい」

「晴隆、おまえはまだ若い。そのような機会もいずれあるであろう。今回は諦めよ」

「いやじゃ、いやじゃ。爺さま、尼御台さまにとりなして下され。お願い申し上げます」

「お願いするときだけ、丁寧な言葉になるのじゃな。困った虚けじゃ。家から出てはならぬ。佐助、そちもじゃ。きっと二人で家の中に居るのじゃ」

「はっ……」

 佐助が、息を飲んで畏まる。

「佐助、返事をするな。おれはいやじゃ」

 晴隆の声を抑えるように、足音が近づく。

 父親の晴秀だ。

「これは、父上。ご機嫌は如何でございますか」

「晴秀、おまえが宮使いをせず、気ままにしているから、晴隆のような虚けが育つのだ」

「ははっ、お許しを。晴隆、爺さまはおまえを心配して来てくれたのじゃ。外に出れば、咎人として掴まるかもしれぬ。いいな、佐助。晴隆から離れるでないぞ」

「ははぁ」

 畏まっている佐助の頭が更に下がり板敷を打った。

 青竹の先にゆらゆら囲まれた空を見上げながら、晴隆は思案する。

 外に出ることを禁じられ、宋へのお供も危ないと云われたが、外出禁止は実朝が出した訳ではない。

 尼御台さまの政子の陰謀だ。

 直接、実朝に会えばいいのだ。

 きっと、実朝さまは笑って「付いて来い」と云うだろう。

 晴隆は、昼間はおとなしく昼寝などをし、夜に活動することに決めた。

 それでも不安はある。

 御所に忍び込むことが出来るだろうか? 

 だめかな?

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